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左慈

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2部分:第二章


第二章

 左慈は東呉に向かった。そこに知り合いの仙人である徐堕という者がいるのだ。彼は左慈と共に修業した仲間であった。仙人になるのも一緒であったのだ。
「さて、どうしているかの」
 彼は友に会うのを楽しみにしていた。彼の家に行くと先客がいた。門の前には牛車が七台程止まっていた。
「客人がいたか」
 ここでその客人が家の門から出て来た。見れば意地悪そうな顔をしている。実際に彼は意地悪だった。左慈に対してこう言った。
「徐さんはおられませんよ」
「そうなのですか」
「はい」
 だが左慈は真相に気付いていた。彼の意地の悪い笑みでそれがわかったのだ。
「私も今尋ねたのですが。残念なことです」
「左様ですか。それでは」
「はい」
 彼は立ち去った。客はそれを見て笑った。
「帰ったな。よしよし」 
 単なる意地悪であったがそれでよかった。彼は他人に意地悪をするのが趣味であるかあらだ。思えば趣味の悪い男ではある。
「それでは戻るか」
 そして彼は徐の屋敷の中に戻ろうとした。だがここで彼はふと屋敷の前に止めている牛車に目をやった。何とその中の一頭が車から離れ歩きはじめたのである。
「ん!?」
 見れば牛はすぐ側に生えている柳の梢の上に来た。そしてそこを歩いているのである。これはまた妙な光景であった。
「これは一体どうしたことじゃ」
 彼はそれを受けて樹の上に登った。そして見てみた。すると牛はそこにはいなかった。何処にも見えなかった。
「ううむ」
 不思議に思い下りるとまたもや樹の上を歩いている。男はそれを見てさらにわからなくなった。何度繰り返しても同じであった。考えてもわからないので屋敷の門のところに戻った。するとそこでも異変があった。
 今度は車であった。何と車輪に全て棘が生えているのである。それもかなりの長さであった。
 切ろうにもあまりにも固くて鋸を通さない。そして動きもしない。これには流石に困り果てた。
「牛だけではなく車もか。これは一体どうしたことか」
「どうかしたのですか」
 ここで屋敷から徐が出て来た。白く長い髭の温和そうな顔立ちの男であった。
「あ、これは徐さん」
「見たところ何かあったようですが」
「はい、実は」
 彼は話をはじめた。徐は全てを聞き終えると何かわかったように頷いた。
「成程、あの方が来られたのですな」
「あの方とは」
「左慈という方ですよ。この様なことができるのはあの方以外におりませぬから」
「左慈」
「はい。知り合いの仙人の方でして。色々と術を知っておいでなのです」
「そうだったのですか。それを知っていれば」
 客はそれを受けて苦い顔をした。だが後悔しても何にもならなかった。所謂自業自得というものである。だがここで徐は彼に助け舟を出した。
「何とかしたいですか」
「それはもう。このままでは家に帰ることもできませんから」
「わかりました」
 彼はそれを受けて頷いた。
「それではあの方が行かれた方へ進まれならい。そうすれば御会いできます。そしてそこで謝罪されればいいでしょう」
「許して下さるでしょうか」
「ええ」
 彼は笑顔でそれに頷いた。
「あの方はお優しい方ですから。謝れば許して下さいますよ」
「それはよかった」
「ささ、早いうちに。善は急げといいますからな」
「はい」
 それを受けて彼は左慈の行った方を進んだ。そして暫くして彼に会った。
「おや」
 左慈は彼を認めて振り向いた。にこにこと笑っている。
「どうされたのですか」
「あの、先程は」
 彼は徐に言われた通りに頭を下げた。そして謝罪した。
「先程は失礼致しました」
