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SAO-銀ノ月-

作者:蓮夜
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第短編話 Ⅱ

 
前書き
本編には関係のない短編集・第二弾です。時系列無視の外伝とでも思っていただければ。
 

 
『水着』

「翔希くん、何読んでるの?」

 一条家の道場にて。リハビリの相手を頼まれた直葉は、 その道場に座り込んで何やら雑誌を読み込んでいる翔希のことを見かけた。駅にでも置いてありそうな雑誌の表紙は……所沢市のガイドブック?

「あ、ああ直葉。頼んでおいてすまない」

「ううん。それより……何それ?」

 バツの悪そうな顔をして雑誌を鞄にしまい込もうとした翔希だったが、あいにくと直葉の興味はその雑誌に向いてしまった。直葉の視線からそれを感じ取った翔希は、溜め息混じりにその雑誌を直葉に渡してきた。

「観光ガイドブック?」

「……実は……」

 やはり翔希が見ていたのは、近場にある地方都市の観光ガイドブック。美しい風景や食事処などが載ったページをめくっていると、翔希がこめかみを抑えながら話し始めた。

 曰わく、今度二人で出かけるコースを決めておいて、と里香に丸投げされたそうな。何か重大なことかと思っていた直葉は、翔希の口から重く語られたそれに思わず力が抜けた。
「……それだけ?」

「重要な問題だ」


 里香さんのことだから、冗談半分で笑いながら言ったんだろうなぁ――と直葉は確信する。それを翔希が真面目に受け取ったというか、真剣に考えているというか。……いや、どうせなら良い所に里香を連れて行ってあげたい、という翔希の思いやりか。


「見栄っ張り」

 とりあえず直葉は思ったことを口にすると、翔希はぐうの音も出ないように目を背ける。

「という訳でその……力を貸してくれないか」


「……まあいいけど」

 頼んでばかりで悪いが、と続く翔希の申し出を受けると、直葉は観光ガイドブックをペラペラと見る。翔希とこの雑誌の編集者には悪いが、個人的にはあまり惹かれるところはない……

「ALOじゃダメなの?」

「ALOで俺が知ってるところって行ったら、大体里香も知ってるからなぁ……」

 困ったように髪を掻き上げる翔希の言葉に、直葉はああ、と納得する。鍛冶屋の店主と助手などとやっていれば、情報源やどこに行っていたかは、秘密にでもしていない限りは筒抜けだろう。お互いに行き先を、わざわざ隠しているとも思えない。

「んー……里香さんって、確か温泉好きだったよね。翔希くんも」

「俺は里香ほどじゃないけどな」

 記憶を探ってみると、紹介できそうな場所に一つだけ心当たりがあった。シルフ領の奥地にある、高所でNPCが営業している温泉――のような――場所。ただし随分と曰わくつきではあるが。

「うーん……あんまり気は進まないけど、紹介できそうな場所はあるよ」

「本当か!」

 その時の翔希の、普段とあまり変わらないものの心底嬉しそうな顔は、大分忘れられない。直葉本人でも何を言っているか分からないけれど、雰囲気というかなんというか。

「ただし! あたしから一本取ったらね!」

「む……」

 翔希が少し苦々しげな表情を浮かべたが、すぐにその表情はキリッとした集中するような表情に変わる。ALO事件が終わって既に久しく、リハビリを続けてきた翔希の勘も大分戻ってきた。タダで教えるのも、何だか少し気にくわなかった直葉により、その条件は提案され――

「で、勝ったわけ?」

「……最後にお情けで一本だけ」

 ――大体負けたものの最後の最後で一本を取り、俺とリズはALOにあるシルフ領の高台へとたどり着いていた。プレイヤーどころかモンスターも立ち寄らぬ秘境に、その温泉のようなものは営業しているのだとか。

 ただし直葉が紹介を躊躇った理由は、その温泉がいわゆる曰わくつきの所だったということだ。何でも、行ったパーティーのプレイヤーがほぼ全てが、温泉に入る死に戻りしている、という。……ここで厄介なのは、ほぼ全て、という点だった。リーファも訪れたそうだが、何も起きずに温泉を浴びて帰り、同行していたレコンは半死半生で命からがら逃げ延びたという。

 腕に自信のあるプレイヤーたちが条件を調べ上げていそうな場所だが、シルフ領が世界樹攻略に力を入れたことで放っておかれ、他種族が入ろうにもシルフ領にあるため調べることも出来ない。そこにALO事件のことでこのゲーム自体が一時中断され、今は新生アインクラッドが――と、何があるわけでもないこの場所は、ただただ放置されていた。

「いーい景色にいい風。それに温泉もあるってんなら最高じゃない!」

 そんな場所でも――あるいはそんな場所だからか――立地条件はリズを唸らせるほど、最高の条件が揃っていた。シルフ領特有の美しい景観。それ以外にも、踏む芝生はほのかに柔らかく、昼寝でもしようものなら一瞬で意識を失いそうなものだ。

「でも大丈夫なの? その曰わくつき、ってのは」

 目的地に向けて草原を歩いていると、少し不安げな表情のリズが問いかけてきていた。行けば半殺しで帰ってこれればマシ、などと言われれば、流石の彼女も二の足を踏む。

「温泉のためだからな」

「そうね。何があろうと絶対温泉入ってやるんだから!」

 ……二の足を踏むことになったとしても、彼女が覚悟したなら後はその道に一直線だ。念のために持ったままのメイスを振り、その並々ならぬ熱意を素振りに費やしていた。

 そして歩くことしばし。木で作られた柵に囲まれる、小屋のような建物が見えてきた。直葉が言っていた『営業』という言葉の通り、どうやらあれは更衣室であるらしい。周りの柵は覗きが現れないための物……なのだろうが、全ての者が翼を持っているこの世界で、効果があるかどうかは不明だった。

「……ま、他に人もいないし、大丈夫でしょ」

 里香もどうやら同じことを考えていたらしいが、幸いなことに俺たち以外にプレイヤーの姿はない。曰わくつきというのも、こういう時には役に立つものだ。

「それに現実じゃ絶対やっちゃいけないけど、タオルでも巻いときゃいいしね……よし、たのもー!」

 結局、ここでジッとしている訳にも行かず、リズはメイスを持って更衣室に突撃する。俺も同じように男子更衣室に向かう……ように見せかけておいて、リズが女子更衣室に行くのを見届けると、そこに立ち止まる。

「……行ったか……」

 ――曰わく付きの温泉、選ばれし者しかいけない温泉……呼ばれ方は色々あったが、結局その条件は単純明快だ。アルゴやレコンにも確認を取ったそれは、恐らく間違いないだろう。

