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魔法少女リリカルなのは ViVid ―The White wing―

作者:鳩麦
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第三章
  ニ十四話 破壊の宿業 [弐]

 
前書き
つづきでございます。 

 
「はっ、はっ、はっ……!」
病院の前、オートパイロットのバスロータリーまで来たクラナは、息を切らしながらジークを探した。ふだんはこの程度で息が上がるなどあり得ないのだが、どうやらなのはの言う通り、相応に消耗しているらしい。

「……ヴィクトーリアさんっ」
「く、クラナさん!?その恰好……」
「ジークさんは……!?」
「そ、それが……」
心底困ったように、ヴィクトーリアは胸の前に手を当てる。それだけで答えは知れた。

「お嬢様!」
「エドガー!どう!?」
「申し訳ありません、見失ってしまいました……」
走りよってきた自らの従者に、ヴィクトーリアは急くように聞く、しかし彼もまた首を横に振り小さく頭を下げた。

「そう……どうしたらいいの……どうしたら……」
「……ッ」
「く、クラナさん!?待って!」
再び走り出そうとしたクラナを、ヴィクトーリアが引きとめる、振り向いたクラナに彼女は焦るのをヒュ死に加工したような顔で聞く。

「どうするつもりですの?」
「探します、この辺り虱潰しに」
「それでは時間の無駄です!今エドガーに探知してもらった限りではもうジークはこの病院の半径1000m圏内にはいない、つまり本気で逃げているんです!そうなったジークは、私達も簡単には見つけられません。そんな彼女をどうやって……」
「そんなの、どうやってでもに決まってる!!!」
「!?」
いきなり怒鳴ったクラナに、ヴィクトーリアは気圧されたように半歩下がる。即座にはっとしたように我に帰り、クラナは深々と頭を下げた。

「すみません……!」
「い、いえ……でも、やはり闇雲に探すのでは……」
「っ……」
『クラナ』
「!?」
悔しそうに歯がみをするクラナの頭に、不意になのはの声が響いた。念話だ。

『ジークリンデちゃんは、其処から東に1800m行った所にいるよ、今も走ってる、追いかけるなら急いで!』
「……1800……」
遠い!とクラナはもう一度歯噛みした、体力が減っている上に、魔力不足で加速を上手く使えないクラナが走るにはキツイ距離だ。

『大丈夫、何とかしてあげられると思うよ』
「…………!」
優しげな声が響く。言外に「私を信じて」とクラナにははっきりとそう聞こえた。だから、答えは迷わなかった。

「……はい……!」
「クラナさん……?」
不思議そうにクラナを見たヴィクトーリアに大きく頷き、クラナは東の方向を見る。

「ジークさんが見つかりました。見つけたら連絡します!」
「え、わ、わかりました!すぐに追いかけますわ!」
言うが早いが走り出すクラナの頭に、今度はヴィクトーリアからの念話がかかる。

『今のジークは、とても不安定です、もしかしたら本当に心が追いつめられているかもしれません、クラナさん……どうかお願いします……!』
『……はい!』
答えて走り出したクラナの懐から、アルが言った。

[Buddy. Enchant comes from far away.]
「は!?」

────

「ふーっ……」
病院の屋上に立ったなのはは、バリアジャケットこそ装着しない物の、既にレイジングハートを展開してクラナの様子を確認していた。

[Master.]
「うん、行くよっ!」
言うと同時に、彼女の足元に魔法陣が展開される、しかし何時ものようなスフィアやバレッドは展開せず、ただ純粋な魔力の行使が行われていた。

「(今のキャロみたいには難しいけど、単純な支援ならっ!)」
魔力を放出しつつ、“その場で術式をくみ上げる”データベースから参照した術式と自分の基本術式との整合性を可能な限り高め、調整し、効果を高める

「(発生対象をクラナ・ディリフス・高町に固定。座標確認……完了、対目標距離想定範囲内。術式構成完了、行使シュミレーション……完了、問題無し。行使準備完了……)」
[Standby.]
閉じていた目を開き、なのはは唄うように紡ぐ。

「我が斯うは、癒しの風、愛しきその身に、強き息吹を……!」
[Enchant Relieving fatigue]

────

「……!」
不意に、クラナの身体を桃色の温かな光が包んだ。其れと同時に、クラナの身体の倦怠感や痛みが解けるように一気に消えていく。

「すごい……」
なのはの支援魔法(エンチャント)だ。其れを理解し、思わず声が漏れた。これなら走ることも容易だ。そして母の後押しは、これだけでは無い。

────

一つ目の魔法の効果が発揮されるのを確認するや否や、並行して完成させたもう一つの術式を発動。なのはは重ねて詠唱を紡ぐ。

「我が斯うは、疾風の翼、愛しきその身に……駆け抜ける力を……!」
[Boost Up Acceleration]

────

「……よ、し!」
其れを受けると同時に、クラナは加速した。普段の加速魔法とは勝手が違う。だが十分だ。これなら追える。絶対に追いつく……!

「ふっ……!」
[あ、相棒!お身体のことも考えてください~!?]
加速し、軽くなった身体がまだ緑の多い街中を駆け抜ける。焦ったようなアルの声は耳にも入らず、風のような速度でクラナは街を抜ける……

「……アルッ」
[は、ハイ?]
「……聞きたい事がある」


────

「……ッ……」
病院からやや離れた郊外、周囲に何もない、小さな池のある公園で、ジークはようやく立ち止まった。無意識の内に魔力による身体強化を使ってまでも全力の全速力で逃走した少女はしかし、その驚くほどの疾走力がまるで幻だったのではないかと思うほど、弱弱しく、肩を震わせ、自らの右手を胸の前で左手で包みながらうずくまる。

「ぅっ……ぁあ……ッ……!」
押し殺すように、呻くように、少女は嗚咽を漏らす。今日の内に味わった後悔が、一斉に彼女の心を焼き焦がす。
幾つもの感情の全てが頭の中で滅茶苦茶に暴れ回り、ただ泣く意外に何かを考えることも出来ない。理性の何処かが先程まで居た場所に戻ることを叫んでいたが、肥大した感情の全てがそれを拒否していた。もう一秒も彼の前に、彼等の前に立てる気がしなかった。

地面に二つ、三つと小さな染みが増えていく。
あぁ、またこの感覚だと、何処か客観的な部分が、自分を冷静に分析しているのをジークは自覚する。誰もいない暗い暗い何処かで、自分がたった一人になっていく感覚。何処までも続くような、終わりの見えない孤独……

「ウチは…………」
誰もいない、何も見えない、何も聞こえない……
誰にも会いたくない、何も見たくない、何も聞きたくない……

「──ジークさんっ!」
……え?

