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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第四話
  Ⅲ



「只今戻りました。」
 そう言って梓は家へ入ると、玄関口に継母の藤子が立っていた。
「随分と遅かったのね。」
「申し訳ありません。途中で天河先生とお会いしましたので。」
 梓が頭を下げてそう返すと、藤子は眉を顰めて言った。
「あの胡散臭い大学教授と、一体なにを話したんだい?」
「今日はこちらの大学へ招かれて講座を開いていたそうで、そのお話しを少しばかり聞かせて頂いておりました。」
「そう。カステラは二本買ってきたのでしょうね?」
「はい、こちらに。」
 そう言って梓が紙袋を差し出すと、藤子はそれを受け取って何も言わずに立ち去った。
 藤子は後妻であり、梓にとっては継母なのだが、いつも万事この調子なのだ。当然、梓も快く思ってはいない。
 しかし、それでも親は親であり、梓がそうした態度を見せたことは一度もなかった。唯一、許嫁のこと以外は…であるが。
 そのためか、藤子は当初より梓に冷たく当たる様になり、彼女をまるで家政婦として扱う様になったのであった。
 夫が一番の藤子にとって、前妻の一人娘である梓は目の上の瘤に等しい。いや、金の亡者である藤子には、先妻の子など早く厄介払いしたい…が本音なのだ。
 だからこそ、許嫁の話はまたとない好機であり、資産家とのパイプラインに梓を使えれば、もっと金が入ると考えていた。一石二鳥…藤子はそれを狙っている。故に、言う通りにならない梓に苛立ちを覚えているのだ。
 藤子が奥へ下がったのを確認すると、梓は深い溜め息を吐いて二階の自室へと向かおうとした。すると、藤子の部屋とは反対側の廊下の端にある部屋から呼ぶ声がする。
「梓や。」
「お婆ちゃん、何?」
 呼んだのは祖母のアキであった。
 梓が前に来るや、アキはニッコリと微笑んで小さな紙包みを梓へと渡した。
「豆大福だからお食べ。」
「有難う、お婆ちゃん。」
 梓もニッコリと微笑んでそれを受け取る。すると、アキは梓を見て静かに言った。
「梓、負けちゃならないよ?今の世の中、女は強くなんなくちゃねぇ。」
「うん、そうね…。」
「修ちゃんのこと、応援しているから。」
 アキはそう言って梓の手に自分の手を重ねた。
 この家の中でアキは味方の一人であったが、今は亡き祖父の寅吉が生きていれば、恐らく許嫁のことを許す筈はなかった。
 祖父母は時代に違えての恋愛結婚であった。その当時、それを押し切った二人はかなり騒がれたのである。片や八百屋の息子で、片や旧家の娘…釣り合いが取れぬと笑われもしていたが…。
 一代で小さな店からそこそこの会社にまでしたものの、戦争で多くのものを喪って出直しとなったが、戦友でもある萩野亀五郎に助けられて店を再興した。父の洋介も戦争には行きもしたが、直ぐに終戦となり、その後に再興した店を守り立てるのに四苦八苦したのだ。
 祖父の寅吉は店の再興直後、戦後の華々しい時代を見ずに亡くなった。
 だから言うことを聞け…とは言えないが、洋介は無言で娘へとそう言っているに等しい。
 そんな無言の父に、梓はそう言われていると考え、出来るだけ家には居たくなかった。
 しかしながら、未だ十七の小娘が家を出ても暮らせようがない。
 梓はアキから貰った大福を大切に持って部屋へ戻ると、机の引き出しから一枚の写真を取り出した。
「修さん…。」
 それは想い人と一緒に写したものだった。
 梓が想いに浸っていると、ノックも無しに不意に藤子が部屋へと入ってきた。
「何グズグズしてるの!それ…そんな写真、いつ撮ったんだい!」
