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藤崎京之介怪異譚

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case.5 「夕陽に還る記憶」
  Ⅱ 2.26.AM10:47


「藤崎教授、わざわざお越し頂き恐縮です。娘がどうしても呼んでほしいと言うもので、不躾ながら御電話させて頂いた次第でして…。」
 俺を出迎えてくれたのは、この家の主である栗山明臣氏だった。
 実は昨日、智田からこの家の話を聞き、俺は目を丸くしたのだ。この栗山明臣氏は、世界でもトップクラスのチェリストなのだ。栗山と聞いて直ぐに思い出せなかったが、俺も何度か演奏を拝聴したことがある。そんな明臣氏に、俺なんかが「教授」なんて呼ばれる立場にないのだが…。
「栗山さん、私のことを教授なんて呼ばないで下さい。貴方のような高名な方にそう呼ばれるのはちょっと…。」
「いやいや、貴方の論文を読ませて頂きましたが、とても素晴らしいものでした。教授と呼ぶに相応しいと思っておりますよ。」
「教授は兎も角として…どれをお読みになったのですか?」
「クラヴィーア練習曲第三部についてのものです。あの論文を読んで、私はあの四つのデュエットはオルガンで演奏されるべきだと考え直したのですよ。」
 これは驚きだ…。あれはオルガニスト向けに書いたつもりだったんだが、弦楽奏者の彼が読んでくれていたなんてな…。
「これは…ありがとうございます。」
「いや、私は元来オルガンの音色も好きでして、バッハの無伴奏を演奏するときなどはオルガンを聴いてから演奏することもあるくらいですよ。あっと…これは失礼しました。さぁ、中へお上がり下さい。」
 ここはまだ玄関で、俺は未だ靴すら脱いでいない。明臣氏は自分の失態に気付き苦笑しつつ、俺を家の中へと招き入れたのだった。
 栗山家はかなり大きく、部屋数もかなりあるようだったが、その大半は防音の施された練習用の部屋のようだった。
 そんな中を暫く行くと、明臣氏に広い部屋へと招き入れられた。どうやら応接室らしいが、俺は中央にあったソファーを勧められて腰をおろした。明臣氏は娘である亜沙美嬢を呼びに行ったため、俺は飾られていた絵画などを暫く眺めていたら、そこへ別の扉が開いて一人の女性が姿を見せた。
「藤崎様、ようこそお越し下さいました。亜沙美は暫くしましたら参ると思いますので、それまでお茶でも召し上がっていて下さい。」
 彼女は明臣氏の奥方で、これまた有名なフルーティストである早紀夫人だ。無論、現代フルートを演奏しているが、彼女の録音したヘンデルやヴィヴァルディのフルート・ソナタ集は、音楽誌でもかなりの好評を博していた。
「いや…恐縮です。私のことは呼び捨てで構いません。様など付けて頂ける程の身分じゃありませんので。」
 俺が頭を掻きながら困ったように言うと、早紀夫人はお茶を注ぐ手を止めて目を丸くしながら言った。
「とんでもありません。藤崎様のCDを聴かせて頂きましたが、私、その演奏で藤崎様のファンになったのですよ?あれは…バッハのカンタータ第94番の演奏でしたわ。」
「あれを買って頂いたんですかっ!?」
 俺が驚いて聞き返すと、早紀夫人は微笑しながら恥ずかしそうに言った。
「最初は友人の薦めで借りて聴かせて頂いたんですけれど、直ぐに買い求めてしまいましたの。藤崎様は未だ六枚しかお出しになってませんが、今後はどのようなご予定ですの?」
 いやぁ…こんな有名な方がファンだなんて…これは夢か?それとも幻か?
