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黄花一輪

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6部分:第六章


第六章

 大柄で鋭い目をした男であった。礼服を着て腰には剣を帯びていた。
「侠累殿か」
 聶政は問う。
「そうだと言ったら?」
 侠累はその鋭い目を聶政に向けてそれに答えた。
「お命頂戴仕る」
 それが聶政の返事であった。剣を構え直して身構えてきた。
「今この場で」
「ここまで来たことはまず褒めてやろう」
 侠累は威圧する声でこう述べた。伊達に一国の宰相をやっているわけではない。恐るべき威厳がそこにあった。
「だが。ただやられるわけにはいかぬ」
 その腰にある剣を抜いてきた。鋭い銀色の光が瞬く。
「流石は一国の相。お見事です」
 聶政もその立派な立ち居振る舞いに賞賛を隠さなかった。
「ですが。これも義故。参ります」
「名を聞こうか」
 侠累は聶政の顔を見て問うてきた。
「見たところ身なりはともかく決して卑しい顔ではない。さぞ名のある者と見たが」
「名はありませぬ」
 だが聶政はそれには答えはしない。
「刺客に名がいりましょうか」
「そういうことか。ならばよい」
 侠累もそれ以上問おうとはしなかった。そして。
 周りの者達に顔を向けた。そのうえで言った。
「手出しは無用ぞ」
「なっ」
「公よ、それでは」
「よい。これだけの者をよってたかって殺したとあってはこの侠累の名折れ」
 彼は言った。
「わかったな」
「はい」
「それでは」
「これでよいな」
「かたじけのうございます」
 聶政は侠累を見据えながら口だけで礼を述べた。
「さすれば」
「参るがよい」
 両者は構えを取った。
「ならば」
 先に動いたのは聶政であった。まるで疾風の様にその場から姿を消した。
「むっ」
 侠累は彼の姿を見失ってしまった。その瞬間右から殺気を悟った。
「そこかっ」
 慌てて身体を捻る。それで聶政の一撃目をかわした。
 すかさず二撃目が来る。それは剣で受け止めた。
 速いだけではなかった。その威力も侠累が今まで受けたことのないものであった。剣を通して衝撃が腕にまで伝わってくる。
 それで腕の感覚が鈍った。だが彼も命をやるつもりはなかった。聶政に向けて剣を繰り出す。
 素早い突きを出したつもりだった。しかしそれは聶政によってあえなくかわされてしまった。ニ撃目も三撃目も。聶政の動きは速く影を切るようなものであった。
 暫く攻撃を出したが聶政の影を切るだけであった。これに疲れが見えたところで間合いを開こうと後ろに跳ぶ。
 その時だった。聶政も動いた。そして後ろに跳んでいる侠累を追い剣を斜めに一閃させた。
 左肩から右の脇にかけて血が噴き出る。それで全ては決した。
「ぐぬっ」
「これで終わりましたな」
 傷は深いものだった。血が止まりはしない。致命傷であるのは誰の目にも明らかであった。
「侠累殿、お命頂戴致しました」
「見事だ」
 侠累は片膝をついてこう述べた。口からも血を出しているが意識は健在であった。
「これだけの腕を持つ男が天下にいようとはな」
「お褒め頂き有り難うございます」
「わしもまた。剣には自信があったが御主程ではなかった」
 まだ片膝をついている。だがその顔からは血の気がさらになくなっていく。
「それに出会え、剣を交えたことを最期の誇りにしようぞ」
 そこまで言い終えると崩れ落ちた。そしてそのまま息絶えたのであった。
「公よ・・・・・・」
 周りの者達は最初は主の死を呆然と見ているだけであった。だがすぐに聶政に顔を向けてきた。
「よくぞここまで成し得たと褒めるべきか」
「だが」
「待て」
 ジリジリと迫ろうとする彼等を手で制止する。
「もう私にはやることはない」
「どういうことだ!?」
「やることが終わったということだ」
 聶政は言う。
「最早な。だから」
 すっとその場を去ろうとする。
「逃げるのか?」
「違う」
 呼び止めた兵士の一人にそう返す。
「逃げはしない。ただ」
「ただ?」
「部屋の中では迷惑になるからな。今更だと思うが」
 そして部屋を出た。そのまま庭に出る。
「ここならよいな」
「それで何をするつもりだ」
「最期を決める」
 聶政の声はこれまでより強いものになっていた。
「最期を!?」
「そうだ。こうしてな」
 持っている剣を掲げた。そして。
「言っておく。私には名はない」
 まずはこう言った。
「そして何者かは。教えるつもりもない。だから」
「なっ!」
 次の瞬間彼等は信じられないものを見た。
 聶政は自分の顔に剣をやった。そしてその皮を剥ぎだしたのだ。
「ば、馬鹿な・・・・・・」
「そこまでして・・・・・・」
 空の暗雲がさらに深くなり雷の音まで聴こえてきた。彼はその中で自分の皮を剥いでいったのである。
「これで顔はなくなった」
 顔の皮を床に捨てて言った。そこには血に塗れた赤いものがあるだけであった。
「そして次は」
「ぬうっ!」
「またしてもか・・・・・・!」
 剣でその目をくりぬいていく。右も、左も。遂にはそこには空洞があるだけであった。
 最期には膝をつき。そこに剣を入れる。
「これで私が誰か。わかる者はおるまい」
「・・・・・・・・・」
 あまりにも壮絶、そして凄惨であった。誰も何も言うことが出来なくなっていた。
「私は何者でもない。そして今あるべきところに還る。それだけだ」
 腹を切り己が腸を引きずり出した。それで最期を迎えたのであった。これまでにない凄惨な最期を遂げて。
 雷が落ち雨が降り注いでいく。聶政はその中で息絶えたのであった。義を果たして。

 
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