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幻影想夜

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第三夜「歩道橋幻影」


「どうしようもない…。」

 そこから飛び降りようかと考えてた。晩冬の夕闇に呑まれれば、永久に消え去れるような気がしていた…。
 僕は何をする気力もなく、虚ろにその歩道橋から…ただなんとなく流れてく車を見下ろしていた。
「意味なんて無いよな…僕はさ…」
 誰一人通らないその歩道橋の上、僕は一体何を求めてるんだろう?誰かに呼び止めてもらうのを待つかのように、ただ一人手摺りにもたれかかってる。
 風は冷たい。決して良い天気とは言えないが、雪が降らないだけマシだ。
 「帰れない…よな…」
 始まりは唐突だった。知り合い同士の争いだったんだ…。あの時、僕がその声に耳を傾けなかったら…彼等の助けになろうと思わなかったら…。
 過ぎ去った時間に“もしも”なんてことはない。ただ有るべくして在っただけのこと。
 僕は手摺りに掴まり、前に身を乗り出した。と、その一瞬…
「きみ、何やってんの?」
 僕はギョッとして、後ろを振り返った。さっきまでは確かに人の気配はしなかったのに…。
 一体いつからそこにいたのか、見知らぬ青年が僕を見ていた。
「ただ眺めてるだけだったらゴメンね。でもきみ、死にそうな顔してたから、思わず声掛けちゃったんだ。まぁ、足を手摺りに掛けようとしてれば、誰だって飛び降りるんじゃないかって、思っちゃうけどねぇ。」
 青年は半笑いで語りかけてきた。年は22か23位だろうか?
 青年は尚も続けて言った。
「こんなとこで死のうなんて、自分のことしか考えてないんだね?他人も巻き込むつもりだったの?」
 辛辣な一言だった。
 そう…ここから飛び降りれば、当然の如く事故も起こるだろう…。僕一人死ぬんだったら、他人を巻き込む必要なんてないはずだ。僕は俯いたまま、言葉を返すことが出来ずにいた。
 それを察してか、その青年は優しく語りかけてきた。
「ねぇ、理由を聞かせてみてよ、僕で良かったらね。他人に話すことで、何か解決の糸口が見つかるかもしれないよ?そうでなくたって、きみ一人悩んでるだけじゃ、きみ自身が押し潰されちゃうだけだろ?あ、ちょっと待ってて。」
 青年はそう言うと、駆け出した。
 なんなのだろう?あの青年は…?そう思ってると、然して待たずに青年が戻ってきた。
「ハイッ、どうぞ。」
 微笑みながらそう言って、僕へ缶コーヒーを手渡してくれた。
 温かい缶コーヒー。彼はこれを買うために、わざわざ下の自販機まで走って行ってくれたんだ…。
「ありがとう…。」
 その言葉を発するのに、かなり勇気が要った。見ず知らずの他人に、飛び降りようとしたとこを見られたんだ。どう弁明しようもない。顔から火が出そうだった。
「そう言えば、名前聞いてなかったね。僕は将之。水落将之って言うんだ。きみは?」
 一瞬、どうしようか迷ったが、正直に答えることにする。
「僕は中村和希。なんか、迷惑かけたね…ゴメン。」
 僕は頭を下げた。将之と名乗る青年は、僕の顔をそっと覗き込むようにして優しく言った。
「まだ何も聞いてないよ。さぁ、話してみてよ。ここは滅多に人も通らないし、車がこれだけ走ってれば、下に聞こえることもないよ。ちょっと寒いのが難点だけどさ。」
 笑いながら缶コーヒーの蓋を開ける。僕も苦笑いしながら缶コーヒーを開け、その場に腰を下ろした。
「切っ掛けは、一本の電話だったんだ…。」
 僕はポツリポツリと話し始めた。彼も座り、僕の話すことに耳を欹ていた。
 知人同士の諍い…それに伴う借金問題…仕事も辞めなくてはならなくなったこと…