「はぁ…まだ先の話になりますが、天宮グループの支援でチェンバロとカンタータの全集を録音中です。」
「あら、それは良いことをお聞きしました!友人に天宮さんとお知り合いの方がおりますの。その方にもお話しして差し上げなくてはね。」
「そんな、滅相もありません!」
 俺が焦ってそう言うと、早紀夫人は笑ってこう返した。
「その方が私に藤崎様の演奏を推薦して下さいましたのよ?その方もきっと、この話を聞いたら喜びますわ。」
 今日は来て良かった…。こういう人達がいてくれないと、全集なんてものはそう売れるものじゃないしなぁ…。売れてくれれば先へと繋がるが…俺の場合、要らん事件に巻き込まれるから、録音が遅れてしまうんだがな…。いかん、今日はこんな宣伝をしに来たんじゃなかった。
「藤崎教授。オルガンの全集は予定されているのですかな?」
 早紀夫人とお茶を頂きながら話をしていると、先程出ていった明臣氏が戻ってきた。
「教授は止めて下さい…。まぁ、オルガン全集も予定には入ってます。実は五年前から録音を始めてはいるんですよ。」
「そうですか!では、近々発売に?」
「ええ。第一巻は来年春頃になると思いますが。」
「これは楽しみですな。で、どう組むつもりなのだね?」
「私は自由曲とコラールを交互に出そうかと考えてます。第一巻は、先ずはトリオ・ソナタを出すつもりですよ。その次からは一ヶ月毎のリリース予定です。第二巻はオルゲルビュヒラインを予定してますが、これは天宮さんの意向を聞いてからになるので。」
「それは良い!無論、カンタータやチェンバロ作品も聴きたいが…」
「父さん!母さん!教授がお困りじゃないですか!」
 俺が少々困り顔になりつつ会話をしていた中に、昨日会った大学の生徒が姿を現した。昨日とは違い、随分と顔色も良くなっており、体調も戻ってる様で何よりだ。
「教授、大変失礼致しました。お分かり頂けたと存じますが、以前より、家族して教授にお話しを伺えたらと思っておりましたもので…。」
「いや、構わないよ。でも…教授やら様やら付けないでほしいかな。私自身、しがない音楽家の一人でしかないんだから。」
 俺がそう言うと、栗山一家は顔を揃えて笑った。なんとも幸せそうな家族に見える。こうして見ると、何の心配事も無い様に見えるんだがな…。
「分かりました。藤崎先生。」
 亜沙美嬢は素直にそう言って微笑んだ。そうして後、直ぐに真顔になって彼女は言った。
「では、藤崎先生。先生をお呼びした理由をお話し致します。」
「そうだね。もしかして…昨日の事と関係あるのかい?」
 亜沙美嬢の言葉にそう返すと、急に三人の雰囲気が変わった。何だか体を強張らせているようで、緊張していることは俺にでも理解出来た。
「はい…。父や母とも相談したのですが、中立な第三者に話して意見を求める方が良いかと思いまして…。」
「しかし…どうして私だったんだい?医師や…そうでなくても寺社や教会でも良かったんじゃないのかい?」
 俺がそう問い掛けると、三人は顔を見合せて暫くは黙っていたが、意を決して話し始めたのは早紀夫人だった。
「先生…実は、医師にはもう見せましたの…。ですが…何も解りませんでしたわ。何十件も回ったのですけど、結局解らずじまいで…。教会の神父様にも相談したのですけれど、それでも答えは見付かりませんでしたわ…。それで…失礼ながら藤崎先生を頼ろうと…。」
 この話し方から察すると、どうやら誰かが俺のことを話したんだな…。まぁ、この際それはいいか…。
「私のことは、一体誰からお聞きになったんですか?」
「実は…御厨宗一郎様からお名前を伺いましたの。」
 なるほど…。御厨さんは有名な小説家で、随分前にこういった事件を依頼されたことがあった。かなり風変わりな方だが、とても世話好きな優しい方だった。
 彼から聞いたってことは、やはり霊関係ってことだな。じゃあ、この一家は今起きていることを、やはり霊の仕業と考えているのだろうか?
「そうですか、御厨さんから…。それで亜沙美さんに起きていることは、霊の仕業だとお考えなんですか?」
「いえ、そうではなく…生まれ変わりなんじゃないのかと…。」
 その早紀夫人の言葉に、俺は眉を潜めた。俺自身、生まれ変わりは全く信じていない。人は皆、死で一度は全てを失う。人が霊…肉体を持たないものになる筈はないのだ。第一、人間にその資質は無く、肉体そのものが魂と言える。だからこの上無く“生まれ変わり"を信じる人達は厄介なんだ…。
「申し訳ないのですが、私はそういったことを信じていません。ですので、お力添えをすることは…」
「先生。そうお言いにならず、少しで宜しいのでお考えを仰って下さい。」
 さて、どう答えてみたものか…。恐らく、御厨さんは俺の考え方を、多かれ少なかれ話しているはすだ。だが…この家族がそれを受け入れるか否かは別問題で、悪くすれば亜沙美嬢を悪化させる危険性もある。