「…………!」
あり得ない声が聞こえて、ジークは顔を上げる。水を通したように歪み、滲んだ視界に、一人の少年が居た。何時の間に前に居たのだろう?そんな疑問を浮かべる間もなく、その黒い瞳と目が会った瞬間に身体がすくむ。クラナが一歩歩くごとに、手足の先が冷え、なのに胸が熱く、動悸が早鐘を打つ。
だから、なのか……

目の前に迫ったクラナに包まれた自分の両手から、まるで火のような、けれどとても優しい温かさを感じて、ジークは動けないまま、その瞳を至近距離から見つめた。

「大丈夫、ですか?」
「…………ッ……!」
身体が震える。手から伝わった熱が全身を焦がし、驚きで止まって居た涙と、孤独感の中で凍りつき掛けていた心を溶かし、鼓動を強く、早くする。
やがて……

「ぅ、ぁ……ぅぁぁぁあぁああああああああああ!!!」
「!?」
叫ぶように、とにかく大声で、ジークは泣いた。身体中から溢れる感情を、抑える事が出来なかった、後から後からと涙が止まることなく押し寄せ、地面を濡らしていく。

「え、えと、ジークさん!?あの、その……な、泣かないでくださ……」
「めんっ……ごめんなさい……!ごめんなさい……っ!!」
「……!」
泣きながら……ジークはただただ謝罪した。何度も何度も、縋りつくようにその言葉を口にする

「ウチの所為や……ウチが……ウチは……!」
きっと、謝っても謝っても、償うことなどできはしない。そうジークは分かっているのだ。しかしそれでも、謝らずにいられない。そうしなければ、自分の中に彼女自身が自分の罪を抱えている事が出来ないのだ。……クラナは祈るように謝り続ける彼女を見ながら、どこかそんな風に思っていた。だから……

「…………ジークさんだけが、悪い訳じゃないです……俺にだって、責任があります」
クラナもまた、同じように俯く。

「…………なんで…………クラナ君は、なにも……」
「俺が、もっと早く気が付いてたら、もっと強かったら、ちゃんとジークさんのあれも、受けられた……あの熊達も、ちゃんと守れたんです……本当に、ごめんなさい」
「ぁ…………」
あの場に居た、後二つの生命。母熊と小熊の内、母熊は救助隊が駆け付けた時、既に……息絶えていた。
大量の出血と、何らかの原因による急激な衰弱、この二つの重なりは、熊の生命力を突きさせるには十分すぎたらしい。治癒魔法の類が使えないジークは力尽きて行く母熊を、ただ見ている事しか出来なかったのだと言う。

小熊は衰弱こそ激しかったものの何とか持ち直したらしいが、母親が居ない以上、すぐに自然界に返す事は難しいだろうとの事だ。

それらを、ジークは全て、自分の所為だと抱え込んでしまっているのだと言う事が分からないほど、クラナは察しの悪い人間では無い。
自らの罪を認める事と其れを償う事は、人にとっては必要な事である、だが今のままでは、ジークは自分がした事実に押しつぶされてしまう。その危うさと怖さを、クラナはよく知って居た。だからこそ、より早く、より強く駆けた……
……いや、或いは理屈を抜きにしても良いのかもしれない。結局のところ……

「……だから、一人にならないで、下さい」
きっと自分は、泣いていたこの少女(ひと)を、一人にしておけなかっただけなのだから。

────

「……聞かへんの?」
「え?」
ひとしきり泣いたジークを近くにあったベンチに座らせ落ち着かせると、ようやくしゃくりあげる事を止めたジークが不意にそんな事を言った。一瞬何のことか分からずクラナは首を傾げる。そんな様子がおかしいと言うようにジークが力なく笑う。

「ウチが、あの時した事とか、どうして病室から逃げてしもうたんか、とか……」
「あぁ……」
なるほど、と言うようにクラナは空を見上げる。少し考えるように頬を掻いてから、小さく笑って彼は答えた。

「……俺、あんまり、人に聞かれたくない事とか、あるので……」
「……あんまり、キミもそう言う事を人に聞かないように……?」
「はい」
変でしょうか?とジークを見たクラナに、ジークはふるふると首を横に振りながら何処か歌うような、穏やかな声で答える。

「変なことないよ。ただ何も聞かんと傍に居てくれたんは君が初めてやったから……」
「…………」
それはある意味で仕方の無いことだと、ジークは心の何処かで納得はしていた。当然だ、あの……触れる者全てを壊してしまう爪を宿した自分の姿を見て、事情も何も確認しないまま近くに居ようとする人間がそう多くいる筈がない。人間は、いや、人間に限らず生命は基本的に自己保存と言う欲求を本能の強い部分に持っているし、その為には自分のような“危険”には関わるべきでない。其れは分かっている。だが、だからこそジークは不思議だった。

「君は、ウチが怖くないん?」
「え?えっと……」
やや何と言った物か迷うように、クラナは視線を泳がせた。しかし其れは一瞬、すぐに真っ直ぐにジークを見ると、頬を掻いて答える。

