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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第151話 王允劉表弾劾

「荀侍中、よくきてくれたな」

 王允の書斎に家人に案内された荀爽が入ってきた。彼女の表情はすぐれない。

「表の兵達は何があったのですか?」

 荀爽は王允に聞いた。彼女の様子から大体のことは察している様子のようだ。

「外には未だ董少府の兵達がいるのか?」
「張中郎将が居るところを見ると董少府配下の兵達だと思います」

 荀爽は思案しながら王允の質問に答え軽く頷いた。王允は彼女の答えを聞くと突然不機嫌になった。

「あやつら未だ私の屋敷の周囲を囲んでいるのか! 何たる無礼者だ」
「賈尚書令は今度は何をしたのです?」

 荀爽は一瞬王允を面倒そうに見た後に王允に質問した。彼女の言動からして、この手の行動を董卓軍が起こす時は賈詡が関わっていることが多いのだろう。

「竹巻に記していただろう」
「確かに竹巻を読ませていただきました。ですが確認のためにお聞かせください。それと申し訳ありませんが、あのような難解な文はこれきりにしてください。読む方のことも考えてください」

 荀爽はため息混じりに王允に愚痴を吐露した。

「何を言うのだ。難解でなければ文を奪われたら最後、私達の企みが董少府に漏れてしまうではないか」

 王允は荀爽に「私は当然のことをしただけだ」という態度だった。

「そうですね」

 荀爽は苦笑いを浮かべ王允に返事した。王允は部屋の窓際に移動し屋敷の塀の向こうを憎らしげに見ていた。

「彼らは節度というものを学んで欲しいものです」

 荀爽は王允を目で追い背を向けて立っている姿を確認すると、嘆息し懐から竹巻を取り出した。彼女は竹巻を慣れた手つきで広げると目を通しはじめた。相変わらず王允は何も喋らず塀の向こうを睨んでいた。視覚に董卓の兵達を確認できないにも関わらず、彼女の視線の先には兵達が見えているのだろう。余程、賈詡との一件が腹に据えかねていることが窺えた。

「こんな真似を彼らが続ければ朝廷の秩序が崩壊してしまいます。朝廷は良くも悪くも官位の序列によって秩序を維持しております。彼らは朝廷の権威を利用し立身を望んだでしょうに、その権威を傷つけようとは愚かな限りです。自らが得た地位が砂上の楼閣の如く崩れさることを理解できていないのでしょうか?」

 荀爽は淡々と述べた。彼女は物腰穏やかにやんわりした声音で語っていたが、その内容は董卓陣営への批判の感情が感じられた。

「涼州人に何を言ったところで無駄なこと」

 王允は窓の外を眺めたまま荀爽の問いかけに答えた。

「涼州人の全てが彼らのように野蛮とは限らないでしょう。馬寿成は中々の人物と皇御史中丞から聞き及んでおります」

 荀爽は苦笑しながら王允に別の話題を振った。

「お主は賊軍に味方するような卑しき身分の女の肩を持つのか?」

 王允は振り向くと不機嫌そうに荀爽に言った。

「肩を持つ訳ではありません。馬寿成を卑しき身分と申しますが、彼女は世祖(光武帝のこと)の御代から続く武門の家系。没落したとはいえ、そのような物言いはあまりに酷ではございませんか? 彼女が置かれた状況も同情する余地がございます。皇御史中丞は彼女を在野に埋もれさせるには惜しい人材と申しておりました」
「賊に官職を世話する訳がなかろう。涼州人である董少府達と接しているからよくわかる。涼州人とは水が合わない」

 頭が痛そうにする王允を荀爽は笑顔で見ていた。

「劉車騎将軍は馬寿成を気に入るのでないかと思っております。あの方は貴賎を問わず家臣に登用されています」
「そのようだな。劉車騎将軍は変わった御仁と聞いている。異民族の出身であろうと自らの直臣に取り立て実力があれば厚遇するという。蛮族に情けをかけたところで恩を理解することができるわけがなかろうて」
「劉車騎将軍がご上洛あそばされれば、直に聞かれてはいかがでしょうか? 中々興味深い答えをご教授いただけるかもしれません」

