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銀河英雄伝説 異伝、フロル・リシャール

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第1部 沐雨篇
第2章 第4艦隊付幕僚補佐 
  008 イゼルローン回廊外遭遇戦

 フロル・リシャールという人物を評するに当たって、後世の人々は様々な賛辞と、それに等しい量の罵倒でもってそれを行う。賛辞を述べる者は自由惑星同盟に勝利を齎したという功績を論拠とし、罵倒する者は一時期にせよ彼が同盟軍不敗の名将ヤン・ウェンリー一党と敵対していたという事実を理由にした。
 彼は同盟軍に身を置いていた期間のほとんどを、ヤン一派——ヤンの名声がフロルのそれを超えるまではフロル一派として、同じ勢力の仲間だったのだ。彼らが望むにせよ、望まぬにせよ有力な派閥とされていた一方、彼らは家族ぐるみで親しい先輩と後輩であり、友であったとされる。
 堅牢な友情の上に築かれた協力関係が、なぜ砂上の城の如く脆くも崩れ去ったのか。

『なぜ、フロル・リシャールはヤン・ウェンリーと対立せねばならなかったのか』

 永遠の謎、と呼ばれたこの近代史上もっとも有名な謎は、彼の孫にあたるレイモン・リシャールがフロルの私文書を公開するまで、明らかにされることはなかった。
 だが、それを語るには時の針を進める必要があるだろう。
 
 宇宙暦787年の秋、ドワイト・グリーンヒルが少将に昇進し、戦略作戦局長から情報部長へとその役職を繰り上げた。この人事は昇進すべき人間が昇進したという至極真っ当なものとして内外に好評を得た。グリーンヒル少将が同盟軍における軍事諜報戦の要であることは軍にいる誰もが知っていたし、そもそも良識派として軍内外で信頼の篤い人間であったためである。
 また自由惑星同盟における国防公安委員会情報部は、主に対外的諜報活動を取り仕切っているのであって、国内の捜査権を有しないことが、彼の敵を作らないことに一役を買っている。国内における捜査および逮捕権は法秩序委員会の警察組織が独占しており、つまり国内における諜報活動は警察内部の公安警察が取り仕切っている。
 この二つの組織は軍人と政治家の権力争いが生み出した一卵性双生児であった。ほとんど同じ職務内容を持ちながらも、国内と国外で分断されては円滑な諜報活動は望むべくもない。本来持たれるべき情報の共有など、互いを無能と罵り合う公安警察と国防委員会情報部においては土台なし得るものではないのである。そして権力の敵対は同盟の歴史、四半世紀の時間を経て、諜報活動の国内と国外の棲み分けという不文律を作り上げていた。
 その中で、制服組でありながら無用の混乱を避ける気遣いと交渉能力を持ち合わせるグリーンヒルは、どちらの権力者にも歓迎されたのだ。

 グリーンヒル少将が昇進後、まず行ったのはフロル・リシャールは中尉への昇進である。昇進の理由は「職務において一等の功あり」としか記されていない。
 次いでグリーンヒルは宇宙艦隊第4艦隊分艦隊幕僚補佐にフロルを任命した。フロルは同盟軍諜報活動の最前線から艦隊戦の最前線へと配置換えされたのである。


***


 フロル・リシャール中尉は第4艦隊カタイスト中将麾下の分艦隊ラウロ・パストーレ准将の元へ着任した。リシャール中尉はパストーレ准将のもと、作戦立案・艦隊運用計画などを担当し一定の評価を得て、パストーレ准将の信認を得ることに成功する。もっともそれは准将直属の幕僚団にも問題があったからでもあった。
 ラウロ・パストーレは宇宙暦755年、士官学校を中の上の成績で卒業。後方任務と同盟領土の守備任務を主として、昇進を重ねた。中規模以下の艦隊戦闘においては一定の作戦遂行能力を有していたということであるが、逆にそれが彼の限界であったのかもしれない。30代を前にして国内のタカ派政治家と親交を深め、785年准将に昇進。第4艦隊指揮下の分艦隊の指揮官となった。キャゼルヌであれば「財布が軽くなる度に昇進を手にした男」とでも言うであろう。

 第4艦隊を指揮するカタイスト中将自身は一兵卒からの叩き上げで艦隊指揮官にまで登り詰めた男で、同盟軍将兵からも絶対的な信頼を獲得していた。その指揮ぶりはアレクサンドル・ビュコック中将や帝国軍ウィルバルド・フォン・メルカッツ大将とも引けをとらないとされていた。
 だが一方で政治的な立ち回りは苦手であり、自分の指揮下分艦隊にラウロ・パストーレ准将が任命にされた政治的な取り引きにも、従うしかなかった。彼自身が退役年齢に近づいており、国内の有力な政治家に反対することで退役後の待遇が悪化することを忌避したためとも言える。
 150年続いた戦争は、戦争の日常化を招いた。この程度の政治家の恣意的な軍部への介入は珍しいことではなかったのである。有するべき能力を持たない人間が、あるべきでない地位に就く。それによる軍の能力低下を問題視する人間は、既にいなくなっていた。

 そのような経緯で任命されたパストーレ准将の幕僚団が正常に機能するべくもない。個人的かつ私的なルートで昇進を試みた人間が多く集まってきたのである。第4艦隊パストーレ分艦隊上層部の機能低下が進行する中、まったくの外部からやってきたフロル・リシャール中尉の能力は相対的に重宝されたのである。