 そう言うや、藤子は顔を真っ赤にして梓の頬を思い切り引っ叩いた。そして倒れた梓から写真を引っ手繰ると、憎いと言わんばかりにそれを一気に千切って梓へと投げつけたら。
「何をするんですか!」
「この売女!お前はもう敬一郎さんのものなんだよ!こんなもん見てる暇がありゃ、さっさと敬一郎さんの夜伽の相手でもしてきな!」
「そ…そんな…酷い…。」
 余りのことに、梓は顔を蒼くして震えた。だが、藤子はそんな梓を見てニタリと笑って追い討ちをかけた。
「そうだ…次の土曜、あんた敬一郎さんのとこへ行って夜伽の相手をしなさいな。敬一郎さんだって一度寝てしまえば直ぐに婚約、結婚と言うわ。梓、これは命令だからね。もし行かなかったら闇商人にでも売り飛ばしちまうから、覚悟しといで。」
 嫌な笑みを零してそう言うと、「夕飯の支度しときな!」と捨て台詞の様に吐いて出ていったのだった。
 唇を噛み締め、梓は泣かぬよう踏ん張っていたが、破られた写真を集めつつ、やはりその目から涙が溢れてくる。
 耳を澄ませば、部屋の外から玄関の戸が閉まる音…どうやら藤子は出掛けたようだった。それを見計らったように、梓の部屋へとアキが心配そうに入ってきた。
「梓や、大丈夫かい?」
「う…うん…。」
 そう弱々しい声で返す梓を、アキは抱き寄せて言った。
「ありゃ…鬼だ。爺さんが生きてたら…あんな女、絶対洋介の嫁になんぞさせんかったのに…。婆が悪いんだ。婆がもっと確りしていれば…。」
「お婆ちゃんの所為なんかじゃないわ!お婆ちゃんはいつも優しくしてくれる。修さんのことだって応援してくれてるんだもの…。これ以上言ったら罰が当たるわ…。」
 そう言って涙を拭き、梓はアキと共に立ち上がって「夕飯の支度しなきゃ。」と言った。
「何でお前がこんな目に遭わなきゃならんのか…。」
 悲し気にそう言う祖母に、梓は笑顔を見せて返した。
「まだ諦めてないわ。諦められる訳ないもの。」
「梓…。そうだ、その意気だ。」
 力強く言った梓にアキも笑顔を作り、二人は部屋を出て下階へと降りたのだった。

 一方、藤子はこの様な夕刻に何処へ行ったかと言えば、大口の取引先へと顔を出していた。
「今晩は。」
 そう言って藤子が入って行くと、そこには一人の男性がいた。
「お藤さん。」
 男性は笑みを見せて立ち上がると、藤子の元へと歩み寄った。
「今日も来てくれたのかい?」
「本当は毎日だって来たいわ。」
 そう言うや、藤子は男性の唇に自分の唇を重ねた。
「俊夫さん…。」
 藤子は男性…俊夫の耳にそう甘く囁く。
 この男性は桜井俊夫と言い、岡澤乾物と言う会社の専務だ。歳は三十六で既婚者だが、二人はそれを承知で逢瀬を重ねていた。
「お藤さん、ご亭主は大丈夫なのかい?」
「あんなのは放っといて良いのよ。夜だって全くだし、娘は娘で役立たずだし…本当、お金がなけりゃ直ぐにでも別れたいわよ。」
「おぉ、怖い。」
 そう言うや、俊夫はそのまま藤子を隣の仮眠室へと連れ込んだのだった。
 そんなことなぞ露とも知らず、梓は家で夕飯の支度を進めていた。と、そこへ玄関から戸の開く音が聞こえたため、梓は父の帰りと思って玄関へと出た。
「お帰りなさい。」
 梓はそう言って両膝をつき、深々と頭を下げた。
「ああ、帰った。」
 父の洋介はそう一言言った切り、他には何も言わずに梓を残して自室へと入った。
 いつものことだ。昔…前妻である梓の母、花江が生きていた頃は穏和で良く笑う人物だったが、花江を亡くしてから少しずつ感情が薄くなり、今ではもう何を考えているのかすら分からない。藤子がこの様な時刻に出掛けても咎めもせず、ただ淡々と家と店を往復するだけ。それが反って梓には重たかった。
