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その魂に祝福を

作者:玄月
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無垢の時代
  廃墟を彷徨うワガママ娘

 
前書き
馴れ初め編。あるいはいつものこと編 

 


「じゃあ、あの金髪の女の子との馴れ初めでも訊かせてもらうよ」
 アルフがそう言ったのは、バニングス邸にて管理局との取引を済ませてから……加えて言えば、海上で二人と別れてから何があったかを聞き出した後の事だ。
「アリサの事か? 構わないが、別に大して面白くもないぞ?」
「別にいいさ。要はアンタの気が紛れりゃいいんだろ?」
 その通り。何せ、今の俺は殺戮衝動に蝕まれている。しかもそれは二人の身に起こった事を聞いて、ますます強まった。だが、最悪でもバニングス邸から御暇するまで正気を保たなければならない。衝動に呑まれないためには、何でもいいから考えていなければならなかった。アルフに話相手を依頼したのはそのためだった。
(さて。何処から話したものか……)
 狙い通り、意識を殺戮衝動の誘惑から逸らして考え込む。もっとも、別に勿体つけるような事は何もない。さして珍しくもない事だった。少なくとも、俺にとっては。
(それはそれでどうなんだろうな)
 事の顛末をざっと思いかえしてから、ふとそんな事を思う。だが、これまでの自分の生涯を振り返れば、やはり取り立てて珍しくもない事だった。我が事ながら嘆息を禁じえないが……この際だ。暇を潰す役に立ってくれればそれでいい。
「そうだな。もう三年は前になるか――」
 ……――
「アンタ達が今何をしてるかはもう訊かないわ」
 その言葉を口にするのには、随分と自制心が必要だった。本当に、我ながら良く我慢したと思う。本当なら、今すぐに全てを自白させてしまいたいところだ。
「でも、いい? 必ず帰ってきなさい。勝手にどこかに行っちゃダメよ?」
 それを我慢したのだから、これくらいの注文は許してもらっていいだろう。言葉にしてから勝手に決める。
「大丈夫。どこにも行かないよ。友達だもん」
 目を潤ませる親友――なのはの言葉に頷き返す。それと同時に、確信を持った。
(何か危ない事に巻き込まれてるわね)
 だから光はあの時と同じ格好をしているのだ。それもまた、根拠なく確信を持つ。前にあの格好を見てからどれくらい経っただろうか。確か――
(もう三年も前になるわね)
 今目の前にいる親友達を親友と呼ぶようになってから。
 さらに言えば、その転機となったとある事件――アタシの人生においてまず間違いなく大事件と呼べるし、それを上回る事は早々起こらないだろう……いや、起こって欲しくもない出来事が起こってからでもある。だからこそ、一抹の……いや、それ以上の不安を覚えている。とはいえ、もしも本当に事があそこまで深刻なら話を打ち明けられてもただ聞く以外の何も出来ない。それが歯がゆく、苛立たしい。このまま黙って見送って、無力な自分に怒る事しかできない。ああ、全く本当に苛立たしい。でも、待っている事しかできない。それを認めるしかない。それなら――
(待ってあげるしかできないなら、アタシはずっと怒りながら待ってる)
 気持ちを分かち合えない寂しさと、親友の力になれない自分に。そして、無事を祈る。親友と、まだ知らない誰かの無事を。……きっと、どんな時でも忌々しいくらいに飄々としているであろう年上の少年に。あの時のように、親友達を守ってくれると信じて。




「アリサ・バニングスはいるか?」
 妹が所属している教室から出てきた少年に問いかけると、その子はびくりと肩をすくめ、露骨に視線を逸らした。やれやれ、別に取って喰ったりはしないのだが。ともあれ、その視線を辿ると、その先にいる金髪の少女と目があった。なるほど、やはり彼女がそうだったか。その娘に睨みつけられながら、一人納得した。
 さて。
 アリサ・バニングスという後輩がいる事を俺が知ったのは、ほんの些細な偶然からだった。その偶然を逃していれば、ひょっとしたら永遠に出会わなかったかもしれない。……いや、そうでもないか。その娘がお人好し揃いの我が家に関わった時点で、あるいは必然だと言ってしまっても良いのかもしれない。
 ともあれ、その切っ掛けを語るにはまず二週間程時を遡らなければならない。
「やぁ、光。掃除当番か? 御苦労さま」
「……士郎?」
 夕暮れ時。その日掃除当番だった俺が中身のないゴミ箱片手に教室へ戻る途中、学校の廊下にそろそろ聞き慣れてきた声が響いた。とはいえ、それはこの場所で聞き慣れた訳ではない。むしろ、予想外だった。だからつい、名前で呼んでしまった。俺――『高町光』にとって、その人物は父親に当たる。少なくとも戸籍の上ではそうなっているし、実際に本人はそういう役割を担おうとしている。分担された役割を全うできていないのは、どちらかと言えば俺の方だろう。まだかつての自分の記憶の半分も取り戻せていないが……それでもどうやらもう四桁は生きているらしいという事くらいは思い出している。今さら誰かを父親と呼ぶのはどうにもこそばゆい。だから、ついつい名前で呼んでしまう。ここが自宅なら……いや、余人の目がない場所であればそれでも構わなかっただろうが、士郎の傍らには彼と同年代程度の男性の姿があった。その男性は、一見して異国人である事が明らかだった。この世界――いや、この国では珍しいと言っていいかもしれない。
「息子さんかね?」
 しかし、その壮年の男性はこの国の言葉で流暢に言った。その声に、僅かな驚きと好奇心があったのはおそらく、俺が士郎を名前で呼んだからだろう。
「ええ。ウチの次男坊です」
 気さくな様子で、士郎がその男性に向かって頷く。顔見知りなのだろうか。そうだとしても別に驚きはしない。何せ俺と士郎が出会ったのがそもそも異国の地なのだ。そして、士郎はそこで役人の用心棒をしていたと言う。その経歴を考えれば異国人の知り合いがいない方がむしろ不自然だった。
「はじめまして。高町光と申します」
「そんなに固くならなくていいよ。私はデビット。アリサ・バニングスの父親だ」
 一礼すると、その男――デビットは快活に笑って言った。が、その何某という娘には心当たりがない。となると、妹の知り合いだろう。だが、そんな娘の話は聞いた事がない。
新しい友人……と考えるのも早計か。そう断じてしまうには、まず根本的な所で不可思議な事がある。
「それで、し……父さん。何で学校に?」
 今日は特別何か行事がある訳ではない。少なくとも、学校側が用意した予定ではそのはずだ。となると、何か予定外の事があったのだろう。
「いやぁ、それがなのはとバニングスさんの娘が喧嘩したそうなんだ。それも取っ組み合いの」
 結構な大立ち回りだったらしいぞ――と、呑気に笑う士郎を前に束の間言葉を失っていた。なのはが喧嘩をしたというのは珍しいが、かと言って驚くほどでもない。あの娘は良くいえば真面目で意思が強い、悪く言えば頑固で融通の効かない側面がある。今回はそんな側面が悪い方向に発揮されたのだろう。そんな事はこれから先も起こり得る事だ。俺もその程度の事で絶句した訳ではない。
「……バニングスさんとは旧知の仲なのか?」
 漠然と返答を予想しながら……いや、確信さえしながら問いかける。
「いや、今日初めてお会いしたよ」
 あっさりと士郎は言った。予想はしていた。その通りの答えだった。その上で、俺は頭を抱えたい衝動を必死で自制する必要に駆られていた。
(喧嘩した相手の親と何でそんな和気藹々としてるんだ?)
 話を聞く限り、まだ親が出張らなければならなくなる段階ではなさそうだが……だからと言って仲良く肩を並べて歩いてくる事もないだろうに。
「実は私もサッカーが好きでね」
「それで意気投合したんだ」
 ああ、そうか――ため息の代わりに呻く。一体他にどう返事をしろというのか。こういう人種ばかりだったなら、世の中はさぞかし平和だろう。そうでないのが心の底から悔やまれてならない。実に楽しそうに笑いあいながら校門へと向かっていく二人を見送ってから今度こそため息をついた。
「……早く帰って傷の手当てでもしてやるか」
 抱えた空のゴミ箱が妙に重く感じる。その重みを誤魔化すような気分で呟いた。
 取っ組み合いをしたと言うなら、擦り傷の一つ二つあるだろう。手当ての一つもしてやりながら、事の経緯でも訊いてみるとしよう。そしてその上で、必要な事は言い聞かせなければならない。
「俺が言うのも何だけどな」
 まさかこの俺が暴力は良くないと説くだって?――皮肉たっぷりに自嘲する。新手の冗句にしても笑えない。肩をすくめて廊下を歩きだす。教室まで戻ってゴミ箱を鞄に持ち替えたなら、その笑えない冗句を言うために家に帰らなければならないのだから。
『ま、この一家の娘だってことだな』
 その笑えない冗句を告げた日の夜。リブロムはそう言って笑った。なのはから聞き出した話からすれば、髪飾りを取られた別の少女を庇っての事らしい。まぁ、要するに度の過ぎたからかいに首を突っ込んだ訳だ。
「そうだな」
 思い込んだら一直線。例え相手が殺しにも手慣れた不死の怪物だとしても、家族として迎え入れるあの夫婦の娘だということだ。それは美点にも欠点にもなる。今回はどうなのだろうか。喧嘩両成敗という理屈に従えば欠点として機能したと言うよりない。ただ、庇われたその娘にとってすればあるいは美点として映ったかもしれない。結局のところ長所にならない短所はなく、短所にならない長所はないというだけの話だ。
(それが致命的な欠点にならなければいいが……)
 ありきたりな結論と一抹の不安を残し、顔も知らない後輩を巡る一件は幕を閉じた。少なくとも、この時はそう考えていた。そして、それがどうやら思い違いだったらしいと考え直すまで大よそ一週間ほどの時間が必要となる。