「もしジークさんが本当に怖い人なら、ご飯作ってくれたり、あんなに楽しく話せたり、寝ぐせはねさせながら朝ごはんの匂いにつられてフラフラ出てきたりしない気がします……けど……」
「…………前二つはともかく、最期の一つは忘れてくれへんかなぁ……?」
と言うか寝ぐせって……とジークは意味も無く髪を触りながら朱くなる。別段変なことを言ったつもりの無いクラナは少し不思議そうに微笑んで首を傾げているが……

「こほん……うーん、うん……でも、やっぱりクラナ君には話とかなあかんな」
「……あの……無理に……」
「ううん。あかんよ、此処でクラナ君にちゃんと事情を説明するんは、ウチの義務やと思うから」
何処か吹っ切れたような顔でクラナを見るジークに、少しだけ笑ってクラナは頷き、彼女の言葉に耳を傾けた。

────

人間と言う生き物が、動物界に属する生物の中で最も個体の数を増やし、最も多くの地域に分布し、結果的に最も強い生物、万物の霊長としてこの世界に君臨する事が出来た大きな理由の一つは、道具を持ったことであるとされている。

その中で、他の生物を殺傷する事を目的として派性、進化した物がある。「武器」だ。

狩猟、或いは生命維持の為の自衛のために作りだされたそれらは、人間の歴史が進むうち、より他の生命を、或いはより敵対する人間(どうぞく)をどれだけ効率よく殺害できるかに特化し始め、その歴史と技術を重ねて来た。

古代ベルカ、諸王戦乱期に置いてもまた然り。

近距離の敵を切りつけるために剣が。
その剣を防ぐための重厚な鎧を粉砕する為に、重剣や戦槌、戦斧が。
それらが届かぬ距離から敵を刺し殺す為に、槍が。
槍よりもさらに遠くから敵を近付く前に殺す為に、弓が。
そしてそれら全てを凌駕し、ただただ全てを破壊し尽くす為に、とある兵器達が。

といった具合に、人を殺戮する為の道具は人の技術と共に進化を続け、同じように進化した魔術と共に発展を重ねて来た。

しかしそんな時代に置いて、あえてその“武器”を使用する事無く、他者を絶命させる事は出来ないかと考えた物達が居た。

──使用する物はこれ即ち、鍛えられた己の肉体と磨かれた理──

──あえて“武器”ではなく、“技術”によって相手の命を粉砕する──

その拳が届く範囲のあらゆる人間の命を絶命させるためだけに磨き上げられた理論と、技術。
いくつかの源流から派生し、多くの流派へと分かれて行った古代ベルカの戦場格技のその“源流”の一つであり、人が己の持つ最も原始的な力で、同じ人間を“破壊”する為に生まれた力。

その名を、「黒のエレミア」。

まだ戦場格技という概念自体が無かった時代に生み出され、その技術と理論を戦乱と言う死の世界で極めて行った一族と武技である。

────

「それが、ジークさんの……?」
「うん、ウチのご先祖さま達のなんよ」
どこか昔話を語るように言うジークに、クラナもまた、一つの物語を聞くような気持ちで首を傾げた。

「じゃあ、あの力は……」
「ウチがご先祖さまから受け継いだ、エレミアの技術と力……ウチらは“神髄”って呼んでる」
「なるほど……」
道理でレベルが違う訳だと、クラナは何処となく納得していた。実際あの力はそれまでの彼女とは明らかに一線を画していた。それもその筈だ、クラナやジークが普段しているスポーツとしての格闘技とは違う。純粋に相手を“殺す”為に、それこそ気が遠くなるような年月の間、磨かれ続けてきた武芸なのだから。

「でも、ウチは其れを、制御出来とるわけや無いんよ」
「え?」
「あの“神髄”は、ウチが自分の命が危ない、って思うとウチが考えるよりも先に発動して、対応してしまう……お医者さんが言うには“熱い物に触れた時に手を引っ込めるのと理屈は同じ”なんやって」
「無条件反射……」
人間は、外部からのある特定の刺激を受けた際に、意識するよりも早く神経系を通して通常の反応よりもはるかに速く行動を起こす場合がある。所謂“反射”と呼ばれる物だ。

これの後天的に身に付いた物が、「梅干しを見るとつばが出る」「殺気を感じると身構える」等の行動。“条件反射”である。
そしてそれとは逆。「熱い物に触れると手を引っ込める」「煙を目に入れると涙が分泌される」等の行動を、“無条件反射”と呼ぶ。

ジークの能力は、この無条件反射に近いものなのだと言う。トリガーになって居るのは、彼女自身が「自身の生命を脅かすと判断出来る脅威と遭遇する事」これをジーク自身が認識した瞬間、彼女自身の意思とは無関係に、身体が“神髄”を発動させ、その力を持って認識した脅威を排除しようとするのだと言う。

「ウチはこれでもう、何度も物とか、部屋何かを壊してもうて、その度にいろんな人に迷惑かけて……自分の事やのに、其れが怖くなってな?今はこんな風に暮らせてるけど、昔ウチ、引きこもりやってんよ?」
自嘲するように小さく、弱弱しく笑って、ジークは首を傾げた、抱えた膝の上に乗る指先は小さく震えていて、何でも無い事のように語るその言葉が一種強がりを含んでいる事を、クラナに伝える。

「それでも、色んな人に助けてもらって、手を引いてもらって、此処まで立ち直らせてもろて、今は競技選手として何とかやれてる。其れが、今のウチや」
「…………」
「せやから、少しは成長したつもりやってんけど……なんや、勘違いやった……みんなに申し訳無いなぁ」
あはは……と何処か悲しげな笑い声を響かせながら空を仰ぐジークを見ながら、クラナはしかし、およそ同じ方向を見て、小さく其れを否定した。

「それは違います」
「え?」
「もしジークさんが一人でずっと……その……自分のそう言う部分と向き合ってきたなら……言い方は悪くなりますけど、もっと、陰の有る人になってたと思うんです」
「それは……」
茜色が黒く変わり始め、遠く、小さな町明かりが光り始めた空を眺めながら、一言一言を慎重に紡ぐように呟く。

