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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第四話
  Ⅴ



 翌朝早くから、天河のところへと来客があった。
「お早う御座います。」
「あ、トシさん。お早う御座います。どうかされましたか?」
「先生に御客様ですよ。」
「…?こんな早くから?」
 時は六時半を回ったところで、天河らは朝食を終えたばかりであった。
 二人はこれから大学へ向かう支度をしようとしていたが、来客と聞いて目を丸くした。
「一体どなたです?」
「先日もお越しになられておりました青年ですが。」
「は?修君?」
 天河は些か首を傾げてグスターヴを見たが、グスターヴは半眼になって天河を見ていた。
「時雨…面倒なのが来たらしいな。」
「ま、そうだな…。トシさん、通して下さい。」
「分かりました。」
 トシはそう言って襖を閉めて呼びに行くと、直ぐに彼は二人のところへとやって来た。
 襖を開いて入って来た彼は、二人がギョッとする程に蒼冷め、最初は何か病にでも罹ったのかと思った。
「お前、どうしたんだ?」
 そんな修に、グスターヴは顔を顰めて問い掛けた。しかし、彼から出た次の言葉に、この青年が蒼くなっている理由が分かった。
「先生!今日、梓ちゃんが萩野の家へ泊まるって…。断れば家から追い出すと言われているって…!」
 彼は今にも絶望して泣き出しそうだったが、二人にしてみれば予定の範囲内。とは言え、彼にとっては人生を揺るがす一大事であり、ここへ来たのも頷けると言うものだ。
「修君、それならば心配せずとも良い。」
「…?」
 天河の言葉に、修は不思議そうに首を傾げて返した。
「先生…どういうことですか?」
「あのねぇ…実は昨日、萩野家へ行ってきたんだ。」
 そう天河が返すと、今度は彼が目を丸くした。
「では…」
「いや、藤一郎氏とは話にならなかったんだ。その代わり、静江夫人と話すことが出来た。君、夫人とは遠縁だそうじゃないか。」
 苦笑しつつ天河がそう言うと、修は申し訳なさそうに返した。
「はい…。ですが、静江叔母様に迷惑を掛けられませんし、それに…叔母様は敬一郎の母親なんですから…。」
 まぁ、尤もな話と言える。まさか恋仇の母親に相談…と言う訳にはいかない。子供の喧嘩じゃあるまいに、こればかりは仕方無いと言えよう。
 そんな彼に、天河は溜め息を洩らした。
「しかし、静江夫人は君のことをとても案じていたよ。」
「そう…ですか…。」
 そう言って俯く修に、今度はグスターヴが多少苛つきながら言った。
「お前さぁ…もちっとシャキッと出来ねぇのか?」
「そう…言われましても…。」
「そうじゃなくて!…ったく、なんか腹立つ…!」
 グスターヴは頭を掻いてどうしたものかと思案している風である。グスターヴが相手に気を使うなど滅多にないため、天河は些か驚いていた。ま、端から見れば、さして気を使っている様には見えないが…。
「あのなぁ…女を守りてぇなら、自分が強くねぇとならねぇだろ?そんなナヨッちいと、守れるもんも守れねぇ。お前さ、梓とくっついてどうしたい訳?」
「えっと…」
 修は答えに詰まった。グスターヴが言っていることが表面的なものでなく、もっと深い所の何かを問っているのだと分かったのだ。そのため、修は少し考えを纏めてからグスターヴへと返した。
「彼女を幸せにしたい。彼女の幸せが僕の幸せです。そのためだったら僕は死ぬ気で働けますし、どんなことにも我慢出来ます。」
 その答えに、グスターヴは不服そうに顔を歪めた。
「そりゃ自己満足だろ?お前の家族はどう思ってんだよ。」
「僕の両親は、僕のことには口出ししません。自分で解決しろと言われています。」