 梓は夕飯の支度を済ませると、父と祖母を呼びに行き、二人が来る頃合いにご飯と味噌汁を出した。
 三人はただ黙々と食べた。藤子がいないことなぞ今に始まったことではないのだ。
「ごちそうさま。」
 洋介はそう言って箸を置き、直ぐに席を立って自室へと下がった。
 二人は何を言うこともなく、そのまま食事を続けたが、二人が食べ終わる頃にやっと藤子が帰ってきた。
 藤子は挨拶もなく、「早く出して。」と言って席に着いた。これもいつものことだった。勝手気儘…いや、単なる我が儘だ。地球でさえ、自分を中心に回っているとさえ思っているのだろう。
「藤子さんや、今時まで何処に居ったんだい?」
 アキが箸を止めてそう藤子に問うと、藤子はあからさまに顔を顰めた。
「老い耄れに話す謂れなんてないわよ。さっさと部屋へ下がってちょうだいな。こっちまで線香臭くなっちゃうじゃないの。」
 平然とそう返す藤子に、アキは静かに言った。
「藤子さん、私も会社の権力の三分の一は握ってるんだよ?こんな老い耄れでも、あんたより上だってことを覚えときな。私が一言言えば、あんただってこう好き勝手出来ないからね。」
「あら、それはどうかしら?洋介さんがそれを許すなんて思ってないわよね?本当、もう頭が耄碌したのかしら?アハハハハハ…!」
 なんと言う言い草か…。いや、こんなのは可愛い方と言えようか。
 実を言えば、アキは会社の大半の役員と繋がっている。元は夫の寅吉と二人で立ち上げたのだ。実力で言えば、息子の洋介より遥かに上なのだが、息子のために口出しを控えているのだ。息子が社長として全員に認められるよう…。
 そんなことも分からない藤子はああ言うが、いざとなれば洋介を解任してアキが取り仕切ることも充分可能なのだ。
「あ~あ、もうご飯いらないわ。私、外で食べてくるから。」
 一頻り笑い終えた後、藤子はそう言って席を立った。梓は慌てて盆に乗せた夕食を持っていき、不機嫌な藤子へと言った。
「今日は母様の好きなシチューを作りました。如何でしょうか?」
 そう言う梓を、藤子は思い切り顔を顰めて見るや、盆に乗った皿を手にして梓へと投げ付けた。
「ああっ!」
「いらないって聞こえなかったのかい!?もう、盆暗ばかりの家族だこと!」
 藤子はそう吐き捨て、さっさと外へと出て行ったのだった。
「梓や、早ぅ手ぇ冷やさんと!」
 アキはそう言って梓を流しへ連れて行き、水を出して手を冷した。そして布巾で服についた汚れを落としながら言った。
「爺さんとの約束で何も言わんできたが…もう駄目かも知れんなぁ…。」
「お婆ちゃん…ううん、私がどうにかしなくちゃならない事なのよ。お婆ちゃんがお爺ちゃんとの大切な約束を破るなんて絶対駄目。」
「梓…。」
 アキは泣きそうになるが、優しい孫の頭を撫でて「良い子だねぇ。」と言った。
 暫くして梓の手を拭いてやると、ふとアキは何かを思い出した様子で梓へと言った。
「そう言えば…隣の源さんに聞いたんだが、最近“願叶師"なるものが出るって噂があってなぁ。」
「“ガンキョウシ"…?」
 今まで聞いたこともない名に、梓は不思議そうに首を傾げた。
「願いを叶えると書くらしい。なんでも、それは依頼者の大切なもの一つと交換に、その者の願いを何でも一つ叶えてくれるというんだが…。」
「願叶師…。」
 梓は考える。もしそれが真実だとしたら、自分は一体何を対価として差し出せば良いのだろうかと。
「梓や、飽くまで噂だ。まぁ、本当に居ったら、この婆が叶えてやりたいがねぇ。」
「お婆ちゃん…有難う。その気持ちだけで充分だわ。」
 そう言い、梓はアキの皺だらけの手を握ったのだった。



 
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