 彼は僕が話す度に頷き、時に相槌をうつ。不思議と話してる間、何か見えない力が苦痛を取ってくれてくような気がしていた。
 それは、胸の奥に疼いてた膿んだ心を、少しずつ癒してれているようだった…。
 夕暮れが去り、もう夜の星の瞬き始める頃、僕の話しはやっと終えた。
 僕の話しを聞いて、彼は一言。
「きみだけのせいじゃないよね?これ。」
 僕はキョトンとした。他の人はこの話、半分も聞く事無く…
「おまえが悪いんじゃないか。首突っ込んだのだって、おまえが決めたことだろうが。自分で責任持つしかねぇだろうよ。」
 こう言われ、切り捨てられてきた。
 でも彼は、最後までもの言わず、ずっと通して聞いてくれたのだ。
 本来これが“人の話しを聞く”と言うものなんじゃないか?人は少しずつ病んでゆき、他人のことなど知ったこっちゃなくなるのだろうな…。でも、それに気付いて、僕はやっと笑えた。
 なんだ、そうだったんだ。
「きみは少し考えすぎだよ?確かに一つ一つがこんがらがって、今は見えにくくなってるけどさ。端から解決してゆけば、絶対全部うまく行くさ!だから、きみには頑張ってほしいなぁ。」
 彼は立ち上がり、笑って手を伸ばした。
「ああ、頑張るさ。どれだけかかるか分からないけどな。」
 僕は彼の手を取って立ち上がり、彼に面と向かって言った。
「聞いてくれて、ありがとうな。何だかスッとしたよ。何も一人で考える必要なんて無かったんだな。」
 二人で笑った。
 今までウジウジ悩んでた自分がバカらしくなった。
 正直な話し、まだ不安はあるけど、なんとかなるって分かったから大丈夫だ。もう死のうなんて思わない。未来を信じるしかないんだよな?
 将之は手を離し、笑顔のまま言った。
「ずいぶん遅くなったねぇ。もう帰らないとね。」
 優しく肩に触れて、階段を降りるように誘った。僕は咄嗟に、「また会えるかな?」と彼に聞いてみた。
「そうだなぁ、僕は本当に通りすがりなんだけどねぇ。縁があれば、また会えるんじゃないかな?この辺に住んでるから、全部解決したら、またこの歩道橋に来てみてよ。僕、ここよく通るからさ。」
 一人で登った歩道橋…それを今度は二人で降りてきた。何だか不思議な気分だ…。
「じゃあ、頑張ってね!」
 彼が手を差し出してきたため、僕はそれに答えた。
「分かった。期待に添うよう頑張るから。」
 将之と僕は堅い握手を交わした。
 そして、笑って彼とは別れたんだ。

   *  *  *  


 僕の悩みが晴れるのに、かなりの時間を要した。
 先ず、一連の流れをすべて両親に打ち明けた。
 最初は唖然とし、驚き惑っていたけど…僕のために出来得る限り助けてくれた。全く、不肖の息子だ。
 知り合い同士の争いは、結局、双方に責任があったのだ。当たり前と言えば当たり前なんだけどさ…。自分を守るために、互いが僕に嘘を吐いていたんだからね…。全く…顔見知り程こういうのは怖いと思い知らされた…。
 残った金銭問題もどうにかなりそうだ。まぁ…今すぐと言う訳には行かないまでも、少しずつ解決出来る見通しがついたから。
 僕はこの件でかなりの痛手を負ったが、心にあるのは…あの晩冬の夕暮れに出会った彼のことだった。
 彼のお陰で、今を生きて行く希望を持つことが出来たんだから。
「もうそろそろ…会いに行こうかな…。まぁ、会えるかどうか分からないけどさ。」
 季節は晩秋。もう少し経てば、彼と会ってから九ヵ月経つ。
 一年も経ってないのに、もう何年も会ってないような気がするなんて…。恋人でもあるまいに。
 長くて短い日々。何も考えず死のうとしていた、あの頃の自分とは違う。今度は堂々と、彼に会いに行ける。


  *  *  *  


 数週間、いつものようにあの歩道橋へと足を向けた。しかし、時間が合わないのか、ずっと会えず終まいだった。
 そんな中のある日。フッと下に目をやると、階段の脇に花束があることに気付いた。
 初めは何とも思わず、「誰かここで亡くなったんだなぁ…。」ってくらいにしか思わなかった。そのことを何となく母に聞いてみると、「ここ数年、そんな話しは聞いてないけどねぇ…。」と、こう返された。
 僕は何だか胸騒ぎして、迷惑も顧みずに歩道橋近くの交番に尋ねることにした。
 幸いここの警官は穏やかな人で、僕にあの歩道橋での出来事を語ってくれた。
「ああ、歩道橋下の花束のことか…。そうだなぁ、もう十四、五年位前になるか…。あの歩道橋でな、飛び降りた青年がいたんだ。とても優しい青年でなぁ、毎日この前を通るときには、挨拶してくれたもんだったよ。残念なことに、即死だったんだがな…。」


   *  *  *  


 今から十五年前の話。
 一人の青年がここで死んだ。この歩道橋からの投身自殺だった。
 遺書は残しておらず、両親は痛く悲しんだそうだ。
 青年の葬式の後、その両親の元へ二人の人物が訪れた。その二人は亡くなった青年の知人で、彼らは青年が死ぬことになった経緯を語り始めたのだ。
 そして…青年が自殺した理由が明るみになったのだ。
 彼はこの二人の間で仲裁をしていた。争いの訳は単純なものだったが、両者とも退くことがなかった。
 彼は二人とも助けようと奔走した。元来心根の優しかった彼は、人を疑うことを知らなかったのだ。
 争いの仲裁をしている間、少しばかり金に困ったことがあった。争っている二人の知人のためのものだったが、そのことは両親にはとても言えなかった。心配をかけたくなかったからだ。
 そこで彼は…金融会社を探した。要は街金だ。しかし、彼が借りたところは、普通のところではなかった…。詐欺団体のダミー会社だったのだ。
 彼は借金のために借金をさせられ、騙されたことに気付いた時には、既に後の祭り。当然、警察には届けを出しには行ったが、相手にもされず、弁護士に相談しても解決策は見つからなかった。
 同じところの堂々巡りの毎日に疲れ果てた彼は…とうとうあの歩道橋から飛び降りたのだ。