「ジークさんが今の……温かくて、楽しくて、ちょっと面白くて……何より優しい人になったのは……今のジークを作ったのはきっと、そう言う人達なんだろうから……胸を張っていいと思う」
「クラナ君……」
「ジークは自分にも、自分の好きな事にも正直に、怖くても頑張って向きあいながら生きてる。そんな人が、大切な人に自分を誇れないなんてこと、有るわけないよ」
小さく微笑んでそう言った彼の顔が、まるで其れまで見ていた彼とは全く別人の物のように見えて、ジークは瞠目した。瞬きをするまでの一瞬、彼が誰だか分からなくなる、それ程に雰囲気が今までの彼とは違いすぎたからだ。……と、不意に妙な所にジークは気が付いた。

「クラナ君、呼び方……」
「え?」
「ウチの事今ジークって呼んだ?さんづけや無くて」
「え、あ、いや!す、すみません……」
指摘されて初めて気が付いたように、クラナは慌てだす。と同時に、ジークの前の彼は元の雰囲気に戻った。刹那の間に起こった出来事に首をかしげつつ、ジークは少しだけ面白がるように、悪戯っぽく笑った。

「別にジークでええよ?寧ろそっちの方がいいくらいや」
「あぁ、いや、それはその、ちょっと恥ずかしいと言うか……」
「えぇ?なんで?」
「なんで、と言われてもその……」
顔をやや赤らめながらクラナは何やら急にテンションを上げて迫ってくるジークの顔から、目線を逸らす。別にだからどうだと言う訳ではないのだが、泣いた後でやや腫れぼったくなったまま潤んだ瞳や、少し朱くなった頬など、この少女の容姿は時折破壊力が高すぎる。歳の近い少女とあまり関わりの無いクラナには尚更だ。しかも何より、本人に自覚が無いだけに余計に性質が悪い。
視線を逸らしたクラナの後ろから、小さく、囁くように声がした。

「……ありがとう、クラナ君」
「?」
首を傾げたクラナの背中に、コツンと小さく温かいなにかが触れて、クラナは固まる。ジークの額が、背中に押し当てられていた。

「なんや、さっきまでが嘘みたいに元気出た……全部、クラナ君のおかげやね。ホンマに、ありがとう」
「……いえ、良かったです」
元気になってくれて。そう思いながら、クラナは小さく頷いた。
自分はただ、彼女を頬っておく事が出来なかったから……後悔しないようにと思う選択をしただけだ。何の事は無い、自己満足である。……いや、あるいは自分は、証明したかっただけなのかもしれない。

『あ…………あぁ…………』
ずっと……

『……助、けて……!』
ずっと心で助けを求めていたあの子を……助けるどころか……手を差し出してやることすら出来なかった。
あの日の自分と、今の自分は違うのだと言う事を……

そんな事が……出来る筈も無いと知りながら、それでも、証明しようとせずに、居られなかっただけなのかもしれない。

────

「……ふぅ」
「にゃははは……お疲れ様、クラナ」
それから数時間後。精密検査の前に病室から飛び出し、あまつさえ全速力で走り回った事を看護婦と担当医師になのは共々こってりと怒られ大いに頭を下げ、猛省した後、検査を受けたクラナは渋い顔をする医師に何とか当日退院の許可を貰い、病院から出た。
夕方にひと騒動あって、それから検査を受けてその日の内に退院とは、正直な所程度は低いにせよ半分奇跡のようなものだが、これらも一重に、なのはに対する社会的な信頼の賜物と言うべきか。
勿論医師が競技者としてのクラナの立ち位置や、本人の状態をかんがみて可能な限りクラナの意思に沿った決定を下してくれた医師の理解もあるのだが、何より教導官としてのなのはに対する信頼が(多少無茶をさせたにせよ)医師を納得させる大きな要因になったのだろう事は、クラナにも分かって居た。

「(お礼……言わないとだよな……)」
どのタイミングでどんなふうに言いだしたものか、そんな事を思い始めて、エスカレーターから降りたクラナは既にひとがすっかり失せ、ガランとしたエントランスホールに降り立つ。と、正面玄関となっているガラス張りの自動ドアの向こうに、人影が居ることに気が付いた。

「……あれ?クラナ、あそこに居るのジークリンデちゃんとヴィクトーリアちゃんじゃない?」
「え……?」
なのはに言われ良く良く目を凝らしてみれば確かに其れはジークリンデ、そしてヴィクトーリアだ。彼女達……と言うかジークはあの後、別口で検査やカウンセリングを受けていた筈だが……

「あ、クラナ君」
「クラナさん、先程は本当に……」
「あ、いえ……」
自動ドアをくぐったクラナに気が付くと即座に深々と頭を下げて来るヴィクターと、それに続くように慌てて頭を下げるジークに、クラナは恐縮したように両手をヒラヒラと振った。そんな様子をほほえましく見ながら、なのはは彼の後ろから顔を出す。

「二人も、今から帰り?」
「えぇ、あんな事の後ですし、ジークは今日は私の家に来て貰うことにしました」
「ウチは平気やって言うたんやけど……」
「ダメよ、少なくとも今日明日は近くに居るわ」
「うぅ~、ヴィクターは心配症やって~」
憮然とした態度でいうヴィクトーリアに、困ったように腕を振って主張するジークを見ながら、クラナは思わず微笑を浮かべて小さく呟く。

「……良かった……」
「…………」
そんなクラナを見ながら、なのはは瞠目した。
クラナのそんなにも優しい顔が余りにも久しすぎて、別人を見るかのように、一瞬だけ呆然とする。そして同時に心のどこかで、なのははクラナを中心にして現れる、どこかはっきりとした境界線のような物を感じ取る。
自分が普段見ることすら叶わない、こんなにも暖かいクラナ笑顔をごく自然に引き出してしまう彼女達と……模擬戦闘と言う日常とは明らかにかけ離れた世界の中でしか、クラナの笑顔を引き出せなかった自分……

