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山本太郎左衛門の話

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20部分:第二十章


第二十章

「今宵はまた綺麗なものじゃった」
 彼はその光を瞼に思い出しながら呟いた。
「この一月の間本当に多くのものを見ておるな」
 そこでふとそう思った。
「最初の頃は色々と思ったものじゃが今では楽しくて仕方ないのう」
 彼はにやりと笑った。
「おかしなものじゃ。化け物といっても普通に付き合うておる。わしも図太いものじゃ。いや、違うかのう」
 ここで思いなおした。
「化け物も人間も案外一緒なのかも知れんな。どういう理屈かはわからぬが」
 思えば人間にも悪い者はいる。化け物にも気のいい者はいる。少なくとも酒を共にした天狗や鬼からは邪気は全く感じられなかった。
「ではそれ程付き合いに注意する必要もあるまい。何、命は一つ。どうとでもなる」
 よしんば命を落としたらその時はその時だと思った。
「では寝るろしよう。願わくばずっと出て来て欲しいものじゃ」
 だがそれは適わないだろうと思っていた。根拠はない。そう思うだけだ。
 この日はそのまま深い眠りについた。そのまま朝まで目は醒めなかった。
 次の日は夕方から出て来た。
「むっ」
 不意に気配を感じた。上からであった。
 見上げると天井に無数の手が生えていた。それはだらりと垂れ下がっていた。
「ふうむ」
 冷静にそれを見た。見ればどの手も青白くまるで死人の手の様だ。
 平太郎はここで何を思ったか孫の手を持って来た。そしてそれを手の前で振った。
「どうなるかのう」
 猫の様に反応してくるかと思ったのである。だが反応は全くなかった。本当に死人の手の様に動かなかった。
「ただ生えているだけかのう」
 さらによく見るとどれも女の手だ。小さく柔らかそうである。
 暫く見ていると手は一つずつ天井に引っ込んでいった。そして全ての手が消えた。
 手が消えると襖が急に開いた。するとその入口一面に老婆の顔があった。
「また婆か」
 そういえば老婆の顔が度々出て来る。だが同じ顔ではない。
「別の婆のようじゃな」
 平太郎はそれを確かめながら老婆の顔の前に来た。そしてそれをまじまじと見る。
「のう」
 そして彼女に問うた。
「お主は先に出て来た者達の姉妹か何かか」
 だがその顔は堪えない。ただにたにたと笑いながら平太郎を見ているだけであった。
「まあよいわ」
 だが平太郎はそれを責めるつもりはなかった。
「答える気がないのならそれでよい。わしは別に答えよと無理強いはせぬ」
 彼は老婆の顔の前にどっかりと座った。そして側に置いてあった瓢箪と杯を手にとった。
「酒でも共に飲みたいがどうじゃ」
 だがやはり答えない。相変わらずにたにたと笑っているだけである。
「ううむ」
 無愛想なのかそうでないのか。答えないから無愛想と言えるが笑っているのでそうとも言えない。彼はもうこの老婆に言うことを止めにした。
「一人で飲むとするか」
 そして酒盛りをはじめた。暫くして上から女の騒ぐ声が聞こえてきた。
「先程の手の主達じゃな」
 ここでようやく先程の手が何故全て女のものであったか合点がいった。つまりあの手は今天井で騒いでいる者達のものだったのである。
 声は確かに騒がしい。だがその他にはこれといって何もない。別に天井が下がってきたりとか落ちてきたりということもないようだ。
「ならばよい」
 彼はそう割り切った。むしろ逆にこの声を酒の肴にすることにした。
「女の声を聞きながら飲むのもまた一興」
 そして酒を口にした。耳を傾ける。だが何を言っているかまではわからない。
「姦しいだけかのう」
 遠くから何やら風の音が聞こえてきた。どうやら只事ではない。
「野分か」
 夏である。野分が何時来てもおかしくない季節である。
 風は次第に強くなってきた。平太郎はそれを見てすぐに立った。
「すまんが今はお主等の相手はできぬ」