 荀爽は王允に言った。

「そうだな」

 王允は荀爽の答えをしみじみと聞いていた。

「ところで根回しは済んだのであろうな?」

 王允は本題を忘れていたという様子で荀爽に尋ねた。荀爽は笑みを浮かべ頷いた。

「あのような変な文をいただいた時は文と小一時間格闘していましたが、文の内容を理解した時は本当に驚きました。その後は急いで高官の方々の屋敷を駆け回り、既に根回しは万事済んでいます」

 荀爽はそういうと先程まで読んでいた竹巻を王允に手渡した。王允は真剣な表情で竹巻を読みだした。そこには名前が書かれていた。

「賛同者の数はちと少ないな。やはり劉荊州牧のことをはばかってのものであろうか」

 王允は竹巻を読み終わるとしばし凝視し顔を上げ荀爽を見た。

「劉荊州牧は宗室出身で、この洛陽でも名士の士大夫ですから」
「荀侍中、ここに名前がないものがあるが反対されたのか?」
「いいえ。反対される人の元へは訪問すらしていません。内容が内容ですから董少府の耳には入れない方がいいと思いました」

 王允は安堵した様子だった。反対した者を朝議の時間までどうにかして黙らせる必要があったからだろう。自前の武力を保有していない王允には困難なことであっただけに、王允は荀爽の機転の良さに感謝している様子だった。

「この中立の立場の者達は何と言っていたのだ?」
「確たる証拠を朝議の場で提出すれば賛同に回るとのことでした」
「あやつらこの私が信用できないというのか」

 王允は感情を高ぶらせて怒った。

「王司徒を信用していないということはないと思います。ただ、内容が内容だけにおいそれと賛同を示す訳にはいかないということでしょう。証拠は周太守から預かっておいでなのですか?」
「預かっている」

 王允はそう言い部屋の角にある箪笥から布袋を取り出し持ってきた。

「拝見してもよろしいでしょうか?」

 王允は荀爽に頷いた。荀爽は王允の了解を得て慎重に布袋の中身を取り出した。

「矢ですね。五本入っていますが一本いただいてもよろしいでしょうか?」
「どうするのじゃ?」

 王允は荀爽を訝しんだ。

「この屋敷に生き物はおりますか? この矢を試したいのです」
「そなたは周太守を疑うのか?」
「いいえ、疑っておりません。この矢の毒がどの程度か知りたいのです。王司徒は興味がありませんか?」
「それは」

 王允は言葉少なく答えた。これを荀爽は肯定と取ったようだ。

「王司徒、生きた鶏か鯉はいますか?」
「鯉はいるな。今晩、食べたいと思い用意させておいたのだ」

 王允は残念そうな表情で荀爽に答えた。鯉を毒矢で殺すのであれば、その鯉は食べれそうにないと思ったのだろう。

「その鯉を水を張った桶に入れ、この部屋に運ばせていただけますか?」

 王允は頷き家人を読んで鯉を運ぶように命令していた。しばらくすると家人達がいそいそと桶を王允の書斎に運び込んできた。家人達は鯉を運び終わると部屋を出て行く。荀爽は家人が部屋を出て行くのを確認すると桶に近づいた。彼女の右手には毒矢が握られていた。

「王司徒、ではやります」

 王允は荀爽の合図に唾を飲み込んだ。荀爽は暴れる鯉を器用に掴むと鏃を軽く背中に突き傷をつけた。鯉は必死に暴れだしたが、数分程で動きが鈍くなり一刻(十五分)もするとぐったりとしていた。明らかに鯉の様子は変だった。二刻(三十分)後には腹を上にして水に浮かび死んでいた。王允と荀爽は驚愕し二人の顔色は青くなる。荀爽は桶から慌てて手を出し、懐から取り出した手拭いで自分の手を丹念に拭いていた。

