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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百七十話 急転

宇宙暦 799年 3月 12日  イゼルローン要塞  フレデリカ・グリーンヒル



彼方此方で呻き声が聞こえた。皆がスクリーンを見ながら呻いている。スクリーンにはここに居る人間を圧倒するかのように巨大な要塞が映っていた。
「……まさか、あれはガイエスブルク要塞……、あれを持ってきたのか……」
呟く様な声の主はヤン提督だった、スクリーンを厳しい眼で睨んでいる。皆の視線がヤン提督に集中している事にも気付いていない。

「ヤン提督、あの要塞を御存じなのですな」
カールセン提督の問い掛けにヤン提督がようやく視線をスクリーンから離した。
「多分、ガイエスブルク要塞だと思います」
「多分、と言いますと?」
「三年前イゼルローン要塞を失った後の事ですが帝国はガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運び同盟軍の帝国領侵攻を封じるという情報がフェザーン経由で同盟にもたらされました。要塞のスペック、移動要塞にするための設計図も送られてきた」

ヤン提督の口調は苦みを帯びている。帝国領侵攻作戦の事を思い出しているのかもしれない。
「結局その情報は早期に同盟軍を帝国領に引き摺り込んで殲滅しようと考えたヴァレンシュタイン元帥の謀略だったのですが……、まさか本当に要塞を運んでくるとは……」
ヤン提督が息を吐いた。

「あの要塞はどの程度のスペックを持っているのです?」
「イゼルローン要塞に比べれば幾分小さいですが艦隊の収容能力、要塞主砲の威力、どちらも殆ど遜色有りません。帝国で内乱が起きた時は貴族連合軍の本拠地になりました」
ヤン提督の答えに司令室の空気が固まった。イゼルローン要塞に匹敵する要塞を相手にする、その意味を考えているのだろう。

「要塞主砲と要塞主砲の撃ち合いか」
「さぞ盛大な花火でしょうな」
キャゼルヌ少将とシェーンコップ准将の会話が聞こえた。想像したのだろう、誰かが音を立てて唾を飲み込んだ。音が異様に大きく響いた。

「哨戒部隊が要塞に接触した場所は?」
「イゼルローン回廊の出口付近です」
オペレーターの答えにヤン提督が頷いた。もっとも既に答えは知っていた筈だ。少しでも帝国軍の襲来を早く知るために哨戒部隊は回廊の出口付近に展開していたのだから。ヤン提督がカールセン提督に身体を向けた。

「カールセン提督」
「何でしょう」
カールセン提督が姿勢を正した。大事な事が告げられると思ったようだ。
「イゼルローン要塞を放棄しようと思います」
静かな口調だった。カールセン提督が眉を上げ、そして司令室の彼方此方から“放棄!”という声が聞こえた。悲鳴、非難、だろうか。だがヤン提督は微動だにしなかった。

「帝国軍がイゼルローン要塞の占拠を目的とするならば厳しいですが戦い様は有りました。しかし彼らはガイエスブルク要塞を持ってきた。帝国の目的はイゼルローン要塞の占拠では無く破壊かもしれません。そうなれば軍人だけでなく民間人にも多大な犠牲が出ます」
「破壊、……つまり要塞主砲の撃ち合いですか?」
カールセン提督が問うとヤン提督が首を横に振った。

「それもありますが……、ガイエスブルク要塞をイゼルローン要塞にぶつけるつもりかもしれません」
「ぶつける?」
カールセン提督が大きな声を出した。彼方此方で“馬鹿な”、“そんな事は”という声が聞こえるとヤン提督が大きく息を吐いた。

「ガイエスブルク要塞を此処に持って来た以上、他の要塞を持って来る事も可能です。イゼルローン要塞の占拠に拘る必要は無い」
「しかし、そんな事は……」
「ヴァレンシュタイン元帥を甘く見るな!」
抗議しようとした士官をヤン提督が激しく叱責した。提督が大声を出すなど珍しい事だ、皆驚いている。

「シャンタウ星域では同盟軍は一千万の将兵を失った。あれほど強勢を誇った門閥貴族も一年持たずに滅んだ。どちらもヴァレンシュタイン元帥が指揮を執った。彼の狙いは同盟、フェザーンを降して宇宙を統一する事だ。そのために着々と準備してきた。何故彼の恐ろしさを理解しようとしない?」
「……」
「彼を甘く見るな!」
言い終えてヤン提督が大きく息を吐いた。

「イゼルローン方面に帝国軍が来なかったのもこれが理由だ。フェザーン方面の同盟軍を戦闘で退けなくする。機を見てイゼルローン要塞を破壊して一気に同盟領に侵攻する。フェザーン方面の同盟軍が慌てて艦隊を撤退させハイネセンを守ろうとすれば追撃を受けて大損害を被るだろう。少ない兵力が更に少なくなる」
口調は落ち着いたものになったが内容は深刻なものだった。彼方此方で呻き声が聞こえた。

