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蒼き夢の果てに

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第6章 流されて異界
  第122話 十二月十八日

 
前書き
 第122話を更新します。

 次回更新は、
 7月29日。『蒼き夢の果てに』第123話
 タイトルは、『四ジゲンと五ジゲンの間にある物』です。
 

 
「――有希」

 酷く希薄な――。しかし、俺に取っては何時も傍らに居る馴染みの気配のする方向に視線を送る。
 そう、そしてこれが、このような中途半端な時間帯に目覚めた二つ目の要因。
 常夜灯の明かり……暖色系の、更に明るすぎない光が作り出す仄暗い世界の中心。そこに彼女は存在していた。
 少し深い。しかし、自ら染めでもしない限り、日本人には現われる事のない紫の髪の毛。およそ喜怒哀楽と言う物を表現しない表情。少し華奢な肢体。

 日の出の遅い真冬のこの時期。昨夜床に入ったのは今日と昨日の境目当たり。その事から考えると今は朝の三時以降、六時前の間ぐらい。

「あなたに話して置きたい事がある」

 小さく……まるで独り言をつぶやくように、話し掛けて来る有希。その瞬間、彼女の口元が白くけぶった。
 横になった状態で畳の上に膝を揃えて座る少女を見つめる俺。

 ……魔法で室温を上げるか?

 かなり色気のない、しかし、一般的な常識に照らしあわせたのなら、ギリギリ許容範囲内に納まるであろう選択肢を思い浮かべ――

「話を聞く前にひとつ質問しても良いか?」

 彼女に話し掛けながら布団の上に正座。ちょうど、俺を見下ろす形となっていた少女と正対する。
 小さく首肯く有希。何故か、少し思いつめたような雰囲気。
 もっとも、こんな真夜中に俺の部屋を訪れたので、その話と言う物が、彼女に取っては重要な内容なのは間違いないので……。

「その話と言うのは長い話となるのか?」

 手短に済むのなら、彼女が気付かない内に室温を上げる事は可能。ただ、この部屋に有希がやって来たと言う事は、ハルヒ達の元には分身を置いて来ていると思うので……。
 多分、彼女は朝まで戻る心算はない、とは思うのですが……。

 俺を真っ直ぐに見つめていた有希が、少しの間を置いて、小さく首を横に振った。

「あなたの脳に直接情報を送り込めば一瞬で終わる」

 夜中故に……などと言う理由ではなく、普段通りの少し聞き取り難い小さな声で話す有希。但し、その言葉の中に小さくない否定。
 多分、情報を伝えるだけならば、わざわざ夜中に俺の部屋を訪れる必要はない。俺たちの間でなら、【念話】で一気に大量の情報を送ると言う方法もある。そして、彼女は実際の言葉を使用しての会話よりも、【念話】を使っての会話の方が饒舌となる。

 いくら忙しかったとは言っても、その程度の余裕はあった。しかし、それを行わなかったと言う事は――

 少しの逡巡。肌を刺すような冷気は薄い夜着では防ぎ切る事が出来ず、そうかと言って……今、仙術を使って室温を上げる事は何故か躊躇われた。
 正対する形となった彼女……薄暗い部屋。畳の上に正座する有希が少し上目使いに俺を見つめた。
 その瞬間――
 海よりも深くため息をひとつ。そのため息が口元を白くけぶらせる事により、現在の室温が外気温と差して違いがない事を実感させる。

 少し手を伸ばし、俺から一メートルほど離れた場所に正座をするパジャマ姿の少女の手を握る。白く華奢なイメージの彼女の手は、まるで氷細工の如き儚さと、そして同じだけの冷たさを併せ持っていた。
 そのまま俺の元に彼女を、自らの傍らへと引き寄せる。

「いくらなんでも、この手は冷たすぎるだろうが」

 何故、仙術を使って部屋を暖めて置かない。暗にそう言う意味を籠めて――
 何の抵抗もせず、俺の目の前に移動して来る有希。その彼女を右側に置き、二人並んで座った状態の肩に毛布を羽織った。

 これで寒さは防げる。ついでに言うと、正面から彼女の瞳を覗き込まない状態なので、彼女が何を言い出したとしても狼狽える可能性も低くなる……と思いますから。

 何故か普段よりも俺の右側から彼女の強い視線を感じる。但し、それは少しの不満の混じった視線。
 繋がれたままの右手と左手が、手の平同士を合わせた……まるで恋人同士のような繋ぎ方へと変えられる。
 ……彼女自身の意志で。

