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幻影想夜

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第九夜「クロマティック・ファンタジー」



 夢現つ…とは良く言ったもの。
 夢の中なのか、はたまた現実のものなのか…。日常の最中にあるものは、本当に存在してるのでしょうか?

 さぁ、物語を御賞味あれ。ある憐れなる者の物語を…。


   †  †  †


 竪琴が響いてきた。
 どことなく物悲し気な音。どことなく懐かしいような響き…。そして、何処かへと誘うような…。

 風の無い半月の夜。そこはとても寂れた田舎町だった。その男は、仕事の都合でこの町に来ていた。
 名は兼山。三十代半ばの物静かな男であった。
 彼は会社の都合により、二週間の短期出張で来ていたのだ。
「こんな寂れた町で竪琴か…?何だか気味が悪いが、別に幽霊と言うわけでもないだろう…。」
 もう春も半ばというのに、夜はまだかなり冷える。そのため彼は、部屋に用意されていたストーブに火を入れた。
 それは前世代的な石油ストーブで、マッチで火を点けないとならない代物だったが、無いよりはマシと言うもの。尤も、その上で湯を沸かせるという点では重宝していたが。
 まだ竪琴の音は、月夜に舞っている…。
 彼はそれを何とはなしに聴きながら、やかんに半分ほど水を入れてストーブの上に搭せた。
「この肌寒い晩に、よく指先が動くものだ。しかし、この音はどう聞いても竪琴だと思うんだが…。近くに演奏家でも住んでるんだろうか?」
 まぁ、自分には関係の無いことだ…と、彼はそう思い、赤く燃えるストーブの火で暖をとった。

 一日目の晩のことだった。


   †  †  †


 数日が経て、何事もなく仕事は進んでいた。日中は晩の寒さも何処へやらで、汗ばむ程の陽気に彼は眠気を覚えていた。

―あれ?また竪琴の音が…。―

 彼の耳には微かに竪琴の音が響いていた。
「竪琴の音が…。」
 思わず口から漏れた…。
 それに、隣で仕事をしていた小林と言う男が反応した。
「兼山さん…、今なんて?」
 小林の顔は少し青ざめていた。
「いゃ、竪琴が聞こえたような気がしてな…。」
 そう兼山が言うと、小林は眉間に皺を寄せ、彼を見ることなく返した。
「竪琴なんて、この町の者は誰も持ってませんよ?それどころか、楽器の演奏なんて小学生のピアノくらいです。きっと聞き違いか空耳ですよ…。」
 そう言ったきり口を閉ざしてしまった。
「…何なんだ?」

―気持ち悪いなぁ…。何かあったんじゃないか?―

 誰に問おうにも、この町に来てまだ日も浅く、また短期ということもあり、彼は浅い溜め息を洩らして仕事に戻った。

―無理に聞き出す必要もないな…。後一週間もすればこの町を離れるわけだし…。―

 そうして、このことは胸の内へしまったのだった。

 その晩、昼のこともあって彼は気にはしていたのだが、結局…竪琴の音は聞こえてこなかった。

―やはり空耳だったか…?―

 彼は無理にでも尋ねるべきだった…。そう、無理にでも…。


   †  †  †


 翌日。昨日までの暖かな陽気とは打って変わって、春雨が降ったり止んだりする肌寒い日だった。
 彼は仕事を終わらせ、疲れた体で車を走らせていた。
「そろそろ中盤だな。さっさと仕事に片が付けば、のんびりと温泉にでも浸かってリフレッシュ出来るというものだ。」
 後二、三日もすれば目処が立つ。そうすれば、独り身の彼は早く帰る必要もなく、ゆっくりと休暇が取れる。会社もそれは想定済みだ。
 その仕事帰りの道、ふと横道があることに気付いた。
「こんな場所に横道なんてあったか…?」
 彼は不思議に思い、何となくその横道に入ってみたくなった。
 横道に入ると舗装はされていたものの、殆ど使われていない様子だ。両脇には鬱蒼と生い茂る山林が広がっているため、どうやら山の方へ向かっているようだ。
「一体どこへ続いてるんだ?」
 道はその先へと延々に続いている。だが、さっきから彼の車以外、一台も走っている車を見掛けることがなかった。
 時計を見れば、時刻は宵の口を示していた。
「もう折り返そう…。」
 そう考えた彼は、一旦脇に車を寄せて停まった。そして、ハンドルを切った瞬間…