 この温泉に入ることの条件は……要するに、女性プレイヤーであること。リーファが入れてレコンが入れなかった理由は、ただのそれだけでしかない。つまり温泉に入れたプレイヤーというのは、無条件に女性プレイヤーであることと……温泉を守護する《死神》を倒した者のみ。

「来たか……」

 草原にゆっくりと新たな人影が現れる。全体的に黒や紫を貴重にした人型のモンスターで、西洋の神話をモチーフとしたこのALOにしては、珍しくメカのようなボディをしている。そして紫色の視線が俺を捉えると、倒すべき敵だと設定するように目が光っていく。

『Break up……』

 マシニクルな《死神》がその音声とともに起動する。その背中からはコウモリのような翼を放ち、右手は蜘蛛のような形状のクローアームに変質していき、左手には蛇のような鞭が装備される。アレが温泉を守らんとする《死神》のフル装備……アレを倒さなければ、俺は温泉へたどり着くことが出来ない。

「ナイスな展開じゃないか……!」

 自らを鼓舞させるようにそう呟くと、日本刀《銀ノ月》の柄をしっかりと握り込む。必ず温泉にたどり着く為に――負けるわけにはいかない、と俺は《死神》へと向かう。

『Execution……』

 もう一度鋭い眼光を見せた《死神》が、その左手に装備された蛇の鞭をもって先制攻撃。俺の足元を狙ってきたその鞭を小さくジャンプして避けると、さらに追撃しようとする鞭を踏みつけて無効化する。そのまま鞭を足場に《死神》へと走っていく……が。

「っ!」

 相手のパワーは予想以上に強く、《死神》が鞭を無理やり振り回したけどにより、踏んでいたはずの鞭から振り下ろされてしまう。しかもそれだけではなく、鞭はまるで蛇のように俺の足に絡みつき、俺を捕縛したまま伸縮して《死神》の元へ手繰り寄せる。

『Tune……』

 そのまま俺の足を鞭で捕縛しながら、《死神》はその右手が変容したクローアームで引き裂かんと、俺の胴体に向けて炸裂させようとする。このまま受けてしまえば、上半身と下半身がおさらばすることになるんだろうが……《死神》に近づいた瞬間、鞘に仕舞われていた日本刀《銀ノ月》が煌めき、俺の足に絡みついていた蛇の鞭を切り裂く。

「……らっ!」

 俺の胴体に向かっていたクローアームを翼を展開して避けると、その頭部に容赦なく跳び蹴りを放つ。蛇の鞭で引き寄せられた勢いの蹴りは流石に堪えたらしく、たまらず《死神》も頭から吹き飛ぶ。

 その隙に日本刀《銀ノ月》を構え直すと、翼をはためかせて倒れた《死神》の追撃に向かうが……《死神》も倒れるより先に、そのコウモリの羽で羽ばたき、こちらに向き直る。その顔は鉄面皮のままで、まるでダメージを受けた様子はない。

「そう上手くはいかない……か!」

 展開したコウモリの羽のそれぞれと、右手のクローアームからエネルギー波が発射される。無数の乱射されるエネルギー波が、確かに俺を撃ち抜かんと一つ一つ誘導されてきている。それらを日本刀《銀ノ月》で切り払っていくが、その隙に《死神》の接近を許してしまう。

『Tune……Spider……!』

 右手のクローアームにエネルギーが貯まっていくのを見て、俺はすかさず展開していた翼を消すと、急落下することで《死神》から距離を取る。日本刀《銀ノ月》を鞘にしまいながら、両足と片手でバランスを取りつつ着地すると、空中にいる《死神》の姿を視認する。

 ――と、クローアームに溜め込んでいたエネルギーを、こちらに向けて発射してきていた。

「抜刀術《十六夜》! ……くっ!」

 発射された球体のエネルギーを切り裂いたものの、直後にその球体は爆発。ダメージは小さいものの俺の身体を吹き飛ばし、一瞬だけだが俺の耳と目を狂わせる。ゴロゴロと草原に転がる俺の身体を、爆炎が漂う中で蛇の鞭が機械のように正確に俺の身体を捉え、みの虫のように俺の腕を含んで胴体を捕らえ拘束する。

『Tune……Spider……!』

 全く身動きが取れない中で、再び《死神》がクローアームにエネルギーを溜めていく。引き裂くのかエネルギーを発射するのかは分からないが、とにかく蜘蛛の鞭の捕縛から抜け出さねば『死』あるのみだが……俺と《死神》の筋力値の差か、まるでビクともしない。

「だが決着は……まだ早い……!」

 手も足も翼も出ないが口は出る。俺が唱えるのは風魔法――ただ風を起こす程度の初期魔法で、この蜘蛛の鞭の拘束を脱することは出来ないが……軽い物を動かすことくらいは出来る。

『――――!?』

 俺が先程爆発に巻き込まれてしまった時、『つい』ポーチから落としてしまっていたクナイが、その風魔法によって生じた風に乗り、空中の《死神》へと向かっていく。さて、落としてしまったクナイは何十本あったか――風とともに襲う無数のクナイに、《死神》が初めて驚愕の色を見せる。

『Tune……Bat……!』

「……そこだ!」

 コウモリの羽から放たれた拡散するエネルギー波に、地上から放たれたクナイは全て撃墜されてしまうものの……その隙をついて、俺は蜘蛛の鞭の拘束から脱却する。翼を展開して一回転すると、再び風魔法の詠唱をしながら日本刀《銀ノ月》の柄を握り締める。

「抜刀術《十六夜――鎌鼬》!」

 抜刀術の勢いで風魔法を発射し、全てを切り裂くカマイタチと化す――こちらの最大威力を誇る、実質的な切り札が放たれる。カマイタチは蜘蛛の鞭を切り裂きながら、《死神》の本体をも真っ二つにせんと向かっていく。

 それに対して《死神》が取った行動は、蜘蛛の鞭を左手から取り外して逃げること。蜘蛛の鞭を犠牲にしながらも、そのコウモリの羽でさらに上空へ飛翔することで、横一線全てを切り裂くカマイタチから逃れる――

「取った!」

 ――しかないと分かっていた。

 カマイタチに意識を集中させていた俺は、既に《死神》の真上に飛翔していた。どうしても真上という人型故の死角から、《死神》といえども反応が遅れてしまい、コウモリの羽からエネルギーを放とうとするも遅い。日本刀《銀ノ月》は《死神》の首へと添えられており、容赦することなく首を切り裂いていく。そのメカのような外見に違わず、《死神》のボディは日本刀《銀ノ月》の切れ味を持ってすらも、多少斬りづらかったものの……あくまで多少。このまま首を切り裂く――