「例えぶつけなくてもイゼルローン要塞の優位は失われた。突破は時間の問題だろう。ここで戦えば徒に犠牲が増えるだけだ」
ヤン提督が司令室を見回した。誰も反論しようとしない。カールセン提督が“分かりました、要塞を放棄しましょう”とヤン提督に従うとヤン提督が“有難うございます”と礼を言った。

「キャゼルヌ少将、直ちに脱出作戦を実行に移して欲しい」
「ハイネセンに確認はとらなくて宜しいのですか?」
キャゼルヌ少将が問うとヤン提督は首を横に振った。
「時間が無い、先に準備をしてくれ。もし要塞の放棄が認められなくても民間人は退去させる。ここは危険だ」
「承知しました」
キャゼルヌ少将が足早に司令室から出て行く。

「時間が有りませんな」
カールセン提督がキャゼルヌ少将が出て行ったドアを見ながら言った。
「敵が此処に来るまで十二時間といったところでしょう」
「間に合いますか?」
カールセン提督が問い掛けるとヤン提督が大きく息を吐いた。
「……多分。……脱出計画は用意してあります」
今度はカールセン提督が息を吐いた。

嘘では無い、脱出計画は有る。そして多分間に合うだろう。間に合うように作ったのだから。だがそれだけに計画は非人間的なものになった。計画が発動された時点でイゼルローン要塞のエリア単位に輸送船に乗り込む。今の時間なら子供達は学校に行っている。彼らは家に戻る事は無い、学校から直接輸送船に乗り込む事になる。

子供だけではない、親も職場から、或いは家から直接輸送船に乗り込む。彼らが合流するのは安全な場所に辿り着き輸送船を降りた時だ。人を人として扱わず物として扱う、そうでなければ短時間で軍民五百万人を脱出させる計画など作成不可能だった。

「問題はこの後ですな。フェザーン方面軍は無事に撤退出来るのか、次の防衛線を何処に布くか……。いや、次が有るのか……」
「……」
ヤン提督が私を見た。
「グリーンヒル大尉、ハイネセンとの間に通信回線を開いてくれ。こちらの状況を説明する」
「はい」
多分ハイネセンもフェザーンも大変な騒ぎになるだろう。一体同盟はどうなるのか、このまま滅んでしまうのだろうか、嫌な予感が胸に満ちた。



宇宙暦 799年 3月 12日  フェザーン回廊 同盟軍総旗艦  リオ・グランデ  ドワイト・グリーンヒル



「イゼルローン要塞を放棄する?」
ビュコック司令長官の声が幾分高くなった。スクリーンにはボロディン本部長の渋面が映っていた。
『帝国軍はイゼルローン回廊に移動式の要塞を持ち込んだようです。ガイエスブルク要塞、性能はイゼルローン要塞に匹敵します』
要塞を運んで来た? あれはブラフでは無かったのか……。リオ・グランデの艦橋の彼方此方でざわめきが起きた。

「イゼルローン要塞の持つ優位は失われた。要塞に拘れば損害が増えるだけだというのですな」
私が問うとボロディン本部長が頷いた。
『それも有る。だがヤン提督が懸念していたのは帝国がイゼルローン要塞の占拠では無く破壊を目的としているのではないかという事だった』
破壊? ビュコック提督も訝しげにしている。

『具体的に言えばガイエスブルク要塞をイゼルローン要塞にぶつけるのではないかと……』
「馬鹿な、そんな事になれば……」
気が付けば声が震えていた。
『大惨事だ。衝突時の衝撃、崩壊によって軍民問わず大勢の人間が死ぬだろう。核融合炉も無事では済まない、放射性廃棄物の拡散による深刻な放射能汚染が発生する恐れもある。そうなれば生き残った人間にも深刻な影響が出るだろう』
「……」

『意表を突かれたよ。まさか帝国が移動要塞を造るとは思わなかった。正気かと思ったがヤン提督の話を聞いて納得した。兵力において帝国は同盟を圧倒する。である以上帝国にとってイゼルローン要塞は必ずしも必要不可欠というわけでは無い。占拠が難しいなら破壊して回廊突破を図るという事は十分に有り得る事だ。それに占拠よりも破壊の方が攻撃の選択肢は多い』
艦橋がシンとした。皆声が出せずにいた。

「本部長、放棄は決定ですか?」
私が問うと本部長が頷いた。
『トリューニヒト議長に先程状況を説明した。已むを得ないという事で要塞放棄を納得してもらった』
彼方此方で溜息が聞こえた。難攻不落のイゼルローン要塞を放棄、誰もが予想しなかった結末だ。

『ビュコック司令長官』
「何ですかな」
『両回廊で帝国軍を防ぎ膠着状態を作り出すという当初の防衛計画は破綻した。宇宙艦隊は至急フェザーン回廊から撤退して欲しい。これより同盟は防衛計画を帝国軍を同盟領奥深くに引き摺り込んでの決戦に切り替える』
「……」
皆の表情が苦渋に満ちた。この状況で撤退? 簡単に出来る事ではない。必ず帝国軍は追撃してくるだろう。