「や、やはり毒であったか」

 王允の表情は狼狽していた。荀爽は死んだ鯉を凝視して厳しい表情で考えこんでいた。

「荀侍中、このような恐ろしいことを蔡徳珪は行ったのか。恐ろしい。恐ろしい」

 王允は自らの腕で自身の体を抱きしめ呟いていた。

「王司徒、落ち着いてください。これで証拠は揃いました。この毒矢は何よりも説得力があります。明日は皇帝陛下の御前で披露いたしましょう。中立の立場の方々も私達に賛同すると思います」
「おお。そうか。これで劉荊州牧を召還できるであろうか?」
「よい結果となるかわかりませんが劉荊州牧を召還するしかないでしょうね」

 荀爽は王允に微妙な表情で返事した。

「荀侍中、何か気がかりでもあるのか?」
「王司徒、劉車騎将軍を狙ったのは先程口になされた蔡徳珪という人物でしょうか?」

 荀爽は徐ろに蔡瑁のことを質問した。

「荊州で蔡氏といえば、襄陽蔡氏。荊州一の大豪族です。このまま大人しくしているか考えものです。劉車騎将軍を襲撃する辺り、自分の立場を過大評価しているとしか思えません。面倒なことにならなければ良いのですが」
「その点は安心してよい。劉車騎将軍が冀州から軍勢を率いて蔡徳珪を誅殺すると明言されている」
「そのために劉車騎将軍は勅を求められているのですね。分かりました。明日の朝議では微力ながら王司徒を私が補佐させていただきます」

 荀爽は拱手して王允に言った。

「頼んだぞ」

 王允は荀爽の言葉を聞き、荀爽のことを心強く思っている様子だった。

「問題は賈尚書令ですね」

 荀爽は渋い顔をした。

「賈尚書令か。邪魔をしてきそうであるな。だが、私達には証拠がある。どう能書きを言おうと無理であろう」
「私が王司徒の屋敷を訪問していることは賈尚書令の耳に入ると思います。彼女は何かあると考えるはずです」
「疑念を抱くことはあれ、内容が漏れる心配はあるまい。明日の朝議に備え、荀侍中は私の屋敷に泊まるといい」
「そうしていただけるとありがたいです。流石にこれから自分の屋敷に帰るのは心配だったところです。ですが劉車騎将軍がお命を狙われるとは驚天動地です。劉車騎将軍は下の者にもお優しい好感の持てる御方でした」
「以前にもそう聞いたな。そなたが褒めるとは余程の人物なのだろう。劉車騎将軍にお会いできる日が楽しみであるな」

 王允は荀爽に笑顔で答えた。

「劉車騎将軍の件を知らせに来たのは誰だったのです。劉車騎将軍配下の兵でしょうか?」
「いいや。劉車騎将軍の妻である周渤海郡太守が荊州からわざわざ使者としてやってきた」
「だから賈尚書令が王司徒の屋敷を取り囲んでいるのですね。周太守は今どこに?」

 荀爽は得心した様子で王允に続けて質問した。

「周太守はもう洛陽にいないだろう。賈尚書令が聞きつけてやってくるのではと思い急ぎ洛陽を去らせた。しかし、こうも早く聞きつけるとは恐ろしい女だ」
「賈尚書令の対応は早すぎです。荊州の不穏な空気は既に把握しておいでではないのでしょうか?」

 荀爽は深刻そうに言った。

「真逆とは思うが違うとも言い切れんな」
「荊州は戦とは無縁で安定していると聞いておりました。今回のことで考えを改め無ければなりません。劉荊州牧の縁者。それも義理の妹が劉車騎将軍を殺そうとするとは。憂鬱です」

 荀爽は気落ちした表情だった。

「まことにな。劉車騎将軍の暗殺未遂事件の件で少し気になるのがあるのだ」

 王允は神妙な表情で荀爽を見た。

「王司徒、気になることとは?」
「賈尚書令は周太守が洛陽を去った十二刻(三時間)後に私の屋敷を兵達を引き連れて訪ねてきた。私の屋敷に来た理由は周太守が狙いであったようなのだ」
「賈尚書令が兵達を引き連れてきたということは。屋敷の外にいる兵達は周太守を拘束するためのものですか。何というか。確かに気になりますね」