「なん…………だ……?」

 ――為に力を添えているにもかかわらず、中ほどから全く刀身が進まない。《死神》の身体が硬質化したか、俺の力が弱まっているのか、それとも日本刀《銀ノ月》に何か異常が――と、様々な考えが頭の中をよぎったが、どれもこれも間違いだ。正解は……俺の動きが遅くなっている。

『…………』

 動きが遅くなった俺とは違い、《死神》は何ら変わらない動きで脱出し、逆に俺の首にクローアームを向け――る際、俺の動きが元に戻り、何とか《死神》を蹴りつつ離脱する。……日本刀《銀ノ月》で首を切り損ねた際に気づくべきだった。恐らく、その時には既に俺の動きは遅くなり始めており、日本刀《銀ノ月》は十全な威力を発揮していなかったのだろう。

「く……っ……!」

 ひとまず距離を取ろうとする俺の動きが、《死神》が左手をかざした瞬間、再び遅くなってしまう。風や草花、《死神》自体の動きはそのままであり、俺の動きだけが遅くなってしまっている……!

「ぐあっ!」

 クローアームから放たれた球体のエネルギー波が、今度こそ俺に直撃……爆発四散したその衝撃で、俺は受け身もままならず地上へと叩きつけられる。

 ……これが《死神》の隠し玉。左手をかざした相手の動きを極端に鈍らせる、という回避方法も分からぬ必殺技。どうするか、と考えながら立ち上がると、《死神》もまた俺の前に着地する。その背中にはコウモリの羽はなく、クローアームのように変容した右手は元の右手に戻っている。破壊した左手の鞭はともかく、《死神》は突如として全ての武装を解除する。

『Execution……Full break……!』

 もちろん見逃してくれる――という訳ではなく、《死神》から発せられたその音声とともに、《死神》のもとに両手持ちの大斧が出現する。一目見て巨大かつ鈍重だと分かる大斧だったが、《死神》は何でもないかのように軽々と扱ってみせる……恐らく、アレが《死神》の鎌のようなもの。罪人を地獄に送る必殺の武器。

「俺はリズと……温泉に入るんだ……!」

 それでも負けられない理由がある。日本刀《銀ノ月》の柄に付けられたボタンを押すと、刀身が小刻みに音をたてて振動していき、さらに切れ味を増していく。ただ切り裂くのではなく、超振動によって生ずる高周波によって物体を切削する、振動剣とも言える物へと姿を変える。この日本刀ならば、あの《死神》のボディとて斬り裂ける。

『…………』

「……《縮地》!」

 チェーンソーのような音をたてる日本刀《銀ノ月》を警戒しながら、大斧を構えた《死神》がこちらに向けて左手を構える。……が。その一瞬先に、こちらは高速移動術《縮地》により、《死神》の死角を高速で走り抜ける。俺を見失い周囲を索敵する《死神》に対し、俺はさらに翼を展開すると、空中へと羽ばたき《死神》の視界から外れ、再び上空からの一撃必殺を狙う――

『――――!』

 ――という選択肢は間違いだった。二度も同じ手は通用しない……とばかりに、《死神》は上空に目を向ける。それが出来た理由は、音。日本刀《銀ノ月》を振動剣にさせた際に生じた音が仇となり、その小さいながらも確実に発せられている音を頼りに、《死神》は空を向いたのだ。

 ……そして《死神》の視界に入ったものは。翼を展開して飛翔するショウキではなく――日本刀《銀ノ月》そのものだった。

「……ハズレだ」

 ショウキは空中になど飛んでいない。ただ、地上で《死神》の死角へ高速移動を繰り返していたのみ。《死神》が聞いた振動剣の音は、わざとショウキが聞かせていた音であり……空中に投げられた日本刀《銀ノ月》そのものだった。

 ショウキは《死神》の反応よりも早く、その身体を足場にして頭に膝蹴りを――俗にシャイニングウィザードと呼ばれる技を――叩き込み、その衝撃で空中へ浮かぶと、即座に翼を展開する。崩れ落ちる《死神》を前に展開した翼を器用に使い、反転……その勢いのまま再び蹴り上げる。《死神》が左手を上げようとするのを見て、すぐさまそこから離れると、空中で制止していた――《死神》の力で動作がゆっくりになっていた――日本刀《銀ノ月》を受け止める。

「終わりだ……!」

 《死神》が振るう大斧の射程外に飛翔しつつ、日本刀《銀ノ月》を銃のように構えて狙いをつける。あとは柄に装備された引き金を引くと……その切れ味は維持されたまま刀身が発射され、《死神》の身体を容易く貫く。そこまでしてようやく《死神》が怯んだ隙をつき、日本刀《銀ノ月》の刀身が新たに装備されたことを確認した後、大地に向かって羽ばたくとその頭部に向け――

 ――一閃。

 頭部……首部に蓄積されたダメージは許容量を超え、日本刀《銀ノ月》の一閃で遂に《死神》は大地に倒れ伏す。それと同時に着地すると、ついた血を払うように日本刀《銀ノ月》を払った後、それを鞘にしまい込む。倒れ伏した《死神》は何も言わないまま、ただ、ポリゴン片となって消滅していく。

「ふぅ……」

 短いながらも予想以上の戦いに一息つく。ダメージをポーションで回復しながらも、最大値まで回復するなど待てず、俺はさっさと更衣室へと走り抜ける。ここで休んでいる間に、再び《死神》が出現しては元も子もない……というのもあるが、早く入りたかったという気持ちが大きい。

 男性用更衣室の扉を勢いよく開け放つと――もちろん他の客は誰もいない――手早く装備を解除していく。いつもなら現実で着替えをするより楽だ、などとたまに思ってしまうのに、今日に限ってタイプミスを連発して無駄に時間がかかる。

 あの《鼠》やレコンからの情報だ、女性プレイヤーは襲われない、というのは確かだろうが――いやアルゴはともかくレコンは不安だが――リズはどうしているだろうか。《死神》と戦っていることはないにしろ、待たせてしまっているだろうか。ようやく腰以外の装備解除が完了し、あの《死神》を退け遂にリズが待つ温泉に突入する……!

