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パンデミック

作者:マチェテ
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第七十話「狂気」

―――15分前


「ほらほら、どうしたの? 女兵士さん。死ぬまで付き合ってもらうって言ったはずよねぇ?」

片手でダガー数本を弄ぶ女性適合者・ヴァルゴ。
その眼下には、全身に重度の擦り傷や切り傷を負ってしゃがみ込むクレアの姿。

「(強い……何よりも…速い……これが、適合者……)」



クレアはヴァルゴの人外の速さに終始圧倒されていた。

弾丸にも劣らぬ速さで投げたクレアのダガーは、全てそれを上回るスピードで回避された。
そのスピードをフル活用し、上下前後左右を縦横無尽に駆け回り、クレアを翻弄する。
建物の壁をも平然と走り、死角から攻撃される。
しかも、嫌味のつもりなのか、クレアが投げたダガーをいつの間にか回収しており、それを使って攻撃
してくる。

「他の雑魚に比べたらまあまあ楽しめたけど…やっぱこんなもんよねぇ」

ひどく退屈そうな表情でしゃがみ込むクレアを見下ろすヴァルゴ。



「まあ、頑張った方よ? アタシの速さに怖気づくことなく立ち回ったんだから」





"俊敏性極限強化"


それがヴァルゴの適合能力だ。


赤血球に付着したコープスウイルスが体内を流れ筋繊維と同化し、筋肉の構造を一時的に変質させる。
変質した筋肉は、徹底的に速さに特化した形質になる。
変質した筋肉から繰り出されるスピードは、最早人間が目視で捉えることが不可能なほど。
さらに、消費したエネルギーはコープスが強制的に活性化させるため、筋肉の疲労も最小限に
抑えられるという付加価値がある。
そのため、スタミナ切れを起こすことなく高速移動を維持できるという、戦闘において非常に
厄介な能力である。

原理としてはブランクの能力に近いものだが、一つ弱点がある。
ヴァルゴが保有するコープスウイルスの総量がブランクよりも少ないため、ブランクのように
身体全てに能力の恩恵を受けられるというわけではない。
腕や脚といった、身体のパーツごとにしか能力を使えない。
一部分に能力を割いている間、他の部位はがら空きの状態となる。



















「(あの速さはもう勘で避けるしかない……でも、もう身体が思うように動かない…)」

全身に傷を負ったクレアに、"最速"の適合者の攻撃を避けるだけの体力は残されていない。
一方で、ヴァルゴは退屈そうな表情を崩さずにクレアを見下ろしている。
殺そうと思えばいつでも殺せるはずなのに、薄っぺらい賞賛の言葉を吐く。
クレアにはそれがとてつもなく悔しかった。
仲間の仇である適合者に一方的に叩きのめされ、侮辱に等しい賞賛を浴びせられた。

悔しさと自身の不甲斐なさに、奥歯をギチッと噛み締める。



「ここまでね。サヨナラ、女兵士さん」

ヴァルゴがクレアの頭を踏み抜こうと、脚を振り上げる。

「ごめん、みんな……」

諦めたような表情を浮かべ、クレアはそっと目を閉じる。
あとは、超高速の蹴りが、自身の頭を砕く瞬間を受け入れるだけ……


そう思っていた。




「………あら? この気配はなに……ッ!?」

そこで目の前の適合者の言葉が途切れる。




ヴァルゴが殴り飛ばされる寸前に見たもの。

それは、既に自分の眼下まで迫っていた白髪の兵士が、赤黒く鋭い眼光でこちらを睨む姿。
それも至近距離で。


ヴァルゴはこの瞬間、適合者になってから忘れていた感覚を思い出した。

「純粋な恐怖」を。





ゴギンッ!!!


鈍く不快な音が響き渡る。
咄嗟の判断で左腕にコープスを集中させ、高速でガードの態勢に入った。
しかし、白髪の兵士は構わずガードした左腕を勢いよくぶん殴る。
その瞬間、拳が直撃した左腕の筋肉と骨が、いとも容易く断裂した。

「うっぐぅ!!??」

それでも拳の勢いは止まらず、ヴァルゴはそのままガードした左腕ごと宙に吹っ飛ばされた。



「ブラン、ク?」

目の前の適合者を撃退したのがブランクだと分かり、一瞬安堵したが、それも束の間だった。
何か様子がおかしい。

ヴァルゴを殴り飛ばしてからずっと俯いている。
それに、身体全体にまるで力が入っていない。
この状態でどうやってここまで来れたのか不思議なほどだ。

それに、うまく聞き取れないが、さっきからブツブツと何かを呟いている。

よく耳を澄ませて聞くと、2つの単語を恐ろしい速さで繰り返し呟いている。


「殺す」と「守る」という単語を。




クレアはすぐに気付いた。
話で聞いた暴走状態が再び起こったのだと。



「痛ったぁ…アンタ、レディの腕をいきなりへし折るなんて失礼だと思わない?」

ブランクに殴られ吹っ飛ばされたヴァルゴが、腕を押さえながら立ち上がる。
筋肉と骨が断裂した左腕は、もはや千切れかけの皮膚のみで辛うじて繋がっている状態だった。
とは言え、適合者である以上、どんな傷でもいずれは回復する。

現に、ヴァルゴの千切れかけの皮膚も、再び元通りになろうと修復が始まっている。
出血は既に止まり、千切れた箇所がくっつき始めている。
皮膚が元に戻れば、次は筋肉と骨の修復が始まるだろう。

修復までブランクが待つかどうかと言えば、答えは分かり切っている。

ブランクが走り出す。
自分のもとに向かってくるブランクを殺そうと、ヴァルゴも臨戦態勢に入る。

コープスを両足に集中させ、恐るべきスピードで駆け出す。
あっという間にブランクの目の前まで移動し、ダッシュの勢いを殺さずに蹴りの態勢に入る。


このまま超高速の蹴りを見舞い、ブランクの頭を砕いて終わり。
そんなヴァルゴのビジョンは容易く崩された。




「え?……はぁ!?」


超高速の蹴りは、紙一重で避けられた。
直撃する寸前で、首を絶妙な角度とタイミングで捻り、掠るギリギリのところで回避した。

あり得ない。
今の蹴りの速度は、「適合者が視認できるギリギリの速度」だ。
直撃する寸前で回避できるようなものじゃない。

蹴りを回避したブランクの眼はギョロリと見開かれ、一点を見ていた。
目線の先には、修復しかけのヴァルゴの左腕。
脚にコープスを集中させた状態だったため、修復しかけの左腕の回復力が落ちている。
そんな時に、蹴りで反撃しようとしたのがまずかった。







ヴァルゴは再び、ブランクに恐怖した。



口が裂ける勢いで、ニタリと笑っているのが見えたから。





不気味な笑顔のまま、ブランクはヴァルゴの左腕を"喰い千切った"。


「痛づ!!??」

今まで味わったことのない激痛に、ヴァルゴは苦悶の表情を浮かべる。

一方でブランクは、喰い千切った際に口に入ったヴァルゴの左腕の肉を、獣のような形相で咀嚼する。
千切れた左腕はブランクの右腕に握られていた。



咀嚼した肉片を飲み込んだブランクが、狂ったような笑顔で静かに口を開く。





























「俺が……守ル………おレが…………殺す……あハッ、はハハっ……ハハハは歯ハハは刃はハハ………」



笑い声とともに、ブランクの左脚と右腕が"硬化した"コープスに覆われ始めた。

狂気に、飲まれ始めた。 
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