―竪琴…!?―

 近くで鳴っている…。彼はゾッと背筋に悪寒が走った。

―やっぱり幽霊なんじゃ…―

 そう思い辺りを見回すと、後方に家の明かりが見えた。

―あんなとこに家が…―

 少しホッとして、車をUターンさせた。
「もしや、あの家の人が演奏しているのだな?」
 と、いう思いに至ったのだ。そう考えれば辻褄が合うからだ。

 しかし、人とは面白いもので、自分の都合で現象を繋いでしまうもの…。

 ねぇ、そうでしょう…?


   †  †  †


 彼はその家が気に掛かった。ゆっくりと車を走らせ、その家へと続く道が無いかと探した。すると、一本の細い道を見つけることができた。
 しかし…それはとても車の入れるような道では無かったため、彼は仕方無しに傘を持って車を降りた。
「随分と雑草が生えてるなぁ…。まぁ、歩く分には平気か。」
 そして傘を差し、彼はその細道に足を踏み入れた。
 数分も歩くと、彼の目の前には大きな洋館が見えてきた。
「こんなとこに…こんな大きな屋敷があるなんて…。そんな話は聞いてなかったが…。」
 訝しく思いながらも、彼はその洋館の扉の前までやってきた。
 見ると、その扉はアンティーク風な木彫が施され、横には呼び鈴の紐らしきものが垂れ下がっていた。
 時代錯誤な感じはするが、彼は折角ここまで来たのだからと、その紐を引っ張ってみた。

―カラーン、カラーン…―

 澄んだ鐘の音が屋敷の中から響き、暫らくして扉が開いた。
「どなた様でしょうか?」
 出てきたのは、とても美しい洋装の女性だった。彼は一瞬、我を忘れそうになった。
「申し訳ない、突然お伺いして…。失礼だとは思ったんですが、竪琴の音が気になってしまったもので…。」
 彼はそう言って、後ろ頭を掻きながら会釈した。
 女性は口に笑いを浮かべ、そんな彼へと返した。
「そうでしたか。あの拙い竪琴をお聞きに…。お恥ずかしいことですわ。」
 そう言うなり女性は一歩後ろへ退いて言った。
「わざわざお越し下すったんですもの。お食事でもご一緒して下さいませんか?使用人と二人暮らしですので、こういうお客さまは歓迎ですわ。使用人も二人分でしたら、腕を振るえるというものです。どうぞお入りになって下さい。」
 そう言って中に招いた。
「い、いゃ、そういう訳には…」
 彼は断ろうと思った。なにも、そんなつもりで来た訳ではない。出来たら、竪琴の奏者に会ってみたかった…それだけのことだった。
 しかし、女性は口に手をやって笑いながらこう言った。
「そんなこと仰らず…。ディナーの後、宜しければ竪琴をお聞かせしますわ。如何ですか?」
 この誘いは、とても魅力的なものであった。そして彼は躊躇いながらもそれに返した。
「そう言われるのでしたら、お言葉に甘えて…。」
 彼は誘われるまま…館の中へ入って行ったのだった。