『あぁ……そっか……』
自分はこの二人の少女に嫉妬しているのか……と、唐突になのはは自覚した。
普段の自分なら抱きようもない感情を、今の彼女が意図もたやすく理解できてしまったのはやはり、先程の事が有ったためだろうか?
そんな疑問が頭の中を埋め、自覚してしまったその感情と、何よりそんな感情を抱いている自分に対する嫌悪で、なのはは気持ちを落ち込ませた。
そんなことを思っている内に、三人はひとしきり話し終えたらしい、ヴィクトーリア達を迎えに来た車に乗り込んだ二人が、窓を開けクラナと別れの挨拶を交わしている。

「それではクラナさん、クラナさんのお母様も、失礼いたします。きっとまた近い内にお会いしましょう」
「はい」
「うん、気を付けてね」
ヴィクトーリアの言葉に、クラナとなのはが短く返す。なのはは微笑んで居たが、クラナの表情にはある種の鋭さがあった。彼女の言葉から、来るべき大会を意識した為だ。
そんな彼に、ヴィクトーリアの後ろからヒョコッと顔を出したジークが、やや上目使いに、クラナを見る。

「えーと……そしたら、また今度やね」
「はい、きっとまた」
やや残念がるように言うジークに、クラナははっきりと頷いて答える。クラナのそんな様子に、何処か陰の有ったジークの表情が穏やかな微笑みに変わる。そうして少し迷ったような表情をすると、やや恥ずかしがるように頬を朱くして囁いた。

「その、練習、頑張ってな。大会でクラナ君の試合見るの、ウチ楽しみにしてるから」
「あ、は、はい!ありがとうございます」
「(あら……?)」
「(もしかして……)」
どこか嬉しそうに話す二人に、やたらとニコニコする女性が二人。
つい数時間前までの緊張と悲壮が嘘のような、微笑ましい空間が其処にあった。

────

「ジークは随分、クラナさんと仲良くなったのね?」
「ん?んー」
微笑みかけながらそう言ったヴィクトーリアに、ジークは少し考えてから、どこか嬉しそうな、自嘲するような、そんな複雑な表情をして返した。

「なんや、クラナくんと居ると、ヴィクターと居る時みたいに、凄く安心できるんよ……昨日今日に始めて会うた人なのに、ほんまに、不思議な人や……」
「そう……」
普段ジークから出て来ることのない意外な感想に、ヴィクトーリアは件の少年を思い出す。

確かに、不思議な少年だと思う。丁寧だし真っ直ぐな人間だ。以前何度か会ったときと比べるとかなり無口になってしまった印象が有り、雰囲気に陰が出来たが、口数が少ないなりに優しく、誠実さも持ち合わせている。そう言う人物だからこそ、ヴィクトーリアもジークに彼を紹介したし、ジークもヴィクトーリアの高い評価を信頼してそれに応じた。
だが同時に、彼から感じる陰は常に消えない、彼自身の人柄くる印象と、そう言う雰囲気にはどこかちぐはぐな所があった。

「でも、今回は本当にごめんなさい。アナタにもクラナさんにも本当に……」
「そ、そんなんちゃうよ!あれは半分事故みたいなもんで、もう半分はウチのせいや。ヴィクターはなんも、悪い事無い!」
まるで我が事のようにヴィクトーリアの責任を否定する親友に、彼女は困ったように小さく笑った。

そうだった。彼女はこういう子なのだ。彼女の前で弱いところを見せるなど迂闊だ、反省は、後で自室に返ってから……それはそれとして。

「ありがとう。やっぱりアナタは優しいわ」
「わぷっ」
身を乗り出すようにしていたジークを軽く抱き寄せて、胸の中に彼女を引き込む。驚いたようにパタパタと両手を振る彼女に悪戯っぽく笑いかけながら、ヴィクトーリアは続けた。

「それに、クラナさんも……」
「ん……うん、けど、甘えへんようにせな」
「あら」
やや真剣な声色で言ったジークに、ヴィクトーリアは意外そうな顔をする、普段本人をして、臆病と言う彼女には珍しい言葉だ。

「クラナくんみたいな人に甘えてしまうと、ウチ、ヴィクターにするみたいに色々迷惑かけてしまいわぷっ!?」
「もう、何時も言っているでしょう?迷惑なんかじゃないわ。貴女は何時でも甘えて良いし、苦しかったら頼って良いのよ」
「んむ……」
抱き締めた少女に、まるで聖母の如くヴィクトーリアは慈愛に満ちた笑みを向ける。

「でも、貴女が自分で何かを決意したなら、私はそれを応援するわ。試合でも、生き方でも……恋でも」
「こ、恋って……ウチ、れ……恋愛の事なんて考えたこともないよ?相手もおらへんし……」
「あら、そうかしら?案外直ぐ近くに、ぴったりなお相手が居るかも」
「……?」
何やら楽しむように言うヴィクトーリアに、不思議そうな表情でジークが首を傾げる。
彼女にとってはそれがまた面白いようで、仕舞いにはクスクスと声を上げて笑い出した。

「むぅ、何で笑うん~~!?」
「ふふっ、うーん、その内分かるかも知れないし……もしかしたら分からないかも知れないわね?」
「な~ん~や~の~!?」
自分の事なのに自分には分からないというもどかしさに、ジークは腕をぶんぶんと振りながら車に揺られていた。

――――

時間は少しだけ巻き戻る。
ヴィクトーリア、ジークの二人と別れたなのはとクラナは、なのはにクラナがついて行く形で、病院前を歩き出した所だった。

「でも良かったぁ、最初にクラナが倒れたって聞いた時は、本当にどうしようかと思ったんだよ?誰も大きな怪我はしてないからあれだけど……でも、本当に危ない事だったってことは覚えておいてね?」
「……すみません」
珍しく本気で落ち込んだように頭を下げるクラナを見て、なのはは小さく苦笑する。そういえば、クラナをこんな風に叱ったのは何時以来だろう、などとお決まりになりつつある思考を回しかけて……自分がクラナの親となってから、彼をちゃんと叱るのが、実は初めてであることに気が付いた。そんな思いに耽っていると……