 そうして、

「あなたが召喚された理由。それは、この十八日から何か事件が起きる可能性があるから」

 訥々と話し始める有希。しかし……。

「悪い。その前にもうひとつ聞きたい事が出来たのやけど、構わないか?」

 折角前に向いて進み始めた話の腰を折るかのような再びの問い掛け。ただ、その程度の事は気にする事もなく、右肩に触れるかのような近い位置に居る有希から肯定を示す雰囲気と、僅かに揺れる毛布と言う答えが返された。
 成るほど。それならば――

「その事件が起きる事を、誰かが未来視を行って知ったのか?」

 かなりの違和感を持ってそう尋ねる俺。確かに、この世界にも未来視を行う術者は居るとは思います。更に其処から一歩進めて、アカシック・リーディングの能力を有している者さえいるでしょう。
 しかし、アカシック・リーディングは非常に危険な能力。その視て仕舞った未来が自分たちに不都合な未来だった場合、それを回避する手段が……絶対にない訳ではないのですが、それでもかなりの労力を費やさなければ回避出来ない代物となる。
 その未来がもし世界を滅ぼす未来に直結する未来だった場合、一体、誰がその責を負う事と成るのか。

 そう、先ほどの有希の台詞の中で、俺が覚えた違和感の正体はその具体的な日付。もし、十二月十八日に事件が起きる事が分かっていて、その事件が危険な事件だと言う事が分かっているのなら、素直に事件自体が起こらない未来を選択する。
 今の俺には無理でも、水晶宮の上層部や崑崙(コンロン)に暮らすふたりの女仙。それに兜率宮(とそつきゅう)の太上老君などなら、その程度の事など簡単に熟して仕舞うはず。まして、俺ならばウカツにアカシック・リーディングを行って回避しがたい未来を視て仕舞う可能性がゼロでは有りませんが、そう言った方々ならば、そんな初歩的なミスを行う訳もない。

 しかし、

「誰も未来視など行った訳ではない」

 有希から発せられたのは僅かな否定。そして、

「その日付はわたしの中に存在する未来の記憶。現在では起こり得ない未来の記憶」

 未来の記憶……。そう言えば、有希は何度も同じ時間をループするような世界を生きて来て、その結果、魂を得た人工生命体だったはず。ならば、彼女の持つ記憶の中に、未来の出来事が存在していたとしても何も不思議ではない。
 但し、

「それなら、今年の十二月十八日に事件が起きる可能性はゼロではないが、起きない可能性の方が圧倒的に高いはずやな」

 おそらく事件発生の可能性は、俺たちが普通に生活していて、何らかの危険な事件に遭遇する程度。その程度の確率となるはず。確かに俺は事件に巻き込まれ易い体質であるのは認めます。ですが、それでも毎日毎日危険な事件に巻き込まれて生命の危機に立たされている訳では有りませんから。

 確かに彼女が俺を召喚してくれた事によって生命を――魂を救われています。もし、彼女によって召喚されていなければ、俺は最果ての絶対領域へと閉じ込められ、二度と自力での脱出は不可能な状態と成って居たでしょう。その事については感謝をしています。しかし、それとこれとは別。その程度の些事で一々夜中に起こされていたのでは流石に……。

 しかし――

「正直に言う。わたしも何も起こらないと考えて居た」

 でも今日の野球の試合は、以前の……あなたが現われない世界でも野球の試合は行われ、結果、わたしたちのチームは勝利していた。
 俺が一瞬感じた少しの不満が彼女に伝わった……とは思えない。しかし、寝起きの俺が、機嫌が悪い事を知っている有希が淡々と続けた。

 この有希の言葉が真実ならば、これは歴史のつじつま合わせに当たる出来事の可能性はある。更に言うと、その歴史のつじつま合わせが、有希が言うトコロの十八日から発生する事件の方に作用しない、と言う保障も何処にもない。
 そう、この辺りに関しては俺の知識などでは想像も付かないレベルの話。もっとも、そもそも過去から未来へと繋がる歴史の中のつじつま合わせと成る以上、今と過去の一部しか分からない俺などが想像出来るレベルの事象である訳がないのですが……。

「わたしの記憶の中にある十二月十八日から発生する事件は、わたし自身が起こす事件」

 表面上……言葉のテンポや、声の大きさは変わらず。但し、彼女の心の奥深くから、かなり大きな陰の気を放っているのが感じられた。
 しかし――
 ――彼女が事件を起こす? 自らの造物主の意図から離れて行動する事の出来なかった創造物の彼女が?

