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トワノクウ

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トワノクウ
  第三十一夜 鶸萌黄

「離して! 離してください、梵天さん!」

 くうは自分の手首を掴んで引きずっていく梵天に抗して、必死でその場に留まろうとした。だが梵天は、その細腕のどこにこんな怪力が、という力でがっしと手首を掴んでいて、くうは立ち止まることもできない。

「いやです、いや! 何でこのまま帰らなきゃいけないんですか! あの人は薫ちゃんを殺したんですよ!?」
「じゃあ何かい? 君は坂守神社に取って返して、友を殺した真朱を殺すのか?」

 くうは言葉も抵抗も失った。

 やがて梵天が歩みを止め、くうを地面に投げ出した。受身もとれず尻をしたたかに打ちつけた。

「くう! ――何しやがる、梵天!」
「乱暴するでない、大人げない。相手は雛であるぞ」

 いつのまにか露草と空五倍子が待つ場所に帰っていたらしい。

「残る一人の彼岸人が死んだ」

 露草と空五倍子の瞳の奥が冷え込んだ。

「残る一人ってえと、前に来た陰陽衆の女か。お前がやったのか」
「お前にしてはよく出来た冗談だ。が、俺じゃない。やったのは真朱だ」

 露草が目を瞠り、息を呑んだ。
 花色の目の奥には痛恨、どうしようもない悲憤。

(つまり、そういうこと)

 ――真朱は露草にとって特別な存在だったのだ。

「鶴梅の符でくうの内なる鳳を実体化させて襲わせたんだ。そこに彼女は割って入って焼け死んだ。だね、くう」

 くうは無言で肯いた。首を縦に振った拍子に、ぱっと涙が散った。
 一度流してしまうと、あとは次々と涙が落ちてきた。

「かお、ちゃっ……ぅ、~~!」

 潤の時は声を張り上げて泣いた。目の前の現実を受け入れたくないという思いが強かったからだ。
 だが今は薫の死を受け入れていた。薫はあんなに綺麗に死んだのだから、受け入れるのも早かった。

 ぼろぼろ流れる涙を止められないでいると、空五倍子が背中を撫で、露草が頭に手を置いてくれた。よけいに涙が出た。

 それでも現実は、くうに悲しむだけの時間を与えてくれなかった。


 ――ちりーん


 全員が顔を上げた。泣き濡れたくうでさえも。
 今のは夜行が現れる時の鈴の音だった。


 ちりーん、ちりーん。


「空五倍子! くうを連れてここから離れ……!」
「遅い」

 少女の声だった。
 次の瞬間、景色が塗り替わった。






 遅きに失した。昏く、水面を地面とした空間に一人立ち、梵天は舌打ちした。

(すでに神社の一件で夜行はくう達に仕掛けてきていたのに。彼女の頼みでも連れて来るんじゃなかった)

 思いながらも、全身を鋭くして気配を探り始めた。この空間を造った誰かを探し出すために。〝ここ〟は梵天が造るのと同じ〝狭間の場所〟だ。そのくらいはできる。

 〝探せばいい。あの子も君を探して惑ってるわよ〟

 鳴り響いた声は少女のものだった。

「どこだ!」
 〝ここよ、ここよ。あはははははっ〟

 声が反響するせいで場所がすぐに分からない。
 梵天は、相手にもっとしゃべらせ、神経を研ぎ澄ませて声の位置を探ることに専念することにした。

 〝あの子に懐かれて嬉しかった? 慕われて愛しくなった? なるはずよねえ。だってあの子は千歳萌黄の血を引くたった一人の娘なんだから〟
「……何故そこで姉さんの名が出る」