  *  *  * 


「彼の死後、彼を嘲笑うもんもいた。弱い人間だの、考えなしに行動した結果がこれだなどとな…。しかしな、わしはそうは思わんよ。わしは彼が優しく、暖かな心を持っていたことを知っとるし、彼が他人のために遣ってきた多くのことを覚えとる。彼の死の原因は、もしかしたら、この世間の冷たさなんじゃなかったんだろうかねぇ…。」
 僕は、この当時の彼が、自分と同じような状況に置かれていたんだと感じた。
「すみません…その青年の名前って、憶えてらっしゃいますか?」
僕は恐る恐る尋ねてみた…。

「よく憶えとるよ。水落将之くんだ。なにも二十四で逝くこともなかったんだがな…。わしにでも打ち明けてくれれば、どうにかしてやれたかも知れんというのに…。いや、もう遠い昔の話だな…。」
 なんということだろう…!多分…彼に間違いない。名前といい、歳といい…僕を救ってくれた彼に合致する。
「もしかして、彼はサバサバした物言いで、よく笑う人だったんでは…?」
「ああ、そうだったよ。君、知ってるのかい?」
 この警官の問いへの答えを…僕は持ってるんだろうか…?
 僕は親切なこの老警官に一礼すると、交番を飛び出した…!

― 速く、あの歩道橋に行かないと…!―

 なぜかそう感じた。この機を逃したら、もう二度と彼には会えないんじゃないかと…。
 僕は全力で走ってた。そして、あの歩道橋の階段を一気に駆け登った。

 あの時と同じように、人気の無い歩道橋の上。しかし、彼の姿は無かった…。
 心臓はバクバクいってる。僕は息を整えながら、ふと車道に視線を落とした。
 すると…そこには…

「将之…!?」

 彼は車線の真ん中に立っていた…。会ったときと全く同じ姿で…笑っていた。
「どうして…!?何で言ってくれなかったんだよ…!」
 僕は泣いていた。彼の優しさが嬉しくて…聞いてもらうばかりで…。
「僕はきみに、まだなにも返してないよ!今逝かなくたっていいだろ?僕はきみに救われたんだ!今度は僕の番じゃないか!」
 誰にも見えるはずの無い彼。周囲の人間は、怪訝な顔をしていることだろう。僕が…ただ歩道橋から叫んでるようにしか見えないだろうからな。
 僕の目からは涙が止め処なく流れていた。
 彼は手を振ってる…僕に向かって…
「……。」
 雑音に紛れて、聞き取ることが出来ない。
「なに?なにが言いたいの?!」
 僕は必死で彼の口を読みとろうとした。

「あ・り・が・と・う…?」

 そう読み取れた…けれど、続く言葉に…僕は…

「さ・よ・な・ら…!」

 そう読み取った直後、彼の…将之の姿が少しずつ消え始めた…。
 嫌だ、こんな別れ方!僕の心を救ってくれた人が…消えて行く…。
「嫌だぁぁぁ…!!」
 でも彼は、最後のその時まで笑ってた。天へ溶けて逝くその時まで…。

 まるで淡雪の如く…彼は去った…。満面の笑みを湛えて…。
「ありがとうって…僕のセリフじゃないか…」
 泣きながら笑って…その場に座り込んだ。

「あぁ、空がキレイだ…。」


   *  *  * 


 あれから数年の月日が流れた。僕は地元の会社員となって、懸命に働いてる。それなりに忙しい毎日を送れている。
 それでも彼の命日には、毎年あの歩道橋に花束と缶コーヒーを供えてくるんだ。
 そして…今年もまた、この歩道橋にやってきた。
「やあ、来たよ。」
 そう言って花束と缶コーヒーを置き、線香に火を点けた。となりには彼の両親が供えたものが置いてある。
「将之、きみの両親に会ったよ。昨日ここに来てるのを見てね…。話し掛けちゃったよ。きみも見てただろ?あのことを話したんだ…。あの時の僕みたいに、泣きながら笑っていたよ…。きみは愛されてるよ…今も…。」

 透るような空の蒼。その中で、彼が笑ってるような気がした。
「将之、僕は生きてるよ。今、この場所で…。」
 彼と出会った一瞬を思い出し、この空で彼がずっと笑ってられるように…

 祈った…。



       end...


 
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