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離れ小島

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4部分:第四章


第四章

 その彼等が死ぬ姿を見ながらだ。将校は言うのだった。
「これがだ」
「これがですか」
「戦争に負けるということか」
 このことがわかったのだった。
「そしてこれが奴等の正義だ」
「イギリスのですね」
「そして連合軍のな」
 彼等全体のだというのだ。
「これが正義なのだ」
「負けた者を嬲り殺すことがですか」
「嬲り殺しではない」
 将校はそれは否定したのだった。
「それは違う」
「しかしこれは」
「事故だ」
 彼は忌々しげに言った。
「これは事故なのだ」
「しかしそれでも」
「事故で終わる」
 将校はこうも言った。
「それだけだ」
「そんな、こんなことが」
「許されるのだ。そういうことだ」
「そうですか」
「勝者が正義であり全てを決める」
 将校はまた言った。
「それが世の中だ」
「そうなのですか」
 話を聞くその部下は項垂れるしかなかった。そして彼の目にも苦しみ死んでいく戦友達が見え耳には地獄からの声が聞こえ鼻には死の匂いが入ってきていた。それが全てだった。
 しかしである。それでもだ。
 イギリス軍の司令官にはだ。こう報告があがるだけだった。
「ふむ。日本軍の捕虜達はか」
「はい、蟹を食べてです」
「死んだのだな」
「あの河の蟹は赤痢菌を持っているのですが」
 報告をする将校は顔立ち自体はよかった。見事な茶色の髪を丁寧に整え鳶色の目をしている。軍服も端整に着こなしている。
 姿勢もよい。だがその表情には何か得体の知れない酷薄さ、いや悪意が見られた。その顔で司令に対して報告していた。
 それは司令も同じだった。気品のある外見だがそれでも悪意のある表情で己の席に座りだ。そのうえで報告を聞くのだった。
 それでだ。部下は報告を続けていた。
「それを食べてです」
「死んでいったのだな」
「困ったことです」
 部下は白々しい声で言った。
「これは」
「注意はしておいたのだな」
「一応は」
 こう述べる部下だった。
「壁に貼り紙をして」
「何だ、充分ではないか」
「しかし。わからなかったようです」
「誰もか」
「わかりやすいようにラテン語で書いておいたのですが」
 こう言う部下だった。
「誰もが学校で習う言葉で」
「そうか。なら充分だな」
 司令はわざと納得した言葉を出してみせた。欧州各国ではラテン語は学校で習うのだ。しかし日本ではそれは違っているのだ。
「それではだ」
「我々の落ち度ではありませんね」
「うん、それは私が保障する」
 司令もここでは真面目に返す。
「君達はよくやった」
「有り難うございます」
「しかし問題は日本人達だ」
「赤痢菌の蟹を食べ」
「そして虫がいる魚を食べた」
 『事実』だけを話すのだった。
「そのことが問題なのだ」
「そうですか」
「結論はだ」
 司令は悪意のある顔に戻って言い切ってきた。
「日本人には衛生観念がない」
「そうですね。確かに」
「だから死んだのだ。仕方のない話だ」
「では死んだ者達は」
「事故だ」
 一言だった。
「残念な事故だった」
「ではそれで処理しますので」
「そういうことでな。いいな」
「わかりました」 
 こうして話は事故で終わったのだった。書類や歴史に残る事実はこれで終わった。しかし他の事実ではだ。それは違っていた。
 収容所から出た将校はだ。日本に帰る船の中で一人呟くのだった。
「勝者は何をしても許されるか」
 離れていくその国を見ながらの言葉だった。
「それが事実なら。正義とは何だろうな」
 このことを思わざるを得なかった。戦友達が眠るその国を見ながら日本に向かうのだった。彼等が帰りたかったその祖国にだ。『事故』で死んだ彼等のことは忘れられなかったのだった。


離れ小島   完


              2010・10・28
 
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