「いえいえ、わかって下さればそれでよいです」
 左慈は微笑んでそれに応えた。それから杖を一振りした。そしてまた彼に対して言った。
「戻ってみなされ。万事元通りになっておりますぞ」
「はい」
 彼は言われるがままに戻ると牛も車も元通りになっていた。それを見てほっと胸を撫で下ろした。
「よかった」
 それからその男は心を入れ替えに二度と他人に対して意地悪なぞしなくなったという。左慈の件で流石に反省したからであった。左慈はこの後徐に会い歓待を受けた。そして今度は荊州に向かったのであった。
 荊州を治めていたのは劉表であった。彼は皇族であり人格も温和だということで信望が高かった。だが今一つ気が弱く優柔不断であった。だがこの時の彼は違っていた。
「それは本当か」
「はい、間違いないかと」
 彼は腹心の部下である蔡瑁に尋ねた。彼は劉表の妻の兄なのである。
「そうですな」
 問われた蔡瑁は暫し考え込んだ。それから話をはじめた。
「まずあの左慈という者ですが怪しげな男であります」
「ふむ」
 劉表はそれを受けて頷いた。
「先に呉の孫策のところにいたというのは御聞きでしょうか」
「それは聞いている」
 彼もそのことは知っていた。
「何でも怪しげな術を使って孫策の策から逃れたそうだな」
「はい、聞くところによると孫策が馬で追いましたが追いつけなかったとのこと。やはり只者ではありませぬ」
「その様な男をこの荊州に入れてよいかな」
「私はそれには反対です」
 彼はきっぱりとそう答えた。この蔡瑁という男は将としては中々の才覚がありとりわけ水軍の指揮に秀でていた。それ故左慈の様な怪しげな男が国に入るということに対して危険なものを感じていたのである。彼は将として国の安全を預かる立場からそう答えたのである。
「あの様な者を国に入れるのはどうかと思いますが」
「そなたはそう思うか」
「はい」
「だがな」
 ここで劉表は顔を曇らせて言った。
「あの左慈という男は妖術を使う。あの孫策ですらそれを破れなかったのじゃ」
「はい」
「それはどうするのじゃ。奴を何とかするのは容易ではないぞ」
「殿」
 蔡瑁はここで言った。
「孫策は一人で奴を殺そうとしましたな」
「うむ」
 その通りであった。劉表はそれに頷いた。
「それが間違いだったのです。如何にあの男が武芸に秀でているとしても一人で仙人を倒すのは無理というものです」
「そうなのか」
「はい。ですから私に考えがあります。千の兵を用意できますか」
「何時でも出来るぞ」
「それならば問題ありませぬ。それを私に預けて下さいませ」
「その兵で何をするつもりか」
「殿、孫策は一人であったが故に失敗しましたな」
「うむ」
「それでは千人ではどうですかな。如何に左慈と申す者が妖しげな術を使いましても」
 そう言ってニヤリと笑った。彼もまた左慈を殺すつもりだったのだ。
「やるのか」
「はい」
 蔡瑁はまた頷いた。
「ここはお任せ下さい。宜しいでしょうか」
「うむ・・・・・・いや、待て」
 だがここで劉表は彼を止めた。
「どう為されたのですか」
「私も行こう。あの男がもし本当に仙人ならば色々と見てみたい」
「左様ですか」
「そうじゃ。どのみち今は特に大事もないしな。それで行くか」
「はい」
 こうして劉表は蔡瑁と千の兵と共に国境に向かった。左慈は荊州の入口で彼等を確認した。
「おお、これはこれは」
 彼はその千の兵を見ても怖れてはいなかった。ゆっくりと前に進んで来た。
「これはどうも。私を出迎えて下さるのですな」
「如何にも」
 鎧を着た劉表はそれに応えた。その後ろには武装した千の兵が控えていた。
「左慈殿ですな」
「はい」
「貴公に用がありここでお待ちしとりました。実は御聞きしたいことがありまして」
「何ですかな」
 左慈はにこやかに笑ってそれに答えた。
「貴公は仙人でしたな」
「如何にも」
 笑ってその問いに頷いた。了承の証であった。