 荀爽は考えこんで黙考し話しはじめた。

「そうであろう。賈尚書令の行動の早さ。異様だ」
「賈尚書令の人となりからして、車騎将軍の対策のために周太守を拘束しようと考えた可能性はあります。ただ、周太守を拘束するなら監視でもつけて秘密裏に拘束すればいいだけのこと。それをせずに正面からやって来た所を見ると、急いで拘束する必要があったということでしょうか。事前に荊州を監視していた線は捨てて良いかと」
「そうであろうか? 賈尚書令、いや董少府は車騎将軍の暗殺事件に絡んでいるのではないだろうか?」
「そう決めつけるには少々材料が少ないと思います。そうまで仰るのであれば、明日の朝議で賈尚書令を揺さぶられてみてはいかがでしょう」

 王允は荀爽の提案を聞き入れた。その後、明日の朝議の段取りをするために二人は明け方まで話し合っていた。



 王允と荀爽は正装をして朝議の場に来ていた。他の百官も集まり、それぞれの席に座っていく。荀爽は王允と二言三言交わすと自分の席のある方に向かっていた。
 遅れて賈詡が現れると彼女と王允は視線が合った。彼女は王允に目礼をして自分の席に座った。
 百官が各々の席についた頃、銅鑼が盛大になり皇帝である劉弁が現れた。劉弁は大仰に玉座に着座した。百官は全員顔を伏せ深々と平伏していた。

「皆、大義である」

 劉弁は静寂が支配する朝議の場で温和な声で百官達に声をかけた。彼からは皇帝の覇気が感じられないが人の良さそうな雰囲気を放っていた。

「皇帝陛下、奏上したき議がございます」

 王允は立ち上がり玉座に鎮座する劉弁対して深々とお辞儀をした後、姿勢を戻し拱手し顔を伏せたまま言った。

「王司徒、申してみよ」

 劉弁は王允に奏上するように促した。王允は百官を一度見回し賈詡のことを視線で捉えた後、再び劉弁に向きなおった。賈詡は王允の視線から外れた瞬間舌打ちをした。

「皇帝陛下。昨日、この王子師の屋敷を家捜しするため私兵を率きつれた者がここにおります。家捜しの理由を尋ねたところ、その者は董少府の命で参ったと一点張りで理由は一切説明しませんでした。此度のことは職務とは申せ度を越えたものと存じます。つきましては、その者に委細をこの場で説明してもらいたいと考えています」

 王允は話を終えると、劉弁に背を向けないように右方向に移動した後に賈詡を見据えた。その場にいた劉弁と百官の視線は彼女の視線の方向の先にいる賈詡へ向けられた。
 賈詡は王允の視線に動ずることなく前へ進み出て劉弁に対して拱手し頭を下げた。

「皇帝陛下、司隷校尉を兼ねる董少府のご下命であるため話すことはできません」

 賈詡は冷静な態度で淡々と答えた。彼女の返答を聞いた百官はこそこそと話をはじめた。声は聞こえないが彼女にとって友好的な内容ではないことは彼らの視線から読み取れた。

「司隷校尉は司隷州を統治するだけでなく、官吏の不正を暴く立場でもある。王司徒の屋敷を家捜しするほどであれば、余程の確証があったのではないのか? ならば、この場で申してみよ。朕が許す」
「皇帝陛下、この王子師。誓って人に後ろ指を指されるような真似はしておりません。この私に不正の嫌疑があるのであれば、この場で喜んで詮議を受けさせていただきます」
「王司徒もこう申しておる。賈尚書令、申してみよ」

