| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

トワノクウ

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

トワノクウ
  第三十四夜 こころあてに(二)

 
前書き
 恋する 乙女 の 特権 

 

 確かにくうはこの集まりを「お泊り会みたい」と言ったが――
 まさか本当に、集まった全員が同じ小屋で布団を並べて眠るところまでやるとは、くうであっても予想だにしなかった。

(浴衣持ってきてくれって事前に言われてはいましたが、軒先で花火か夕涼みでもするんだって勝手に思ってて、まさかお風呂上りに着る用だなんて思いもしませんでした)


 まずは女性陣から、ということで、くうは朽葉と芹と三人で湯殿にいた。

 小さな芹は湯船の湯を跳ねて、湯船に浸かる朽葉にかけて遊んでいる。朽葉もやり返してはいるが、その顔には笑み。本気で怒っているわけではない。

 体と髪を清めてたくうは、自身も湯船に足を踏み入れた。
 意外と菖蒲宅の湯船は広いのだ。菖蒲は「元からこうだった」と言ってはいたが。

(知ってはいましたが、やっぱり朽葉さんってスタイルいいなあ。芹ちゃんも境遇の割に健康的な身体してますし)

 くうは自身の体を見下ろし……二度と深く考えまいと決めて湯に浸かった。

「Felicità~」

 芹が立って細い両腕を広げ、くるくると浴槽の中を回った。その弾み転んで湯の中に尻餅を突いて、それさえおかしいというように笑って、朽葉の腕に絡みついた。

「――なあ、くう。あの場では言えなかったが」
「はい?」
「お前は夜行を――お前の叔母だという奴のことを、どう思っているんだ?」

 笑顔が引き攣って、固まった。

 篠ノ女空が篠ノ女明をどう思っているか。

「――家族です」
「家族?」
「死体を掻き集めて、皆さんの心を傷つけて。世の中そのものを大変なことにして。その時の夜行の主導権が明おばさんになかったんだとしても、今の明おばさんは六年前と同じようなことしようとしてるかもしれない。そうなったら堂々と『酷い人』って罵ってあげるんです。でもそれまでは、家族、だと思っていたい。お父さんとお母さん以外の血の繋がった人、初めてだから」

 そして〝それ〟は明のほうも同じはずだ。
 若くしてあまつきに閉じ込められ、今日に至るまで現実への帰還を果たせなかった明。
 その明がくうを見つけた時、明はきっと感動していた。

 そこまで予想できているのに、くうが明確に明を憎むのは難しい。

「お前はそう言う気がしていた」

 朽葉がふわりと笑った。

「くう。もし血縁との対立が辛いのなら、無理に私達に付き合わずともよいのだぞ。此度の試練は、彼岸人に頼らず、我らあまつきの人と妖の問題として解決するのが筋だ」


 それは、つまり。
 本来なら篠ノ女空という異物など、朽葉たちは要らないのだと、そう言ったということではないで。


「いやです!」

 くうはざぱりと湯を弾く勢いで立ち、強く両手の拳を握った。

「ま、待て。どうした。落ち着け、くう」
「落ち着いてます! くうなら平気です! 相手が明おばさんでも、悪いことしたら……本当に本当に酷いことしたら、差し違えたって止める覚悟くらいあります! 明おばさんと戦うより、皆さんに要らないと思われたままリタイアするほうがずっといやです!」

 言い切って、肩を上下させて荒い息をくり返す。

 沈黙が下りた。
 長く、息詰まる、静かすぎる時間が流れた。


 ふいに朽葉がくうを低い声で呼んだ。

「浸かれ」

 言われるままに湯船にリターン。「百数えろ」と言われたので素直に数を数え始める。
 三十を過ぎたところで頭がぼーっとしてきた。五十を過ぎる頃にはふにゃふにゃで気持ちよくなってきた。百になる前に寝てしまった。


「こら、起きろ。風呂の中で寝る奴があるか」
「ふあ!? すみません。芹ちゃんは?」
「先に出た。お前ももういいぞ。出よう」

 くうは朽葉と湯船から上がって体を拭き、着替えて外に出た。

 すでに空は夜色に染まっていて、月がぽっかり浮かぶのみ。火照った身体に夜気が心地よかった。

 くうはただただ月を見上げて立っていた。
 どれくらい経ったのか。くうの頭に朽葉の手が置かれた。

「私はな、彼岸人だからといって、お前に鴇を救ってほしいとは思っていないよ」

 胸に鋭く刺さった。期待されていない。どうでもいいと思われている。

「なあ、くう、これは誰にも秘密なんだがな、私は鴇を愛しく想っているんだ」

 くうは首を傾げた。秘密も何も、朽葉の恋心はほとんど周知の事実、公然の秘密ではないか。

「鴇を守るのは私の役目だ。鴇が目覚めを望むなら、起こしてやるのも私。鴇が眠り続けてこの世を維持させたいなら、眠りを守るのも私。くう。奴は私のものだ。だから、くうがどんなしがらみをもって鴇を救いたいと言っても、私はそれを許してやれない」

 あまりにも晴れ晴れと、清々しく宣言されたものだから、くうはぽかんとして、そして毒気を抜かれてしまった。

「……よーするに、鴇先生をいちばん好きなのは朽葉さんで、鴇先生のために何かしてあげる特権も朽葉さんのだから、くうなんかお呼びじゃねえ! と。そういうことですか」

 紺と萌黄の悲願も、鴇時への思慕も、コンプレックスも、朽葉はたった一つ、鴇時への恋心で吹き飛ばしてしまったのだ。

「平たく言えばそうなる。いくら鴇の教え子だろうとそこは譲れん。悪いが諦めろ」
「ひどいですよお」

 あはは、と気泡の抜けた炭酸のような笑いが漏れた。
 あんまりだ。今日まで散々悩んだのに、何もかもただの野暮にされたのだから。

「とはいえ」

 朽葉はもっともらしく腕組みし、あごの下に指を持っていく。

「ここまでしてくれたお前に何もさせないのは、あまりに無情というもの。お前は鴇の教え子で、紺の一人娘だからな。私に多大な恩のある二人の愛し子を無碍にはできん」

 事ここに至ってくうにできることなどあるのか。「鴇時のために何かする特権」は朽葉のもので、くうにできることはもはやなくなったに等しいのに。

「お前がもし鴇を、私達の及ばぬ方法で救うことができて、お前が心からそれを幸福だと思うなら、言ってくれ。その時は、共にあいつのために戦おう」
「いいんですか? だって、鴇先生の特別は朽葉さんなのに」
「ああ。あれが本音だぞ。だが、恋慕だけではままならないし、お前ならいいんだ。紺の娘で、鴇の教え子のお前だから、許せるんだ」

 月光を背に受けた朽葉の微笑みは、まるで菩薩。

「……じゃ、約束です」

 くうは朽葉に向けて小指を差し出した。
 意は伝わったようで、朽葉も小指を差し出した。
 彼女らは互いの小指を絡めた。

「「ゆーびきーりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった!」」

 朽葉は何とも言い難い感情を浮かべた笑顔で小指を見下ろした。

「他人と指切りするなんて、人生で初めてかもしれない。――ありがとう、くう」 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