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碇知盛  〜義経千本桜より〜

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1部分:第一章


第一章

                碇知盛  〜義経千本桜より〜
 これが源氏の因果であろうか。源九郎判官義経は実の兄である源頼朝と敵対することになってしまい彼から追っ手を差し向けられることになった。
 まずは鎌倉の頼朝の下へ届けられた平家の武将である平知盛達の首が偽者であったことにはじまった。頼朝はこれを義経が平時忠の養女である卿の君を妻にしていることから彼が平家を庇ったのだとみなしたのである。
 悪いことは重なりこの時に義経が後白河法皇から拝借された初音の鼓には実は頼朝を討つようにとの言葉が込められていたのである。
 こうしたことが重なり卿の君は自害し義経も都を落ち延びることになってしまった。都を後にした彼は僅かな家臣達と共に九州に向かう。そしてその途中で摂津大物浦に着いたのだった。
「この店の主は実は兄上になびかぬのです」
 大物浦に入ったところで常に義経の側に控えている大男が彼に告げてきた。この厳しい顔をした僧兵の姿の男こそが武蔵坊弁慶である。涼しげな顔立ちの美男子であり身体自体は細い義経とは正反対の外見でありその心はまさに忠義一徹として知られている。
「ですから頼りになります」
「そうか。兄上にか」
「御言葉ですが頼朝公はあまりに因果が多うございます」
 弁慶はここではまず言葉を控えめに出した。彼等の左手には青い海が広がっている。かつて彼等が平家を追い落としたその海がである。
「ですから。人によっては」
「そしてそれは私もだな」 
 義経はここで寂しい顔を見せて言うのだった。
「それはな」
「いえ、それは違います」
 弁慶はその寂しい顔になった主に対してすぐに告げた。
「義経様は悪くはございませぬ。ただ運命がそうさせているだけなのです」
「運命がか」
「左様です」
 彼はおう言って主を慰めるのだった。
「ですから御気になさらずに」
「うむ、左様か」
「まずは何はともあれ九州まで落ち延びましょう」
 弁慶は今はこれを勧めるのみだった。
「そうして時が来るのを待ちましょう。疑いが晴れるその時を」
「そうだな」
 彼には野心はなかった。兄にそれを疑われていると思っていたのだ。だが実際はそうではなかった。猜疑心の深い頼朝は義経が自分の座である源氏の棟梁としての座を狙っていると思っていたのである。そしてそれにより彼を粛清してしまおうとしていたのだ。だが政治の世界に生きていなかった彼はそのことを知らないのだった。これはまさに悲劇であった。
 そうしたことを知らぬ義経であったが何はともあれその店に辿り着いた。店の名は渡海屋といいまず一行を出迎えたのは店の主である銀平という男である。
「お話はわかっています」
 彼は身分を隠している筈の義経達の姿を見てすぐに言ったのである。
「都から西国に落ちられるのですね」
「それはそうですが」
「何、私のことはもうそちらの方から御聞きしている筈です」
 彼は明るく笑って弁慶を見つつ言うのだった。
「まあそういう事情で。それに貴方は天下の名将」
 今度は義経に対して言うのだった。
「それをむざむざ失ってはいけません。ここは私にお任せ下さい」
「かたじけない。それでは」
「貴方を頼朝公に討たせることはしません」
 見れば気品がありそのうえ闊達な表情である。顔立ちも悪くなくよく日に焼けている。そのうえ身体つきも非常にいいものであった。義経は匿われその部屋に入ったところで弁慶に対して話すのだった。
「あの主だが」
「銀平殿ですか」
「うむ。随分と気品のある御仁だな」
 彼は銀平のそうしたところをすぐに見抜いたのである。
「ただの店の主とは思えぬまでにな」
「確かに侠気のある方です」
 弁慶はまず主にこう述べた。匿われたといってもまだ安心してはいなかった。
「ですが気品もですか」
「そう、それがある」
 彼はまた銀平に対して話した。
「かなりな。まるで宮中におられたかのように」
「それは気のせいではないですか?」
「幾ら何でもそこまでは」
 弁慶以外の家臣達はそれは否定するのだった。
「確かに立派な方ですが」
「それでも」
「私の気のせいか」
 義経は彼等の言葉を受けてこう考えなおした。
「それでは」
「そうです。何はともあれ今は落ち延びることを考えましょう」
「九州まで」
「うむ、そうだな」
 何はともあれまずはそれであった。彼等は何はともあれ九州に落ちようと考えていた。そうして銀平ともその際に使う舟のことを話していたのだが数日後であった。店のおかみが義経のところに来て言うのだった。
「鎌倉の追っ手が迫っているそうです」
「何っ、もうなのか」
「はい」
 おかみは義経達の部屋を見て告げていた。
 
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