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ウンムシ

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1部分:第一章


第一章

                     ウンムシ
 名だたる武の男であった。その為に疎まれその為に愛されその為に命を助けられた。そういう男であった。
「あの者はもうよいではござらんか」
「殺すには惜しい者ですぞ」
 保元の乱の後の戦後処理において。源為朝を助命する声は多かった。これは元々平安貴族達が死の穢れというものを嫌ったせいであるがそれと共に彼の武芸を惜しんだからである。
 それを聞いても藤原信西は考えを変えようとしなかった。彼は彼で政治家であり政敵を放っておくつもりはなかったのである。その際容赦なく斬ってしまえるところが彼が普通の貴族達よは違うところであった。
 だがこの乱における立役者の平清盛の言葉でこれが変わった。彼は平家物語では極悪人であるがその実は実に温厚で心優しい人物であったのだった。
「源氏の血はもう充分流れております」
 そう信西に述べるのであった。
「それではそれ以上は」
「しかしだ」
 信西はその清盛に言われても考えをまずは据え置いて彼に問うのであった。
「あれだけの武芸をこのまま放ってはおけぬ。どうするというのだ」
「では流刑にすればいいでしょう」
 清盛はこう提案するのであった。
「流刑か」
「しかも気の遠くなる程遠くへ」
 そこへやって彼を助けようという考えであった。この男はどういうわけか甘さがあり源頼朝にしろその弟の源義経にしろ助けている。義理の母が彼を叱ったからだというがそもそもその程度で敵を助命するというのは非常に稀な話であろう。それは結局は彼等を殺すには彼があまりにも甘いということに他ならない。
「そこへやればよいでしょう」
「ふむ。遠くへか」
 それを聞いて信西の気が変わった。
「それではじゃ。それこそまことに気の遠くなる場所へ流そうぞ」
「それで宜しかろうと存じます」
 清盛としてもそうでなければ信西がうんと言いはしないのはわかっていた。だからそれは頷くのであった。
「では瑠求に流すとしよう」
「瑠求ですか」
 今で言う沖縄だ。当時ではそもそも日本かどうかすらわからない島々であった。信西はここでならよいとしたのであった。
「他はならん。それでよいか」
「はい」
 為朝の命が助かるのならそれでよかった。それ以上の譲歩は無理であると清盛もわかっていた。
「それではそのように」
「うむ。それではじゃ」
 こうして為朝の処罰は決まった。彼は南の島に流罪となったのであった。彼は胸を張ってその言葉を受け意気揚々と流刑地に向かった。それはまるで戦場に赴くようであった。
 そのうちの島の一つに落ち着いた彼は。そこでも武芸を忘れてはいなかった。時間があれば刀を振り馬を操っていた。とりわけ弓に精進しそれで獣も鳥も魚も全てを捕らえる程であった。
「いや、これは」
「物凄い方が来られたものよ」
 島の者達はそんな為朝を見て驚くばかりであった。何時しか彼はここでもその武芸を謳われるようになっていた。
「若しかするとこの方ならば」
「果たしてくれるやも」
 そのうえでこう囁き合うのであった。そうして為朝のところに集まって訴えるのであった。
「化け物をか」
 巨大な身体に筋骨隆々の肉体をしている。精悍で雄々しい顔の眉は見事なまでに吊り上がっている。二の腕はあくまで太く長い。その身体を武士の服で覆っている。それが源為朝であった。島の者達はその彼に対して訴えていたのである。
「はい。実はこの島には得体の知れぬ化け物がおりまして」
「皆困っているのです」
「そうであったか」
 ここに来て間も無くだったのでそれは知らなかった。為朝は今それをはじめて知ったのであった。
「化け物がか。してその化け物の名は何というか」
「ウンムシといいます」
 島の者の一人がこう答えた。
「ウンムシか」
「はい、普段は海におりまして」
 彼等は為朝に対して語りはじめた。
「わし等が漁に出ますと海から出て船を沈めてしまいます」
「そうして船に乗っている者を喰らうてしまうのです」
「性質の悪い化け物じゃな」
 為朝はそれを聞いて顔を顰めさせる。剛毅で一直線な性格の彼としてはそれを聞いて許せる筈がなかった。もうそのウンムシという化け物を退治することを決めていた。
「しかも何とか逃げても追い掛けてきて島まで来て襲ってきます」
「それでもう漁には出られないのです」
「そういうことであったか」
 為朝は腕を組んだまたその話を聞いていた。だが最後まで聞き終えるとここで言うのであった。
「よし、そのウンムシとやらはわしが倒そう」
「まことですか」
「そなた等が困っているのをそのまま見ては置けぬ」
 これは彼の侠気と正義感故の言葉であった。
「この弓と刀で何であろうが倒して見せようぞ」
「有り難い」
「それでは御願いします」
「うむ。それではだ」
 ここまで話したうえで島の者達に対して問う。
「そのウンムシは何処にいるのか」
「ウンムシですか」
「左様、そ奴がいるところまで案内してくれ」
 こう言うのであった。
「さすれば退治しよう。頼むぞ」
「わかりました、それでは」
「我々が案内致しましょう」
 こうして彼は島の者達が操る船に乗って海に出た。海は静かで空は晴れ荒れる気配は微塵もない。為朝はその静かな海を眺めながら船の先頭に立っていた。動き易いように鎧兜は身に着けず刀と弓を持っているだけであった。
 彼は前を見据えたままであった。そうして島の者達に対して言うのだった。
「奇麗な海だな」
「はい」
「全くです」
 島の者達も彼の言葉に応える。
「ですがこの海も」
「ウンムシが出るところになると」
「変わるのだな」
「はい、それはそろそろです」
 彼等はこう為朝に言ってきた。船を漕ぎながら。
「この辺りに出ます」
「近付いて来ると」
 その言葉が言い終わるか終わらないかのうちに。それまで晴れ渡っていた青い空が瞬く間に消えて黒く重い空になった。海も青から黒に色を変え波も荒くなった。明らかに異変が近付いていた。
「言っている側からか」
「来ました、これが」
「ウンムシが来た証拠なのだな」
「はい、為朝様」
 彼等は怯えながら為朝に告げる。
「その通りです」
「御気をつけよ」
「来たか、いよいよ」
 だが彼は恐れてはいなかった。むしろその逆でいきり立ち弓を構えた。そうして船の頭に仁王立ちしてそのウンムシを待ち構えるのであった。
 
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