「アリサ・バニングスはいるか?」
 廊下から男の声が聞こえた時、身体が強張らなかったと言えば嘘になる。その言葉を聞いた時点で、誰が訪ねてきたかを半ば確信していたのだから。グッと奥歯を噛み締め、声の聞こえた方へと向き直る。傍に立つクラスメイトより頭一つ分は背丈が高いその少年はまず間違いなく先輩だろう。そして、先輩が訪ねてくる理由にも心当たりがあった。
 高町光と言う名前の先輩がいる事をアタシが知ったのは、ソイツが編入して来てからしばらくしてからの事だった。具体的にいつ知ったのかは覚えていない。ただ、いつの間にかその名前を知っていた。理由は簡単で、ソイツは私と同類だったからだ。端的に言えば、学業優秀な問題児と言う意味で。アタシが扱い辛い我儘なお嬢様なら、ソイツはロクに学校に来ないサボり魔だ。だと言うのに、テストでは常にトップ。加えてスポーツ万能。良くも悪くも目立つ存在なのは言うまでもない。そんな編入生に対するやっかみがなかった訳もなく……しかし、その天才はそれを黙らせるだけの力を持っていた。絡んできた数人の六年生を片手間にねじ伏せたという噂が実しやかに囁かれている。文字通り文武両道に秀でた天才だ。そんな事もあって、前時代的な言い回しをすれば聖祥大学付属小学校の番長といった立ち位置にいる。つまり、恐れられながらも敬われている。あるいは逆かもしれない。生徒のみならず、先生達も同様だった。けれど……実を言えば、その先輩が暴力をふるったという噂はほとんど皆無だった。僅かに語られる噂も、信憑性で言えば怪しいものだ。……ただ一つの例外を除いて。
 そう。その先輩には弱点があった。いや、むしろ逆鱗というべきか。やっかみを晴らすためにそれに触れた他所の高校生が病院送りにされ、未だに戻って来ない言う噂は今も実しやかに囁かれ続けている。もっとも、それは誇張された噂で、その高校生は数日程学校を休んだだけ――と言う噂もある。ただそちらの噂の場合、欠席の理由は睨まれたせいで魘され続けたから、なんて失笑もののおまけがつく。いくら何でもそれは誇張しすぎだろう。真相を確かめようと思った事もないが、アタシはどちらかと言えば前者の方を信じていた。
 ともあれ。そんな類の噂が噂を呼んで全部ワンセットになったからこそ番長的な存在になったのだろう。実際は違うのかもしれないけれど、その上級生が学校で一目置かれる存在である事は誰も否定しようがない。
 さて。
 そんな先輩の逆鱗の名前を高町なのはと言った。私立聖祥大学付属小学校の一年生で、アタシと同じクラスであり……一週間ほど前に取っ組み合いの大喧嘩をした相手だった。
「随分と遅かったわね」
 逆鱗に触れた相手へ報復に来た。その時のアタシはそう信じて疑わなかったし、それは周りのクラスメイトも同じだったと思う。けれど、庇ってくれる訳でもなかった。いい気味だと思っていたクラスメイトも少なくなかったと思う。それくらい、この頃のアタシは我儘なお嬢様としてクラスに君臨していた。
「……君とは初対面で、特別何か約束はしていないはずだが?」
 アタシの強がりに、ソイツは怪訝そうな顔をして見せた。
「アンタの大切な妹の仇討ちに来たんでしょ?」
「ああ、なるほど」
 精一杯に強がって言ってやると、ソイツは気楽な様子で肩をすくめ苦笑して見せた。
「仇討ちと言っても、ウチの妹は今も健在だ。見たところ君はいつまでも根に持つ性質じゃあなさそうだし、それなら子どもの喧嘩に首を突っ込んだりしないよ。暴力は良くない。人の大切なものを乱暴に扱うな……なんて事はどうせもう耳にタコが出来るほど言われているだろうしな」
 後半部分を除けば、まるで保護者のような言いようだった。けれど、親や先生のように四角四面でもない。なるほど、番長なる前時代的なあだ名は意外と的を射ているのかも知れない。そんな事を考え……そこで、ようやく自分の掌が汗まみれになっている事に気付く心の余裕ができた。腕を組む振りをして汗を拭いながら、改めてその先輩を見やる。
(正に先輩って感じね)
 ストンと、第一印象が胸に収まる。実際に先輩なのだから当然と言えば当然なのだけれど……何と言うか、年上だという気配がする。なかなか上手い言葉で表現できないのがもどかしいのだけれど、纏っている気配が静かだった。まるでしっかりと大地に根を張った大樹のようにちょっとやそっとの風では動じない、そんな力強い静かさだ。畏怖というか敬意というか……そういった感情をごく自然に抱かせる雰囲気を纏っていた。
「……それじゃ、一体何の用なの?」
 緊張の糸が緩むと同時に疑問が思い浮かんだ。興味と恐怖の天秤は前者に傾き、言葉となってから、改めて不安を呼び寄せた。それでも、それを必死になって隠そうとしていたのだから、アタシの意地っ張りも大概だと思う。
「ここ最近、何か変わった事はないか?」
 それは奇妙な問いかけだった。そして、不安を煽るものでもあった。それでも強がって、何でもないように言いかえす。
「それは何? 脅迫のつもり?」
 返事を待たずに、言葉を重ねた。必要なのは勢いだ。黙ってしまえば、そのまま何かに飲み込まれかねない。そんな気がした。
「それならお生憎様。精々アンタの妹が目の敵にしてくるくらいよ」
「ああ……。 あの娘は思い込んだら一直線と言うか、大概意地っ張りだからな」
 一応宥めようと努力はしたんだ――アタシの皮肉に、その先輩は頭痛でも堪えるような口調で呻いた。……まぁ、喧嘩両成敗とはいえ、客観的に見れば悪いのはアタシの方だろう。それが分からない程には馬鹿ではないつもりだけれど、かと言って受け入れられる程には大人でもないらしかった。
「まぁ、それならいいんだが……」
 小さなため息を一つ吐いてから、その先輩は何処までも唐突にこんな事を言い出した。
「今日、一緒に帰らないか?」
「光お兄ちゃんの裏切り者~~~~!」
 直後、その先輩の横腹に彼の妹の跳び蹴りが炸裂した。