「…………」
「…………」
あ、しまった。と、なのはは自らの失敗を悟った。会話が完全に途切れたのだ。実は、なのははクラナを叱ること以前に、クラナと二人切りになると言う状況自体が随分久し振りだった。

それの何が問題かと言うと……会話が続かない。
普段なのはは、他人との会話に困ると言うことは“ほぼ全く”無い。教導官としては初対面の人間が相手であっても普通に会話しなければいけないし、そもそも人間的にもなのはは気さくな方なので、事情がない限り変に相手の方が萎縮すると言うことも無かった。……が、相手がクラナになると、事情が完全に違う。

まず、話題がない。なのはとクラナは普段お互いの事に録に干渉しない(出来ない)ため、相手と何を話せば良いのか分からなくなる。加えて“何の気兼ねもなく話す”と言うには、なのはとクラナの間の事情は些かこじれ過ぎている節がある。

「(うぅ、なにか、話した方がいいのかな……)」
全くらしく無い。そう分かって居ても何かを口に出すのが難しい。
親である自分がこんな事でどうするのか。そう自分を律しようとしてみても、今すぐに彼との間にある深い溝が埋まる筈も無い訳で……

「…………」
「…………」
いよいよもってなのはの中の焦りが頂点に達しかけた……その時である。

「あの……なのはさん」
「にゅぇっ!?う、うん!?なに!クラナ!?」
予想外だった。まさかクラナの方から自分に声を掛けて来ると思っていなかったなのはの口から、妙な声が出る。自分でも驚くようなその声にやや赤面しつつクラナを見ると、クラナは小さく苦笑してから、少しだけ神妙な顔をして、大きく頭を下げた。

「く、クラナ?」
「ありがとうございました」
「…………!」
数秒置いて、ようやく理解する。自分は、感謝の言葉を告げられたのだと。

「クラナ……」
「凄く、あの、助かりました……だから今日は、その……迷惑掛けてごめんなさい……ありがとうございました」
「……ううん、迷惑なんて全然。むしろ手助け出来て、私はすごくうれしかったよ?」
何処か楽しそうにそう言ったなのはに、クラナはばつが悪そうに頬をカリカリと掻く。そんな一つ一つの所作が可愛らしく思えて、同時に愛おしく、なのははクスクスと笑った。

「う……」
「ふふ、ごめんごめん。からかったわけじゃないんだよ?ただ本当に、迷惑なんて思ってないよって言いたくて……」
「…………」
少しばかり居心地が悪そうにしているクラナに、なのはは目線を合わせ、ほんの少し、小さく微笑みながら語り掛ける。

「……あのね?クラナ、クラナが今、ヴィヴィオとの事とか、試合の事とか、色々な事考えてるのは、私も分かってるつもり、でもね、だからこそ……って言うべきなのかは分からないけど……」
再び、真っ直ぐにクラナを見る。昔からこれだけは変わっていない、大切な人と話す時は、真っ直ぐ、相手の目を見て話す、なのはの癖。

「頼りたくなったら、何時でも、私達を頼ってね?」
「…………」
至極真面目な表情でそんな事を言うなのはに、クラナは何処か口ごもる。
彼女は本気だ。それはその真剣な声色と表情がひしひしと伝えて来る。しかしそれに答えるだけの心が、今のクラナには備わっていない。昔の自分なら、きっとすぐにでも答えられていたと思う……思うし、大切な人と話す時は真っ直ぐに、相手の目を見て。それくらいは、今のクラナにも分かっている筈だ。その筈なのに、そんなにも簡単な事が、あんなにも簡単だったはずの事が、今は、出来なかった。

「……無理に、答えなくていいから、覚えておいて、ね?」
「…………」
何も返せないまま、クラナは小さく頷く。なのはの優しさに答える事が出来ない自分の薄情さに……彼女の言葉に答える事の出来ない意気地の無さに……そして彼女と触れ合うことを、相も変わらず心の底から恐れている自分の弱さに、今度ばかりは心の底から嫌気が指していた。

「さぁって!それじゃあウチに帰ろう!ヴィヴィオが凄く心配してるよ?」
「……はい」
小さくコクリと頷いて、クラナはなのはに続く。
ゆっくりと歩いて向かう先は……何故か病院の入口前の簡素な大通りだった。

[あれ?なのはさん、お車等では……無いようですが、バスでは?]
「あ、うぅん、実はフェイトちゃんがさっき、こっちに丁度戻ってきたから迎えに来てくれるって」
[おぉ!それはそれは!]
[We did not use the bus today.(今日はバスを使っていませんしね)]
「れ、レイジングハート!?」
「……?」
いきなり妙な事を言ったレイジングハートに、クラナは首を傾げる。

[?ですが職場……へはともかくとして、駅から此処まではバスを使わなければ結構な距離ですよね?]
「あー、うー、その、実はえっと……」
「(あー……)」
何故か決まりが悪そうにアルの質問に苦笑するなのはに、クラナは何となく何が起きたのかを察した。頬に汗を伝わせてクラナから目を逸らすなのはに、アルが問う。

[もしかして、ホントに文字通り飛んで来られたんですか?]
「え、あ、その」
[Yes.]
「レイジングハートってばぁ!!」
情け容赦なく肯定したレイジングハートを見て、クラナは珍しく彼女の茶目っけを見た気がしていた。

[飛ばれたんですか……]
「うぅ……はい……ち、ちゃんと飛行申請は出したからね!?」
当たり前である。管理局の教導官が無許可市街地飛行で始末書とか何のギャグだそれは。