「わたしは、当時、自分の置かれていた状態に何の感慨も、悲哀すら持っていなかった」

 有希の言葉にかなりの違和感を覚える俺。しかし、そんな俺の反応を知っているはずの彼女は言葉を続けた。

 確か、有希の任務は――表向きは涼宮ハルヒの観察。しかし、それ以外にも名付けざられし者の監視も同時に行って居たらしい。
 ただ、当然のように彼女らにロボット三原則などと言う物は適用されては居らず、かなりの無理がある……説得力に欠ける行動も有ったらしい。

 例えば、暴走と称して朝倉涼子により、その名付けざられし者を襲わせ、絶対的なピンチの場面で有希に助けに入らせる、などと言う猿芝居を演じさせるとか、
 三年前から分かって居る暴走事件を敢えて起こさせる事にかなりの疑問が残る。
 初めから介入すればあっさり解決する事件をわざわざ、彼らの前で解決してみせたりとか、
 光の速さで飛んで来るレーザーを回避して見せるとか。

 ……光の速度を超えた瞬間、時間は逆転する。ついでに、人間がその光の速さに近い速度で接近して来る物体の前に居たとしたら、その人物の五体は無事に存在している訳はない。
 そもそも、瞳によりレーザーが発射された事を確認した瞬間、レーザーは目的を果たしている。其処から、レーザーが発射された事を脳で理解する時間は存在しない。此処から考えると、長門有希自身が事前に、その場面でレーザーが発射される事を知って居ない限り、レーザーによる攻撃など回避しようがないはずなのだが……。
 おそらく、これも猿芝居の一部なのでしょうね。事前に危険のない方法で回避する事が可能な事件を、わざわざ相手を危険に晒す事によって、更に自らの身も同時に危険に晒す事によって相手の信頼を得る事が出来る、と考えた。

 まぁ、俺なら、こんな怪しげな動きを繰り返すヤツは最初から信用しない。それで信用が得られると思い込んで居た段階で、情報を収集する事によって高度に進化した情報生命体である、と自称していたヤツラが、その自称通り高度に進化した存在などではない、と言う事が確信出来たでしょう。

 但し――

 その未来の記憶と言う物自体が、他の世界。涼宮ハルヒと名づけざられし者が接触した、と言う歴史から作り出された平行世界より訪れた、その名付けざれれし者本人によりもたらされた記憶。そんな物を信用すれば、妙な罠に陥れられる可能性も有りなのですが。

 思考でのみ非常に否定的な意見を回らせる俺。しかし、実際の言葉には出さず。何故ならば、俺がこの場でさっと考え付く程度の事は、有希も気付いていると思うから。その上でこの話を早い内にして置くべきだと彼女が判断したのなら、其処には何か彼女なりの理由が有ったのでしょう。
 おそらく、試合中に自称リチャードくんに言われた事が、彼女の行動の理由だとは思いますが……。

「わたしの計画はおそらく思念体の知る事と成って居たと思う。それに、わたしは思念体のバックアップがなければ、自らの生体を維持するだけに十分なエネルギーを生成する事は出来ない」

 それでも尚、起こそうとした事件。もし、それが事実なら、その事件を起こそうと考えた時に、既に彼女には心と言う物が萌芽しかかって居た事になる。

 アリやハチ。いや、彼女――長門有希と言う存在により相応しい比喩は歯車か。歯車は自分の役割に疑問は持たない。まして不満など感じる訳がない。
 本当に自分の為している事が正しい事なのだろうか、などと悩む歯車は存在していないし、まして、自らの意志で勝手に行動し始める歯車など聞いた事がない。
 これは、この事件を画策した段階で長門有希に心が萌芽し掛かって居た、と考える方が妥当でしょう。

 ただ、それは囚われの身である自らの現状に対する不満などの負の感情から発生した、非常に危険な……。そのままならば、おそらく俺との契約は不可能な存在……邪霊として封じなければならない類の存在として誕生していたはず。
 陰の感情から発生した物は、その感情に支配され続ける事の方が多い。そして、その感情が更に多くの陰の感情を引き寄せる事となり――