「今日、一緒に帰らないか?」
 そんな言葉を口にする――と言うより、口にしたばかりになのはの跳び蹴りをくらう羽目になったのは、ちょっとした懸念を抱いたからだった。俺の杞憂で終わればそれでいいが、見逃して本当に何かあればどうにも後味が悪い。ともあれ、その懸念が生じたのは昨日の放課後の事だった。
「ん?」
 なのはが新しく出来た友人の家に遊びに行くと言う事で、その日は一人で帰路についていた。せっかくの自由だ。本屋でも冷やかして帰ろうかといつもの道から外れて歩いていると、路地の陰に白い制服が見えた。それは俺自身も着ているものだ。それはいい。問題はその周りにいる輩だった。
(まさかしつこく意趣返しにきたのか?)
 近所の高校生達――というより、その肩書を持ったゴロツキどもだった。しかも小学生相手に恐喝をするような小悪党だ。名前は知らないが、残念ながら面識がある。以前絡まれて返り討ちにして……性懲りもなく現れては、なのはに手を出そうとしたためついうっかり本気の殺気を浴びせてしまった連中である。
(失禁する程怯えていたから、もう懲りたと思ったんだがな)
 それも忘れているなら、ある意味尊敬する。記憶の全てを取り戻した訳ではないが、こちらは四桁もの年数を命のやり取りに費やしてきた身だ。こう言っては何だが、キャンキャン吠えている小さな座敷犬と野生の飢えた狼が対峙するようなものである。いくら本能を鈍らせた人間とは言えその差は把握していると思ったが。
「ウチの学校の生徒に何の用だ?」
「アアッ?! って、テメェは……ッ!」
 そっと近づき声をかけると、連中は声を荒げて振り向き――こちらを見て表情を凍りつかせた。どうやら全く忘れ去っている訳でもなさそうだった。
「小便漏らしてひっくり返るだけじゃあ満足できなかったか?」
「テメェ! バカにしてンのか?!」
 怒りか羞恥か知らないが耳まで真っ赤にして連中は拳を握る。一応迎撃の体勢を整えていると、リーダー格の男が言った。
「それはいい。今日の要件は別だ」
「へぇ……。それで、何の用だ?」
 別に興味もなかったが、取りあえず促す事にした。
「儲け話だよ。オメーも気にいると思うぜ?」
「興味ないな」
 どこを根本的な問題とするかは悩ましいが……いずれにしても馬鹿馬鹿しい話なのは疑いない。小学生相手にカツアゲする様な連中の持ってくる儲け話が上手くいく訳がないのだから。
「アリサ・バニングスが相手でもか?」
「……?」
 言われて。束の間考え込んでいた。そんな名前の同級生がいたかどうかをまず考え、次に翠屋の常連客の中にいたかを思い返し……そう言えば、なのはと喧嘩した少女の名前だったと思い出した。
「言っただろう? 興味がない」
 思い出したからと言って、だからどうしたという事もない。その少女とは面識がないし、仮にあったとしてもこの連中が持ってくるような胡散臭い儲け話なんぞに乗るような破滅願望はない。
「それに今はいくらか機嫌が悪い。……お互いここらで別れておいた方がいいんじゃないか?」
「チッ、そーかよ。じゃあ、精々後で後悔しろクソガキ」
 視線を鋭くすると、安っぽい捨て台詞を残して連中はぞろぞろと路地の奥の方に消えていく。
「みっちゃん、だすかったッス~~~!」
 その背中を見送る暇もあればこそ――いや、暇があってもしないが――絡まれていた同級生が抱きついてくる。
「ああ、分かったから抱きつくな鬱陶しい」
「ごわがったッスよ~~~~」
「分かったから鼻水をつけるな!」
 取りあえずその同級生を引き剥がす事にした。それで何だってあんな連中に絡まれたんだ?――と問いかけようとして、ふと思いなおす。
「別にお前の友好関係にケチをつける気はないが、ああいう連中と関わるのは心配だな」
 あの様子からすれば彼から接触を取ったとも思えないが、念のため言っておく。
「分かってるッスよ。向こうが急に絡んできたんス」
「そうか。それなら一安心だな」
 それは別に社交辞令ではない。本当にそう思っている。
「それで圭一。結局あの連中は何がしたかったんだ?」
 鈴木圭一。それがその同級生の名前だった。くっきりした顔立ちと笑う口元に覗く八重歯が特徴のやんちゃ坊主である。
「それがよく分からないッス。でもみっちゃんを探してたみたいッスよ?」
 大層な悪戯坊主でもあるが、それ以上に人懐っこく編入当初から俺に全く物怖じせずに接してきた。また、面白いもの全般に好きという面でも価値観が共有できた。そのため、今に至るまで特に友好な関係が続いている。まぁ、簡単に言えば年の離れた友人だと言っていいだろう。多少ならず不機嫌になったのはそんな理由もあった。
(なのはに続いてコイツにまで絡むなよな)
 もっとも、なのはに関しては未遂だが。改めて連中が消えていった路地を見やり声にせず毒づく。まったく、迷惑な連中だ。
(しかし、俺を探していただと?)
 意趣返しという雰囲気でもなさそうだったが。
「アリサちゃんがどうのこうのって言ってたッスよ」
 他に何か言っていなかったか?――問いかけると、圭一はそう答えた。とはいえ、別に情報が増えた訳ではない。接点のない少女が一体何だと言うのか。
「アリサちゃんって確かなのはちゃんと喧嘩した子ッスね?」
「良く知ってるな」
 驚くほどでもないかもしれない。何せ休み時間ごとに面白い事を探して学校を徘徊しているような奴だ。必然、学校内の出来事には詳しい。
「そりゃみっちゃんの妹さんに手を出したとあっちゃ噂にもなるッスよ」
 そんな大げさな。別に取って喰ったりはしないのだが。しかし……どんな噂だか知らないが、何となく事情が見えてきたように思う。
(つまりあの連中は俺がその娘に意趣返しでもすると思ってるのか?)
 仮にそうだとして、あの連中が介入してくる理由が分からない。分からないが、分からないなりにやるべき事は決まったように思う。
(あの連中に目をつけられてるとなると、な……)
 放っておいていいものではない。杞憂で終わればいいが……そうでなかった場合はどうにも寝覚めが悪すぎる。
「みっちゃん、女の子には優しくしないとダメッスよ?」
「分かってるよ」
 やれやれ。また面倒な事にならなければいいが――漠然と夕暮れの空を見上げ、思わずため息をついていた。