   †  †  †


 ディナーはとても素晴らしいものだった。こんな寂れた町には不釣り合いなご馳走が並んでいたのだ。
「フフッ、立野ったら久しぶりのお客様だからって、随分張り切ったようね。」
 彼女はそう言って、口に手を当てて笑った。
「あのぅ…本当に申し訳ない。こんな贅沢な食事は初めてですよ。いや、実に美味しかった。お宅の使用人は、相当に腕が立つとみえる。このパンなんかは最高でした。この小気味良い触感は癖になりそうです。」
 彼は実に満足そうに、使用人の手料理を褒めそやした。
「まぁ!立野が聞いたら大喜びしますわ。後で伝えておきますね?」
 そう言って彼の前を見て、「あら?デザートはお召し上がりになりませんの?フルーツはお嫌いでしたか?」と、やや不安げな顔をした。
 彼の前にはマンゴーやチェリモヤなどの南国フルーツや、一口サイズのケーキなどが並んでいる。
「いや、今はとても入りませんよ…。フルーツや甘いものは好きですが…。」
 彼は腹を擦りながら、そう答えた。
「そうですか?ならば、竪琴をお聞かせすることに致しましょう。」
 そう言って席を立つと、彼女は「持ってまいります」と部屋を出た。
「本当にいいんだろうか?こんな豪勢な食事を出してもらった上に、竪琴まで聞かせてもらうなんて…。」
 でも満腹の彼は、もはやその誘惑を退ける気力なぞなかった。

 暫らくすると、とても古めかしい竪琴を持って彼女が戻ってきた。
「大変お待たせ致しました。」
 少しはにかんだ表情で椅子に腰を下ろし、竪琴を膝の上に乗せた。随分と小振りな竪琴だ。
「これは、ダヴィデのハープを模したものですわ。独特の澄んだ音色が好きで愛奏しておりますのよ?では始めさせて頂きますわね…。」
 そう言って、彼女はその美しい指で絃を爪弾き始めた。
 それは得も言われぬ妖艶な光景であった。
 半音階の繰り返される響きが部屋に満ちてゆく。まるで時が止まり、その音色が代わりに虚空を埋め尽くしているような錯覚に陥る。

―あぁ…、何だか眠気が…―

 彼は、その音の中に埋没してゆくような気がした。

―ここで眠ったら、彼女に失礼だなぁ…―

 たが、彼はその眠気に抗えず、その意識は夢の中へと…誘われていったのだった…。


   †  †  †


「また…消えちまったんだって?」
 町の住民が囁き合っている。
「ああ…今度は東京から来てた会社員らしいぞ?」
「あれか?“竪琴を聞いた”って言う…。」
 町の者は皆、恐れを含んで話していた…。
 無論あの消えた男…兼山の話だ。

 警察が調査してみると…兼山の車は鬱蒼と生い茂った山林の木々の狭間で発見され、なぜこんな所に入れたのかは全くの謎であった。その木の幹には傷一つなく、警察は首を傾げるほやなかった。

 さて、車の発見場所から程近い場所に、一軒の空き家があった。大戦以前から建っていると言われている大きな洋館である。
 後ろは、その周囲を取り囲むように、どこまでも山林が続いているだけの場所だ。
 その洋館は手入れもされておらず、かなり風化している。屋根は崩れ、壁は剥がれ落ちており、その隙間から向こう側の景色が見えている有り様だ。
 だが…この館には、とある言い伝えがあったのだ。