 結果、大きな霊的な災害を引き起こす可能性が高く成りますから。

「わたしはわたしの目的の為、春の暴走事件の際に情報の凍結処理を受けていた朝倉涼子を復活させ、事件の根幹を為す存在の排除に動いた」

 自らの罪の告解を行うかのような有希の言葉。
 しかし――

 事件の根幹を為す存在の排除――。確か、この世界を混乱させていたのは、大き過ぎる呪力――邪神の魔力を制御し切れない無自覚な大地母神ハルヒ。そして、もし、そのハルヒの排除の為に事件を起こしたのなら、彼女の観察の為に有希を送り込んだ情報統合思念体の意志とは正反対の――

 そう考えてから、其処に違和感がひとつ。

 そう、事件の根幹を為す存在。これは……ハルヒだけではない。おそらく、そのハルヒと接触する事によって情報爆発と言う歴史や世界の在り様を変えさせた存在。その後、北高校に進学後に更に世界と彼女らの在り様に影響を与えた存在が居た。

 そいつは――

「――名付けざられし者の排除か?」

 自然と口に出て仕舞う言葉。但し、これは今現在の有希の能力を持ってしても危険な企て。
 成功すれば良い。ただ、失敗すれば……。

 その俺の問い掛けに対して、一瞬の戸惑いにも似た感情を発する有希。
 しかし、その後に僅かな肯定。ただ、普段の彼女には感じない曖昧な感覚。これは、完全に肯定したとは考えにくい反応と捉えるべきか。

「わたしは彼の事を普通の人間だと考えていた」

 俺の先ほどの言葉を肯定するかのような彼女の言葉。そう言えば、渡された資料には、彼女はその自らの本名を名乗らずに現代社会で生活を続けて居た人物の事を、まったく疑問に思う事なく他の人間と同じ対応で接触していた、……と言う風に記載されていた。
 確かに、その不審な人物の事を普通の人間と感じていたのなら、涼宮ハルヒ関係の事件の裏に潜む存在が危険な邪神だとは分からずに排除しようとする可能性はある。

 それだけ高度な魔法が行使されていたのでしょうが……。今の俺では絶対に為す事が出来ない魔法。
 流石に自らの存在を古の邪神に(なぞら)える為に、それだけ高難度の魔法を維持し続ける。この世界はハルケギニア世界のように中世ヨーロッパなどの、情報の伝播速度の遅い世界ではない、二十一世紀の世界。其処で自らの名前……偽名すらも持たず、名乗らず、生活を続けて行く。ここから生み出される世界の歪みは、おそらく世界を簡単に変えるだけの力を持って居るでしょう。

 例えば、一度完全に阻止されて仕舞った黙示録の世界の再現なども可能なほどの……。

「わたしの目的。それは、わたしの暮らしていた世界を歪めていた全ての非日常の排除」

 その非日常を守ろうとする者の排除。
 普段通りの淡々とした、一切、熱のこもらない彼女の口調。但し、もし、彼女の目的がソレならば、それは彼女の造物主たる情報統合思念体の排除だけに留まらず、彼女本人の排除も含まれる事になる。
 そして、当時の彼女自身が気付いて居なかったとしても、結果として自らの名前を明かす事もなく現代社会に置いて日常生活を営む事の出来る存在の排除にも繋がる、と言う事も確実。

 成るほど。これが先ほど彼女が発した戸惑いの後の肯定の意味か。確かに彼女が全ての目的を達しようとするのなら、最終的にはその名付けざられし者との直接対決に至った事は想像に難くない。

 ただ、彼女の説明によって、何故、陰の気。……自らが置かれた境遇に対する怒りや恨み、憎しみなどから発生した心であったとしても、有希が最初の段階で俺と契約出来る存在であったのか、と言う理由が判ったような気もしますね。
 それは相手がクトゥルフの邪神であったから。
 確かに有希自身が完全に堕ちて居た訳ではなかったのでしょう。そもそも、創造物が反乱を企てて居る事に気付かない創造主はいない。

 おそらく有希の企てなど、情報を収集する事によって進化の極みに到達したと自称していた情報統合思念体に取っては、最初から分かり切っていた出来事。もしかすると、最初からその事件を有希が起こすようにプログラミングしていた可能性さえ存在していると思います。