「今日、一緒に帰らないか?」
 そんな風に誰かに誘われたのはこれが初めてだった。別にそれで何か不自由をしていた訳ではない。普段であれば専属の運転手が校門前まで迎えに来てくれる。エアコンの効いた車は快適だ。そのまま習い事にも送ってもらえる。何一つ不自由な事はない。
 ただ――それでも、ノコノコとこの男と一緒に歩いている理由を挙げろと言われれば、結局のところただそれだけの事でしかなかった。
(でもまぁ、こんなもんよね)
 初めて歩いて帰る帰り途は、それでも劇的な何かがある訳ではない。傍らの少年は決して無口な性格ではないだろうが、生憎とお互いに共通する話題もない。彼の妹についてなら共通の話題と言えなくはないが、それを話す事で今より快適になるとは思えない。
「それで、結局何を企んでいるの?」
「ん? 別に俺は何も企んじゃいないよ。単純に一緒に帰らないか誘っただけだ」
「女の子を誘っておいてそれ?」
「何だ。デートの誘いだとでも思っていたのか? それは気が利かなかったな」
 次は何か考えておこう――クククッと喉を鳴らしながらその少年は言った。
「次が欲しければ、もう少し楽しませなさいよ」
「これは手厳しいな。それとも、お喋りな男が好きなのかな?」
「そうね。陰気な男よりはマシじゃない?」
「良い男ってのは多くを語らないものさ」
「じゃあ、口が減らないアンタは良い男じゃなさそうね」
「さて。だが、陰気な男でもないつもりだよ」
 それはそうかもしれない。小気味よく続く会話はそれなりに快適だった。次があってもいい――そう思う程度には。
「―――」
 さらに会話を続けようとして、ふと隣の少年が足を止めた。それだけではなく、片手で軽くアタシの事も制止している。その視線は妙に鋭い。一体何だろうか。不安と疑問の中間くらいの気分で問いかけようとして――
「まさか二日連続でお前達と出くわすとは思わなかったな」
 視線の鋭さに負けないくらい鋭い声で、彼は言った。その言葉を理解できなかったアタシを他所に、応じる声があった。
「そりゃこっちの台詞だ。テメーどういうつもりだ?」
 近くの路地からゾロゾロと現れたのは、髪を脱色し、耳にはいくつもピアスをつけた数人の男――見た目で人を判断するなとはいえ、ステレオタイプの分かりやすい不良集団だった。思わず少年の陰に隠れていた。アタシも女の子だ。一人二人ならともかく、そんな集団を怖いと感じる当たり前の感性くらいある。
「何、柄の悪い連中が周囲をうろついてるらしいからな。念のため家までエスコートしてるだけだよ」
「テメーだってそのガキ怨んでるんじゃねえのか? ああ?!」
 激昂する男達に思わずひるんだのはアタシだけだった。
「馬鹿かお前達。ああ、馬鹿か」
 一人で納得してから、その少年は余裕たっぷりに肩をすくめた。
「妹が喧嘩したくらいで大騒ぎするか。常識を知れ、常識を」
「ンだとコラ! シメるぞこのクソガキが!」
「出来るのか? 小便漏らして腰抜かした連中が」
 どうやらあの噂は本当らしい。恐怖に麻痺しかけていた思考で、ぼんやりとそんな事を思う頃には、男達は拳を振り上げて襲いかかってくる――が、それより早く、
「やれやれ……」
 ゴンッ!――と鈍い音と共に、リーダー格の男の鼻づらに少年の拳がめり込んでいた。その勢いに負けて、その男は鼻血を吹き出しながら後ろにのけぞり倒れる。
「誰に対してはしゃいでいる? 身の程を知れ。クソガキども」
 それはまるで魔法のような光景だった。いくら年上とはいえ、その少年もアタシと同じ小学生のはず。それが、数人の高校生を相手に喧嘩している。いや、喧嘩ですらない。まるで大人が子どもを蹴散らすように一方的なものだった。
「さて、と。それじゃあ話を聞かせてもらおうか」
 最後の一人が地面に崩れ落ちてから、年上の少年はリーダー格の男の胸倉を掴み上げて言った。
「まさかとは思うが、これが儲け話とやらか?」
 その言葉の意味は良く分からなかったけれど……分からないなりにも想像がつく。つまり、アタシがお金持ちのお嬢様だから狙われたということなのだろう。
「だんまりか。まぁいい、質問を変えよう。誰に頼まれた?」
 少年はそこでいったん言葉を切って、
「黙っているのは勝手だが……いや、指を一本一本へし折られても黙っていられるか試してみるか?」
 自問するように彼が呟くと、リーダー格の男の顔色が青ざめたのが分かった。けれどそれと同時、
「おまわりさん、こっちです!」
 道の向こうからそんな声が響き渡った。少年が手を緩めたのだろう。リーダー格の男はその手を振り払って立ち上がり叫んだ。
「逃げるぞ!」
 今までその辺に転がっていた他の男達がぎこちなく立ち上がり、足を引きずって逃げていく。その背中を見送る暇もあればこそだった。
「逃げるぞ!」
 言うが早いか、少年がアタシの手を掴む。返事を返す暇もなく――それどころか、文字通りあっと言う間に彼はアタシを引きずって走り出す。
「何でアタシ達まで逃げなきゃなんないのよ?!」
「この国じゃ喧嘩は両成敗なんだよ!」
 それアタシは関係ないでしょ!――とはさすがに言いかねた。これでも多分庇ってくれたのだろうと言うことは分かっているつもりだ。それに、こんな風に誰かに手を引かれて走るのも初めての経験だった。
(つり橋効果ってやつかしら)
 疲労とは別の意味でちょっとドキドキしている。もう少しだけこの逃避行に付き合ってもいいかな――そう思う程度には。
「やれやれ、まったく間が悪い」
 ただ、少しだけで済んではくれなかったけれど。
「な、何でアンタ…あれだけ走って……けろっと、してる、わけ?」
 気楽な様子で出された水を飲む少年を見やり、途切れ途切れに呻く。これでも運動にはそれなりの自信があるつもりだった。そのアタシが息も絶え絶えになるほど走ったというのに、その少年は息切れ一つした様子がない。
「多少は鍛えてるからな」
 絶対に多少じゃない――その言葉を口にするのも面倒だった。行儀が悪いのは百も承知でテーブルに突っ伏す。ひんやりとした硬い感触はそれでも火照った頬には心地よかった。
「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」
「あ、お構いなく」
 どことなく誰かに似た顔をした女性が紅茶とシュークリームをテーブルに並べてくれた。注文した覚えはないのだけれど、もらってもいいものなのだろうか。とりあえず姿勢を正しながらそんな事を思っていると、その女性は少年に向けて言った。
「光がガールフレンドを連れてくるなんて母さん嬉しいわ」
「……それはどちらかと言うと俺より彼女に対して失礼だろう」
 苦虫を噛み潰したような顔で少年が呻く。馬鹿にされたのかそうでないのか正直判断に困るところだったけれど……そのやり取りはそれ以外の情報を伝えてきた。
「ここ、アンタの家がやってる店なの?」
 女性――この少年の母親が離れてから問いかける。
「まぁな」
「ふぅん」
 予想通りの答えに気のない返事を返しながら、出された紅茶を一口すする。これでも舌は肥えている方だと自負している。だから驚いた。
(あ、美味しい!)
 普段から飲んでいるものに負けない――いや、下手をすればそれ以上だ。街の喫茶店でこんなに美味しい紅茶にめぐり合えるとは思わなかった。続いてシュークリームを一口かじる。こちらも期待以上だった。今まで食べた中で一番美味しい。散々走り回された事などすっかり忘れ、思わぬ幸福に舌鼓を打つ。
「ここ、何て店?」
「翠屋だが?」
「そう。覚えておくわね」
「……何か微妙に不穏な響きだな」
 アタシがせっかく褒めているのにこの言いよう。多少腹が立ったが、せっかく見つけた名店を忘れてしまうには惜しい。そう思う程度にはこの店の事が気に入った。
「それで、結局何の用だったの?」
「うん?」
「まさか自分の家の店を自慢したかった訳じゃないでしょ?」
 それならそれで別に構いはしないけど――と、声にはせずに呟く。
「ただ一緒に帰ろうと思っただけで、別に特別用事はないよ。この店に来たのはそれこそ事故みたいなものだ」
「あの子……妹さんと喧嘩してまで?」
「あれは俺が一方的に蹴られただけで喧嘩なんてものじゃあないよ」
「でも怒ってたわよ?」
「あれは拗ねてるだけさ」
「それでいいわけ? 大事な妹さんなんでしょ?」
「それは否定しないが、別に必ず毎日一緒に帰ってる訳でもないからな」
 ふぅん――と、気のない返事を返してから、しばらくの間紅茶を楽しむ。何となく何かを誤魔化されている気もするし、特別何も考えていなさそうでもある。
(ま、いいか)
 初めての体験とちょっとのスリル。それに美味しい紅茶とシュークリームがついたのだ。充分に有意義な時間だったと言える。
「さて、と。それじゃアタシはそろそろ帰るわ」
 充分に紅茶とシュークリームを堪能してから告げる。
「そうか。それじゃ送っていこう」
 当然のように、その少年は言った。けれど、アタシは首を振って言った。
「別にいいわよ。迎えに来てくれる人はいるし」
 といっても、専属の運転手ではない。彼は急性の胃腸炎でしばらく休養に入ってしまった。その代わりを買って出てくれた人に、アタシはとても懐いていた。
「あ、高男小父さま? すぐに迎えに来て」
 携帯の向こうから了解の返事が返ってくる。
 久保高男。パパの経営する会社の社員――それも、いわゆる側近の一人だった。それももしもパパに何かあったら会社を任されるような。最初の出会いがいつだったかあまりはっきりとは覚えていないけれど、気づけばよく出会うようになっていた人だった。年もパパと同じくらいで、留守にしがちなパパの代わり。そんな風に思っていた。
「やぁ、アリサさん。待たせましたかな?」
 程なくして、小父さまが店に入ってきた。
「ねぇ、高男小父さま。シュークリーム買って」
「買い食いですかな? それはあまり関心しませんが」
「帰ってから食べるわよ」
「ハハッ。それなら仕方ありませんな。どれどれ――」
 会計を済ませた小父さまについて店を出ようとすると、妙に真剣な顔でその少年は言った。
「また明日も一緒に帰らないか?」
「そうね。考えておくわ」
 思えば、その少年――高町光はこの時からすでに分かっていたのかもしれない。全てが終わった今思い返せば、そう思わなくもない。