「だがよ…もしお前が家を出る様なことになりゃ、どうする積もりなんだ?」
「覚悟の上です。」
「親もか?」
「はい。」
「う~ん…。」
 それでもグスターヴは不服そうで、暫くは腕を組んで唸っていた。そして、最後に彼へとこう問った。
「お前、梓のために全部棄てても悔いはねぇのか?」
「残りません。」
 即答だった。
 修の顔は真っ直ぐにグスターヴに向いている。これまでの問答で、恐らくかれは何かを吹っ切ったのだろう。
 そんな彼にグスターヴは笑みを見せて天河へと視線を向けると、天河も同様にグスターヴを見た。
「グスターヴ、決まった様だね。」
「ああ。俺はこいつに力を貸すぜ。」
「だったら、今日の演奏会には皆様を招待せねばな。」
 天河はそう言ってニッと笑った。
 二人の会話に、修は再び首を傾げる。それが余りにも情けなく見え、二人は些か苦笑した。
「あの…どう言うことですか?」
 彼は困惑して問うと、天河は彼に言った。
「全部棄てる覚悟…本当にあるんだね?」
「はい。」
 やはり即答だった。
 梓のこととなると、彼は自分のことを二の次に出来るのだ。それがたとえ愛する家族を棄てることになろうとも…である。
 言い換えれば、今まで過ごした生活のみならず、生きてきた“道"を棄てるに等しい。彼はそれをも承知した上で「はい。」と返したのだ。
 修は二人の考えが分かったかの様で、その後に言葉を繋げた。
「僕は梓ちゃん…いえ、梓と一緒なら、どこまでも強くなれます。たとえ家族を悲しませることになっても、絶対に後悔はしません。」
「親不孝とは思わないのかい?」
「思いません。必ず幸せになって姿を見せに来ますから。」
 先程までの彼とは違い、そこには微塵の迷いもない彼の笑顔があった。
「お前、本気なんだな。」
「無論です。」
 グスターヴに真っ正面から返す彼は、天河から見ても頼り甲斐のある男性に見えたのだった。

 さて、その後に天河は修にとあることを指示し、彼を家へと返した。二人が彼を見送った時、彼は来たときとは打って変わり、そこから不安を感じさせるものは何もなかった。
「グスターヴ…君は疾うに解っていたんじゃないのかい?」
「ん?」
「ん?じゃない。彼が全てを棄てても梓ちゃんと一緒になりたいと願っていたことだよ。」
「あぁ…まぁな。でなけりゃ、奴には万に一つの勝ち目もねぇしな。」
 実にあっけらかんと返すグスターヴに、天河は苦笑いをしつつ小さな溜め息を吐いた。
 言ってしまえば、二人は修の願いだけを叶えれば簡潔に事を処理出来たのだが、肝心の彼自身がそれを望んではいなかった。修は出来る限り自分の力で成し遂げたかったのだ。
 少なくとも、神仏などの人外の力に頼ろうなどとは微塵も考えていなかった。無論、悪魔の力もそうなのだ。
 そのため、二人はやむを得ず遠回りする外なかった。だが今回、天河はかなり遠回りしている気がした。
「グスターヴ…私達は、一体どうすれば良かったのかな…。」
「今更何言って…」
 そうグスターヴが返そうとした時、突然玄関から怒声が響き、大家の制止を降りきって二人の部屋へとやって来る者があった。
「天河!」
 襖を一気に開いて大声を上げた人物…それは藤子であった。
「何ですか…はしたない。」 天河はあからさまに顔を顰めた。隣のグスターヴも同様で、こちらはもっとあからさまだ。
「何がはしたないだ!この盗人が!」
「は?」
 藤子の言葉に、二人は意味が分からず首を傾げた。
「私共がそちらから何を盗んだと?」
「梓を何処へ隠したんだい!」
 藤子は般若の如く二人へと詰め寄るが、二人には全く心当たりはない。
 だが、このことで二人は理解した。もう歯車は動きだし、それを止める術はないのだと。
 そのため、天河は藤子へとこう返した。