 劉弁は賈詡に言った。彼は賈詡に悪意を抱いているのではなく、ことの真偽を確かめたいと思っているように見えた。

「董少府の密命にございますれば、皇帝陛下以外に話すことは憚られます」

 賈詡は劉弁の言葉に窮し二の句を継げずにいたが、このままではまずいと思ったか口を開く。その言葉に王允は賈詡を嘲笑するかのごとく皮肉気な笑みを浮かべていた。

「董少府の密命。であれば仕方ない。皇帝陛下、この王允は董少府の詮議の行方を待つ所存です」
「それでそなたは納得できるのか?」

 劉弁は王允が素直に引き下がったことを訝しんでいた。劉弁は王允がまた賈詡に噛み付くと予想したいたのかもしれない。

「私は董少府が何故に私の屋敷を家捜ししようとしたか心当たりがございます」

 王允は劉弁に対して拱手した後、頭を上げ神妙な表情で言った。

「賈尚書令が来る十二刻(三時間)程前に周渤海郡太守が私の屋敷を訪ねてきました」

 賈詡の表情が変わった。彼女は王允を睨むような視線を向けた。

「周渤海郡太守?」
「皇帝陛下、劉車騎将軍の妻にございます」
「劉車騎将軍の妻は確か袁本初ではなかったか?」
「皇帝陛下、劉車騎将軍には三人の妻がおります」
「そうか。それで周太守がお前に何のようがあったのか?」

 王允は悩む素振りを見せ劉弁を見た。

「申してみよ」

 王允は劉弁に話すことを逡巡する素振りを見せるも意を決して劉弁を見た。彼女の素振りは演技だあることは想像できたが劉弁はそれに気づいていない。対して賈詡は顔を緊張させ王允をただ凝視していた。

「周太守から信じたくない話を聞かされました。私ははじめ聞いた時、私の耳を疑い何度も聞き直しました」

 王允はそこで話を中断すると手を叩いた。すると荀爽は布袋を持って王允の元に進み出てきた。彼女の後には彼女の部下が桶を二人がかりで慎重に運ぶこんできた。その様子を百官は凝視していた。

「そなたは荀侍中。その妙な布袋と後の者達は何なのだ?」

 劉弁は荀爽が手に持つ布袋と桶を運ぶ官吏のことを訝しむ。百官も「何だ?」と興味深げに視線を送っていた。百官の中でも高官の地位にある者達は何かを知っているか緊張した面持ちで布袋を見つめていた。賈詡は高官達の様子に気づくと眉を潜めていた。

「これは劉車騎将軍の命を狙った毒矢にございます。私の部下に運ばせたのは生きた鯉にございます。皇帝陛下にこの矢が紛れも無い毒矢であることを知っていただくためにご用意いたしました」

 荀爽は両膝を付き大勢を低くすると布袋から矢を取り出し劉弁に見えるように両手で支えた。王允と荀爽と一部の高官を覗き驚愕の表情に変わった。高官に至っては厳しい表情で袋を見ていた。

「毒矢だと!?」

 劉弁は荀爽の説明に狼狽えていた。荀爽は劉弁の動揺を気にすることなく、部下に命じて自分の前に鯉の泳ぐ桶を配置させた。そして王允の屋敷で行ったように鯉を毒矢で傷つけた。
 荀爽が毒矢を自らの背後に置き劉弁に対して平伏すると、劉弁は恐る恐る壇上を降り桶の中を覗きこんだ。劉弁は死にかけた鯉が毒に殺られ死んでいく様を見ると立ち眩みをしたのか背後に数歩下がった。その様子を見た高官達は神妙な表情に変わっていた。