「えっと……」
[アクティブですねぇ……と言うかそんな私用で飛んで大丈夫なんですか?]
「あはは……えーっと、さっきヴィータちゃんに通信で怒られました」
「(ですよね~)」
苦笑するなのはに内心で同じく苦笑しつつ、クラナはなんとも居たたまれない気持ちになる。そんな訳で、自然と頭が下がる。

「すみません……」
「ち、違う違う違う!私が勝手にしたことなんだからクラナのせいじゃないよ?確かに心配でちょっと焦っていそぎすぎたけど……ってそうじゃなくて!!」
普段彼女に教えを請うている魔導師たちたちが見たら恐らくは目を点にして呆然とするであろう焦りようでなのはは必死に弁解する。何だかデフォルメしてちみっちゃくなったね●ど●いどな彼女の姿が見えてきそうな光景だが、クラナからすると自分のために其処まで必死になってくれなくてもと言うところで、正直苦笑するしかない。
と、そんなところに、人間だけを関知して駆動音を発生させるワンボックスカーが一台走って来た。助手席側の窓ガラスが開き、中から金髪の女性が顔を出す。

「ごめんね、ちょっと待たせちゃったかな?」
「フェイトちゃん!ううん、全然待ってないよ?さ、クラナ、帰ろ?」
「は、はい……」
「?」
有無を言わさぬ勢いで車に乗り込むなのはに、クラナは頬を掻きながら続く。
何故かやけに嬉しそうに顔を綻ばせていたなのはにやってきたフェイトは首を傾げたが、理由はよく分からなかった。

――――
「バルディッシュ、お願い」
[Navigation start]
バルディッシュの低い声と共に、三人が乗った車が半自動で動き出す。
極小の揺れと共に進む車の中で、なのはが申し訳無さそうに言った。

「ごめんねフェイトちゃん。帰ってきたばっかりなのにお願いしちゃって……」
「うぅん、全然。私もクラナの顔早く見たかったし」
言いながら、フェイトはバックミラーで後ろに座って居るはずのクラナを見る。と……

「あれ?」
「?あぁ……」
クラナは窓枠に頭を付けて、すぅすぅと寝息を立てていた。発車してからほんの十秒かそこらだと言うのに、随分な寝付きの良さだ。ややフェイトが面食らって居ると、振り返ったなのはが苦笑して言った。

「きっと、凄く疲れてたんだよ……今日は、クラナも朝から大変だったみたいだから」
「そっか……身体は大丈夫だって?」
「うんっ。回復するにしたって早すぎるくらいだ~。って、先生もびっくりしてたよ」
苦笑しながら言ったなのはの言葉に、フェイトは安堵の息を吐く。彼女がわざわざ急いで此処に来たのには、やはり倒れたというクラナが心配であったと言うのが何よりの理由なのである。そう言う意味でも、フェイトは心から胸をなで下ろして微笑する。同時に……

「…………」
「なのは、何かあった?」
「え?どうして?」
「なんだか、ちょっとぼんやりしてるみたいだったから」
小さく笑ってそう言った彼女になのはは一瞬目を丸くすると、適わないなと言うように小さく苦笑した。

「うーん、フェイトちゃんって、エリオとキャロのお母さんってなって、どれぐらい大変な事が会ったかって、覚えてる?」
「え?」
「あぁ。えっと変な意味じゃなくてね?その、お母さん先輩に後輩からの相談と言いますか……」
ゴニョゴニョ……としりすぼみに言葉を紡ぐなのはが彼女にしては珍しいと思えるほどにしおらしく、フェイトは微笑ましく思いつつ記憶を探る。

「大変……って意味で言うなら、最初の頃が、やっぱり一番大変だったかな。二人を預かるって決めてから、母さんに話聞いたり、本読んだり……」
「あぁ、私も貸してもらったねぇ……」
「そうそう。あ、アルテアさんの話も聞いたよ?」
「へぇ~!なんて?」
「うーんとね……」
思い出し笑いをするように小さく笑いながら、フェイトはやや誰かをまねるように口調を変える。

「「とりあえず、目だけ離さないように気をつけなさい。子供って10秒眼を話すとソニックムーヴ使ってるんじゃないかってくらい早く居なくなるから」って、エリオとキャロはあんまりそんな事無かったけど……」
「あぁー!それは分かるかも!」
「うん、クラナ、昔そう言う子だったもんね」
懐かしそうに言う二人の間で、穏やかな空気が流れた。そんな流れで、フェイトは聞き返す。

「でも、どうして?」
「うーん、今日ね?久しぶりに、クラナの事叱ったり、凄く心配したりして……私がクラナのお母さんになって初めて……親子として、っていうのかなぁ。ヴィヴィオにしてるみたいにちゃんとお話出来た気がするんだ……」
「……!」
隠しきれないほど、嬉しそうに言うなのはを見て、フェイトは眼を見開いた。この四年にして、そんな事は初めてだ、なのはから、「クラナのお母さん」と言う言葉をはっきり聞いたのすら、久しぶりだった。
彼女は何処かで、意識的になのか、あるいは無意識にか、ずっとその言葉を口に出すのを避けている節があったからだ。
快哉を叫ぶ自分の心が、自然と頬を緩ませるのが分かった、心が華やぎ、親友への祝福の言葉が脳裏をよぎる。しかし……

「でも……」
「……?」
その親友の表情は、曇って居た。何処か憂いを帯びた表情が小さく自嘲的な笑みへと変わり、どこかさびしげな表情でなのはは続ける。

「分かってたんだけどね……クラナ、今日みたいに自分が大変な時でも、なるべく私達に頼らないようにしてるみたいで……それに……」
「…………?」
「すごく、困ってるみたいだった……私が関わると、すみません、すみませんって、謝って……それでも、最期はお礼を言ってくれたけど……でも、何でかな、凄く伝わってくるんだ、クラナが私と関わろうとするの、避けようとしてるのが……」
「…………」
何かを言おうとする、けれど、何も言えなかった。今更自覚したのではない、ずっと前から分かって居たことだ。クラナは、自分達を遠ざけようとしている。それだけは今であれ、これまでの四年間であれ確かな事だった。それも皮肉な事に、なのは、フェイト、ヴィヴィオとクラナの間の家族関係で、多分唯一、確かな事だったのだ。