 老婆と天井にそう言うとすぐに家の戸締りにあたった。そしてそれが終わり居間に戻るともう老婆も天井の声も何処かへ消えていた。
「野分を感じたのかのう」
 もう跡形もなく消えたその跡を見ながらそう思った。平太郎はまた飲みだした。野分なら外には出られぬ。酒はふんだんにある。
「これも化け物の土産じゃな」
 彼等からもらった樽の酒にも手をつけた。そして心ゆくまで飲みそのまま寝た。
 起きるとやはり野分が来ていた。外から激しい風と雨の音が聞こえてくる。
「やはりのう」
 彼の予想は当たった。とりあえずは二日酔いを抑える為また飲みはじめた。
「迎え酒じゃな」
 出られないのなら飲むのが一番だ。彼はまた飲みはじめた。
 昼になると風も雨も次第に弱まってきた。どうやら通り過ぎたようだ。
「行ったか」
 平太郎は固く閉じていた雨戸を開けた。するとそこには一面の青空が拡がっていた。
「おお」
 実に綺麗な空であった。雲一つない。そして陽が雨にまだ濡れている地面を照らしていた。
 水溜まりにその陽が映っている。光を反射してまるで鏡の様である。
「これは絶景じゃ」
 平太郎は大喜びで外に出た。そしてそのまま村の中を歩き回った。
 そうやらあまり大きな野分ではなかったようだ。少なくとも風は大したことはなかったのか家々に被害はなかった。
 雨は凄かったようである。川はかなり水かさが大きかった。
「大事はなかったようじゃな」
 彼は村を見回してそれを確認した。そして今度は家に戻り馬を出してきた。
 それに乗ると辺りを走り回った。酒は歩いた時にあらかた抜けていた。
「飲んでばかりだとなまってしまうわい」
 辺りを駆け回った。それでひとしきり汗をかくと家に戻り行水で汗を落とした。
 さっぱりした気持ちで居間に来るともう夕刻であった。空は次第に赤くなってきていた。
「また夜になるのう」
 最近ではそれが待ち遠しかった。今宵は何が出て来るのかと思うだけで楽しくなる。
 いそいそと夕食を採り化け物を待った。空は赤から紫になっていった。
 その濃紫の空に無数の星達が瞬いている。赤い星もあれば青い星もある。晴れ渡った夜空に無数に煌いていた。
「いいのう」
 平太郎はその星達を満足気に眺めていた。星も好きである。
「天の川まで見えるわ。そういえば今年は七夕まで考えが及ばなかったわい」
 それが残念であった。実は彼は毎年あの二つの星を眺めながら酒を飲むのを何よりも楽しみとしていたのだ。
 だが見過ごしたものを今思っても仕方のないことであった。彼は来年見れたら見ることにした。
「その頃までに覚えておればよいな」
 ひょっとすると忘れるかも知れない、もしかしたら死んでいるかも知れない。人の一生とは一寸先のことすら全くわからないものであるからだ。
 星を見飽きると今に戻った。そこでゆっくりと化け物を待つことにした。
「さて今宵は何が出るかのう」
 待っていると不意に一陣の風が吹いてきた。涼しい風であった。
「野分が去ったのにか」
 面妖に思ったがこれもまた化け物の来る予兆と思うと納得がいく。ではそろそろ今夜の客が姿を現わす頃だ。
「来るか」
 平太郎は敷物の上に座った。そして客を待った。
「今宵は何かな」
 やがて障子の向こうに影が現われた。男の影だ。
 見ると異様に大きい。丈は平太郎の倍程はあろうか。
「大入道かのう」
 まずはそう思った。何かと思っているうちにその影の主が居間に入って来た。
「む」
 見ると大入道ではなかった。確かに大きいが身なりのよい中年の男がそこに立っていた。
「お主は一体何者じゃ」
 見れば本当に立派な服を身に着けている。能花色の帷子に浅黄色の袴、腰には両刀がある。歳は四十位で恰幅のよい身体つきをしている。見れば顔相もかなり良さそうだ。その背丈を覗けば大きな家の大名と言っても通用するであろう。そこまでの気品と風格が備わっていた。
「我か」
 その男は問われてゆっくりと口を開いた。重く低い声であった。
「我は山本五郎左衛門という」
 
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