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幻影想夜

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第十四夜「前を歩く者」



 その日、夕方から雪が降り始めた。
 朝から曇り空が広がっていたため、もう少し早く降りだすかとも思っていたが…然して積りもしないうちに家へ着けるだろう。
「とは言うものの…。この革靴じゃ、歩きづらいことこの上無いな…。」
 僕は電車から下り、誰も居ない無人駅から外へと出た。
 尤も、駅とは名ばかりの申し訳無さ程度のもので、外も内もあまり関係無いのが実状だが。
 道は先程から降りだした雪で、表面をうっすらと白くしていた。この無人駅で下りるのは僕だけだから、他者の足跡は一つも付いていなかった。
「一番乗りだな。」
 僕はそう言うと、真新しい雪の上に自らの足を下ろした。なんだか童心に返るような気がしたが、僕の記憶は途中からしかない。数年前の事故の後遺症で、記憶障害になっているのだ。
 体は問題無いため、こうして働くことは出来ているが、時折怖くなる。もしかしたら、自分は疚しい人間だったのではないか?そんな風に思ってしまうことがあるからだ。
「まぁ…なるようにしかならんからな。」
 僕はいつもそう呟き、考えることを止める。考えたとこで思い出すわけでもなし、下手な考え休むに似たり…だからな。
「あちゃ。もう靴がびしょびしょだ…。」
 まぁ、分かってはいたんだけどな…。そんなに良い靴を履いているわけじゃないから、結局は水が染み込んできてしまう…。長靴だったら、こんな苦労はせずに済むのに…。
 そう一人ごちた時だった。背後から呼ぶ声が聞こえたような気がして、僕はふと後ろを振り向いた。
 しかし、そこには誰の姿もなく、ただ細やかな雪が深々と降っているだけだった。
「空耳か…。」
 いや…きっと遠くで誰かが人を呼んでいるのだろうとも思い、そのまま前に向き直った。
 しかし…向き直った目の前の光景は僕を戸惑わせた。
「…さっきまで…あったか…?」
 そこには真新しい雪の上に、点々と靴跡が残されていたのだ。それも今さっき誰かが歩いたと言わんばかりに、クッキリと残されていた。
 それはどうやらずっとあったようで、僕の後ろから前にかけてずっと続いていた。
「どうなってんだよ…。」
 僕は恐れと共に好奇心が沸き起こり、その靴跡を追ってみることにした。
 よく見ると、それは小さめのスニーカーのようで、それは女性のものだと思った。何故かそう直感したのだ。
 だが、この靴跡が今さっき付けられたものだとして、一体本人は何処へ消えたのだろうか?周囲には隠れる場所もないところだ。走った形跡すらないのなら、歩いている姿が見えたはずなのだが…。
 僕は暫くその靴跡を追っていたが、それはさして時間も掛からない場所で途切れていたのだった。
 そこは側溝の蓋の上で、半ば辺りで靴跡はプツリと途切れおり、そこから続く靴跡は全く無かった…。
「まさか…なぁ…。」
 側溝の蓋は開かれた形跡はなく、閉ざされたままとなっている。
「この重い蓋を…」
 重い蓋…?僕はなぜそんな風に思ったんだろう?まぁいい。兎に角、そこには降り積もった雪がそのまま残っていたのだから…。
 空を傘の中から仰ぎ見ると、厚い雲から雪が休むことなく降り続き、一向に止む気配は無かった。そして再び下を見ると、それは僕の顔を再び蒼冷めさせることになった。
「…勘弁してくれよ…!」
 震えるように呟くと、僕は家までの道程を全力で走ったのだった。
 そこにはもう…あの足跡は一つも残されていなかったのだから…。

