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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第四話
  Ⅳ



 金曜の夜、天河はグスターヴと共に萩野家へと赴いていた。
 萩野家は室町時代末期に興された家であり、元は堺の商人だった。そのためか、その家は館と呼べる広大なもので、名家と言われるに相応しい佇まいだった。
 二人は執事と覚しき男性に案内され、東側にある客室へと案内された。
 そこへ姿を見せたのは、この家の主である萩野藤一郎だったのだが…。
「お二人の言わんとすることは理解した。だが、それは無理と言うものだ。」
「藤一郎さん。今のままでは結局、破綻してしまうことが目に見えてます。この現代、天皇家ならば兎も角、女性から別れを告げることも有り得る話。女はもはや所有物ではありません。」
「可笑しなことを言われる。女とは子を生ませる道具だと言うことは、古来からの決まり事だ。」
「いいえ。もしそうだとしたら、卑弥呼も持統天皇も居りませんよ。太古の昔には、女性の方が地位が高かった時代もあるのですから。」
「詭弁だな。どのみち、女は男の様には働けない。」
「現在、女性はその力を開花させつつあります。直に男性と同等の職に就けるようになりますよ。」
 この様に、延々と言葉の応酬が続く有り様だ。
 話してみると、藤一郎と言う人物はかなり古めかしい思考の持ち主どころか、未だに女を道具と言い切る冷淡な人物であった。
 天河等はこれにより、かれこれ一刻は無駄に過ごしたと言え、それでも話は全く前に進む気配がない。
「そもそもだね、女とは男が所有してこそ価値があるのだよ。男の夜伽として、子の世話係りとして、そして主の裏方としての役割以外、全く使い道などないのだからな。」
 藤一郎はそう言ってニタリと笑みを浮かべた。
 天河とグスターヴはそんな藤一郎に顔を顰めたが、ふとそこへ扉を開けて一人の和服を着た女性が入ってきた。
「どうした、静江。」
 それは藤一郎の妻だった。しかし、静江は主人の言葉に返すことなく、無言のままつかつかと藤一郎の元へ歩み寄るなり、その頬を思い切り引っ叩いて言った。
「女を一体何だと思っているのです!そんなにお偉いのであれば、私なぞ必要ありますまい!今を以てお暇させて頂きます!」
 余りのことに三人の男は呆気取られたが、次の瞬間、藤一郎は立ち去ろうとする妻に縋りついて言った。
「済まん!これは父の考えなのだよ!私には君が必要だ!後生だ、出て行くとは言わんでくれ!」
 これは如何なものか…。先程まであれだけ偉そうに女を蔑んでいた人物が、掌返して泣きながら妻を引き留めている…。
「時雨…こりゃ、何だ?」
「私に振るな…。」
 唖然とする二人を前に三文芝居はまだ続いていたが、静江が「西川!」と言うや、一人の男性が入って来て藤一郎を外へと連れ出したのだった。
 どうやら、この家の実権はこの奥方が握っているらしい。
「大変お見苦しい所をお目にかけ、誠にお恥ずかしい限りで御座います。」
 藤一郎が連れ出されるや、静江はそう言って深々と頭を下げた。
 呆気に取られていた天河だったが、我に返って慌てて言った。
「どうぞ頭をお上げ下さい。ですが…随分とお強いですねぇ。」
「主人はあれ位しなければ言うことを聞かないのです。我が儘に育てられたせいか、自分の意にそぐわない者は端から切ってしまうのです。それでは行く先が見えてしまうと言うもの。」
「確かに…。」
 天河もグスターヴも、共に目の前の夫人に感服した。かなり教養もあると見え、現代女性の先端を行っている様に思えた。
「それで、お二方は敬一郎と梓ちゃんの許嫁の事でお越し下さったのですね?」
「お気付きでしたか。」
 天河はグスターヴと顔を見合せた。まさか率直に切り出されるとは考えておらず、そのため二人は些かたじろいでしまった。
