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契約書

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1部分:第一章


第一章

                      契約書
 十七世紀。この時代の応酬は魔女狩りの狂気の中にあった。
 これは欧州のほぼ全ての国で同じであった。悪魔という存在が真実の存在とされ誰もがその影に怯えていた。そして教会の力は悪魔とまさに比例して大きかった。
 これはフランスも同じであり同じカトリックの国である神聖ローマ帝国やスペインと血みどろの戦いを繰り広げながらも教会の力は大きかった。そしてその司祭達の力もだ。
 ユルバン=グランディエ。聡明でありまた美貌にも恵まれていた彼がサン=ピエール=デュ=マルシュの司祭に就任した。彼はこの地域の司祭になるとまずは神には祈らなかった。
 先に書いたが彼は聡明であり美男子であった。そしてこの時代の司祭にはよくあったことだが政治家でもあり色好みでもあった。彼は忽ちのうちに多くの政敵と愛人を作った。
 今で言う自由主義的な考えの持ち主でありこのルーダンという地域のカルメル派やカプチン派の者達と激しく対立した。というよりは彼が築き上げたその女性の人脈を駆使してカルメル派達に挑戦したのである。
 そして執筆も行い論文や風刺詩において才覚を発揮した。それによって多くの聖職者や地元の政治家を攻撃したのである。
 また彼の好色も思う存分発揮された。地元の有力者の妻達や娘達を次々に愛人にしていった。そしてそれを隠すこともなかった。彼は聖職者が妻帯することを主張した。これは信仰とは関係ないと主張したのである。
 この主張が唱えられる背景にもバチカンの腐敗があった。当時バチカンは聖職者であっても妻子がいることが普通であった。あの教皇アレクサンドル六世にしても娼婦である愛人との間に子供達がいた。その子供達こそがチェーザレ=ボルジアでありルクレツィア=ボルジアである。
 こうした時代であり彼だけが取り立てて問題だった訳ではない。若しかするとその女性関係を隠さず妻帯を主張したのは彼なりの神への考えだったのかも知れない。だからこそ他の宗派の聖職者達を攻撃したのかも知れないし自由主義的、即ち先進的な考えの立場から旧態依然とした地元の政治家達を批判したのかも知れない。女性達とのコネクションを利用したのも当時ではよくあることではあった。
 しかしである。彼はあまりにもむ無分別に敵を作り過ぎてしまった。敵を作らないということも政治においての術の一つだが彼は若かったのであろう。日本の首相であった竹下登はグレーゾーンを極限まで拡大して敵を作らずそのうえで政治を進めていったが彼はそれとは全くの正反対であった。
 白か黒か、もっと極端に言えば自分と敵であった。そのうえ彼はその若さから保身の術も知らなかった。これでは運命は決まったも同然であった。
 彼はとにかく女性関係が派手だった。ウルスラ会の修道院にも出入りしそこの院長であるジャンヌをはじめとして多くの尼僧達も愛人にしたのだ。
 その彼女達は彼との関係に溺れながらも神への罪の意識を持っていたらしい。ここに彼の敵達が目をつけたのである。
 とにかく敵の多い彼だった。すぐに密談が行われた。
「妻をたぶらかされた」
「娘を身篭らさせられた」
「従姉妹を愛人にされた」
「攻撃の文章を書かれた」
「信者を奪われた」
 とにかくそうした人物がごまんと集まった。その彼等が一斉に密談をはじめたのだ。
「あのシスター達を使うべきだ」
「ウルスラ会のか」
「あの修道院のか」
「そうだ、あそこだ」
 これまでは互いにいがみ合っていた地元の政治家達も各宗派の者達も今はグランディエ一人を陥れる為に一致団結していた。その彼等が企んでいたのである。
「あいつはあの修道院にも出入りしているな」
「そうだな。あそこの修道院長は美人だ」
「確かにな」 
 ジャンヌは美貌の修道院長として知られていた。その法衣を脱ぐとブロンドの短く切られた髪とつぶらな瞳が現われる。その美貌が彼に目をつけられたのである。
「彼女は確かにあいつと関係を持っている。そして」
「そしてだな」
「他のシスター達とも」
「あの修道院にもだ」
 一人が忌々しげに言った。
「あいつのハーレムになっている」
「忌々しい奴だ」
「しかしだ」
 ここでまた言われるのであった。
「彼女達は今罪の意識に苛まれている」
「罪か」
「姦淫の罪だな」
「それを使うのだ」
 こう話されるのだった。
「その罪を清める為に」
「その為に」
「何をせよというのだ?」
「悪魔の名を叫ぶ」
 それだというのである。
「悪魔にたぶらかされてだ」
「そして道を誤った」
「そしてその悪魔とは」
「あいつだ」
 既に答えは出ていた。これしかなかった。
 
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