「この毒矢と周太守とどう関係があるというのだ?」

 劉弁は動揺した表情で荀爽に質問した。彼の顔色は悪かった。

「実は荊州にて劉車騎将軍が賊に襲撃され殺されそうになりました。この毒矢は賊の放ったものでございます」
「劉車騎将軍は無事なのか?」

 劉弁は少し冷静になったのか事態を確認しようと王允にたずねた。

「劉車騎将軍は無事にございます。驚くべきことに劉車騎将軍は賊に二度も命を狙われております」

 劉弁は王允の話に絶句していた。賈詡は「嵌められた」と険しい表情を浮かべていた。

「賊は何者なのだ?」

 劉弁は王允に厳しく質問した。

「それが」

 王允は口澱んだ様子になる。しかし、わざわざ朝議の場で話してる段階で王允が話すつもりがあることは分かりきっていた。

「賊は分からぬのか?」
「賊が何者であるか判明しております」
「ならば何故話せないのだ?」

「賊の名は『蔡徳珪』。劉荊州牧の義理の妹です」

 王允は暫く沈黙した後、重い口を開いた。劉弁は想像だにしない答えを聞かされたという様子で絶句し、力なく玉座に戻ると座り込んだ。

「王司徒、それはまことなのか?」
「残念ながらまことにございます」

 劉弁は玉座に深く腰掛け項垂れると右手を額に当て考えこんでいた。賈詡は下唇を噛み悔しそうにしていた。

「周太守は荊州での非常事態を私に知らせに参りました。その周太守の身柄を渡すように申したのは他ならぬ賈尚書令にございます。私が来ていないと返答したら家捜しをすると申したのです。今、現在も私の屋敷を私兵で囲ませております」

 王允は敢えて確信部分を口にしなかったが、劉弁以下他の百官の視線が賈詡に向いた。彼女の発言で賈詡が正宗襲撃に関わっている可能性があると暗示させたのだ。

「賈尚書令、そなたは董少府の命で王司徒の屋敷を家捜ししようとしたと申したな?」
「はい。その通りでございます」

 賈詡は苦々しい表情を浮かべるも素直に答えた。

「家捜しの理由は周太守の拘束が目的ではないのか?」

 劉弁の表情は険しかった。劉弁は明らかに賈詡を疑っていた。

「董少府が周太守にお会いしたいと申していたのでついでで王司徒に申したまでです」

 賈詡は平静を装い劉弁に答えた。だが、賈詡への疑念は晴れている様子はなかった。冥琳に会いたいだけにも関わらず、居ないと返答されると家探しを行うなど常識的に考えて無理がありすぎる。賈詡は自らの矛盾に気づいている様子だったが発言を撤回しようとはしなかった。

「皇帝陛下、劉車騎将軍が命を狙われるとは一大事にございます。劉荊州牧を召還なさり詮議すべきではないでしょうか?」

 王允は劉弁に献策したが憂いた様子で考えこんでいた。

「皇帝陛下、まずは劉荊州牧に使者をお立てになりことの真偽を確かめてからでも遅くないかと」

 賈詡は進み出て劉弁に献策した。

「ことの真偽は判明している。劉車騎将軍は命を二度も狙われたのだぞ! 命を狙った者の中には蔡徳珪の実妹もいたのだ。どう申し開きをしたところで劉荊州牧に責がないと言えるわけがなかろう」

 王允は劉弁に献策する賈詡に厳しく言った。賈詡は王允の話を聞き表情が固くなった。賈詡は劉荊州牧の元に使者を送ることで時間稼ぎをして自分達への風当たりの悪さを収束させるために動きつつ、正宗を荊州に縛りつける魂胆なのかもしれない。

「それはまことなのか?」

 劉弁は瞳を虚ろにし王允にたずねた。彼の表情は完全に落胆している様子だ。劉表は朝廷内でも清流派の士人として風評は高いものだった。彼も朝廷の重臣である劉表には何度となくあったことがあるのだろう。だからこそ裏切られた気分なのかもしれない。劉表の通婚関係にある蔡一族が積極的に正宗の襲撃に関わっている。劉表を疑うには十分な材料と言えた。
 朝廷の重臣が卑劣な方法で同じく朝廷の重臣である正宗を殺そうとした。もし、これが事実であれば朝廷の権威を失墜させるには十分だった。

