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扇の香り

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第二章

「男爵ならば必ず」
「女性もですか」
「楽しめます」 
 このことは間違いないというのだ。
「卿ならば」
「だといいのですか」
「私はこうしたことでは嘘を言いません」
 政治の場では別だが、というのだ。
「ですから」
「ではその時に」
「お話しましょう、ただ」
「ただ、ですか」
「私が教えさせて頂く前に」
 まさにその前にというのだ。
「卿はどなたから声をかけられるかも知れませんね」
「その女性からですか」
「はい、どなたからか」
 そうなるのではというのだ。
「そうなるかも知れません」
「まさか」
「この世の中にまさかということはありません」
 タレーランは悪戯っぽく笑ってこうも言った。
「何もかもが起こってもです」
「おかしくはないのですか」
「しかもこの王宮にはあらゆる楽しみがあります」
「それ故に」
「はい、あらゆるものが起こりますので」
 まさか、そうした言葉はというのだ。
「ありません」
「そうなのですか」
「ですから。その時が来れば」
「私は楽しめばいいのですか」
「恋は甘いものです」
 タレーランはそれを知っていることもだ、男爵に話した。
「コーヒーもそうですが」
「コーヒーの甘さと恋の甘さは同じですか」
「そうなのです」
「コーヒーの甘さはまた格別ですね」
 男爵はここではコーヒーの苦さを置いてこう言った。コーヒーの甘さは砂糖とミルク、そして共に口にする菓子のそれだ。菓子の甘さも引き立ててくれるのだ。
「あの甘さが」
「恋の甘さなのです」
「そしてその甘さを」
「楽しまれる時も来るでしょう」
 それ故にというのだ。
「その時にはです」
「楽しめと」
「そうされて下さい、楽しみとは楽しむべき時に楽しまねば」
 タレーランはそこに深み、人生のそれもある笑みで男爵に語った。
「後で後悔することになります」
「そういうものですか」
「楽しみは不意に来て不意に去ります」
「気まぐれなのですね」
「非常に気まぐれです」
 楽しみはそうしたものだというのだ。
「ですから」
「その楽しみを逃さず」
「そして楽しまれて下さい」
「そうですか、では私も」
 男爵はタレーランの言葉に頷いた、そうして片足を引き摺る様にして歩きながらも気品と不思議な洞察を備えたこの男を見るのだった。
 この時はそれで終わった、だが暫くしてだった。
 男爵は王宮の中であるものを拾った、それはというと。
 扇だった、白い羽根で飾られた見事な扇だ。その扇を拾ってだった。
 そのかぐわしい香りに魅せられた、扇はただ華やかなだけではなかった。香りもまた印象的なものだった。
 香りにだ、男爵はその外観以上に魅せられた。それでだった。
 その扇の主を探した、王宮の中にいる者に片っ端から扇を見せて誰のものか、見せたその相手のものかを問うた。その中でだ。
 一人の貴婦人、白い髪を奇麗に飾った艶やかな青のドレスを着た美女がいた。青いサファイアを思わせる瞳に長い睫毛、それにだった。 
 左目の奥に泣き黒子がありだ、紅の唇は厚めで艶があり。
 小柄な身体に大きな胸が目立っている、年齢は二十代後半位であろうか。その貴婦人が彼の前に来てこう言った。
「その扇は私のものです」
「貴女のものですか」
「はい、オーセル男爵」
 微笑んでだ、貴婦人は彼の名も呼んだ。 
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