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黒魔術師松本沙耶香  紅雪篇

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17部分:第十七章


第十七章

「何があってもね」
「御武運をお祈りします」
 バーテンは言ってきた。
「ここは」
「有り難う。それじゃあ」
 また礼を述べた後で言ってきた。
「もう一本もらえるかしら」
「もう一本ですか」
「ええ、同じものをね」
「それではまた」
 バーテンはそれに応えて述べてきた。
「リープフラウミルヒを」
「ええ」
 沙耶香はその言葉に頷く。そしてまた述べるのであった。
「お願いするわ」
「畏まりました。それでは」
「にしてもこの雪は」
 沙耶香はくすりと笑って雪に話を移してきた。
「困ったものね」
「全くです」
 バーテンはこの言葉にも応えてきた。
「どうしたものか。いや本当に」
「そうね。けれど」
 沙耶香はここで言う。静かに。
「この雪も終わるか」
「終わるでしょうか」
「何事にも終わりはあるもの」
 自分でそれを口にする。
「だから」
「ではそれを待ちましょう」
 それに応える形で彼はこう言ってきた。
「紅い雪が終わるのを。楽しみにしていますよ」
「ええ、そうしましょう。もっとも」
 彼女は静かな口調を保ったまま述べてきた。
「それももうすぐかもね」
「それを祈ります」
「そうね。じゃあ」
 ここでボトルを完全に開けた。しかしその顔は白いままである。酔っている感じは何処にも見られなかった。あくまで平然とした様子であった。
「もう一本もらうわ」
「ええ。こちらに」
 すぐにその一本が出て来た。既にコルクが開けられている。
「どうぞ」
「有り難う。それでね」
「はい」
 沙耶香の言葉に応える。彼女に顔を向けて。
「女の子は素直じゃないわよね」
 不意にまたそちらに話を戻してきた。
「やっぱり」
「それはお客様の方がよく御存知ではないですか?」
 彼は笑ってこう返してきた。
「残念ですが私はそういうのは専門外でして」
「そうだったの。いえ、そうだったわね」
「ええ、残念ですが」
 彼は答えた。
「申し訳ありません」
「いえ、いいわ。けれど」
「けれど?」
「人によるわね。やっぱり」
 グラスに注ぎ込まれたワインを一口飲んでから述べた。口の中に甘くそれでいて全てをとろけさせる葡萄の世界が漂っていた。
「だったら」
「楽しまれているようですね」
「そうね」
 それは自分でも認めた。切れ長の目がさらに細くなる。
「否定はしないわ。楽しいわ、こうして考えているのも」
「いいことです」
「雪の中の恋ね」
「ロマンチックな話ですね」
「そうかもね。紅の雪の中で」
「ええ」
 話は続く。
「黒い服を着た女が白い衣の女の子を慕い彼女を追う」
「童話のようですが」
「傍目から見ればね。けれど」
 目を閉じて口に笑みを移してきた。グラスを掲げながら次の言葉を出す。
「それは本当は狩りなのよ」
 次には目を開けた。そのうえでの言葉であった。
「白い衣の女の子の心を狙ったね。狩りなのよ」
「ではお客様は狩人だと」
「その通りよ」
 沙耶香はまた答えた。声も妖艶な笑いを含ませたものになっていた。
「狩人なのよ。けれど」
「獲物はまだと」
「全てはこれからね。それは認めるわ」
「ですか」
「そのうえでね」
 言うのであった。決して諦めるといった様子はない。
「手に入れてみせるわ」
「頑張って下さい」
「ええ。それじゃあね」
「はい」
「もう一本もらおうかしら」
 彼女はまた注文を出してきた。バーテンはそれを聞いて少し驚いた様子であった。
 だから問う。問う声にもその驚きが見えていた。
「もう一本ですか」
「ええ、もう一本よ」
 沙耶香は注文を繰り返す。
「お願いね」
「わかりました。ですが」
「大丈夫よ。今日はね」
 見れば今のボトルも半分開けてしまっている。かなりの強さであった。元々沙耶香は酒にもかなり強いが今日は随分と調子がいいようであった。
「気持ちがいいから」
「それでも」
「いいのよ。身体は酔ってはいないから」
「身体はですか」
「酔っているのは心」
 そして言ってきた。
「心が酔っているから。心は幾ら酔ってもいいでしょう?」
「ええ、確かに」
 バーテンはその言葉に頷く。確かに彼が心配しているのは沙耶香の身体の酔いであり心の酔いではない。それははっきりと認識していた。

 
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