「そうね。考えておくわ」
 そんなやり取りをかわしてから三日間――最初の一日を含めれば四日間か。俺はその少女と一緒に帰ることになった。二日目からは連中が絡んでくることもなく、平穏無事な道行だった。問題は日増しになのはが不機嫌になることくらいか。アリサはなかなか頭が良いようで、話していて飽きない。まぁ、一方的に俺が楽しんでいるだけだったかも知れないが……少なくとも翠屋は気に入ってもらえたようで、日々のお誘いを袖にされることはなかった。
「おや、今日は一人なんだね」
 ……少なくとも、今日までは。翠屋のカウンター席の隅に一人座っていると、士郎が少々意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「まぁな」
 士郎が淹れてくれた珈琲に口をつけながら肩をすくめる。珈琲の淹れ方はようやく様になってきたらしい。なかなか悪くない味だった。
「今日は何やら機嫌が悪かったんだ」
 不機嫌さを全身で表し、さっさと一人で帰ってしまった。取り付く島もないとはあのことだ。昨日分かれた時の様子からすれば、俺が何かした訳でもないだろうが。
(なのは辺りがついに爆発したか?)
 可能性で言えばない訳ではない――が、おそらく違うだろう。あの不機嫌さは寂しさの裏返しだ。ここ数年、俺はそれと向き合ってきた。いや、孤独と向き合ってきたと言うなら、もっと永い。そして、これからも永く続くだろう。
(無理やりにでもついていけば良かったか?)
 所詮、年端もいかぬ少女が相手だ。ついていく方法などいくらでもあった。だが、それをしなかったのは、おそらくそれをすれば彼女の誇りを傷つけることになるからだ。
「それで。結局何であの子にそんなにご執心なのかな?」
 言われて返事に困った。明確な根拠などない――が、理由くらいはある。ただ、それを一体どう伝えれば良いのか。実はそれと同じ疑問を圭一にも問われた。彼にはここ数日の間に少々調べ物を頼んでいたのだが、その依頼をした時に、だ。その時は曖昧に誤魔化すしかなかった。しばらくはあらぬ噂を立てられ、からかわれるのは承知の上だ。だが、
「……魔物の気配ってのは、言い換えれば濃厚な欲望の気配だとも言える」
 士郎が相手ならもう少しマシな言い訳を用意できそうだった。
「まさかあの子がそうだとでも?」
「まさか。だとしたら俺はなのはに張り付いているよ」
「ふむ。と言うことは、あの子は誰かに狙われていると?」
 さすがに話が早い。とはいえ、それがどれほど差し迫った事態なのか――それについては俺もまだ判断しかねた。
(勘が鈍っていると言うことか)
 相棒――御神美沙斗と一緒にいた頃と違い、毎日のように生命のやり取りをしているわけではない。なのはの面倒を見るようになってからは追体験をする頻度も目減りしていた。まどろむような平穏の中ではさすがの不死の怪物も勘を鈍らせるらしい。ただ、少なくとも圭一からの情報はある種の確信を抱かせるには充分だった。
「気の回しすぎかもしれないがな。だが、何かあってからじゃ――」
 カラン、と。そこで誰かが店に入ってきた。最盛期からはいくらか時間が外れているが、それでも別に珍しくもない。だが、不思議と視線がそちらに向いた。
「おや、バニングスさんじゃないですか」
 入ってきたのはアリサ――ではなく、彼女の父親だった。
「高町さん! もしやここはあなたのお店ですか?」
「ええまぁ。妻と共同経営です」
「なるほど。そうだったんですか」
「それで、ご注文は何にします?」
「ではシュークリームをテイクアウトで」
「承りました。おいくつ包みましょうか?」
 そこまでは当たり障りのないやり取りだった。特に注意を払うべきこともない。だが、何かが引っかかった。違和感の招待を見極めるため、しばらくやり取りに耳を済ませる。
「ところで、何か浮かない顔をしていますね。何かありましたか?」
「いや、実は明日娘と出かける約束をしていたんですが、急な仕事が入ってしまいましてね。昨日から口を聞いてくれないんですよ。最近この店を気に入っているようなので帰ってくる前にご機嫌取りの準備をと思いまして――」
「ちょっと待ってくれ!」
 そこで、思わず声を上げていた。今の言葉は明らかにおかしい。
「アリサはまだ家に帰っていないと言ったが、それはいつの話だ?」
「え? ああ、六時頃かな」
 彼女が学校を後にしたのは四時過ぎ。二時間前には帰っている。まっすぐに家に帰ったならとっくに帰っていなければおかしい。
(仕掛けてきた、か……?)
 いや、気まぐれを起こして寄り道しているだけかも知れない。帰ったはいいが、拗ねて顔をあわせていないだけかも知れない。可能性の上なら他にもありえる。
 そう。例えば帰り道に誘拐されたといったような。
「士郎。少し出てくる」
 告げて、店を飛び出す。今必要なのは可能性などではない。単純な事実と、それを導くための情報だ。
「隼よ」
 囁くように練り上げた魔力を開放する。魔力による超加速を活かし、屋根から屋根へと飛び移りながら思考を巡らせる。そう難しいことではない。奴らが根城にしている場所は街に何ヶ所かあるが……アリサ・バニングスという少女は控えめに見ても人目を惹く容姿をしている。ならば、その中で最も人気がない――加えて、あえて人が近づかない場所。そこから潰していくのが一番の近道だろう。
(それにしても、あの連中ついに頭の螺子を飛ばしやがったか?)
 さもありなん。元々緩んでいた連中だ。だが――
「暴発にしては手が込んでいるな」
 もっとも。それはあの娘を見つけた後で考えればいいことだろう。