「私共は何もしておりません。何処をお探しになっても構いませんが、このままでは警察沙汰となりましょう。今晩の演奏会へ梓さんを招待させて頂いております故、貴女もお越し下さればきっと見付かることでしょう。」
「何を言って…」
「別に無理にとは申しませんが、洋介氏には招待状をお送りさせて頂いている故、お二方でいらして下さい。では、私共は仕事があります故、これにて失礼致します。」
 天河は淡々とそう言ってグスターヴと共に出て行こうとしたが、そこで藤子はハッとして二人へと怒鳴った。
「お前達が梓をどうしようと草の根分けて探しだし、敬一郎へ渡すからな!邪魔はさせない!」
 藤子の言葉に嫌々ながら振り返り、天河は溜め息を洩らして言った。
「私は先に“何もしておりません"と申し上げた筈。」
「この狐が。お前達は萩野家へ行っただろうが。全て聞いているぞ。」
「ほぅ。して、誰からお聞きに?いや、見当はつきますね。実母に窘められ、貴女に頼った…と言ったところですか。」
「何…を…」
 天河の返しに、藤子はあからさまにたじろいだ。そのため、天河は顔を歪めて言った。
「その分だと、彼とも情を交わしている様ですね。やれやれ…。」
 そう言うや、天河はとっとと部屋から出ていったが、グスターヴは残って藤子へと言った。
「お前みてぇな女がいると世は腐る。尤も、お前にゃもう死後はねぇみてぇだがな。」
「な…!?」
 それを聞いた藤子の顔は見る間に赤くなり、目を吊り上げて鬼の様相を呈したが、グスターヴはそれを鼻で笑って出ていった。
 その後には藤子の罵詈雑言が響き渡るが、それ聞く者はもういない。
 天河とグスターヴはそのまま駅へ向かい、いつも通りに人混みを掻き分けて電車に乗った。
「時雨、あの女が来たってことは…。」
「そうだな…少なくとも、梓ちゃんは昨日の夜中までは家へ居たのだろう。恐らく、私達が静江夫人と話していた時に、敬一郎が伝えに行ったと考えるべきだな。」
 電車に揺られながら、天河は今日何度目かの溜め息を吐いた。グスターヴはそんな天河へとまた言葉を繋ぐ。
「そんな話ししてるってぇのに情を交わしてんなんて…あいつら動物か?」
「どうだろうね。あの藤子と言う女は性を武器にしている。子供の一人二人簡単に手玉に取れるだろうよ。特に童貞の子供にとっては、その魅力は抗いがたいのだろうさ。」
「そう言うもんか?」
 グスターヴは些か不服そうに返すと、天河は苦笑しつつ彼へ言った。
「性欲は本能の一つだ。本当はそれを制御しなくてはならないが…ソドムとゴモラがどうなったかなんて、今の時代考えもしないなだろう。」
「ああなっちまったらお仕舞いだろ?」
 グスターヴは眉を顰める。まるで藤子がソドムとゴモラそのものと言わんばかりだ。
 確かに…藤子はこの町だけでも十数人と情を交わしている。そのどれもが資産や地位を持つ男だった。
 尤も、男とてそれだけの魅力がなくば振り向きもしないため、藤子にはそれがあったのだ。だが、後数年もすればそれも使えなくなるだろうが…。
「若さとは儚いものだよ…。」
「お前が言うな。」
 沁々言う天河に、グスターヴは半眼になってそう返した。
 天河の容姿は上等だ。言い寄る女性は数多といるが、天河は決して情を交わさない。それどころか、一人の女性を一途に愛し続けていた…四百年近くずっと…。
「グスターヴ。人は…誰か一人だけを愛し抜けないものなのかね。」
「どうかな。少なくとも、俺は一人だけそう言う奴を知ってるがな。」
 グスターヴはそう言って天河を見て笑う。そんなグスターヴに、天河は少しだけ翳りのある笑みを返したのだった。




 
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