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藤崎京之介怪異譚

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case.1 「廃病院の陰影」
  XI 同日 pm3:12



 僕は先生が戻るまで音楽を絶すまいと、曲を追加しながら指揮を続けていた。
 だけど…、天宮さんが戻ってから暫くして、目の前の廃病院が突如、音をたてて崩壊し始めたのだ。
 その直前に演奏していたのは、今度の演奏会で行う「ミサ曲ロ短調」からのグローリアだった。
 僕は、轟音とともに崩れ行く廃墟を見て愕然とするだけで、それ以上何も考えることはできなかった。
「神よ…何故…?」
 そう呟くだけでやっとだった。
 廃病院は中央から中へ向かって、少しずつ朽ち果てるかのように崩れていた。
 まるで…そこへ穴でも開いたかのように…。
 あの崩壊から免れるのは、僕達のような常人では無理だ。それこそ奇跡でも起きない限りは…。
「先生…、僕は…!」
 もう何を信じていいのか分からない。ただ、僕は先生を失いたくない。それが今の僕にとっての真実だった。
 僕は外へと飛び出した。
「田邊君、行っては駄目だ!」
 外で天宮さんに止められた。僕が何をしたいのか分かった様子だった。
「君が行ったところでどうにもならん。頭を冷やせっ!」
 僕は怒鳴られ、体をビクッとさせた。
 分かってるんだ、分かってはいるんだ…。だが、心が追い付いてはくれない…。
 そうしている間にも崩壊は進行し、全てを消し去ろうとしている。
「天宮さん…、先生が…!」
「藤崎君なら、きっと帰ってくる。それを信じて待つしかないだろう?我々は我々の出来うることをしなくてはならないのだよ。さ、戻りたまえ。」
「戻るって?もう演奏に意味なんて無いでしょう?」
 僕は絶望感に苛まれ、正直な話、的確な判断なんて出来る状態じゃなかった。
 だけど、天宮さんはそんな僕に対し、こう強く言った。
「彼は神に愛されてる。そんな人間を、なぜ我々が信じて待てんのだ?それこそ神への冒涜ではないのかね?汝の敬神、偽りならざるや…だろうがね?」
 先生にも言われたことのある言葉だった。

―音楽はただの学問じゃない。神から与えられた芸術なんだ。だから、心で演奏する。だから多くの人の心に響くんだ。それを信じなくては、音楽家とは呼べない。汝の敬神、偽りならざるや…。ただ、そう言うことなんだよ。―

 あの時の僕は、その意味を理解出来てなかったんだと思う。
 だけど、目の前で崩壊し続けるこの光景に目を閉じて演奏出来るほど、僕は信仰心の強い人間じゃないんだ。
 僕は落胆のあまり、地面へとへたりこんでしまったのだった…。
「田邊君、気をしっかりと持つんだ!君は藤崎君の右腕だ。こんな君の姿を見たら、彼はきっと怒るだろうな。」
 天宮さんはそう言って、僕を立ち上がらせようと手を差し出してくれた時だった。

「田邊君、何で演奏を続けてないんだ!」

 僕達の背後の林から、突然声が飛んできた。
 僕も天宮さんも驚いて振り返り、同時に彼を呼んだのだ。
「先生…!」
「藤崎君…!」
 それは、間違いなく先生だった。僕達の方へ微笑みながら歩み寄ってきていた。
 先生はいつもそうだ。こっちが死ぬほど心配していても、こうやってケロッとした顔で戻ってくる。
「心配掛けましたが、何とか生きて戻ってきましたよ。」
 世間話のように、先生はさらっと言ってきた。
 まったく…この藤崎と言う人は…。
「しかし…藤崎君、どうやってあの崩壊の中から…?」
 そうだ。先生は一体、あの中からどうやって脱出したんだろう?
 先生は天宮さんに問われ、少し戸惑い気味に語り始めた。
「正直な話、どう話して良いやら…。」

 先生の話によると、足を掴んでいた英さんの遺骸が、天井の落石から身を守ってくれたのだと言う。
 天井の一部が落下してきた時に、死体が先生を壁際に突き飛ばしたと言うのだ。
 次には、その壁が衝撃で奥へと崩れ、地下道らしきものがあった。その中へは二つの白骨化した遺体があり、一つは白衣を着ていたので今井だと分かった。その横の遺体は…恐らく吉野トメだったのだろうと言うのだ。
 先生は二つの遺体を乗り越え、そのまま奥へと走った。あのランプを掲げながら…。
 時間なんてなかったけど、先生はその時、一度だけ振り返ったという。それは、誰かに呼ばれたような気がしたからだった。
 後ろを振り替えると、そこには今井や吉野トメ、英さんや他の犠牲者達が生前の姿で立っていて、皆が先生に頭を下げたのだと…。
 先生本人にも、それが現実なのか幻想だったのか分からないと言っていた。
 揺れがひどくなったため、先生はその地下道を走った。
 どこへ通じているか分からなかったが、幾つもの角を曲がり、漸く出口らしき扉へと辿り着いたのだった。
 そこはあまり揺れてはおらず、先生は安堵して扉を開いた。
 何もない部屋が、そこにひっそりと現れた。西に傾いた太陽の陽射しが、闇に慣れた先生の目を眩ます。
 やっと光に目が慣れると、直ぐ様もう一枚の扉へと駆け寄り、それを開け放した。 そこは、病院からかなり離れて作られた、古い焼却場だったのだ。
 まるで時代に取り残されたのような、妙に哀愁漂う風景だったという…。
 そしてそこからも、病院の崩れ行く姿をはっきりと目視することが出来た。
 最後の悲鳴をあげ、恐怖に彩られた舞台は消え去っていったのだった。
 多くの悲しみ、苦しみ、痛み、そして…愛や喜びをも飲み込んで…。



から聞こえる音は、この涙なのかも知れない…。
 私は同性愛者ですが、異性を愛する人もこんな経験はないでしょうか?

 
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