 そんな二人に静江は軽く笑みを浮かべ、敵意の無いことを見せたため、天河は静かにその口を開いた。
「御察しの通りです。不躾とは存知ますが、私共は梓ちゃんを見るに見かねて参りました。正直に申し上げ、彼女には想い人が居りまして、あちらの家でも猛反対されているのです。口約束とは言え、どちらかが破棄しない限り彼女はただの道具として扱われてしまうでしょう。」
「やはりそうなってしまいましたか…。修君も大変ね。」
「…!?奥様は修君をご存知で?」
「ええ。実は彼、私の遠縁なんです。」
 それに二人は驚かされた。そんな話し聞いたこともなかったのだ。
 そのため、グスターヴは半眼になって静江へと問い掛けた。
「それじゃ、何で今まで何もしなかったんだ?お前がちょっとあの石頭に言えば済んだ話しじゃねぇかよ。」
「グスターヴ…言葉が汚いよ…。」
 天河はそう言ってグスターヴを窘めたが、静江は笑って「良いですよ。」と言う。そんな静江に、二人はこの夫人が男なら、この家は安泰間違いなしと思ってしまった。無論、男だったらここには居ないのであるが。
「主人はあの通りですので、一番気になるのは世間体なのです。全く…仕事以外は前世代の遺物です。」
「随分と辛辣ですね。」
 天河が苦笑しつつそう言うと、静江は何とも無げに返した。
「もう男だけに任せては置けませんので。」
 それが静江と言う人物なのだ。男尊女卑…最早その様な時代は終わったと言わんばかりの彼女は、この先もきっと時代の先端を行くに違いない。
「ですが、主人がこの家の主であることには変わりありません。私の一存で決められるのであれば、直ぐにでも許嫁を解消致しますが、主人がそれを承知せねば無効となります。それ以上に…敬一郎がそれを由とはしないでしょう。」
 静江がそう言って溜め息を洩らすと、そこへふと一人の青年が姿を見せた。
 その青年は顔立ちも美しく背も高い。美青年…そう言っても良いだろう。天河とグスターヴには一歩劣りはするが。
「母さん、その人達は?」
 どうやら、この青年が敬一郎のようだ。
「敬一郎。この方達はお前と梓ちゃんの件でお見えになっているんですよ。」
「…。修の奴…まだ諦めてないのか。」
 敬一郎はそうボソリと呟くと、天河等を睨み付けて挨拶も無しに言った。
「お前達、修に言っておけ。身分違いも甚だしいとな。ま、明日の夜には梓は俺のものになる。あいつの悔しがる顔が目に浮かぶ。」
 そう言うや、彼はニタリと笑って部屋を出ていった。父親にそっくりな笑みに、二人は些か怒りが込み上げたが、何とかそれを沈めたのだった。
「申し訳ありません…。万事あの調子なもので…。」
「では、敬一郎さん本人は解消する気はない…と、そう言うことなんですね?」
「そうなのです。全く…男らしくない所も主人にそっくりで、私も殆手を焼いております。」
 静江はそう言うや、再び「西川!」と声を掛けると、直ぐに先程の男性が入って来た。
「奥様、ご用でしょうか?」
「酒と食事を用意させなさい。」
「畏まりました。」
 それを聞き、前の二人は目を丸くした。
「あの…奥様?」
 一体何を始めようと言うのか理解出来ず、天河がそれを問おうと口を開いたが、静江はニッコリと笑みを見せて言った。
「折角お越し下さったのに何の持て成しもしないのは、萩野家の恥と言うものです。」
 そう言い切る静江にグスターヴは笑みを溢したが、天河は些か顔を引き攣らせつつ返した。
「有り難いのですが…もう二十時を回っておりますので…。」
「未だ宵の口ですわ。帰りでしたら送らせますので、どうぞ御心配なく。」
 静江が笑いながら天河にそう言うと、それにグスターヴが続けた。
「そうだぞ、時雨。持て成しを断るなんて失礼だ!」
「あら、こちらの方は良くお分かりで。」
 何故か静江とグスターヴは馬が合う様だ。静江はどうやら少しばかりがさつな男が好みと見えるが、天河はそっと溜め息を洩らしてこう思った。