 僕が家に着くと、妻の楓が僕を見て目を丸くした。
「あなた?そんなに息を切らして…どうしたんです?」
 不思議がるのも無理はない。いつもは声を掛けて入ってくる僕が、家に飛び込んで入るなり扉に鍵を掛けて座り込んでいたのだからな…。
「いや…今な…」
 息が上がったままの僕は、上手く話すことが出来ずにいた。それを見かねた妻は、直ぐに水を運んできて僕へ渡してくれた。
 僕はそれを一気に飲み干すと、先程体験した不可思議な出来事を妻へと語ったのだった。
 妻は静かに聞いていたが、全てを聞き終えるやこう言った。
「分かりましたから、さっさと上がって下さいな。夕食の用意も整ってますから、早く着替えてきてくださいね。」
「おい…どうとも思わないのか?」
「そういう訳ではないですけど、こんな冷える場所でなくとも良いでしょ?」
 それもそうだ。ここは未だ玄関先で、ゆっくり話を出来る場所ではないのだ。誠に不本意ではあったが、僕は妻の言葉に従うことにした。
 部屋着に着替えて台所へと行くと、妻は直ぐに温かい御飯を僕の席へと置いてくれた。横には湯気のたった味噌汁もあった。
「いただきます。」
 僕はそう言うと、用意された食事へと箸をつけた。 すると、妻はふと先程の話の続きを始めたのだった。
「ねぇ、あなた。さっきの話なんですけど、少し気になることがあるのよね…。」
「気になること…?」
 妻は食事をしながら、何とはなしに話している。
 だが、僕は食事に集中することも出来ず、一先ずは妻の話を聞くことにした。
「で、何なんだ話ってのは。」
「あなた覚えてます?十数年も前になるかしら…駅からの道で強盗殺人があった話…。」
「僕は直接には分からないが、友人から聞いたことはあるな…。確か、十代の女性が被害にあったと…。」
「それです。でも、ニュースで明かされなかったこともあるんですって。」
「ニュースで明かされなかった…?」
 妻の話はこうだった。その年の冬、丁度今頃の話なのだが、会社帰りのOLが駅からの道を歩いていると、後ろから一人の男が近づいてきた。
 女性はそれに気付き歩調を早めたが、それを知った男はその女性へと走って迫り、その女性の背へと包丁を突き立てたそうだ。あまりのことに声も出せず、女性はそのまま地面へと倒れ込んだ。
 そして、男は女性の財布を盗ると、直ぐ様その場から逃げ去った。と言うのが知られている事件の真相なのだが、実は少し違うと言うのだ。
 背中を刺されたところまでは真実だが、そこから先が違うのだ。
 実は刺された女性にはまだ息があり、故に男は女性を近くにあった側溝へと投げ落としたため、直接の死因は溺死であったのだという。
「その後、あの側溝の蓋は付け替えられたんだけど…。他に不思議なことがあったんですって。」
「まだ不思議が続くのか…。」
「そう言わないで。それでね、遺体を引き上げた時、履いている筈の靴が見当たらなかったそうなの。流されたのではと広い範囲を捜索したんだけど、結局見つからなかったそうよ。ついでに犯人も未だ不明だそうですし、あなたのさっきの話を聞くと、どうもこの話を思い出しちゃって…。」
 背筋がゾッとした。
 僕はその女性の顔を知らないが…あの靴跡が話の女性のものだとしたら、一体何が言いたいのだろうか?
 事件はもう風化して久しいものだ。それが今になって、なぜよりによって僕の前へ…?
 全く…分からないことだらけだ。
「そうだわ。お隣の金子さなら詳しいと思うわ。確かご亭主が以前、新聞記者だったて言ってたから。」
「別にそこまでしなくていい。」
「ちっともよくありません!絶対何かあるに決まってますもの。」
 はぁ…、妻はこの手の話が好きだからなぁ…。全く困ってしまう…。
「楓…何を根拠に言ってるんだ?」
「勿論、女の勘ですわ!」
 もう返す言葉もない…。このお陰か、先程まで感じていた恐怖感は消え去っていたのだった。