「皇帝陛下、ことがことでございます。使者を出して返事を待っていては対応を見誤るやもしてません。ここは皇帝陛下御自ら詮議されることで真偽を見定めるべきかと思います」
「王司徒、そなたに任せる。劉荊州牧の詮議は慎重を期すように、詮議の場には朕も同席させてもらうぞ」
「当然でございます。劉車騎将軍は劉荊州牧の潔白を信じていると申しておりました。蔡徳珪以下不埒者どもは朝敵として討つべきにございます」
「劉車騎将軍が賊を討伐すると申しておるのか?」

 劉弁は動揺しつつも神妙な顔で王允に聞いた。

「劉車騎将軍は皇帝陛下の権威を汚す不埒な賊を討伐するために勅をいただきたいと申しているとのこと。また、蔡徳珪討伐のための軍を冀州から荊州に派遣することの許可と、その軍が各州を通過するための許可もお許しいただきたいと申しております」

 王允は恭しく劉弁に答えた。

「蔡徳珪は大軍を派遣せねば討伐できぬほどの者なのか?」
「恐れながら蔡徳珪の出身である蔡一族は荊州一の大豪族。蔡一族が抱える私兵は数千とも数万とも聞き及んでおります。荊州に潜んでおられる劉車騎将軍は蔡一族の襲撃を警戒するも朝臣として皇帝陛下のご裁可を待ち行動に移す所存とのこと。劉車騎将軍の皇帝陛下への忠誠に疑いはございません。自らが死地にあるにも関わらず、皇帝陛下のご載荷をいただきたいと申しているのです。ここで、忠臣をおめおめと蔡徳珪に殺されては朝廷の権威は失墜してしまいますぞ」

 王允は正宗が劉弁と朝廷を敬う忠臣の如く熱く語った。彼も人の子。王允の物言いを無視することはできなかった。彼は王允の話に賛意を示そうと口を開こうとするとが、それを遮る者が現れた。

「皇帝陛下、蔡徳珪討伐の任は呂羽林中郎将にご命じくだされば速やかに蔡徳珪を討伐してごらんに見せます」

 賈詡は王允より前に進み出て劉弁に献策した。彼女の表情は必死だった。正宗が荊州に大軍を引き入れれば、その軍勢を率いて上洛することは十分に考えられたからだろう。そうなれば彼女の立てた計画が大幅に狂うことになる。

「賈尚書令、混乱に乗じて劉車騎将軍を殺す気ではあるまいな?」
「私が何故に劉車騎将軍を殺さなければならないのです。朝敵を討伐するは朝臣の勤めではありませんか?」

 王允は賈詡を睨みつけた。賈詡は王允に怒鳴りそうになるのを押さえ拳を握り締めながら言った。

「賈尚書令、そなたは劉車騎将軍の妻である袁本初殿を襲撃し、此度は周太守を連行せんと企てたではないか?」
「袁本初殿の件は職務と全うしただけのこと。周太守の件は董少府がお会いしたいと言われたので出迎えに参っただけのことです。謂れ無き中傷はお止めください」
「出迎えとな」

 王允は賈詡を小馬鹿にするように口角を上げた。

「話をする相手を出迎える時、そなたは兵達を引き連れてやってくるのか? 随分と物々しい出迎えであるな」

 王允の発言に他の百官も同調しているのか賈詡に厳しい視線を向けた。

「蔡徳珪討伐は劉車騎将軍に任せることにする。劉車騎将軍は先帝より使持節の職官も与えられていたはず。賊の処断の際に困ることはあるまい」

 劉弁は不穏な空気が漂う中で声を発した。百官の視線は賈詡から劉弁に向けられ、彼らは劉弁に対して平伏し「皇帝陛下の御心のままに」と口を揃えて言った。劉弁も状況的に賈詡に一任することは危ぶんだのだろう。賈詡も皆に倣い平伏していた。だが、顔を伏せた彼女は劉弁の決定に苦虫を噛んでいた。