 ……いや、まあ男女別なんだが。リズが待ってるって言っても。湯気が立ち込めていて少し先も見えないくらい、という少々演出過剰な男湯を前に、現実と違って身体を洗う必要はないが、一応かけ湯を浴びて温泉の中に入っていく。

 熱い湯の感覚が膝下まで回ってくる最中、どこかゆっくり入れそうな場所を探して、ジャブジャブと音をたてて歩いていると……

「……しょ、ショウキ?」

 ……と、湯気の向こうから小さな声が聞こえてきた。俺の他にここにいる人物と言えば、一人しかいないが……まさか。まさかとは思いながらも、湯気の向こうへ彼女の名前を呼びかける。

「リズ?」

「ま、間違えて男湯の方に入ってたみたい……すぐ出てくから、そっち向いてて!」

 慌てたような声が湯気の向こうから聞こえてきて、こちらも急いでそっぽを向く。俺と同じように、ジャブジャブと音をたてて歩いている音を聞きながら、ふと俺は考えた。男子更衣室は男湯、女子更衣室は女湯にしか通じていない筈なのに、どうやって間違えたんだ……という疑問は解決前に中断される。

「キャッ!?」

 ――俺の背後で大きな水音をたてて、転ぶような気配と彼女の悲鳴――俺が反射的に背後を見て、転びそうになる彼女を支えるのに、充分な条件だった。だが、転んだ彼女は温泉に入っていた姿になったわけで、少なくともこちらが見ていい格好ではない筈だ。

 しまった、と思いながらも湯気が晴れていくのを止めることは出来ず、支えていた彼女の水着があられもなくさらけ出され……水着?

「ぷっ……あっはははは!」

 ピタリ、と止まる俺の手の中で、彼女の笑い声がこだまする。現実でも見たことのあるような水着を着て、ポカンとしているだろう俺の顔を見ながら。

「あははっ。あー、あんた顔、顔真っ赤よショウキ……ふふふ、裸だとでも思った?」

 笑いながらちょくちょく話すリズの話を要約するに。間違えたというのも嘘で、転びそうになって俺に支えられたのも狂言で、このためだけに水着で待機していたわけで。……そのことが分かるくらいに冷静になってから、初めて俺が取ることが出来た行動は、腹を押さえて俺から離れたリズに対し思いっきり湯をかけることだった。

「うぇっ!?」

 もちろん笑い続けていたリズの口の中にはお湯が直撃し、反射的に吐き出すような動作をしている。俺はその間にとりあえず頭を冷やすべく、温泉に思いっきり頭をつけていた。……熱いので逆効果なような気もするが、こういうのは気分によるものだ。

「ごめんごめん、ちょっとやってみたかっただけだって」

 温泉から頭を上げて心頭滅却を果たすと、まだ少し笑いが残っているリズの顔が隣にあった。その髪の毛の色に併せた、スカートが付いた赤系統の水着を着ており、温泉に入っているからかどこか艶っぽい。……確か、現実でホルターネック式のスカート付き水着、とか言っていたか。

「水着で温泉なんて邪道だけど、ま、ショウキの珍しい反応も見れたし……こうして一緒に入れるから、よし!」

「……それも、そうだな」

 ……一度落ち着いて、ゆったりとした温泉の感覚が、《死神》との戦いで疲れた身体に染み渡ってくる。VRMMOでの温泉は、温泉というより温水プールに近い物が多いのだが、ここはその中でも限りなく温泉に近い。

「ここはいい場所だな……」

「ふぃー……ね」

 肩程まで浸かる温泉だけでなく、その上を吹く風と見える木々も美しい。おおよそ現実離れした光景だとしても、再現できるのはこちらの世界に軍配があがるか。

「ね、手……握っていい?」

「……ん」

 隣り合わせの彼女と水面で手を重ね合わせる。体温と心音が伝わり合い――そんなはずはないのに――聞こえるのは風の音と鳥の鳴き声と、二人の心臓の音。

「ドキドキしてる?」

「……分かるだろ」

 照れ隠しめいた俺の言葉に、彼女は不満げに口をとがらせる。わざわざ言わせなくても分かっているだろうに、そんなに言わせたいのか……と観念する。温泉の熱さ以外の原因で頬が熱くなるのを感じながら。

「……ドキドキするさ、そりゃ」

「あたしも。……ショウキの手、あったかいね。あんたの熱はあたしにとって、やっぱ特別みたい」

 雲一つない今日の天気で顔を見せている、太陽のような笑顔で彼女は笑う。少し眩しい……けれどとても心地よい。この仮想世界で感じる体温や心音なんて、あくまでただの電子信号にすぎない。それでも、こうしていれば相手の心の温度を感じていられる――俺もリズも、そう信じている。

テーマ:水着。なべさんにリズベットのイラストを書いていただき、報酬の押し付けに行った作品ver2。死神……魔進チェ○サー……うっ頭が

『恋』

 さて、どうしたものか……と。俺は平日の昼間から、ひとしきり悩む羽目になっていた。原因はただの一つ、俺の目の前にいるピンク……いや、今は茶色めいた髪の色をした少女のことしかない。

「…………」

「えーっと、リズ……じゃない、里香。何だ、どうした」

「…………」

 特に何か用事があるわけでもない昼間、俺の前に現れた里香は、何も語ろうとはしなかった。ただこちらを眺めているだけで――時折睨めつけるような視線が痛い――何も語らず、ただ座っているだけなのだ。

「あー……」

「…………」

 ただこちらをジッと見てくる里香の視線に耐えられず、つい癖である髪をクシャクシャと弄りつつ目をそらし、何か話そうとすると里香の視線が鋭くなる。……これは「お前も喋るな」ということなのだろうか。

「…………」

「…………」

 仕方ないので、とりあえずこちらも黙ってみるが……数秒とたたずこの沈黙が辛い。特に、いつも騒がしいほどに明るい里香が、こうして黙っているという違和感に耐えられない。

 何か悪いことでもしただろうか――と必死に記憶を漁り始めていると、中古のスマホから通知の連絡が届く。里香から目を離すついでに、その通知を慣れない手つきで確認すると、その送り主は和人。内容は……要するに『明日奈が黙っていて何も言わない、助けて欲しい』――どうやら同じ悩みを抱えているらしい。むしろ、こっちが助けて欲しいところだ……というか助けてくださいお願いします。

「……里香」

 ――などと、現実逃避をしている場合ではない。いい加減にしろ、と言わんばかりに溜め息混じりに語りかける。それでようやく里香も観念したのか、ばつの悪そうな顔をしながら、小さく話しだした。