 その辺りの微妙な組み合わせから、有希自体が闇に染まった、……俺が契約を交わす事の出来ない種族に成る事を防いだと言う事なのでしょう。
 成るほど。彼女の中の蟠りのような物の一端は分かりました。但し、それはおそらく過去に本当にあった事実などではなく、架空の話。もしくは、今の有希とは直接関係のない異世界同位体が経験した歴史。

 確かに魂のレベルでなら何らかの関係があるかも知れませんが、この世界では起こらない事がほぼ確定している未来の話。そんな起こり得ない未来の記憶などに振り回されなければならない謂れなどない。

 最初から比べるとかなり楽になった俺の心。少なくとも俺に取っては、今、彼女が話した内容など大きな問題ではない事が分かりましたから。
 それならば、

「それで、その企ては成功したのか?」

 確かに有希に蟠りがある理由は分かります。穏当に()()()()、などと言う言葉でオブラートに包むように表現していますが、それはおそらくもっと過激な行動で現われた可能性もあるはず。その事を俺に知られたくはなかったのでしょう。
 但し、それが心を発生させる原因となった事も否定出来ず、また、その辺りが理由で、俺と契約を交わせた可能性も高い。

 俺はどうもヤツラとの因縁が深い人間――存在のようですから。敵の敵は味方、と言う事で。

 僅かな空白。その後に小さく首を横に振るかのような気配。
 そして、

「不明。わたしの記憶は、正確には二〇〇二年十二月十七日の夜の段階で途切れている」

 元々、事件の際に、わたしは今のわたしとは違う人格で行動するようにプログラムして置いた。

「ただ、成功したのならばその後に今の意識が復活していた。それが起きなかった以上、何モノかに阻止されたと考える方が妥当」

 阻止されたか――
 実際、あまり期待していなかっただけに、有希の答えを聞いても失望は湧いて来なかった。ただ、彼女の意識が復活しなかった事だけが唯一、良かった事だと言える事実。
 おそらく、その時に彼女は死を経験しているはずだから。それも最悪に近い形の絶望に染まった死を……。

 何の意図が有って、そんなハルヒ関係の事態を全面的にリセットして仕舞い兼ねない事件を情報思念体が見過ごすような真似をしたのか分からない。しかし、おそらく、結果失敗する事が分かっていたから、敢えて見過ごすような真似をしたのでしょうが……。
 最初の朝倉涼子の時と同じ理由。その名付けざられし者が、自らの正体に気付いていない段階ならば、それはおそらく、吊り橋効果を狙ったと考える方が妥当。

 もし、既に覚醒済みだった場合は、有希に宿り始めた精神(たましい)を奈落の底に落とす事によって得た絶望などの負の感情を糧とした。ただ、それだけの事でしょうね。
 人と言う存在……。当時の有希が人間とイコールで繋げられる感情を有して居たのか、そうでないのかは分かりませんが、同じような物を持って居たとしたのなら、どんな状況に置かれ続けたとしても、その状態に慣れて仕舞いますから。
 その絶望的な状況に慣れて仕舞った……絶望と言う感情に摩耗して仕舞った精神など、いくら喰らっても奴らは満足などしないでしょうから。

 クトゥルフの邪神と言う連中は、そう言う路線を突き詰め切った連中らしいので。
 まして、この仮説から導き出せる答えは、その時に消滅した長門有希の魂と、今、俺の傍らに居る長門有希の魂の間に連続性がない可能性の方が高い、……と言う事。

 邪神の贄にされた魂が輪廻の環に還る可能性は非常に低いので。

「成るほど、理解は出来たよ」

 本当なら親しげに頭でもポンポンと軽く叩いて軽く言うトコロなのですが、俺の右手は未だ有希と繋がれたまま。強く繋がれている訳ではない。しかし、指と指を絡ませるような繋ぎ方で、簡単に外して仕舞うのは何故だか躊躇われる繋ぎ方。