 翌日のことだ。この日は土曜のため、僕はのんびりと眠っていたのだが、そこへ妻がドタバタと入ってきた。
「あなた!ちょっと起きて下さいよ!」
「…ん…何なんだ…?」
「お隣から聞いてきたんですってば!」
「…ん!…お前、あんなこと聞いたのか!?」
 妻の言葉に、僕はギョッとして飛び起きてしまった。これでは僕が、まるで可笑しな人間に見られてしまうではないか!
 そう思った時、妻は僕に何も言わせまいと口を開いた。
「昨日の話なんてしてませんよ。事件についてだけ聞いてきたんです。」
「それだって充分変だろうが…。もうとっくに風化した事件だぞ?」
「それはそうだけど…。って、そうじゃないんです!今日が事件の起きた日なんですって!私に聞かれて直ぐに思い出したそうよ?」
「はぁ?それじゃ、今日が女性の命日ってことか…?」
 何だか…頭が重い…。何だろう…この嫌な感情は…?
 しかし、僕はそれよりも、あることをしなくてはならないと思った。なぜそう思ったのかは分からない。ただ…やらなくてはならないとだけ思ったのだ。
「楓…。あの側溝の蓋を開いてみよう…。」
「あなた…?」
 僕はそれだけ妻に言うと、直ぐ様布団から出て着替えを始めた。
 妻は何が起こっているのか分からない様子で、暫しポカンと僕の行動を見ていた。
「あの側溝の蓋を開いて、一体何を探すつもりなの?」
「分からない。ただ…妙な一致じゃないか?昨日の体験といい…何かある…。」
 僕はそう言うと、そのまま家を出たのだった。
 歩いて暫くすると、後ろから声を掛けてくる人がいた。昨日とは違い、今度はしっかりと金子さんだと分かった。
 尤も、声を掛けてきたのはお爺さんの方だったが…。
「森山さん。もしかして、あの側溝へ?」
「なぜそうだと?」
「いや…先程奥さんが息子と話とるのを聞きまして、もしやと思ったんです。あの事件の時、私は家の前で雪掻きをしとったんですが…犯人の姿すら見ることが出来なんだ…。今なら何か出来るかもと思いましてな…。いや、変な話をしましたな。迷惑でなかったら、ご一緒して宜しいですかな?」
 金子さんの祖父は今年齢八十だと言うのに、口調も足取りもしっかりしていた。
「ええ、どうぞ…。」
 そこで話を切ると、僕と金子さんは連れ立って、あの側溝まで向かったのだった。
 昨日とは打って代わり、今日は快晴の青空。地にはうっすらと雪が残るものの、その殆んどは淡い水の流れとなっていた。
「実はですな…この事件で死んだのは、末の弟の娘でしてな…。」
「ええ…!?」
「いやいや…突然申し訳ない。しかし、時の流れは早いものだ…。結局犯人は捕まらず、今はただ、時効を待っとるだけとは…。」
「姪にあたる方だったんですか…。無念…だったのでしょう?」
「そうだねぇ…。私も昔のツテで新聞やら雑誌やらに情報提供を呼び掛けたが…全く、何の役にも立たなんだ…。世の中って奴ぁ上手く行かんもんだ…。」
「そう…だったんですか…。」
 金子さんと話しているうちに、あの側溝まで辿り着いた。雪は殆んど溶け流れていたものの、微かに僕の足跡だけは残されていた。
 それを見て僕は、金子さんに昨日の体験を話すことにした。どうしても話す必要があると感じたのだ。この老爺には知る権利があると…。
 僕は全てを金子さんへと語った。初めは胡散臭いと言った顔をしていたが、最後には何か心当たりがあるようで、静かに溜め息を吐いて言ったのだった。
「そうか…。私はこの道を、無意識のうちに避けていたのかも知れんのぅ…。もしかしたら、君だったら気付いてもらえると思ったんかものぅ…。さて、開けてみるとするか。」
「そうですね…。」
 何が出るかなど分からない。ただ、こうすることによって、何か変化するのではないかと思うのだ。それが何かなんてことは、まるで考えもしなかったが。単に「遣らねばならない仕事」のように感じていたのだ。
「よいしょ!」
 二人で掛け声をかけ、重い側溝の蓋を持ち上げた。今は大した水量は無かった。春の田植え時期には、近くにある川から水を引いてくるのだが、今は水門を閉じてあるのだ。
「何も…無いのぅ…。」
 金子さんはそう言うと、少し落胆した風だった。
 事件からもう十数年…時が経ち過ぎているのだ。そう簡単に何か見つかっては…そんな風に思いながら僕も中を除き込むと、浅い流れの中、底へ何か赤っぽいものが見えたように感じた。
 僕はそれが気になり、側溝の中へと降りて見ることにしたのだった。
「君、何をしようというのだね?そんな格好で入っちゃ、下手をすれば…。」
「大丈夫です。金子さん、あれ…見えますか?」
 僕がそう言って指差すと、金子さんはよくよく水底へと視線を走らせた。
「ありゃ…子供の玩具か何かだろう?」
「いや、そうかも知れませんがね。僕は少し気になって。」
 僕はそこで会話を区切って、側溝の中へと飛び下りた。
「森山さん!大丈夫か!?」
 いきなり飛び下りた僕に驚き、金子さんは中の僕へと問った。正直、冷たい水に凍えそうだったが、金子さんには「平気ですよ。」と声を掛けておいた。そして気になったものを引き上げようと、僕は思い切って水の中へと手を入れた。
「赤い…スニーカー?」
 冷たい水の中から出てきたものは、もうぼろぼろになったスニーカーだった。
 赤とは言っても、もう長い間水の中にあったせいかかなり変色している。赤だと分かったのは奇跡としか思えなかった。それも左右揃って見つかるなんて…。
「そりゃ…直美の靴だ!直美が履いていた靴だよ!」
 僕の拾い上げたスニーカーを見て、上にいる金子さんが言った。
 その言葉に、僕は昨日の恐怖感に再び襲われた。金子さんの言葉が真実なら…これは遺品だ…。あり得ないだろ…十数年の時を経て、今更この場所から出てくるなんて…。
「上がりますから、これを受け取って下さい。」
「ああ…気を付けて下さいよ。」
 金子さんがスニーカーを受け取り、それを持って僕の視界から消えた時、後ろから声が聞こえたような気がした。
 僕はギョッとして振り返ったが、昨日同様に誰の姿も無かった。

―何だ…脅かすなよ…―

 僕は心の中で呟きながら前へと振り返ると…。


「…!ウギャァァァ!!」


 僕は大きな叫び声を上げた。それは上にいる金子さんをも驚かせた。
「どうしたんだね!?」
 しかし、金子さんが中を覗いた時には…もう側溝の中に僕の姿は無かったのだった。
「森山さん…森山さん!!」
 金子さんは、もう居なくなってしまった僕のことを呼んでいた…。


 僕が側溝の中で見たのは女性だった…。いや…恐らく女性だったのだろう…。
 それは口から血を流し、顔はふやけてブクブクになっていた…。その顔が笑ながら近付いてきたのだ。僕はその恐怖と共に、そこで記憶が途切れてしまったのだった。


-今度は…あなたの番よ…-


 あぁ…そうだったのか…。この事件は…僕が起こしたんだ…。だから…事故にあった時、都合よく忘れてしまったのか…。

 因果応報…とは、よく言ったものだ…。

 確かに、悪いことは出来ない。あの時殺した女性が…こうやって報復に来るなんてな…。

 そうして今度は…僕の体が見つからなかったと言う…。



       end...



 
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