「僭越ながら術をほんの少し使うことができます」
「左様ですか。それではお願いがあるのですが」
「何ですかな。術を御覧になりたいのですかな」
「はい」
 劉表はそれに頷いた。
「宜しければ拝見させて頂きたいのですが」
「わかり申した」
 左慈はそれにまた頷いた。だが蔡瑁はそれを見て怪訝な顔をした。
「殿」
「まあ待て」
 しかし劉表はここで彼を宥めた。
「まずは見てからでよいではないか。一度見て本物か害がないか見極めたい」
「そうですか」
 蔡瑁はそれには同意した。劉表は取り立てて有能な男ではないがかといって無能でもない。また血を見るのをあまり好まないのだ。それがわかっているから彼もそれに同意したのだ。
「さて」
 劉表はあらためて左慈に対して顔を向けた。
「それでは術を拝見させてもらいましょうか」
「わかりました」
 左慈はにこりと笑って頷いた。そして劉表に問うた。
「どの様な術が宜しいですかな」
「そうですな」
 彼は問われて考え込んだ。
「丁度お昼時ですし」
「はい」
「食事を頂きたいですな。ただし」
 ここで劉表は彼を試すことにした。
「ここにいる全ての者の食事をです」
「ふむ。一千はおられるようですな」
「はい。できますかな。貴方が術を使われるのならば容易いことだと思いますが」
「畏まりました」
 左慈はそう答えると杖を上に掲げて振りかざした。そしてそこから一斗の樽と一束の干し肉を出した。干し肉は皿の上に置かれていた。
「これで如何でしょうか」
「それだけですか」
「これで充分ですが。何でしたら貴方からお取りになって下さい」
「わかりました」
 劉表はそれを受けて前に出ようとした。だがそれを蔡瑁が止めた。
「我が君、お待ち下さい」
「どうしたのじゃ」
「危ないかも知れませぬ。ここはまず私が」
 彼はここで毒見役を買って出た。そして最初に肉と酒を取った。それを口に含んだ。
「どうじゃ」
「はい」
 彼は肉と酒を一口ずつ飲み込んでから答えた。
「美味いです。問題はないかと」
「そうか。ならば」
 それを受けて劉表も肉と酒を手にした。そしてそれを口にした。食べてみると蔡瑁の言う通り美味かった。そして見れば肉も酒も全く減ってはいなかった。
「減ってはおらんな」
「はい」
 左慈はそれに答えた。
「千人分どころか幾らでもありますぞ、ささ」
 彼はここで兵士達にも肉と酒を勧めた。
「どんどん召し上がられよ。幾らでもありますからな」
「はい」
「喜んで」
 兵士達も喜んで肉と酒を受け取った。一千人の兵士達が肉と酒を受け取ってもやはり全く減ってはいなかった。彼等はお替りをしたがそれでも減らない。そして彼等は肉と酒を心ゆくまで堪能した。劉表はそれを見て考えを決めた。彼は左慈に対して言った。
「左慈殿」
「はい」
「これからどうなさるおつもりですか」
「これからですか」
 彼はにこやかに笑ってそれに応えた。
「はい。荊州に入られますか」
「そうですな」
 問われた彼は考え込んだ。
「それではご好意に甘えまして」
「そうぞ」
 こうして彼は安全に荊州に入ることができた。そこに暫く滞在すると彼は今度は北に向かうこととなった。そこには漢の都許晶があり、この国で第一の実力者曹操がいた。彼は皇帝を立てて自らは天下を掌中に収めんとしていたのだ。人は彼を乱世の姦雄と呼んでいた。政治にも軍事にも長けた天才的な人物であった。左慈は今彼の勢力圏に入ったのであった。彼はこの時魏公となっていた。
 左慈が魏に入ったという話はすぐに曹操の耳にも入った。彼はすぐに都に彼を呼び出した。
 左慈はそれを受けて都に入った。そして曹操の前に出た。そこには豪奢な赤い服に身を包んだ鋭利な顔立ちの男がいた。彼こそが曹操である。

 
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