- 酒が飲みたいだけだろうがっ! -

 天河は酒嫌い…と言うわけではないが、人前では滅多に飲むことはない。と言うのも、グスターヴが底無しだからだ。それで何度頭を抱えたことかと思い、天河は再度断ろうと口を開きかけた時、ふとドアが開かれて豪勢な食事と多くの酒が運ばれてきた。
「おい…それ…ロマネ・コンティじゃねぇか…?そっちは…シャトー・マルゴーじゃ…。」
 運ばれてきた酒に、珍しくもグスターヴがたじろいだ。
「グスターヴ、どうしたんだ?」
「どうもこうも…。時雨…あれだけで俺達の給料、数ヶ月分は飛んじまうぞ…。」
「はぁ!?」
 今度は天河もたじろいだ。
 そこへ運ばれてきた酒は、そのどれもが最高級のワインだったのだ。天河はさして酒を飲まないため、そういう知識には疎かったのだ。
「あの…」
「そんな大層なものではありませんわ。ワインとてただの酒で、飲んでこそ価値があると言うもの。」
「時雨、そう言うことだ!」
 もう二人を止める術はないと、天河は仕方無く「では…遠慮なく…。」と囁く様に返すしかなかった。グスターヴ一人ならまだしも、静江までこの調子では天河に勝ち目はなかった…。
 天河等はその持て成しを受けることにしたが、無論、話をうやむやに終わらせるつもりはなかった。
「不躾な問いとは思いますが…夫人は政略結婚なのですか?」
「いえ、実はそうではありませんの。主人はああ見えて、以前は熱烈だったんですのよ?」
 静江のその言葉に、二人は「今もだろっ!」と心中でツッコンだが、それを表には出さなかった。ただ、眉をピクリとさせてはいたが。
「では…恋愛結婚?」
「そうなりますかしら?でも、私は最初お断りしましたのよ?」
「…え?」
 天河とグスターヴは顔を見合わせた。そんな二人が可笑しかったのか、静江を軽く口を押さえて笑い、そんな二人へとこう言った。
「可笑しなことではありませんでしょ?そもそも、私は染め物屋の娘。身分違いですし、それに…好みではありませんでしたもの。」
 二人は呆気に取られた。
 藤一郎の容姿は悪くない上に資産家の長男。恐らくは学業でも上位だったと思われるが…好みではないと一蹴したと言うのだから、驚かずにはいられない。まぁ、好みは人それぞれではあるのだが…。
「…なんでまた結婚を承知されたのですか…?」
「何度断ってもプロポーズしてくるのですもの。恋文も毎日の様に寄越しますし、なんだか可哀想になってきましてねぇ。」
「はぁ…可哀想…。」
「だってあの人、五十回もプロポーズしてきたんですもの。」
「はいぃ!?」
 今まで些か俯いて眉をピクピクさせていた二人だが、それを聞いて思い切り顔を上げた。そして、グスターヴが恐る恐る口を開いた。
「一体…何年越しだ…?」
「そうですわねぇ…私が十五の時からですので、四年ですわね。」
「…。」
 何とも豪胆な女性だと二人は思った。逆に何と諦め悪い男だ荻野は…とも。
「でも、あんなに断り続けても私が良いと言うのですから、女冥利に尽きますでしょ?あの人との初夜はそりゃ…」
「その後は結構です。」
 天河とグスターヴは半眼になって同時に言った。他人のそんな話なんぞ聞いてる場合ではないのだ。
「あら、私ったら…。それで、お二方はこれからどうなさるお積もりですの?」
「そうですね…今度は松山家を伺おうかと。」
 静江の問いに天河がそう返すと、静江はグラスを置いて真顔で言った。
「それは止した方が宜しいでしょうね。」
「何故です?」
「あの後妻は話になりません。他人の悪口は言いたくありませんが、あの人は金のためならお二方すら殺すでしょう。」
「これは穏やかではありませんね。」
 天河もグラスを置く。グスターヴは我れ関せずで飲み食いしているが、それを無視して二人は話を進めた。
「あの藤子と言う人物ですが、前に財産目的で七十近い老人と結婚していたんです。結婚して二年と経たぬ内に亭主は亡くなりましたが。」
「藤子が殺した…と?」
「医師はそう考えなかった様です。心臓麻痺によるものとして片付けられてますが、藤子は医師にも警察にも多額の賄賂を贈っていたようで、真相は闇の中ですわ。」
「良く調べられましたね。」
「萩野の情報網を見縊られては困りますわ。」
 そう言って静江は再びグラスを手にし、ワインで口の渇きを癒して後を続けた。
「あの藤子と言う人物、少なくとも三回は結婚していますの。巧妙に隠してはいますが、そのどれもが二年以内に亭主が死んでいる…。松山に嫁いでもうすぐ二年…私も目を光らせてはいますが、もし梓ちゃんが敬一郎と結婚したら…」
「洋介氏は…殺されると?」
「可能性は高いですわ。そこで、お二方にご相談があります。」
 そう言って静江はニッコリと笑みを見せた。
「願叶師…ご存知ですわね?」
「ヴーッ!」
 グスターヴが噴き出した。
「は?ありゃ単なる噂じゃねぇか!」
「あら嫌だ、知らないんですの?あの上田戸組崩壊事件。」
「…!」
「湖智谷銀行の件や…」
「…!!」
「森内副総裁のご令嬢が誘拐された事件…」
「…!!!」
 一体何者なのかと、天河とグスターヴは冷や汗を流しつつ静江を見詰めた。
 静江が並べ立てていることは、二人が願叶師として契約を交わしたものばかり。だが、関係者の記憶は消しているため、それらがこうも明るみに出るはずはないのだ。
 しかし…二人の前に座るこの女性は、それを的確に挙げている…。
「あら、顔色が優れませんね。」
「い…いえ…。」
 天河は少々口籠もってしまった。グスターヴに至っては目を游がせている有り様だ。
「お二方、ご存知でしょ?」
 再びニッコリと問い掛ける静江に、二人はゾッとしてしまう。その後ろにこう見えたのだ。