「……さっきの沈黙、居づらかったよね?」

「それは……まあ」

 いつも明るく喋りかけてくる人が、いきなり黙ったりすればそれは雰囲気は静まる。特に、彼女の明るさにはいつも励まされてきたというのに――と、関係のないことに言ってしまいそうな思考をせき止め、少ししょんぼりとしている里香を見る。

「で、さっきのは何がしたかったんだ?」

「いや、そのー……な、なんでもないわよ……って訳にはいかないわよねー?」

 一睨みして里香に言葉もなく釘を差しつつ、彼女の台詞にコクリと頷くと、里香は遂に肩を落として語り出す――今回の事件の真相を。……いや、そんな大した話ではないんだが、断じて。

「その、ちょっとこんなことを明日奈と小耳に挟んで」

 そうして里香はたどたどしく、言いにくそうに、歯切れの悪く語り出す。その明日奈と一緒に小耳に挟んだ話、というのを頬杖をつきながら聞いていた俺は、ついその話に転びそうになる。

 ――曰わく、『しばらく二人で黙っているといい。その沈黙に耐えられる関係かどうか』とか。そんな高名な方の、そんな有名な格言が、あるとかないとか……確かに自分も聞いたことがあるような気もする。

「……それでいきなり黙ったのか」

「うっ……」

 里香が図星を突かれたような声を漏らす。沈黙が耐えられるか耐えられないか、という関係であろうがなかろうが、いきなり会った人物に黙られては気まずくもなる。というかその言葉は確か、友情に関する格言ではなかったか。

「それに……それなら今更だろ」

「え?」

 ため息一つ。そう言ってみせたが、里香は疑問を問いかけるように、少し首を傾げる。……わざわざ口から言うのは気恥ずかしいのだが。

「ALOで鍛冶してる時とか、この前のテスト勉強とか……色々さ、黙ってる時はあるだろ」

「あっ……」

 両者集中して新たな武器を鋳造している時、武器に心を込めて打っていて、喋っている暇などない。むしろ喋っていては怒られるほどだし、日常生活にだって沈黙している時も充分にある。

「――けどさ」

 ……だけど、今回俺が言いたいことは……そういうことじゃない。

「里香は……いつも笑ってて、楽しく喋ってた方がいい」

 ついつい、そんなことを呟いてしまう。言った後にその言葉の気恥ずかしさに気づき、言われた里香も顔を少し紅潮させていた。

「――――。な、なに恥ずかしいこと言ってんの、あんた……」

 ……確かに彼女の言う通り、気恥ずかしくて里香から顔を背けてしまう。失言だった、よく解らないことを口走った――と後悔の波が押し寄せてくるが……観念して、里香の方に向き直った。

「……ま、そうよね」

 すると、彼女はそう小さく呟いたかと思うと、いつも通りの表情でこちらに笑いかけていた。さっきのことはなかったかのように、だ。

「うん、さっきのは忘れた忘れた! そんなことより、行きたいクエストがあるんだけど――」

 さらに里香の言葉はそう続いていく。……今回ばかりは、その都合のいい展開に付き合うことにする。

 その笑顔に免じて。

テーマ:恋。恋ってお題で短編ということでしたが、難しくて不完全燃焼。うむむ。

『罪悪感』

「むむむ……」

 篠崎里香は悩んでいた。学園の食堂でパックのジュースを飲みながら、微妙に心苦しそうな表情をしながら。新生ALOも様々な問題があったものの何とか軌道に乗り始め、このSAO生還者用の学校にも慣れてきたところだったが、里香には一つ悩んでいることがあった。

「えーっと……里香? どうしたの?」

 向かいの席で一緒に食事をしていた明日奈――あいにく和人とは時間が合わない日だ――が、おずおずと里香に話しかける。里香はその問いかけにハッとして正気を取り戻すと、何でもない、とばかりに慌てて手を振った。

「ご、ごめんごめん! ちょっと考えごとしててさ!」

 今考えることじゃないや――と続ける里香に対し、明日奈はジトーっとした視線で里香のことを見つめる。その探るような視線に耐えられなくなったのか、里香は観念して溜め息混じりに話しだした。

「ごめん。最近ちょっと悩んでて……」

「やっぱり。良かったら相談くらい乗るよ?」

 明日奈はそう言ったものの。肝心の里香が、うーん、とか人に言えることじゃないし、とかそもそも云々、などと言っていて要領を得ない。それに業を煮やした明日奈は、もじもじする里香に一言呟いた。

「翔希くんのことでしょ?」

 ――ピクリ、と反応したのみで里香がそのまま固まった。随分と分かりやすいその態度に小さく笑いつつ、普段からかわれてるのを返してしまおうか、などと黒い衝動が内心湧き上がってくるが、流石にそれは抑えておく。

「いやー……そんなんじゃ……」

「翔希くんのことでしょ?」

「……はい……」

 ようやく認めた里香に素直でよろしい、と声をかけると、里香は恥ずかしさからか机に突っ伏してしまう。その珍しい里香の姿が可愛らしくて、つい、よしよしと頭を撫でてしまう。

「いつでも相談に乗るよ? キリトくんの時もお世話になったしさ」

「実は……」

 それでもまだ言いにくそうにしていたが、遂に観念したのか里香は口を開く。目に見えて様子がおかしいと分かるくらい、彼女がずっと悩んでいたこととは――


「……好きって言ってない?」

 ほぼ同時刻。桐ヶ谷和人は授業の休み時間の最中、次の教室へ向かう間に廊下を歩いている時、隣の翔希からそんな相談を受けていた。そういう相談をこの友人から受けるのは初めてで、翔希当人も困惑しているらしく、髪をクシャクシャと掻きながら小さく呟いた。

「その……里香に好きだ、って言ってないってことか?」

「……まあ、端的に言えばそうなる」

 端的に言わなくてもそういうことだろ、と思いながらも、和人はその相談に頭を捻る。……要するに、照れくさくてあまり「好きだ」という感情を出せていないのだが、それでいいのだろうか、というのが翔希からの相談だった。彼女を通り越して嫁を持っているに等しい和人に相談をしてきた訳だが、聞かれた和人もなんと答えればいいのか。

「その、なんだ。翔希は前に彼女とかいなかったのか?」

「あいにく、青春時代を浮遊城で過ごしてたもんで。……いや、俺だけじゃないけども」

 それもごもっともな話だ。和人当人はどうだったか、と思い返してみると――言っていただろうか。むしろ自分が不安感に囚われてきた和人は、翔希そっちのけで考え込んでしまう。