 俺は暫く目を閉じて考えて後、静かに口を開いた。
「以前に一度、この様な事件を依頼されたことはありました。御厨さんはそれを知っていたため、あなた方に紹介されたのだと思います。その事件では、霊…私は悪霊または太古の霊と呼んでいますが、それが祖先の記憶を子孫に投影していたんですよ。」
「投影…ですか?」
 今まで黙していた明臣氏が不思議そうに言った。まぁ、いきなりそう言われても、大方の人は理解できないだろうが…。
「そうです。また、霊は他人の記憶や癖など、様々なものを複写することが出来ると私は考えてます。その結果、生まれ変わりがあると信じさせているのだと私は思っているんですよ。」
 俺がそこまで言うと、前の三人は困惑した表情を浮かべていたが、再び明臣氏が俺に言った。
「だとしても…娘は何の関係もないのではないのかい?今の様になったのも、何の前触れもなく突然だったからねぇ…。」
「理由なんてないんですよ…。ですが、お嬢さんは知らず知らずのうちに何かに触れたか、または関連する場所へ行ったかして、霊にとっては都合が良いものと判断された可能性は高いと思われます。その場合、お嬢さんを霊から解放するのには、かなり厄介だと言わねばなりません。」
 俺がそう言うと、亜沙美嬢は顔を蒼くして心配そうに問い掛けてきた。
「藤崎先生…。私、このままだと…どうなってしまうのでしょうか…?」
 答えづらい質問だ。だが、本人は意を決して問ったに違いない…。俺は暫く考えた後、正直に答えることにした。
「第一に。そのまま霊に取り込まれ、自分は死者の生まれ変わりだと信じて行動するようになる。こうなった場合、多くの人を巻き込む恐れがあり、大抵は新興宗教の祖になるパターンが多い。第二に。霊の力に体が耐えられなくなり、精神を崩壊させて自分を喪う。こうなってしまってからでは、もう助けようがなく、死を待つだけだ。だが、これはまだ良い方なんだ…。」
 俺はここまで言って、一旦言葉を切った。三人は次の言葉を不安げに待っているが、内心気が気じゃないだろうことは顔色から窺えた。
 俺は溜め息を一つ溢して言葉を繋げたのだった。
「第三に。肉体、精神もろとも霊に飲み込まれ、操り人形にされてしまうこともあるんだ。そうなると…もはや人間とは言えない…。」
 それを聞いた亜沙美嬢は、恐れのあまり失神しかけてしまい、それを早紀夫人が急いで抱え起こしたのだった。
「大丈夫!?」
「大丈夫です…お母さん。それで、先生…。お力添え頂けるのでしょうか…。」
 亜沙美嬢は真剣な目をして俺を見ていた。早紀夫人も明臣氏も、藁にもすがる様な目をしていたため、正直迷った。俺は暫く、こういった事件には関わり合いたくは無かった。だが…このまま放置すれば、結果は目に見えているのだ。見捨てることなどできない…。
「どうにかしましょう。幸い、名前といつ頃の人物の記憶かは分かっていますから。だから…」
 俺がここまで言った時、それまで大人しかった亜沙美嬢の様子が一変し、俺と栗山夫妻は目を見開いた。
「あら…先生。貴方様も私の邪魔を為さると言うの…?」
 俯いたままそう呟いたと思った刹那、凄い形相で俺へと顔を上げ、立ち上がって捲し立てた。
「皆死ねばいい!私だけ死ぬなんて耐えられないわ!音も光も無い中で、何故私一人で過さねばならなかったの!?あんな箱に死ぬために閉じ込められて、誰も私を顧みもしないなんて!そうよ…皆…皆死ねばいいのよ!!」
 そう叫んだと思うと、亜沙美嬢は口から泡を噴いて倒れてしまったのだった…。
 あまりの出来事に夫妻も氷付いていたが、直ぐに我に返って倒れた娘を慌てて寝室へと運んだのだった。
「誠に申し訳ありません…。」
 亜沙美嬢を寝室へ運んで暫くして、困惑の度合いを強めた表情で夫妻は応接室の扉から入ってきた。
「このままでは娘が…亜沙美がどうかしてしまいます…。藤崎先生…お願い致します。娘を救ってやって下さい…。」
 夫妻の言葉も態度も丁寧だが、そこから娘を思う必死の叫びが聞こえてくるようだった。
 しかし…このまま安請け合いしても良いものだろうか?だが、目の前で頭を下げたままじっと待っている夫妻に、断るとは到底言えるものではなかった…。
「分かりました。ですから、どうか頭を上げて下さい。ですが、私にも今すぐどうこうしてくれと言われても、まだ手の打ちようがないのです。なので、少しだけ調査する時間を下さい。手掛かりさえ掴めれば、きっと解決策も見付かる筈です。」
「藤崎先生…。ありがとうございます…本当に…ありがとうございます…。」
 かくして、俺は再び霊絡みの事件へと巻き込まれることになったのだった。


 
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