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藤崎京之介怪異譚

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case.1 「廃病院の陰影」
  X 同日 pm2:32


―なぜ俺が死ななきゃならないんだよ…―

―なんで僕がこんな姿になってんだよ…―

―ねぇ…何で助けてくれないの…―

―痛いよ…苦しいよ…―

―みんな同じようになればいいんだ…―

 彼らの声が、この空間に渦巻いている。
 だが、それは現実の声ではなく、全てが幻…。ただの記録…。
 しかしその声は、彼等が生きていた証でもあるのだ。多分…、彼等が殺される直前に上げた心の叫びなんだと思う。
 そう考えると胸が痛み、そして涙が溢れてきた…。
「神よ、願わくは彼等を汝の御下に呼び寄せ、永久の安らぎを与え給え…。」
 生前、彼等がどう生きてきたかは知らない。だが、こんな虫けらのように殺されるるなんて…、許されるはずはないんだ。
 俺は彼等を思い、神に祈った。

―無駄で愚かなことだ!神など存在しない!―

 目前の死体の群れから、一際大きな声が響いた。その声を合図に、蠢く死体が俺に飛び掛かってきた。
 正直、俺は気を失いそうになったが、どういうことか死体は、俺に触れることなく次々に朽ち落ちていったのだった。
 どうやら、手にしているランプの効力のようだ。
 このランプから現れた光の文字に触れると、悪霊の力は消えてしまうようだった。
「汝が在ることで、神が居わすことの証となる。抗いし者よ、この地より去り、永久に消え去るべし!」
 俺は気を奮い起こし、ランプを掲げて言い放った。

―真実を知りたくはないか…?―

 今度は耳元で囁くように、あの声が聞こえてきた。

―何故、汝のような弱き者が力を持つか…知りたくはないのか…?―

 その声は優しく、艶かしく、そして毒々しかった…。
 男性のようでいて、時に女性のようであり、また幼子のようで老人のような声…。
 俺をあちら側へ引き込みたいようだ。
 確かに、真実は知りたい。それが何を示しているのかを知りたい。
 だがそれは、神の御心に反する行為なのだ…。
 それ以上に、こいつらは嘘を吐く。そうやって人々を黒く腐蝕し、永遠を奪ってゆくのだ。
「偽りの世よ、我汝に頼らじ…!」
 俺は、自らの弱さを打ち消すように言い放ち、静かに歌い始めた。
 今ここで歌われるべき旋律を見つけたのだ。いや、示されていたと言うべきか。ここへ来る前から…。

「Dir,dir,Jehova,well ich singen,Denn,wo ist ein solcher Gott win du?」

 ランプに刻まれていたあの歌詞だ。旋律の作曲者はバッハ。
 歌詞の内容は神への賛辞だが、かなり特殊だとも言える。
 第一に、神の名が明記されていること。
 第二に、三位一体に関する記述が入ってないこと。
 第三に、霊=聖霊ではなく、霊=力といった意味合いを強くしていること。
 当時の教会からすれば、些か教義から外れているのだ。
 この歌詞に、なぜバッハが作曲したのかは分からない…。だが、この親しみのある旋律は、多くの人々を癒したに違いない。
 言葉には力があり、音楽はその力を強くすると俺は思っている。
 だから…歌うんだ…。

―止めろ!!―

 怒声が響く。それと同時に、俺の左手と左腕と右足に、剃刀で切ったような痛みが走った。
 それでも俺は歌い続けた。

―有り得ん…!なぜだ…!?―

 それは今までとは違い、とてもか細い声だった。
 その言葉を最後に、悪意ある力は薄れてゆき、俺が全八節を歌い終わる頃には、完全に消え去ってしまった。
 だが、まだ終わったわけではなかった。
「あ…!?」
 建物自体が軋み、崩れ始めたのだ。
 ここは地下だ。ここへ来た道しか出口はないが、果して間に合うか否か…。
「早くしないと…。」
 全ては消え去らなくてはならない。だから、この廃病院そのものも消え去らなくてはならない。
 悪霊の力で支配されていた建物だ。力が消えたと同時に、崩れるのは予想していたことだった。
 しかし、悪霊の最後の足掻きか、俺の足にベッドに横たえられていた英さんの遺骸があった。俺の足をしっかりと掴んで…。
 俺はそれをほどこうとしたが、どういうわけか全く離れないのだ。
 音が段々と大きくなり、亀裂が入り始めた。上を見ると天井にも大きく亀裂が走り、そのまま崩れだした。
 そして、その一部が俺目掛けて落下してきたのだった…。



 
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