「…………」

 最後に言ったのはいつだったか――とブツブツ呟きだした和人の姿を見て、相談する相手を間違えたな、と翔希は嘆息する。あまり何度も言う言葉ではないと思うが、件の告白の時にしか言っていない、というのは問題があると思うわけで。かといって対策は、自分が照れくさい、という感情を捨てるだけである。相談するまでもない。

「言うしかないよな……」

「なんて?」

「それはシンプルに好きだって……!?」

 上の空で返答してしまった後に、隣にいた和人はまだ頭を抱えていることに気づく。つまり、今問いかけてきたのは和人ではなく、というか女の声であり。驚愕しながら背後を振り向くと、そこにいたのは、先に質問を問いかけてきた明日奈と――

「……リ、ズっ……」

「……好きって言ってない?」

 ――少し時間を遡り。明日奈は遂に、里香が悩んでいたことを暴き出した。……その時の明日奈は知る由もないが、奇しくも翔希が相談していたことと全く同じことで。

「翔希くんに好きって言ってないってこと?」

「……そうよ!」

 半ば逆ギレのように里香に叫ばれてから、明日奈は里香の悩みがどういうことか把握する。自分が須郷伸之に囚われていたALOの事件の後、翔希が新生アインクラッドの前で里香に告白した、ということは里香から聞いていた。だが今聞いた限りでは、照れくさくて一度も翔希に「好きだ」とは言っていない、という。

「告白を受けた時はどうしたの?」

「『……はい』って」

 肯定しただけで言葉に出してはいない、ということらしい。ゲームクリアしてアインクラッドが崩壊した時、愛してるとは言ったが、本人に直接言った訳ではなく――翔希本人には聞こえていたが――明日奈も知らないことなので、今回の件とは関係ない。

「うーん……じゃあ言っちゃえばいいんじゃない?」

「言えないから困ってるんじゃないの!」

 ただ相談するだけということに耐えられなくなってきたのか、里香は近くの自販機から缶コーヒーを買ってきていた。ブラックコーヒーの蓋を開ける里香を眺めながら、明日奈は名案を思いついたように手をついた。

「じゃ、今から会ってこよ、翔希くんに!

「はぁ!?」

 大丈夫大丈夫――と言いながら、明日奈は里香の手を握る。確か今日は和人と翔希は同じ授業で、今はその授業のための教室に向かっているはずだ、と里香を無理やり引っ張って走り出した。

「コーヒー、開けたばっか、こぼれっ! それにまだ準備とか――」

「会ってみなきゃ解決しないって!」

 里香はコーヒーがこぼれないようにバランスを取りながら、そのまま明日奈の記憶通りに、和人と翔希がいる廊下へとたどり着き――

「……リ、ズっ……」

 ――今に至ることとなった。明日奈と昼飯を食べている筈の里香が、何故かそう明日奈とともに背後にいた。全く気配を感じていなかった、油断した――などと現実逃避をしている暇もなく。全力で逃げ出したくなる衝動に駆られ、いや今にも次の教室に走り出し――

「……ありがと、翔希」

「え?」

 足に力を入れようとした直後、小さく里香の口からそう呟かれた。聞き返そうとする暇もなく、俺の目の前にある物が突き出された。

「コーヒー……まだ飲んでないから」

 買ったばかりのような缶コーヒー。少しこぼれているようにも感じられたが、まだ人肌のように温かい。訳も分からないまま里香の手を握りながらも、その缶コーヒーを受け取った。

「こっちこそ、な。里香」

 平静を装いながらも返礼をすると、里香はこちらに顔を見せないようにして走り去ってしまう。……何やら話し始めている桐ヶ谷夫妻を後目に、里香から貰ったコーヒーを一口飲むと、強くその思いが現れる。

 ……まあ、自分たちは自分たちなりにやっていこう、と。


テーマ:罪悪感。lineで出されたお題を元に書いたものだけど、相変わらずのテーマ詐欺というか、正妻様無双というか。何にせよ、この後のリズはご想像にお任せということで、一つ。

『三膳』

「ただいま……」

「おかえりー」

「お帰りなさいませ」

 浮遊城アインクラッド。最前線の層が64層にまで到達していたある日のこと、第48層リンダースの一角に設えられたプレイヤーショップ、《リズベット武具店》にそんな三者三様の声が響く。

「ふぅ……」

 ただいま、と声を出したショウキは、疲れた様子で近くの椅子に座り込むと、自らのストレージから水筒を取り出し一服する。本来はショウキの家はこの隣ではあるのだが、ショウキ本人もこの武具店の店主も気にはしていないようだ。

「今日も疲れてるわね……」

 店番を店員NPCのハルナに任せながら、リズが疲れた様子のショウキへと近づいていく。彼女は噂話でしか知りようがないが、どうやら迷宮区の攻略が手間取っているらしく――フロアボスの待つ部屋が隠されており、この数週間発見できていないらしい。

「まあ、な……ありがたいことに、血盟騎士団の皆さんに使われて」

 それに対し攻略組のプレイヤーが取った手段は、迷宮の難易度自体はそれほどでもないことに目を付けた、攻略組以外のプレイヤーも巻き込んだ人海戦術。それには例外なくショウキも巻き込まれており、1日ダンジョンにいることも珍しくなかった。

「キリトなんかはこれを毎日こなしてるのか……」

「そういえば……昼食とかはどうしてるの?」

 あまりダンジョンに一日中潜る、という経験がなく疲弊するショウキに対し、リズは素朴な疑問を発していた。いくら仮想世界といえども、食べなければ力も出ないしいずれ倒れる。この世界だろうと文字通り死活問題で、料理スキルがあるほど重要な要素だ。

「それは……町に帰ってレストラン、って訳にもいかないしな。不味いパンが支給されてるよ」

 いや、アレは不味いってより味がない、だな――とショウキの言葉は続く。浮遊城の攻略も半分を越えて、最初期からプレイヤーたちの間にも幾分余裕が出来てきたとは言えども、流石にフィールドに出るにあたって料理スキルを習熱するような者はおらず。

 ……実はショウキは少しばかりスキルを習得してはいるが、前線での遊撃に回され料理に手を加えている余裕などなく。

「ふーん……じゃ、ちょっと待ってなさい!」

 最初は、うへぁ、というような何とも言えない表情を返したリズだったが、その後何かを閃いたように店の裏側へ駆けていく。ショウキはそんなリズの後ろ姿を眺めながら、休みつつ少しばかり待たせてもらうと――店の奥から、その何かは現れた。