「そうね。考えておくわ」
 ああ、今日も一緒に帰れば良かった。一緒に帰って愚痴の一つも……泣き事の一つも聞いてもらえば良かった――気持ちの悪いまどろみの中で、ぼんやりとそんな事を考えていた。何でかは分からない。何も分からない。頭がぼんやりとして、何も考えられない。
「じゃ、さっそく■■■まおうぜ」
「オイオイ乗り気だな。まだガキだぜ?」
「良いんだよ。その方が■■■が良いだろ」
「■■■■かよ、オメー」
 言葉は理解できない。けれど、何か怖い話をしていることだけが伝わってくる。助けを求めようにも声は出ないし、逃げ出そうにも身体は動かなかった。極彩色の不気味な影法師がげらげらと音を立てながら迫ってくる。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
「少し眠っていろ」
 甘い匂いと共に囁かれた言葉。それは魔法の言葉だった。溶けた鉛のような意識がフッと軽くなる。暖かな何かが額に触れて――
「起きたか?」
 パチッと。そんな音がしたような気がした。視界に広がる少年の顔を見て何度か瞬きをした。過去と今が繋がってこない。何でコイツがいる? アタシは一体どうなった?
「おっと。大声を出すのは無しだ。魔法が解ける」
 それは冗談だったのだろうか。鼻先に人差し指を立てながら、その少年は片目を瞑って見せた。まだ頭が働かない。そのせいもあって、ひとまず黙って身体を起こした。
「ここ、どこなの?」
 まだぼんやりとした視界でも分かるほど酷く埃っぽい。天井は塗装が剥がれ落ち不気味なまだら模様になっていた。近くには錆びた手すり。どうやら一階から吹き抜けになっているらしい。それなりの広さがある様子だった。
「見てのとおり、街外れの廃工場だ。誘拐犯が逃げ込む先としては捻りがなさ過ぎるな」
 おかげで助かった――気楽な様子で肩をすくめて見せるから、束の間反応が遅れた。この少年は今何と言った?
「誘拐!?」
 そう言えば学校が終わってからのことを良く覚えていない。確かこの少年のいつもの誘いを断って一人で帰って、それから……それからどうなった?
「無理に思い出すことはない。忘れてしまえ」
 その言葉に不思議と従っていた。きっと、思い出しても良いことはないと分かっていたのだろう。今さらになって吐き気がしてきた。
「さて。連中が正気に戻る前に逃げるぞ」
 そう言えば何か騒がしい。何となく連想したのはバーゲンセール時の騒乱だった。もしくはクラスの男子が騒いでいる時か。でも、実際はそのどちらよりももっと暴力的な気配だった。
「な、何アイツら。何でゴミを奪い合ってるの?」
 一階部分を覗き込むと、数人の不良が紙くずや壊れたマネキンのようなものを奪い合い、殴り合っていた。遠目にも全員の目が血走っているのが分かった。
「さぁな。変な収集癖でもあるんだろう。それより、連中とは知り合いか?」
「そんな訳ないでしょ!」
 反射的に怒鳴ってから、慌てて両手で口を塞いだ。あまり大声を出すとあの連中がこっちに向かってくるかもしれない。冷や汗が背中を伝った。
「そうか……。なら、いいんだ」
 一方の少年は、安心したような――それでいて、何か後悔するような不思議な表情を一瞬だけ浮かべた。それが何なのか、どんな感情によるものだったのか。この時はまるで分からなかったけれど。
「長居は無用だ。早く帰ろう」
 次の瞬間にはその表情は消え、いつも通りの少年の姿がそこにあった。アタシは両手で口をふさいだまま無言で頷いていた。風邪でも引いたようにぞわぞわする。ようやくはっきりし始めた頭が、今さらになって恐怖を伝えてきていた。
「こっちだ」
 少年に手を引かれ、廃墟の中を走り出す。膝がガクガクするが、幸いまだ走れない程ではない。まだ頭の芯の部分がボーッとしているからかも知れないし、その少年が手を引いてくれているからかも知れない。
 そこからどう走ったのか。廃材が適当に立てかけられた細い道を私達は走っていた。具体的な場所は分からないにしても、少なくとも建物の外に出られた事は、少しだけアタシを安心させた。これで帰れる。そう思っていた。
「アリサ! 無事で良かった!」
「高男小父さま!?」
 小父さまが姿を見せたのは、ちょうどそんな時だった。彼の姿はアタシを安堵させるには充分だった。感極まって彼に駆け寄ろうとしたアタシを、しかしその少年は片手で制した。
「高男さん、でいいのかな。貴方は何故こんなところに?」
 それはまるで獲物を前に静かに牙を剥く獣のような声だった。凄んでいる訳でもない。声を荒げる事もない。とても静かで隙のない声だ。
「それはもちろんアリサさんを助けに来たのですよ」
「助けに来た。と言う事は、この娘が誘拐されたと知っていたと。一体どこで?」
「それは無論、社長――アリサさんのお父さんからです」
「それは妙だな。彼はまだ知らないはずだ。それに、警察より先に貴方に連絡したというのも不自然だと思わないか?」
「……何が言いたいのかな?」
 小父さまの声が変わったのを覚えている。どこがどうという訳でもないけれど、落ち着いて、どこかのんびりとした声ではなくなった。
「何。別に難しい事じゃあない。ただ不自然なのさ。分からないか?」
 その少年は笑ったらしかった。輝きのない鋭い目を笑みと呼ぶのなら。
「アンタがこの場所を知っている事自体が不自然だと言いたいんだ」
 小父さまの顔が凍りつくのが分かった。
「……それを言うなら、君だってそうではないですか?」
「生憎とこの娘をさらったゴロツキどもとは縁があってね。根城については調べてあったんだ。ま、変に知恵を働かせていなくて助かったのは事実だがな」
 露骨に肩をすくめてから、その少年は言った。
「そう言えば、あのゴロツキどもは妙な事を言っていたな。そう……儲け話がどうとか」
「誘拐なら身代金を請求するつもりだったのでしょう。それがどうかしましたかな?」
「まぁ、そんなところだろう。それはいいさ。誰でも考え付くことだ」
 水をいっぱいに入れたコップに、交互にコインを沈めていく。いつか映画でそんなゲームを見た事がある。二人のやり取りは何故だかそれを思い出させた。
「では何が問題なんでしょうな?」
「問題だらけだよ。例えば、連中はどこでアリサの事を知ったんだと思う?」
「アリサさんは目立つからでしょう。この国で外人は目立ちますからな」
「そうかも知れないな。だが、連中はこの娘とウチの妹が喧嘩したことまで知っていた」
 それは確かに変だった。学校内では噂になっているのは知っていたけれど、だからと言って他所の高校生にまで話が広がるとは考えづらい。とはいえ――
「ああいった連中に憧れる子もいるでしょう」
 絶対にあり得ないとも言えない。ましてやアタシは目の敵にされているのだから。
「それは否定しない。だが、この娘のクラスメイトにいるかどうかは話が別さ。少し調べてもらったが、この娘を目の敵にしている連中も全員シロだったよ」
 それなら、一体どこで?――当然の疑問が浮かぶ中、小父さまは黙ったままだった。
「連中に入れ知恵をしたのは別の輩だ」
 一方の少年は、まるで正解などとっくに知っていると言わんばかりに告げた。
「そう。例えば何の脈絡もなく姿を現した社長令嬢の付き人とかな」
 果たして。コップから先に水を溢れさせたのはこの少年だろうか。
「高男小父さま……?」
 それとも、小父さまだったのだろうか。
「いやぁ、参りましたね。頭がいい子だとはアリサから聞いていましたが」
 それは肯定の言葉だった。それくらいの事は分かった。分かったけれど――
「ウソよね……? 何で?」
「無論社長が退任すれば、私が次の社長になれるからですよ。そのためのアルバイトを雇ったのですが、どうやら上手くいかなかったようですね」
 いつも通りの柔和な笑顔で小父さまがが言った。
「なるほど。身代金の代わりに退任を要求するつもりだったのか。ま、いずれにしても賭け事の才能はなさそうだな。ちょっと突かれたくらいで手札をばらすようじゃあな」
「これは手厳しい。ですが、君も話に聞く程頭が良い訳ではないようですな」
 小父さまがゆっくりと近づいてくる。今はそれが無性に怖かった。
「一つ。子どもの言う事なんて誰も信じない」
 小父さまが背広の内ポケットに手を入れた。黒い手のひら大の何かを取りだす。
「二つ。死人に口なしと言いますよ? 何、元々娘が惨死した傷心のあまり退任、というのが私のシナリオですから」
 それは拳銃だった。玩具ではないと直感で分かった。
「……ま、子どもの言う事なんて誰も信じないというのは同感だ」
 両手を上げながら、それでもその少年は薄く笑っていた。
「だがまぁ、便利な時代になったと言うことか」
 何の脈絡もなく少年はそんな事を言った。疑問に思ったのはアタシだけではなかったらしい。小父さまも怪訝そうな顔をした。
「魔法なんぞ使わなくても、この場の声を遠くに伝える事ができるってことさ」
 ゆっくりと少年が懐に手を入れ何かを取りだす。それは携帯電話だった。
「聞こえたな。士郎?」
「……久保君。残念だ」