 千歳萌黄。かつて鴇時の前に帝天であった、梵天にとっては加害者であり被害者であった姉。

 〝あの子に千歳萌黄を重ねて、ピンチに救いに現れて。ヒーローごっこはさぞ痛快だったでしょうね〟
「何が言いたい」
 〝だって君、ずっと千歳萌黄に成り代わりたかったんでしょう?〟
「――!」
 〝隠さなくていいよ。分かってるから。君、お姉さんに自分の居場所、奪われちゃったんでしょ? だから『こっち』に居たがったんだよね〟

 下手に答えると、どんな解釈でどんな責め句を使ってくるか知れたものではない。
 沈黙を通す。相手が有利になる材料は与えない。

 〝よかったねえ。漆原が逮捕されて千歳コーポレーションも解体されたのに、まだ仮想世界(あまつき)に留まれて。ここには親兄弟の愛も、種を超えた友達もいるしで、まさに楽園。友人と呼んだ異邦人をお姉さんとすげ替えてまで生き永らえた甲斐があったねえ〟

 「声」は愉快に語り続ける。他者の心を引き裂くのが楽しくて堪らないのだと言うように。

 〝他でもない君が救いたかったお姉さんを、救ったのは誰だった?〟

 絡みつく声。煩わしい、厭わしい。

 〝君からお姉さんを奪って子供まで産ませたのは誰だった?〟

 戯言だ。耳を貸したりしない。

 〝欲しいポジションを全部別の男に奪われて、それでも姉に義理立てして姪っ子の面倒まで見て、今も姉の残した教えに逆らえない。外に出す顔とは正反対の直情径行〟

 声の位置を掴むことだけに集中し、梵天はついに動いた。

「――うるさいよ、お前」

 羽毛を出し、()()()()()()を射た。

 確かに梵天は特権と引き換えに鉤爪を失ったが、戦う力まで失ってはいない。

「さっきから黙って聞いていれば、全く当たらないくせに得意げになって。それでこっちの胸中を語ってるつもりか?」

 萌黄を救いたかった。萌黄の心に光が射せばいいと思った。だが、それらは全て目的の副次的願望に過ぎなかった。
 梵天の本懐は、新たな帝天によるあまつきの変容。予定運命の否定。
 それをさも、ひた隠した本音を暴くようなそいつの語り口に、いい加減、梵天の我慢も限界に達した。

「見誤ったな、告天。今となってはこんなに陳腐な奴に操られていた己にさえ笑えてくるよ」

 梵天は、自身を含めてあまつきを狂乱せしめた怨敵に向かって、

「この俺の思惑が、お前程度に推し量れるわけがない」

 まったく呆気なく、あっさりと勝ち誇ってみせた。





 直後、空間が裂けて、鮮烈な光が射し込んだ。
 振り抜かれたのは錫杖。

「梵天!!」

 露草だった。露草の必死な顔は今まで何度となく見てきたが、それが己のためだったのは今回が初めてだ。

「てめえ何のこのこ捕まってんだ! らしくねえドジ踏んでんじゃねえよ!」
「と言われてもね。これはある種の事故だったし」

 言うと、露草は紅潮した顔をさらに赤くして怒鳴った。六年前まではいつものことだったので、梵天は思い出しながら適当にあしらった。

 景色が現実に戻る。
 一つだけ、捕まる前にはなかったものを足元に見つけた。おそらく境界の名残だ。梵天が領域を作って散る羽毛と同じもの。

 梵天はそれを拾った。

(しゅ)(こう)……夜明けの空色の名を冠する椿の花びら、か)

 今しがたまでの、いけ好かない相手を端的に表した風物を、梵天は手の中で握り潰した。

「露草」
「あ?」
「助かった」

 露草は今までにないほど奇妙で愉快な表情をした。
 梵天もつい噴き出した。

「て、てめ……! 何がおかしい!」

 露草の言う通りだ。今日の自分はらしくない。遠回しながら礼を言ったり普通に笑ったり。
 きっとあの空間の毒気が強すぎて、外界の清浄さに当てられたのだ。そうに違いない。
 全てそのせいにして、梵天は笑い続けた。 
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