「…………えっ」

「よい、しょっと!」

 リズがNPCのハルナに手伝ってもらいながら、ショウキが待つ机に持ってきたのは――巨大な肉塊。天を衝くような圧倒的生肉の塊だった。

「……何だこれ、リズ」

「ありがとハルナ。いやー……鍛冶屋仲間から貰ったんだけどねー……?」

 モンスターの素材の中には、もちろん料理に使える素材も存在する……というか、生肉などは大体その用途にしか使えない。そんな限定的な用途を誇る物体が、机の上に積み上がっていた。少なくとも武器を鍛えるには使えないソレは、リズが鍛冶屋仲間から押し付けられ――貰ったものであり、料理のための『食材』だった。

「そんなだから、あんたの昼飯にどうかなって」

「いや待てこれ食えるのか」

 余ったからついでに作ってあげたわよ――なんて古来よりあらたかな照れ隠しではなく、本気でいらない。しかして食材ならば捨てるにももったいなく、ショウキへとあげようとしたものの――破滅的生肉に圧倒されている、ショウキ本人の反応は芳しくない。当たり前だが。

「そりゃ……肉なんだから食べられるんじゃない? なんなら、あたしが作ってあげましょうか?」

 その言葉を言ってしまった後から、リズは自分の失言に気づく。作ってあげましょうか――などと言ったところで、自分には料理スキルどころか、料理の経験すら不明瞭だというのに。

「……あ、やっぱ今のな――

「いや、むしろそっちの方が不安だ」

「――ちょっと、それどういうことよ」

 リズが自らの発言を否定するよりも早く、ショウキは即決即断でリズの申し出を断った。ショウキからしてみれば、リズには料理スキルがないのは明らかなため、冗談だと考えたのだが……いざあっさりと否定されると、それはそれで不愉快で。女の子としては。

「だってリズ、料理出来ないだろ? スキルとかは別にして」

「や、やってみなきゃ分からないじゃない!」

 ショウキの『リズって料理出来なさそうなイメージ』から放たれた質問に、リズは慌てて否定するものの、その答えはむしろ肯定したようなもので。自分でもそれに気づいたリズは顔を少し赤くしながら、ショウキに対して指をビシリと突きつけた。

「なら勝負よ! この肉をどっちが美味しく料理出来るか!」

「勝負か……よし」

 気がつけば話がよく分からない方向に向かっていったが、半ば勢いだけ故に止まることはなく。ここに料理対決が始まろうとしていた。

 圧倒的生肉から、金の延べ棒サイズの一つの塊を引き抜くと、リズはお手製の包丁をストレージから取り出す。もちろん料理用ではないが、この際斬れるならば何でもいい。対決――というのだから、まずは二人に生肉を分けなくてはならないが、その延べ棒サイズではあまりにも大きい。そのため延べ棒サイズを二等分すべく、リズはその筋力値でもって包丁を振り下ろすが――

「んっ!?」

 ――ヌチャ、という油な音とともに肉は包丁を弾き、リズの包丁はその切れ味を持って机を両断しにかかるが、それはすんでのところで阻止される。何かの間違いだとばかりに、リズはもう一度包丁を振り上げ、その筋力値でもって包丁を振り下ろすが――

「……脂が乗ってるな」

 ――ショウキのコメントが追加されたのみで、結果は先とまるで変わらず。リズの包丁は肉の油に阻まれ、その切れ味を活かすことは出来なかった。

「こんな……こんなのにあたしの作品が……」

「まあ、その……そういう時も、あるさ」

 割と本気でショックを受けるリズの肩に手を置きながら、ショウキはその生肉の延べ棒を観察する。まず第一の障壁として外壁と化しているほどの油、第二の障壁として物体を弾くほどの脂分、第三の障壁としてそれらを通り抜けた後の肉本体の硬度。それらが兼ね備えられた結果により、リズの包丁すら受け流すほどの防壁となっている。

「……よし」

 精神を集中させながらショウキは日本刀《銀ノ月》の柄に手をかけると、その生肉の延べ棒へと狙いをつける。ショウキのその動きから、彼が何をしようとしているか察したリズは即座にその場所から離れると、ショウキは愛刀を煌めかせる。

 彼が最も得意とする抜刀術によって加速した日本刀《銀ノ月》は、その速度をもって第一の障壁である油を寄せ付けず、その鋭さを持って物体を弾くほどの脂分を突破すると、岩盤をも両断するその刀に硬質化したとはいえ生肉ごときが太刀打ち出来る訳もなく。ショウキが再び刀を納刀した瞬間、生肉の延べ棒はきっちり二等分されていた。

 ……いや、刃の軌跡すら見せぬ抜刀術はそれだけには留まらず。ショウキが日本刀《銀ノ月》の柄から手を離した瞬間、その生肉の半分は全て食べやすい手頃なサイズへと切り裂かれていた。

「わぉ……」

 実際のところ、彼の腕前を面と向かって見ることは少ないリズは、二等分するだけでなく手頃なサイズに切り分けた剣術に素直に感嘆する。リズが見ているからといって、普段よりショウキが気合いを入れているという事実は知らず。

「じゃあ悪いんだけどショウキ、ちょっとあたしの分も斬ってもらえると……」

「いや。これは勝負だ。自分の分は自分で斬るんだな」

 しかして手頃なサイズに切り分けられたのは、二等分されたショウキの分の生肉のみ。自分の分もお願いしたリズだったが、それはすげもなくショウキに断られてしまう。勝負だから、などとストイックな様子を見せかけているが――斬った生肉を自分のストレージに放り込んでいく、ショウキに浮かんでいる顔は不戦勝を確信した笑み。生肉を斬ることの出来ないリズには、この勝負、勝ち目はない……!

「くっ……」

 リズもそれが分かっているのだろう、自らの置かれた状況に苦々しげな表情を浮かべていた。対するショウキはニヤリと勝利を確信し、そのまま高笑いでもあげそうな雰囲気でリズベッド武具店を後にする。ここからは敵同士、自らの家で料理をするのみだ――

「さて……」

 ――などと勢いでこんなことになってしまったが。もちろんショウキには、幾ばくかの料理スキルはあるものの、料理の心得などまるでない。さらに料理スキルといえども万能ではなく、レベルに応じて勝手に作られるということもなく、ある程度はプレイヤーの腕前が関わってくる。そうでなくては生産系スキルなど、レベルが同じならば誰がやっても同じということになってしまう。

「肉か……」

 メニューは焼き肉に決定する。ひとまず焼けばいいからだ。家に備え付けられてはいたが、一度も使うことのなかったキッチンに、これまた一度も使っていないフライパンを用意する。リズの包丁を弾くほどの油を含んだ肉に、さらなる油は必要ないと考え、フライパンが温まったら即座に肉を投入する。ジュー、という肉と油が焼ける音と空腹を誘う煙が噴出し、さらに肉を投入していく。