 帰ってきたのはパパの声だった。携帯をトランシーバーモードにしてあったらしい。子どもの言う事は信じてもらえなくても、本人の言葉なら信じるよりない。ただそれだけの事だった。
「――――」
「――――」
 パパの声を最後に、束の間沈黙が落ちた。
「クククッ」
 それを破ったのは少年の笑い声だった。
「フフフッ」
 小父さまの笑い声がそれに重なる。
「ハハハハハハハハハハハッ!」
「アハハハハハハハハハハッ!」
 二人の笑い声が廃墟に響き渡る。そして――
「何が可笑しい!?」
 ドン!――と、お腹に響く音がした。いや、それは音と言うより衝撃だった。本物の銃声。けれど、不自然なくらい幸運なことに近くの廃材が突然崩れてきた。それが銃弾を防いでくれたらしい。本当に幸運だったけれど――その頃には少年に手を引かれ、アタシはまた走り出していた。その後を追うように銃声が響く。鉄骨の剥き出しになった柱や錆ついた防火扉に弾がぶつかって火花を散らす。
「まさか銃で武装してるとはな。この国の安全神話とやらは何処に消えたんだ?」
 そんな中をどれくらい走っただろうか。銃声が聞こえなくなってからしばらくして、アタシ達は倉庫のような所に身を潜めていた。一度止まってしまうともう走れそうにない。身体が疲れているというより心が悲鳴を上げていた。何もかも投げ出してしまいたい衝動を必死で抑え込む。何も手につかないとはきっとこんな事を言うのだろう。
「どうして、こんなことに……?」
 信じていたのに。胸中で呟くと、涙が溢れてきた。溢れ、止まらなくなった。思わず傍らの少年に縋りついていた。誰かのぬくもりが恋しかった。
「すまない。君が寝ている間に始末をつけるべきだった」
 慰めるでも励ますでもないその言葉は、それでも真摯だった。その少年にできる精一杯がそれだったのだろう。その真摯さは残酷でもあったけれど……それでも、今は心地よかった。今は誰かを信じたかった。信じていたかった。少年はそれ以上は何も言わず、ただ黙ってアタシの背中を撫でてくれた。それから、どれくらい経っただろうか。
「ひっ――!」
 足音が聞こえた。誰かがこっちに近づいてくる。少年が身体を緊張させるのが分かった。そして、囁くように彼は言った。
「ここで大人しくしていろ。目を瞑ってじっとしているんだ」
 言うと、少年は音もなく立ち上がった。止めるべきだったのかもしれない。けれど、恐怖で声が出なかった。
「あの小娘をどこにやった?」
 怨念の籠った声というのは、きっとこんな感じなのだろう。聞き慣れた声のはずなのに、全くの別人のように感じられた。
「そんな口を聞いていいのか。相手は社長令嬢だろう?」
「いまさら関係あるか。この糞ガキ、この日のために今まで散々我儘を聞いてきたというのに、お前のせいで台無しだ」
 今さらながらにそれは鋭くアタシの心に突き刺さった。今まで黙って我儘を聞いてくれていたのは、結局そんな理由なのだろうか。
「それで自棄になったのか?」
「そうだ。こうなればお前ら皆殺しだ」
「やれやれ。玩具片手に粋がるなよ」
「玩具じゃない!」
 再び銃声が響く。固い何かが砕ける音と共に、花火のような匂いを感じた。
「ふっふっふ……。子どもらしく悲鳴でも上げて見たらいかがですか」
「さて。どうするかな」
「いちいち癪に障るガキだな!」
 また銃声。それは勇気というより恐怖が限界を超えただけだったと思う。立ち上がり、飛び出していた。
「お願い小父さま! もうやめて!」
「出てくるな!」
 鋭い叫び。それは少年の声だった。余裕のない声に身体がすくむ中、小父さまが銃をこちらに向けるのが妙にゆっくりと見えた。そして、銃声が響き渡って――
「大丈夫か?」
 誰かに抱きつかれ、地面を転がっていた。身体を起こすと、頬から血を流す少年の姿が見えた。銃弾が掠めたのだろうか。
「ヒーローごっこもほどほどにした方がいいですよ?」
 少年の額のすぐ前に銃が突きつけられる。映画の主人公だってきっと避けようがない距離だった。
「じゃあな、クソガキども」
 顔を歪めるようにして小父さまが笑い、引き金を引く――直前のことだった。
 ゴキ――ッ! と、鈍い音がした。小父さまの腕が、肘ではない所でくの字に曲がる。
「―――。あ――? ぎゃああああああああああッ!?」
 悲鳴は一瞬以上遅れた。腕を抱え転げ回る小父さまの傍らにはいつの間にかあの喫茶店のマスターが立っていた。手には鉄パイプを持っている。一体いつの間に。
「……士郎。人の見せ場を横取りするなよ」
「いやぁ、絶体絶命のピンチに見えたんだけどね」
「馬鹿言うな。これから逆転するところだったんだ」
「それは失礼」
 気楽な様子で言いあう二人を他所に、アタシはその場に座り込んでいた。完全に腰が抜けた。それに、精も根も尽き果てていた。泣くことも忘れ、ただ呆然と少年の姿を見つめる。
「アリサ!」
 少年が立ち上がる頃、聞き慣れた声が響いた。
「パパぁ!」
 足をもつらせながら、必死にアタシに向かって走ってくる。そして、痛いほど強く抱きしめてくれた。
「良かった。無事で良かった―――!」
「うん。うん……!」
 アタシも必死でしがみつき、声を絞り出すように泣いていた。ホッとしたのも本当だし、悲しいのも本当だった。もう何が何だか分からない。ぐちゃぐちゃした感情をただひたすらに吐きだしていると――
「止せ久保君! 早まるな!」
 パパの叫び声より少し早く何か鈍い音がした。振り返ると小父さまの身体が地面に転がるのが見えた。ふと思い出したのは、アッパーをくらってダウンするボクサーの姿だった。
「何も死ぬ事はない」
 少年は地面に手をつけたまま、小さく呟いた。
「君は一体……?」
 そしてパパは目を見開き、少年を凝視していた。その言葉に、マスター……少年のお父さんが焦った様子で何か言おうとした。けれど、それより先にパパが首を横に振って言った。
「いや、娘の命の恩人に野暮な事は訊かない事にしよう」
「感謝します」
 ふぅ――と、ため息をついてからマスターが頭を下げた。少年も小さく肩をすくめたらしい。良く分からない。一体何が起こったのか。
「久保君。一体何でこんなことを……」
 アタシが泣きやむ頃、パパは立ち上がって小父さま近づく。小父さまは大の字になって地面に転がり、完全に気絶しているようだった。それを見て、パパの顔が泣きそうなくらいに歪んだ。
「バニングスさん……」
「彼とはもう十年来の付き合いです。元々は現場からの叩き上げで、まだ若いうちからずっとわが社に勤めていて、真面目で誠実で……今では最も信頼していた側近の一人だったのですが」
 多分、アタシ以上にパパの方がショックだったのだと思う。思い出した。確かパパがウチに招待したから、アタシは小父さまと知り合ったのだ。それくらい――きっと、友達と呼べる間柄だったのだと思う。
「一体何故……」
「だから富は恐ろしい。金欲は人を狂わせる」
 項垂れるパパに応えるように言ったのは少年だった。
「俺の恩師――恩人の友人の言葉です。もっとも、彼自身も世間一般には金の亡者だと思われていましたが」
 その時の少年は酷く懐かしそうな――そう。まるで古い友人を思い出すような顔をしていた。
「若くから勤めていたということは、それなりに苦労されていたのでは?」
「ああ……。彼は父親が早世してから母親を助けて働きづめだったと聞いている」
「では元々は母親を助けたいという想いだったのかもしれませんね。それがいつしか金に対する欲望に取って代わってしまった」
 頬の血を拭いながら、それでも小父さまを見る少年の顔には怒りや憎しみなど宿っていなかった。むしろ悲しみだろう。……多分、小父さまが道を踏み外してしまった事への。
「……もし、世界中の人間が金持ちだったなら、こんな事は起こらなかったかもしれませんね。少なくとも、その友人ならそう言うでしょう。それが彼の信条でしたから」
「……その友人は今どこに?」
 少しの沈黙ののち、パパはそう呟いた。
「さぁ。ですが、まぁ――生きているなら、今も金儲けに精を出している事でしょう。……貧しい人を救うために」
 それが、こんな悲劇を未然に防ぐ事になると信じて――少年が言うと、パパは大きく息を吐いた。
「その友人は賢者だな。……聖者と言ってもいいか」
「恩師が聞いたら大笑いしますね」
 本当に可笑しそうに少年は笑った。その頃には遠くでサイレンの音が響いた。どうやらパパ達が呼んだらしい。
「さて、警察も来た事だ。面倒になる前にさっさと帰ろう」
 言うと、少年はアタシ達に背を向けさっさと歩きだした。
「待ってくれ!」
 その背中をパパが呼びとめる。
「ぜひお礼をしたい。何でも言ってくれ」
「礼? それなら――」
 少年は軽く振りかえると、小さく笑って見せた。
「まず貴方達が彼と同じ過ちを犯さないこと。偶には娘のために時間を使ってあげること。それと男を見る目をもう少し養わせること。あとは――」
 その少年――高町光は最後に冗談めかしてこう言った。
「これからも翠屋を御贔屓に」
 その一点に関して言えば、アタシは今も約束を守っている。そして、これからも守っていくだろう。今や彼の妹はアタシの大切な親友なのだから。