『難しい事は分かっている。フェザーン方面、イゼルローン方面、どちらも帝国軍の追撃を受けるだろう。或いは態勢を整えている間に帝国軍が防衛線を突破しハイネセンに殺到するという事も有り得る』
「……」
彼方此方で頷く姿が有った。本部長が“だが”と声を張り上げた。皆が顔を上げスクリーンに視線を向けた。

『我々は軍人として最後まで祖国を守る努力を放棄するべきではない。そこに一パーセントの可能性が有るなら尽力するべきだ』
厳しい言葉だ、そして力強い言葉でもある。本部長は我々を奮い立たせ鼓舞しようとしている。ビュコック司令長官が大きく頷いた。

「分かりました、ただちに撤退しましょう。ところでフェザーンのペイワード自治領主は如何しますか?」
『彼には既に同盟に退去するようにとトリューニヒト議長が話をした』
「……」
『だが彼はそれを断った。和平交渉を続けるにはフェザーンに居る必要が有ると言って』
彼方此方でざわめきが起きた。

『残るのは危険だと議長が言ったのだが彼は頑として聞き入れなかった。フェザーン人は常に金儲けの事だけを考えているわけでは無い、己の信念に命を懸ける事も有ると……』
「……」
『自分はルビンスキーとは違う、最後まで自治領主として職責を全うするとも言っていた』
「……」

シンとした空気が流れた。ペイワードは死ぬ気だ。彼は帝国と同盟の和平を成し遂げフェザーンを中立国家として再生させようとしていた。その夢が潰える、その夢に殉じようというのか……。本部長が何かを振り払おうとするかのように首を横に振った。
『ビュコック司令長官、直ちに撤退行動に移って欲しい』
「はっ」



帝国暦 490年 3月 13日  イゼルローン回廊  帝国軍総旗艦ロキ  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「閣下、先行するガイエスブルク要塞から通信が入りました。反乱軍は要塞を放棄、撤退しているとの事です」
私が報告すると艦橋の彼方此方から歓声が上がった。だが司令長官は喜ばない、面白くなさそうな表情をしている。はて、イゼルローン要塞を無血で奪回したわけだけど……。

「閣下?」
声をかけると司令長官がジロリと私を見た。そして視線を逸らせた。
「ヤン・ウェンリーは逃げた。つまりこちらの作戦を見抜いたという事です。相変らず可愛げが無い」
なるほど、司令長官の不機嫌の理由はヤン提督か。逃げられれば厄介な事になると思っているらしい。周囲も歓声を上げるのを止めた。

「追撃を命じますか?」
ワルトハイム参謀長が問うと司令長官は首を横に振った。
「必要有りません。先ずはイゼルローン要塞の占拠を優先します。シュトックハウゼン提督を呼び出してください」
直ぐに通信が繋がりスクリーンにシュトックハウゼン提督の姿が現れた。

「ヤン・ウェンリーは要塞を放棄したようです。提督は直ちに要塞を接収してください」
『はっ』
シュトックハウゼン提督の顔面が朱に染まった。提督が要塞司令官の時に同盟軍に奪われた。その要塞を取り返す、想う事が有るのだろう。

「反乱軍は要塞内に爆発物を仕掛けた可能性が有ります。進駐してきた我々を一気に殺戮する……。念のため爆発物の専門家を送って安全を確認してください」
『はっ、直ちに』
提督の顔から朱が消えた。緊張している。

通信が終った後、ワルトハイム参謀長が司令長官に問い掛けてきた。
「爆発物は本当に有るのでしょうか?」
司令長官が視線を参謀長に向けた。
「いえ、疑うわけでは有りませんがイゼルローン要塞を爆破するなど考えるものなのかと思いまして……」
今度は苦笑を浮かべた。

「ヤン・ウェンリーは逃げた。彼は私が要塞の占拠では無く破壊を考えていると察知したのでしょう。彼が私と同じように要塞の破壊を考えたとしてもおかしくは有りません。それに成功すれば帝国軍に損害を与えられますし時間も稼げる。今の反乱軍にとってはどちらも貴重なものです」

司令長官の言葉に彼方此方で頷く姿が有った。それにしても何で爆破なんて事にまで気が付くのか、溜息が出そう。参謀長も溜息を吐きたそうな顔をしている。司令長官の部下って色々と勉強になるんだけど如何いうわけか自分が馬鹿になったような気がするわ。

二時間後、シュトックハウゼン提督からイゼルローン要塞に仕掛けられた爆発物を全て撤去したと報告が入った。ヴァレンシュタイン司令長官は帝都オーディンにイゼルローン要塞の奪還を報告、そしてシュトックハウゼン提督に二つの要塞の保持と回廊の確保を命じると残余の艦隊に進撃を命じた。
「これより同盟領へ進撃する。最終目標はバーラト星域、首都星ハイネセン。全艦発進せよ!」


 
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