「賈尚書令、劉荊州牧を詮議する場は董少府も出席するように申し伝えよ」

 劉弁の命令に賈詡は驚き顔を上げた。王允は横目で賈詡の様子を面白そうに見ていた。

「董少府は司隷州の巡察に忙しく参加は無理と存じます」

 賈詡は必死に董卓は参加できないと弁明した。

「この詮議は董少府を詮議する場でもある。欠席はまかりならん」

 劉弁は賈詡に毅然と命じた。賈詡は劉弁の予想外の命令に沈黙していた。

「どうしたのだ? 董少府は参加できないというのか?」

 王允は澄ました表情で賈詡に尋ねた。賈詡はもう進退極まると考えたのか覚悟を決めたように口を引き締めて劉弁を見た。

「王司徒の屋敷での一件は董少府の命で動いた訳ではございません。私が個人的に周太守に目通りしたいと考え行動いたしました。申し訳ございませんでした!」

 賈詡は平伏して劉弁に謝罪を述べた。劉弁は賈詡の突然の告白に驚くも、その表情は直ぐに厳しくなった。

「何だと!?」

 王允は賈詡の突然の弁解の内容に目を丸くしていた。彼女だけでない百官も驚いていた。

「貴様は董少府の権限を勝手に使い私の屋敷を家捜ししようとしたと申すか?」
「その通りにございます。申し訳ございませんでした」

 賈詡は王允に何も抗弁せず平伏したまま謝罪した。

「謝って済むか! 尚書令の分際で私の屋敷を家捜ししようとは何たる戯け者か」

 王允は目を吊り上げ怒り心頭の様子だ。賈詡は「申し訳ございませんでした」と王允に謝罪した。

「賈尚書令、何故に周太守に会おうとしたのだ。兵達を率き連れるなど尋常ではあるまい」

 劉弁は王允を宥めると賈詡に真剣な表情で質問した。

「劉車騎将軍とは彼の奥方である袁本初殿の件でわだかまりがございます。周太守が洛陽におられると聞き居ても立ってもおれず、王司徒の屋敷を訪問いたしました。周太守に逃げられては話もできないと思い、兵達は引き連れていきました。周太守に危害を加えようなどとは父祖の霊に誓って絶対にございません。王司徒のお怒りを受け、愚かな行動を取ったと大変反省しております。許しを得ること叶わないと思いますがお許しください」

 賈詡は劉弁に対して平伏して必死に説明した。王允は劉弁の手前大声を張り上げることはなかったが賈詡を怒りに満ちた表情で睨んでいた。

「賈尚書令、事情は分かった。董少府の詮議は取りやめよう。しかし、そなたを許す訳にはいかない。そなたは董少府の権限を不正に使用した」

 劉弁は厳しい表情だった。ただ、王允の怒りと違い、どこか優しさを感じさせた。劉弁の人柄が表れているのだろう。

「皇帝陛下、こやつは厳罰に処すべきです!」

 王允は劉弁の態度から甘い処断になるのではと危惧したのか賈詡の処断について劉弁に意見した。

「そなたの屋敷は実際に家捜しされた訳ではあるまい。もし、賈尚書令が本気で家捜しをしようと思うなら、司隷校尉の権限を全面に出し強引に家捜しできたでろう。そうしなかったのは賈尚書令が負い目を感じたからではないのか?」
「ですが!」
「ここは朕に任せよ」

 劉弁は王允の言葉を遮ると自らが賈詡の処断すると言った。劉弁にこう言われては王允は何も言えない。

「分かりました。皇帝陛下のご意思に従います」

 王允は怒りを押し殺しながら劉弁に拱手し言った。

「そなたは朕を賊より救ってくれた。そのこと感謝している」

 劉弁は平伏する賈詡を見つめながら言った。

「だが罪は罪。賈尚書令、官職を全て辞ししばらく謹慎せよ。よいな」

 劉弁は賈詡に諭すように言った。

「皇帝陛下の寛大なご処分に感謝いたします」

 賈詡は深々と床に頭をつけ平伏して感謝の言葉を述べていたが、それとは裏腹に伏せて見えない彼女の表情は怒りに震えていた。 
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