 この洋館が建てられたのは、大正時代半ばだと言う。アメリカで財を成した一人の男が、自分の一人娘を連れてこの町にやって来た。男は金に物を言わせてこの土地を買い、そして大きな館を建てた。それが、この洋館である。
 だが、元来穏やかな性格をしていた男は、町の者からは好かれていたという。娘は父親に似て温厚な子で、古めかしい竪琴を奏でてるのが好きな娘であった。
 娘がバルコニーで爪弾く絃の音は、風に乗って遠くまで響いていたと言われ、町の者はその音が聞こえてくると、じっと耳を澄まして聴いていたという。
 だが…ある時よりフツリと聞こえなくなってしまい、娘が病気にでもかかってしまったかと心配し、町の者等は様子を見に行くことにした。娘の父親さえ見掛けなくなったからだ。
 町の者が洋館に着いて呼び鈴を鳴らしても、全く返事が無い…。いつもなら外人の女中が愛想よく出てくるのだが…。
 ふと見れば、玄関のガス灯が灯った儘になっており、出掛けている…と言う風でもない。
 皆は不審に思い、そのまま裏庭へと回り込んだ。そして、誰かいないかと口々に呼んでみたが、全く返答がない。
「こりゃ、どういうことだ?」
 あまりの不自然さに、一人が仕方無く窓硝子を割ってカギを開け、中に入った。他の者もそれに続いて入ったが、屋敷の中には妙な臭気が漂っていた。
「なんじゃ?この匂いは…。」
 一同は顔を見合わせて、廊下を歩いた。そして、客室の扉が開いていることに気付き、そこから中を覗いてみると…。
「なんちゅうことだっ!!」
 そこには、この館の主人が、もう固まってしまったどす黒い血の中で息絶えていた。そこには蝿も集っており、入った時から漂っていた匂いは…この主人の死臭であったのだ。
「じゃあ、娘はどこじゃっ!あの嬢ちゃんはどうなったんじゃっ!」
 数人がバルコニーのある二階へ上がり、娘を探した。数分もしないうちに、娘の所在は明らかとなった。
「ああぁ…っ!何と酷い…!」
 その場に居たものは、全て顔を背けた。
 娘は自らの寝室で息絶えていた。胸を切り裂かれ、顔には無数の殴られた後があり、醜く歪んでしまっていた。どうやら犯された後に、刺し殺されたらしい…。
 その娘の手は、少し離れところに置いてあった竪琴を取るかのように、だらりと伸びていたという。その竪琴にも相当の血が飛んでおり、どす黒く染まっていた…。


   †  †  †


「またあの空き家かっ!?」
 忌々しいっ!土屋警部は顔を歪めていた。

―何がオカルトだっ!この科学の時代に、馬鹿馬鹿しいにも程があるっ!―

 そう思い立って、警部は三人の部下を連れて風化した館を訪れた。
「奴はこの空き家のどこかに隠れてるに違いないっ!どうせどこかでこの騒ぎを楽しんでるんだろうよ。早々に見つけだし、留置場へぶち込んでやるっ!」
 土屋警部はそう意気込んでいるが、無理矢理連れてこられた三人の部下は青ざめて言った。
「警部殿、この洋館に入るのは少し…」
 部下たちはそう難を示した。
「何を言っているのだ!司法に使える者が、そんなに腰が引けてどうする!いいから付いてこいっ!」
 部下の弱気を叱咤し、土屋警部は洋館の中に足を踏み入れた。
 しかしながら、あまりにも風化が激しく、隠れられそうな場所は殆ど見当たらない。そんな中で探してはみるものの、人っこ一人いやしない。
「奴め、どこへ隠れやがった!」
 苛立つ土屋警部は、階段を見つけて「今度は二階だっ!」と部下を促し、崩れかけている階段を注意深く登って行った。
 だが二階の廊下を数歩歩いた時…

―ポロン…―

 不意に竪琴のような音が響いた。
 四人はゾクッとし、目の前にある扉を凝視した…。
「君、その扉を開けろ。」
 土屋警部は嫌がる部下に命じ、その扉を開かせた…。
 命じられた部下は兢兢と扉のノブに触れ、それを手前へと静かに引くと、扉は少しばかり音をたてて開いた…。

「…っ!!!!」

 その中を見た四人は、目を剥いて我先にと逃げ出したのだった…。

 そこには…血塗れの竪琴が一つ、古びた机の上に鎮座していた…。


   ‡  ‡  ‡


 人は愚かなもの…。見ていて飽きることがない。
 この世に偶然なんてないの…全ては必然…



 そう…私が死んだようにね…



       end...



 
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