 まぁ、確かに予備知識もなしに事件が始まるのと、ある程度、何か起きるかも知れないと考えて居るのとでは準備や心構えが違いますから、これはこれで良かったのでしょう。
 何の予備知識もなしに臨んだ球技大会は、もし相手の方に自らの危険を顧みずに俺の生命を奪う、と言う意志と目的があったのなら、俺の生命どころか、この世界にクトゥルフの邪神の本体が同時に二体顕現すると言う事態を引き起こしていたかも知れない危険な事件だったのです。同じ愚を犯す可能性は低くして置く方がよいでしょう。
 もっとも、其処まで危険な事態が予想されたのなら、水晶宮関係の星読みやアカシック・リーディング能力者。それに、時間跳躍能力者などが危険を報せるはずなので、事態は俺の手からあっさりと離れて居たとは思いますが。

 微かに首肯いた気配を発する有希。未だ、彼女の全ての蟠りが解消されたとも思えませんが、それでも俺の方に彼女を信用しない、と言う選択肢はないので問題ない。
 但し、それは多分、今の俺自身が持つ記憶や経験から得た信用などではない。おそらく、もっと心のずっと奥深くに存在する想い。俺ではない、何処かの時代の俺の想いだと思う。

 しん……っと、深く染みこむような冷気。防音設備の整ったマンションの一室は外界からの雑音からは遠ざけられ、厳重に回らされた結界は、あらゆる呪詛や魔術の侵入を防ぐ。
 今、この瞬間ここに居るのは俺と有希。その、たったふたりだけ。
 そう、耳を刺すかのような無音が寝室内を支配。彼女の小さな話し声に慣れた俺の耳には、その静寂は普段以上に冷たく、そして硬い物に感じている。
 繋がれたままの右手と左手は、既に同じ体温を示すまで温められ、俺の右半身には何時の間にか密着していた彼女の体温と……少しの体重を感じた。

「あなたの心音を感じる」

 そっと囁かれた彼女の独り言が、ひとつの毛布に包まれた二人の距離を強く――
 ……って、マズイ!

 自らの置かれた状況と、次の展開を頭の中で想像。そして、その僅かな時間の動揺すら、彼女に知られている事に気付く。
 俺自身が彼女の心の動きが理解出来ているのなら、彼女が俺の心の動きを理解していないはずはない。

 一度瞳を閉じ、静かに深呼吸。繋がれたままの右手は意識から切り離し、冷たい室内の空気にのみ集中。
 そして、次の展開を冷静に予想。

 これから、俺が取るべき行動は……。
 有希に対して、部屋に帰って自分のベッドで寝ろ、……と告げる。基本はコレ。但し、其処には有希の身代わりの式神の類が存在しているはずなので、泊まりに来ている連中に有希が二人居るトコロを見られると厄介。
 どのような術式を使用しているのか定かでは有りませんが、時間経過と共に自然と消えて仕舞う。そう言う術式が一番簡単。それ以外の術式はそれなりの手順を踏む必要がある。例えば、入れ替わる為に起きて行動する式神は、その行動を怪しまれない為に少しばかり高度な術を使用する必要がありますから。

 更に、俺自身が布団の上に招き、共に同じ毛布に包まった状態にしたのに、話が終わったからさっさと部屋に戻れ、では流石に……。

 おそらく、こんな夜に俺の部屋を訪れたのも、仙術を使って部屋を暖めて置かなかったばかりか、無言の圧力で俺に仙術を使わせずに傍に招き寄せさせたのも彼女の策略。要は近くに居たかった。多分、それだけの理由で。
 もしかすると毎夜、こうやって部屋を訪れていた可能性もあるぐらいですから。

 それに、もしもの場合は俺の扱い切れない龍気の制御を彼女に任せる必要が有り、その為には彼女の方に俺との呼吸やその他を普段から合わせて置く必要も有りますし。

 その考え自体が既に何か危険な事件が起きる事を前提として考えている、と言う事に気付き、愛を語る絶好のシュチエーションを棒に振る可能性が大だと確信する俺。
 もっとも似合わない事はするべきではない。それに――

 枕元に置かれている腕時計の時刻はそろそろ明け方の五時を指す時間。これから二度寝を行えば寝坊は確実。本日は平常通り授業が行われるので、これから呑気に寝る訳には行かない。
 まして、それ以外の行為に及ぶなどもっての外。そう言う事はもう少し心と時間に余裕がある時の方が良いでしょう。

 日の出までは未だ一時間以上の時間がある。朝飯はトーストなどなら準備に時間は掛からない。
 ならば……。

「弓月さんの事について、なんやけどな――」

 
 

 
後書き
 それでは次回タイトルは『四ジゲンと五ジゲンの間にある物』です。 
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