「うわ! キザ!」
 顛末を一通り語って聞かせると、アルフはそう言った。
「どういう意味だ?」
 どういう意味も何もないだろうが。腕組みをし、半眼で睨みつける。
「だってねぇ……。こんなでっかい屋敷に住んでる奴に何でも言ってくれって言われて、言った言葉が娘のために時間を使えって」
「分かった。なら、お前達の一件が済んだら全額現金で請求してやる」
「アンタ偉い! 凄い良い奴! カッコいいよ!」
 白々とアルフが喝采を上げる。やれやれ、現金な奴め。まぁ、別にフェイトに対して見返りなんて要求するつもりもないが。いや――
「別に全く見返りもなく助けた訳でもないんだがな。お陰で上得意が二人も増えたんだ」
 アリサは言うに及ばず、彼女の父親も暇を見つけては店を訪れる。さらに言えば、会社で打ち合わせか何かある時は出席者分を買っていってくれることもある。
「いや、そうは言うけどさ。真面目な話、それで銃撃戦に巻き込まれるってのも割に合わない気がするけどね」
「昨日の雷に比べれば可愛いものだろ?」
 まったく。いくら何でもあんな一撃を見舞ってくることはないだろうに。下手をすれば死人が出ているところ――というより、くらったのが俺でなければ死んでいるところだ。
「そりゃそうか。……ところで、アンタの家の店のお菓子ってそんなに美味しいんだ?」
「まぁな。終わったら来ればいい。歓迎するぞ」
「そうだね。楽しみにしとくよ」
 フェイト達に対しても、それくらいの見返りは請求してもいいか。フェイトにしてもアルフにしても甘いものが嫌いと言う訳ではないし、常連客になってくれるだろう。
(上手くすれば三人、常連客を増やせるかもしれないな)
 もっとも、全てはこの一件に片をつけてからだが。
「さて、そろそろ行くか。あまりのんびりとしてもいられない」
「そうだね。きっとフェイトも待ってる」
「ああ。そうだな」
 思い出話に幕を引き、立ち上がる。アルフ達とも、いつかそんな事もあったと笑って話せるような、そんな幕引きをしなければならない。
 …―――
 パパから電話がかかってきたのは、親友達を見送ってからのことだった。
「そうか。じゃあその犬は光君が引き取って行ったんだね」
「まぁね。何か知り合いの飼ってる犬だったみたい」
 納得できたかと言われると返事に困るのだけれど。それでも、やっぱりアイツに任せるより他にないらしいと認めなければならない。まぁ、アイツ自身の心配をしない訳ではないけれど……思い出されるのはやはり飄々とした顔だった。
(あの時だってそれが崩れたのはアタシが飛び出した一瞬だけだったし)
 自分の身くらいは自分で守れるということなのだろうけれど……だから安心だとは思わない。上手く言えないけれど、だから危なっかしいような気がする。
「しかし、黙って見送るとは思わなかったな。アリサのことだから、意地でも全て白状させるとばかり思っていたが」
 どこまで本気でそう思っていたことやら。受話器越しに聞こえる笑い混じりの声に思わずため息をつく。
「それは全部終わってからよ」
 今聞いてしまえばきっと止めてしまうから。例え止められないと分かっていても。それに、
「どうせアイツの事だから、あの子をあんな目にあわせた奴をとっちめに――ううん、下手をすればソイツもまとめて助けに行こうとしてるに決まってるわ。なら、水を差す訳にはいかないでしょ?」
 本当に聞いてしまえば――やっぱりその時はアタシも止めないと思う。どれだけ止めたいと思ったとしても、多分止めることはできない。それなら、今は待つしかない。アイツがアタシの親友と、まだ見ぬ誰かを守ってくれると信じて。
「大丈夫よ。アイツがついているなら」
 そして。アイツも無事に――いつも通り飄々として帰ってくることを信じて。
「……なかなか思うように休みがとれず、悪いと思っている」
 突然、パパはそんなことを言った。そして――
「だが、少なくとも男を見る目は養われているようだな。これで少しは彼に申し訳が立つ」
 苦笑か、それとも微笑なのか。判断がつかない笑い声とともにこう続けた。
「父親としては複雑だが、彼なら安心かな」
「どーいう意味よ!?」
 何やら不穏なことを言われた気がする。
「それはもちろん、将来の花婿候補さ」
「それはないわ! 絶対ない! あんなスカした奴となんて誰が!」
 全力で否定したが、パパは呑気に笑うばかりだ。ええい、まったく。いきなり何てことを言い出すんだか。
(無理はしないで。でも、早く帰ってきなさいよ。この仕返しは絶対にするんだから!)
 空になってしまったケージを見やり、アタシは八つ当たり気味に囁いた。

 
 

 
後書き
というわけで、アリサとの馴れ初め編でした。
時系列的には基本的に魔石の時代より前の出来事となっています。また、しれっと別のオリジナルキャラが顔を出したりしていますが、今回はアリサを中心とした物語となっているはずです。
魔石の時代終了時点で、まだ彼女は光が魔法使いだと知らないので、魔法を使う描写を控えめにする方針で書きあげてみました(まぁ、それでも随所で使っていますが)。魔法を題材にした物語同士のクロスオーバーで魔法を使わない話を書くのもなんでしたが、意外と楽しかったです。皆さんにも楽しんでいただければ幸いですが、いかがだったでしょうか。

さて、これからの予定ですが……すみません。A’s編はまだ仕上がってません。
今までなかなか時間が自由にならなかったもので……。
一応、もう一話分短編のネタは仕込んであるので、まずはそちらからになるかと思います。

それではまた、近いうちに更新できる事を祈って。

2015年8月22日:誤字修正 
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