「これで全――!?」

 エギルに引っ越し祝いに貰ったフライパンはかなり大きく、切り分けてきた生肉を全てフライパンに乗せることが出来た。全ての肉をフライパンの上に乗せたのを確認し、あとは適当に塩と胡椒でも振りかけてひっくり返し、焼き上がるのを待つだけ――と考えていたショウキに、衝撃的な光景が広がってきていた。

「肉が……ない……」

 最初に投入した生肉がフライパンから消えていた。いや、最初に投入した生肉だけでなく、フライパンに入れた順から生肉が消えていっている――そのことに気づいたショウキはすぐさま火を消したものの、時は既に遅く。フライパンの中に残っていた大量の生肉は、焦げた少量だけを残してあとは藻屑すらなくなっていた。

「こいつ――」

 これでは勝負どころではない。ひとまず残った生肉を《鑑定》スキルを使って見てみると、確か見たことがあると、自作のメモ帳を急いでめくりだした。確かにメモ帳にはその生肉と同じ――正確には、その生肉が生きていた時のモンスター――の名前が刻まれており、そこに書かれていた情報でショウキは全てを察したのだった。

「――炎が弱点」



「むむむ……」

 ショウキがそんなことになっているとは夢にも思わず――むしろ、良い匂いだけは隣から匂ってくる――リズは生肉の前で唸っていた。もう一度包丁でチャレンジしてみたものの、ショウキのようにはもちろんのこと、刃すらその肉には届かず。リズはそこで手詰まり、という訳でもなく――時折視線がチラッと、一つの物体に注がれていた。

 純白の片手剣《ダークリパルザー》。キリトが人知れず《二刀流》のスキル上げをしていた際、使いすぎて耐久力が減りすぎたとのことで、メンテナンスのために預かっていたものだ。もちろんもう仕事は終わらせているため、新品同然の状態で……アレはリズの最高傑作の一つだ。

 つまり何が言いたいかというと、あの光り輝く片手剣ならばあの生肉を斬れ――

「……はっ!?」

 ――ダメな方向にいってしまいそうになった思考を、首をぶんぶん振って無理やりせき止める。キリトとはいえお客様、お客様の商品を勝手に使うなどとはあってはならない、と《ダークリパルザー》を見えない場所にしまい込む。

「ふむ……」

 ならば発想の転換。通常の方法では斬れないのならば、むしろこれは斬る食材ではないのではないか。ならば揚げる、茹でる、煮る、あとは何だろう……ともかく鍋やフライパンが必要だが、これだけ大きい肉をどうにか出来る器具はここにはない。

「……まずは鍋からね」

 料理の為にはまず調理器具から。いざ作り出したら職人として手を抜くことは出来ず、リズは全力で鍋を作るべく炉のふいごを作動させ――

「で、何これ」

「何これの段階まで行ってないお前に言われたくない」

 結果として作り出されたものは、『焦げた何か』と『職人お手製の鍋&フライパン』。とりあえず口に入れることが出来る、という意味ではショウキの勝ちだろうが、これで勝利を誇る気は流石にショウキにもなく。二人揃って圧倒的な生肉の前にうなだれる他なく、空腹感がさらに二人の体力と精神力を奪っていく。

「やっほー、リ……ズ……?」

 そんな中、迷宮区の攻略担当をひとまず休憩となったアスナが、武器の手入れがてら《リズベッド武具店》に訪れ……たものの、二人揃って椅子に座ってうなだれている店主とその隣人に固まる。さらに言うなら机の上に置かれた生肉タワーに、平常運転で「いらっしゃいませ」と言ってくる店員NPCも、その光景のシュールさに拍車をかけていた。

「えっと……どうした、の?」

「ああ……アスナ……いらっしゃい……」

「攻略の交代時間か……」

 すっかり意気消沈している二人を、何とか正気に戻して今まであった事情を聞く。……どうしてこんなことになったのか一つ息を吐きながら、アスナはそのままにしていた武装を解除すると、代わりにエプロンを前掛けにして装備する。

「リズ、厨房借りるわよ。ショウキくんはお肉斬って持ってきて!」

「え、ええ……」

「あ、ああ」

 そこからは《閃光》アスナの独壇場だった。ショウキがその生肉タワーを切り崩していき、リズがそれらをアスナの元に持っていくと、それだけで先の圧倒的生肉が嘘のように溶けていく。全ての生肉をショウキが肩で息をしながら切り崩すと、あっという間にエプロン姿のアスナが机を食卓へと変貌させていた。

「お疲れ様、ショウキくん。ご飯にしましょ?」

 アスナが三人分の料理をテキパキと食卓に並べているのを見ながら、ショウキとリズはあたかもアスナの家に遊びに来たかのように、もしくは拾われた子犬のように居場所がなくて座して待つ。

「豚しゃぶにしてみました。タレは私のオリジナルだから、感想聞かせてね」

「おお……」

 ついつい口から感嘆の声が勝手に漏れてしまう。手頃なサイズに切られたキャベツのような食品に、茹でられて柔らかくなった肉がタレともに乗せられているのを見て、座して待っていた二人はすぐさま箸を持つ。そんな二人をアスナはニッコリと笑いながら、食事を開始するための文言を宣言する。

『いただきます』

 結局、その生肉は全て《リズベッド武具店》から《血盟騎士団》に提供され、それらは攻略組に調理された状態――調理した人物は匿名という条件で――提供されたことにより、迷宮区探索に疲れ果てていた攻略組に活力を与えることとなった。その肉がこの層の攻略のキーとなったのは疑いようもないが、この作戦が二度と使われることはなかった。《血盟騎士団》の会計が商品化しようとしてシェフの逆鱗に触れたとか、あるソロプレイヤーが特に感慨深けもなく食べているのをシェフが見たとか、様々な噂が囁かれているが、真実は闇の中に葬られることとなった……

 ……《リズベッド武具店》の店主が、「あれ? あたしの女子力低すぎ……?」とショックを受けるのも、また別の話として。

 お題:三膳。わたしたちの三膳、という電撃文庫様の企画から発展して。元企画は「あのヒロインはいつも何を食べてるの?」みたいな企画だったのですが、はてさて。豚の餌ぁぁぁぁぁ! にならなかっただけマシでしょうか、分からない方はスルー推奨

 あとリズが料理出来ないのはオリ設定。主に中の人のせいによる 
 

 
後書き
中には書いた本人もいつ書いたか覚えてない始末 
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