「嬉しい事だってあったんだよ?友達の事を心配して、凄く大変だったはずなのに、泣いてるその子の所に駆け付けて行って、その子が元気になった時のクラナ、すっごく嬉しそうだった。私は知らなかったけどやっぱり、クラナは凄く優しいんだってわかったから、其れはとっても嬉しかったの。でも……」
思い出すだけでも、心が温かくなった。他人を気遣い、本気であの少女にぶつかって行ったクラナの姿はまさしく、昔の彼の優しさと行動力の具現のようで、アルテアから受け継いだ優しい心をクラナが今も確かにもっているのだと、確信出来たからだ。しかし……

「ずっと考えてたんだ……私はクラナのお母さんになりたい、ううん、書類上ではそうで、私自身、クラナの事はきっと……絶対、ヴィヴィオと同じくらい大切な子だと思ってる、でも……じゃあ……」
クラナに取っての高町なのはは、一体この四年間、どんな存在だったのか……もしかしたら……

──自分は、母親を語って、クラナに望まぬ生活を一方的に強いていただけなのではないか……?──

「フェイトちゃん……私、本当にクラナの傍にいていいのかな……?」
「…………」
分からない。と、答えるのは簡単だった。なのは自身、すぐに答えの出る問いでない事は分かっているだろう。だが、そう知りつつも、フェイトは何処かで、焦りを感じていた。
なのはもクラナも関係性と言う面で、徐々に次のステージへと進み始めている事は分かった。
クラナは今まで決して見せようとしなかった自らの優しさや活動と言った面を見せるようになり、なのははクラナに対して心の何処かで感じていた脅威に対する危機感を和らげ、彼を心から信じ始めている。
今のなのはの問いとは、これまでの問題とは根本的に別の問題だ。どうあっても自分を頼ろうとしない、優しさを持ちながらそれでもなのはを遠ざけようとするクラナを見たが故に抱いた、自分がクラナに取っては不要な存在なのではないかと言う不安。
その問いに、フェイトが完全に答える事は出来ない。何故ならその問いに本当の意味で答える事が出来るのは、クラナだけなのだから。だが……

「少なくとも……私は、クラナがなのはと一緒にあの家に住んでる事、間違ってるって思った事は無いよ?」
「フェイトちゃん……」
「この四年間クラナと同じ家に居て、同じ家に居るなのは達を見てて、凄く大変な事、悲しい事、辛い事は沢山あったし、なのは達にもあったと思う。でもね……?身体が大きくなって行って、小さな男の子だったクラナから、どんどん頼もしい、大人の男の人に近付いて行くクラナを見てて、私はそれだけでも凄く嬉しかったし、それはなのはだってそうじゃないかな……?」
「……うん」
それを、否定する事は無かった。何しろ、彼女達はクラナが本当に小さな子供のころから彼の事を見て来たのだ。ただ走り回り、騒がしく辺りを回るやんちゃ坊主だったクラナが、今は十分に身体を成長させ、たくましく頼もしい青年へと成り始めている。其れを嬉しく思わない筈も無い。

「ヴィヴィオもね?沢山大変な事はあったけど……お兄ちゃんが居て、其れが嫌だって思った事は、きっとないと思うんだ」
それは……そうかもしれない。どんなに無視されても、どんなに冷たい態度を取られても、へこたれる事無くクラナを好きだと言い続け、仲良くしたいと言い続けた娘なら、きっとそうだろう。

「……だから、ね?なのは……一緒に居ない方が良いんじゃないか、なんて……寂しい事、言わないでほしい……」
「あ……」
その言葉に、なのはは以前自分が言った事を思い出す。

『無理。なんて、すぐに言っちゃダメだよ?ヴィヴィオが諦めないならまだ出来るかもって思える事でも、「無理」って思っちゃったらすぐ本当に出来なくなっちゃう』

「……そう、だね」
あぁ、だめだな。となのはは内心で自戒した。自分で言っておいてこんな風に諦め気味な事を言っているなんて、必死に兄に近付こうとしているヴィヴィオにどんな顔で向き合えばいい?自分を棚に上げて物を言うような卑怯な人間にはなりたくない。

「んんっ!ふぅ……」
「なのは?」
思い切り身体を伸ばして、一度脱力させる。頭をフラットにして、沈んだ思考を再起動させる。

「ん!ごめん、フェイトちゃん!」
「?」
「ちょっと、悪い方に考え過ぎてたのかも。そうだよね、自分から諦めるなんてだめだよね!」
うん、と頷いて、やる気を湧き出させるように両腕を曲げて拳を結んだなのはに、フェイトは小さく笑った。

「うん、そうだよ。諦めないで頑張る方が、ずっとなのはらしい」
「うん、頑張る!」
其れはくしくも、妹がした決意と同じ。道のりは今も困難で険しい。けれど、出来ることをやり尽くしたとは思えない。今のは、そう、四年間溜まり続けた疲れが、ほんの少し表出しただけ。そう思う事にした。
フェイトも……なのは自身も、其れが空元気である事は、何となく分かってはいた。
理屈で出した疑問を、意思と維持で相殺する、不安定な納得だとも、理解していた。しかし今は其れで良い。
変わり始めたクラナと、諦めないと決めたヴィヴィオ、二人が歩み始めた中で自分が諦める等ありえない。見守るためにも、今はまだ、私は今までと変わらない二人の母親でいよう。

クラナの気持ちを聞くのは、その後で良い。
何時の日か、否応なしに、真実はやってくるだろうから。
 
 

 
後書き
※後書きが長くなり過ぎたので、後書きだけ別で投稿しますw
 
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