- 早く言わんか、このバカタレが! -

 この女性は絶対敵にしたくない。
 天河は深い溜め息を吐いた。今まで数百年…バレたことなど一度もないのだ。これが現在の社会なのだと痛感させられた。
「夫人、ご名答です。ですが、何故分かったのですか?」
「時雨!」
「良いだろ?後で記憶を消すんだから。」
「そう言う問題じゃねぇよ!」
 天河とグスターヴが言い争いを始めたため、静江はグスターヴに「少し黙って頂けますかしら?」と極上の笑みで言ったため、グスターヴは蒼くなって黙り込んだ。
「どうして分かったのかと問われますと、細かく調べさせただけなのです。」
「細かく?」
「ええ。原因不明で解決した事件を十年余り遡って調べ、それらを年代順に地図に並べて行くと、それが移動していることが分かります。そこで移動したルートに住んでいた、又は同じ様な容姿をした二人組を見掛けた人物がいないかを調べあげました。」
「何故二人だと?」
 その問いに静江は苦笑して答えた。
「お二方がこの町に来たとき、結構な評判だったのですよ?お二方の容姿が飛び抜けて良いのだと自覚されるべきですわ。」
「はぁ…。」
 そうは言われても、二人はそれほど自分の容姿を気にしてはいない。故に、そんな風に評価されていようとは思いも寄らなかった。
 些か面食らっている二人を余所に、静江は話を戻して言った。
「それでお二方がこの町へ来た時より、この町の周辺で同様の解決事件が起きているのですから、調査内容と照らし合わせれば明白となりますでしょう?」
「これは…参ったなぁ…。」
 天河はそう言って、バツが悪そうに頭を掻いた。
 一方のグスターヴと言えば、既にもう知らぬと言った風に酒と食事に徹していた。天河はそんなグスターヴを半眼で見つつも、自分もワインで渇きを癒してから静江へと言った。
「何故…そうまでして願叶師を?」
「決まってますわ。梓ちゃんのためです。」
 彼女は天河を見据え、そうキッパリと答えた。
 しかし、その答えに天河は首を傾げて返した。
「どうも分かりかねますね。何故身内である修君ではなく、他人である梓ちゃんなのです?」
 そう問われた静江は、天河に意外なことを話した。
「実は…梓の母、花江とは親友だったのです。彼女と洋介さんは、それは仲睦まじい恋人同士で、私も周囲も羨んだものです。彼女は結婚する時、子供が生まれたら名付け親になってほしいと言い、洋介さんも是非にと…。ですので、私はそれを喜んで受けたのです。」
「では…貴女が“梓"と?」
「はい。ですから彼女が亡くなった後、私は梓ちゃんを実の娘の様に思っているのです。故に、梓ちゃんには幸せになってほしいと…。」
 その答えに、天河は納得して返した。
「分かりました。では、貴女の願いは“梓ちゃんの幸福"で良いのですね?」
「はい。」
 静江の返答に淀みは無かった。彼女は自分の息子より梓を選んだのだ。いや、今は亡き親友の想いを…と言った方が良いかも知れない。
「しかし、私は何を対価に?」
「もう対価は支払われています。」
「…?」
 天河の言葉に、静江は首を傾げる。それ故、天河はそれに答えて言った。
「貴女の息子、敬一郎君の幸福です。」
「…それが対価に?ですが…対価にはならないかと…。」
「いいえ、彼は数年間は苦しむでしょう。」
「しかしながら、それは息子の自業自得と言うものでは?」
「それでも、その苦しみで充分贖えます。それがまた彼を強くもするでしょう。」
 そう言って天河が微笑んだ刹那、グスターヴ諸共その姿が消え去った。

「あら…私ったら、一体誰と話していたのかしら…?」
 そうして夫人から…二人の記憶も消え去ったのだった。




 
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