| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

黒魔術師松本沙耶香  薔薇篇

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

13部分:第十三章


第十三章

「この家の客人よ。話は聞いていると思うけれど」
「ええと、二人おられましたが」
「沙耶香よ」
 彼女は名乗った。
「松本沙耶香。聞いているわね」
「貴女がそうでしたか」
「ええ」
 そのうえで頷いた。
「この屋敷のソムリエは貴女ね」
「はい」
 その美女、エレナ=ダレンジェールはその言葉に頷いた。かなり流暢な日本語であった。そちらもかなり勉強してきたのがわかった。
「如何でしたでしょうか、今までのワインは」
「申し分ないわ」
 沙耶香はそれに答えた。
「流石と言うべきね。料理に実に合っているわ」
「この屋敷の料理は最高のものです」
 エレナは述べた。
「フランスにあるどのレストランともひけはとりません」
「あら、そんなに」
「はい、それはおわかりだと思いますが」
「私にはそこまではわからなかったわ」
 沙耶香は味には敏感だ。だがそれでもフランス人のようにああだこうだと言う性格ではないのである。フランス人はあまりにも極端だと沙耶香は考える。それは偏執狂の域に達していると。
「ワインはわかったけれどね」
「有り難うございます」
 だがワインは違った。酒も愛する彼女にとってこれは譲れなかった。どちらかといえば彼女は料理より酒を愛する方だ。こちらはフランス人にも負けてはいない。
「ここのワインもまた。最高のものばかりです」
 エレナは恭しい声で述べた。その整った目がワインと沙耶香を見る。
 今二人の周りには無数のボトルが寝かされている。温度は適度に保たれ、少し薄暗い光が蔵の中を照らしていた。そしてその中で二人は話していた。
「ここまで揃えている場所は。フランスにも」
「最初は期待していなかったでしょう」
 沙耶香はそう問うた。
「フランス程に料理もワインも揃えている場所はないと」
「はい」
 エレナもそれは認めた。目を伏せて答える。
「その通りです」
「やはりね。フランス人らしいわね」
 そしてそれを聞いてうっすらと笑った。
「我々フランス人のことをよく御存知ですね」
「フランスにも行ったことああるから」
「左様で」
「ニースとかにね。行ったことがあるわ」
「ニースに」
 南フランスの有名な避暑地である。欧州から上流階級の者達がやって来る場所である。欧州にはまだ貴族的なものが色濃く残っている。その為そうした場所にもかって、若しくは今も貴族の者達がやって来るのである。
「パリにもね。堪能させてもらったわ」
「そうだったのですか。フランスのことも御存知なのですね」
「そうよ、料理もワインも文化も」
 彼女は言った。
「そして女性もね。どれも素晴らしいわ」
「有り難うございます」
 エレナはここでは気付かなかった。沙耶香の笑みが妖艶で何かを狙うものになっているのに。そしてそれが彼女に向けられているということに。彼女は気付いてはいなかった。
「フランス人はまず自分達のものを第一と考えるわね」
「否定はしません」
 これはあまりにも有名である。それにより欧州の周りの国はおろか世界から顰蹙を買うことも多い。それでもフランスはフランスなのである。
「日本にもこれ程のものがあるとは」
「思いも寄らなかったと」
「はい。御言葉ですが所詮フランスではないと」
「そう思うわね」
「ところが。これ程までとは」
 エレナにとっては信じられないことであったのだ。
「素材とシェフを揃え、そしてワインは」
「どれも。選りすぐりよね」
「そうです。私もここまで揃っているのは見たことがありません」
「それだけのものがある場所にはあるということよ」
「ええ」
「私もね。それはわかったわ」
「そうなのですか」
「フランスでもね」
「そういえばフランスにも来られたのですね、パリやニースに」
「そうよ。どれも忘れられない思い出よ」
「フランスではどれが最もよかったでしょうか」
 ここでエレナはフランス人が期待している答えを待っていた。フランスそのものだと。沙耶香もそれはわかっていた。だが。彼女はあえてそうは答えはしなかったのであった。
「女性よ」
「女性!?」
「そうよ。全ての中で。それが一番美味しかったわ」
「あの」
 エレナにはその言葉の意味がよくわからなかった。
「松本さん・・・・・・でしたね」
「ええ」
「それは一体。どういう意味なのでしょうか」
「わからないかしら」
「女性が最も美味しいとは。その」
「今からその言葉の意味を教えてあげるわ」
 そう言った瞬間であった。沙耶香はエレナの前に姿を現わしていた。まるで影の様に現われた。
「!?」
「それはね」
 彼女は語る。
「こういうことよ」
 そしてエレナの唇を奪った。刹那の動きであった。
「なっ」
 唇を奪われたエレナは咄嗟に沙耶香から離れた。口を手で守りながら言う。
「一体何を」
「知らないのかしら、接吻よ」
 沙耶香は目と唇だけで笑いながらエレナに言葉を返した。
「それは知っていますが」
「じゃあわかるわよね」
 沙耶香は自身を守ろうとするエレナを悪魔的な、それでいて甘さを秘めた誘惑の笑みで見ながら言った。
「私が何故ここに来たのか」
「そんな、私達は」
「女同士、と言いたいのかしら」
「それ以外に何が」
「おかしなこと」
 そのうえで彼女は笑った。
「女同士だからいけないというの?」
「神の教えは」
「神、ね」
 エレナはフランス人だ。ならば信じる神はわかる。だが沙耶香はその神の名を聞いて一笑に伏したのであった。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