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藤崎京之介怪異譚

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case.2 山中にて
  Ⅳ 同日 pm9:52



 時が経つのは早いもので、食事が終わって話をしていると、もう十時になろうとしていた。
 俺達は昨日と同様に、話の合間には演奏を楽しんだ。
「なぁ、あいつだったら、どう反応したのかなぁ…。」
 俺は何とはなく、ふとそう言ってみた。
「河内のことか…。さぁね、笑って変なもん見て得したなぁ…とか言ったんじゃねぇの?」
 小林がそう答えた。確かに、あいつだったらそう言っただろう。
 そう思って軽く笑うと、開けていた戸口から夜の涼風が入ってきた。
「思えば…、あいつもかなり変わってたよなぁ。お前らみたいにさ。」
 鈴木が一人、感慨深げに呟いたので、俺と小林は「お前が言うなっ!」と、口を揃えて言ったのだった。

 暫くは演奏も休止し、川のせせらぎや虫の鳴き声などを楽しんでいたが、不意に小林が言ってきた。
「あれ…やるか?」
「三重協奏曲…か。河内が好きだったな。低音のくせして、この協奏曲ばっかりやってさ…。」
 俺が言うと、鈴木も軽く微笑んで頷いた。

 三重協奏曲とは、バッハの“フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲イ短調”のこと。
 ちょっと変わった曲で、バッハが作曲したチェンバロのための「前奏曲とフーガイ短調」と、オルガンのための「トリオ・ソナタ第三番」からの第二楽章からのバッハ自身の編曲なのだ。
 無論、当時はこうした自作編曲は珍しいことじゃないが、三つの独奏楽器が違うのはこれだけだ。
 曲は、どことなく懐かしさを帯びた作品で、その中に寂しさや切なさ、時には優しさや慈しみすら感じさせるのは、さすがとしか言い様がない。

 だが…河内はもういない。支えである低音がいないのだ…。俺がリュートでチェンバロ・パートを奏したとしても、やはり限界がある。
 河内がいた頃は、合奏部をソロが分担してやってはいたが、一人足りないだけでも色褪せてしまうというものだろう…。
 しかし、懐かしさもあってか、俺達は目で合図しあうと、一斉に楽器を奏で始めた。
 この協奏曲をこの三人で演奏していると、どこかで河内がコントラバスを奏しているような…そんな感じがする。
 なぜ彼がこの協奏曲を好んでいたのかは、もう知ることは出来ないんだけどな…。
 曲は二十分程度で終わりを迎える。曲が終わるとまた、川のせせらぎや虫の鳴き声が部屋に響く。
「花火でもやるか!」
 小林が唐突に言ったので、余韻に浸っていた俺と鈴木はビクッとした。
「突然大声出すなって。ビビンだろうが…。」
 鈴木がジトッと小林を見た。
「あったの忘れてたんだって。ま、花火は慰霊のためのもんでもあるだろ?」
 珍しく、小林が学のあるようなことを言ってる…。
 別に花火が嫌いというわけではないが、この歳になって、しかも男三人でとは…些か厳しいものがあるように思うのだが…?
 まぁ、二人は全く気にしていない様だし、納涼として考えればいいか…。
「それじゃ、やるか!」
 俺が言う前に、鈴木が嬉々として答えた。俺は苦笑いしながらそれに賛同し、二人と共に外へと出たのだった。
 外へ出ると、頬を心地よい夜風が撫でて行く。見上げると満天の星空が広がっていたが、月は山蔭に隠れて見えなかった。
 そんな闇の中、童心に戻って花火をしてみると、これが意外に楽しい。
「子供の頃を思い出すなぁ。あの頃はなんも考えちゃいなかったがな。」
 鈴木が呟いた。今でも何も考えちゃいないように見えるが…。
 暫くは三人で楽しんでいたが、俺はふと思い、楽器を取りに行った。
 花火が慰霊のために捧げられるとしたら、音楽も同じようなものだ。それに、こんなとこで演奏ってのも、なかなか粋なものなんじゃないかと思っただけだ。
 小さな村。だが、ここで生きて死んでいった者達も多いことだろう。
 俺はそんな先人達に敬意を表し、花火が彩る夜の闇に音楽を奏でたのだった。
 残るは打ち上げだけとなった頃、小林は山小屋へと入って行った。残された鈴木は、なにやら予備の導火線を使って花火に細工をしているようだ。
 鈴木が花火を並べ終えて戻って来たとき、小林も中から戻ってきた。
 手には自身のヴァイオリン・ケースと、鈴木のトラヴェルソ・ケースが握られている。
「いいぞ。」
 小林がそう言うと、鈴木はトラヴェルソを取り出してから導火線に火を点けた。
「ヨハネのコラールだ。」
 鈴木が短くそう告げると、俺達は静かに演奏を開始した。その直後、花火が次々と打ち上がり始めた。
 これもバッハの作で、“ヨハネ受難曲”からの終曲コラール“Ach Herr,lass dein lieb Engelein”。
 本来は声楽曲だが、今は合唱団はいない。そのため器楽のみの演奏だが、やはり美しいコラールだ。四声の単純な編曲だが、この和声の美しさは、とても言葉では言い表せない…。
 どこまでも優しく、深い祈りの中に希望を感じさせる…、そんな曲だ。
 演奏が終わる頃、花火も最後の一本が打ち上がっていたが、それも名残惜しそうに花開いて…そして消えていった。
 その最後の輝きが消え去り、辺りに夜の闇が戻ってきた時だった。

―プァーッ…!―

 何の前触れもなく、車のクラクションのような音が、山々の間に響いた。
 俺達は驚きのあまり立ち上がり、音が響いたであろう方角に視線を向けた。
 すると、山間からバスの姿がハッキリと浮かび上がり、そのまま隣の山間へと消えて行ったのだった…。
「あれ…、バスだよな…?」
 小林が震える声で呟いた。
「ああ…、バスだった…。」
 俺は小林の言葉に返答した。いや、それしか言えなかった。
「あんなとこに道なんてねぇよ…。ありゃ一体、何なんだ…?」
 鈴木が唖然としながら言ったが、それに答えられる者は、ここにはいなかった。
 後で聞いた話しだが、この村が廃村になる以前にも、バスが通ったことはなかったという。
 強いて上げるとすれば、それは葬儀用のために出されたバスが通ったとのことだ。
 あれは、葬儀用バスの幻影だったのだろうか?たった一回鳴らされた長めのクラクション。
 どことなく霊柩車が家を出る時のようで…。
 本当に、この廃村には何があるのだろう?

 いや、あったのだろうか…?



 
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