 そんな同盟軍第4艦隊麾下パストーレ分艦隊が偶発的な戦いに巻き込まれたのは宇宙暦786年3月10日のことであった。

 その戦いは第4艦隊とイゼルローン駐留軍との遭遇戦である。この遭遇にはとある貴族が引き金となっていた。
 ダウリス・フォン・エッフェンベルク子爵がそれである。彼は同盟への亡命を画策した。彼がブラウンシュバイク公の血族を不慮の事故で殺してしまったことが発端であったが、それに恐れをなしたエッフェンベルク子爵がイゼルローン要塞経由で亡命する過程で、軍の機密を持ち逃げしたことで話は軍を巻き込む事態に発展した。自らの持ちうる財産を持って、腹心の家臣ととも単艦逃亡したのである。それが8月3日のことである。なぜ亡命するにあたってフェザーンではなくイゼルローン経由を選んだかに関しては、これは同時期に亡命を図ってフェザーン航路中に事故死した某男爵の事件を子爵が知っていたためとされる。
 軍事機密を持ったまま軍事要塞から帝国貴族が亡命する事態になって、駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将は3000隻の分艦隊を派遣した。追跡部隊にこれだけの艦艇を用意したのは、ブラウンシュバイク公の歓心を買わんとしたためとも言われている。追っ手の存在を察知した子爵は恐慌状態に陥った。捕まれば死罪は免れぬのは明白である。彼らは死に物狂いで逃走を続けたが同盟側のイゼルローン回廊を同盟側に少し出たところで、8月12日、補足され、撃沈された。

 ここで不幸が重なる。
 第4艦隊はイゼルローン回廊の同盟側において、惑星エル・ファシル領域の偵察任務から首都星ハイネセンへの帰還途中にあったのだ。自由惑星同盟においても、銀河帝国においてもその広大な支配領域全体に、常時から兵を配置することは不可能であった。であるならば、定期的な偵察に頼らざるを得ないだが、今回はそれが両軍にとって予期せぬ遭遇戦を作り上げることになったのある。
 先に敵に気付いたのは帝国軍であった。補足されたのは同盟軍第4艦隊分艦隊3000隻。数の上では互角。帝国軍は同盟側に入り込み、帰還しようとした時になって、イゼルローン要塞への途上に同盟軍分艦隊を見つけたのである。
 こうして誰一人、望んでいない戦いが始まった。


***


「帝国軍艦隊発見ッ! 方角は3時20分! 敵艦隊数およそ3000!」

 同日7月21分、敵艦隊の知らせは分艦隊旗艦レオニダスに衝撃をもたらした。同盟、帝国の国境において偵察任務に出ていた艦同士が不幸な遭遇戦を引き起こすのはままあることであったが、それがともに3000隻であるという事態はそうそうあることではなかった。しかも遭遇領域は惑星エル・ファシルからそう遠い場所ではない、明らかに同盟側に入り込んだ宙域である。
 叩き起こされたパストーレが押っ取り刀で艦隊司令部に駆けつけるまで10分はかかった。幕僚団も似たり寄ったりである。まともな交代制も引かないで、彼の幕僚団は暇な偵察任務を自室でやり過ごしていたのだ。

「私以外の幕僚を叩き起こせ! 敵艦隊来襲だ! パストーレ准将には私が電話をかける……その騒がしい警報を止めろ!」
 敵艦隊発見のけたたましい警報が流れる中、フロルが最初に行ったのは当直通信士官への指示であった。
「敵の速度は! 時間的距離でいい!」
 その司令部にあって唯一人、真面目に司令室に詰めていたのはフロル・リシャール中尉であった。フロルにしても気質は生真面目にはほど遠い人間であったが、司令部に士官が誰もいない事態を看過できない程度には勤勉であったのだ。あるいはヤンの言葉を借りるならば、給料分の仕事はしていたのである。

「およそ20分後に敵主砲有効射程内に入ります!」
「……近いな、警戒網はどうなってるんだ」
 フロルは聞こえない声の大きさで毒付いた。するべき警戒を怠っていた証であった。
 事態は急を要した。最も問題なのは、敵艦隊が我が艦隊の右側面を突く形になっていることであった。20分では3000隻の全艦隊の回頭しきるのは難しいであろう。ただ漠然と縦陣形を敷いていた艦隊の、陣形変更も簡単ではない。
 さらに問題は、幕僚団が揃うまでの時間的ロスである。全員が揃ってから、作戦案を出し合って取りまとめる時間などない。仮に幕僚たちが有能であっても、そのために有する時間が同盟軍艦隊を宇宙の塵に追いやるであろう。この瞬間、時間は宝石よりも貴重であった。

 フロルは小さく息を吐き出して、分艦隊司令室直通の電話を取った。数秒して、相手が出る。
「リシャール中尉であります」
『なんなんだ! 今の警報は!』
 電話の先でパストーレは叫んでいた。狼狽が声にまで表れている。
「敵艦隊発見しました。20分で会敵します。至急司令室までお越し下さい」
『敵艦隊だと!?』
 フロルは舌打ちを堪えなければなかった。警報の意味がわからなかったパストーレに対してではない。パストーレの意識の低さに対してであった。艦隊はハイネセンの周りを飛んでいるのではない。あくまで、敵艦隊の遭遇を想定した偵察任務であったはずである。それが幾多の何事もない偵察任務によって、敵が来ないことを想定した偵察任務になっていたのではないか。だからまともな警戒網も引かずに警戒宙域を航行していたのではないか。朝3時としても、司令室にフロルしかいないのも馬鹿げた話であった。
 フロル自身が望《・》ん《・》だ《・》こととは言え、この分艦隊に配属されたことを後悔したい思いであった。
 
 おかげで、この貴重な20分をフロル一人で対処しなくなっているのだ。
 本来、フロルの地位であればこのまま司令官や幕僚が揃うまで動くことはできない。だがそれが自らの生死を左右するとなれば、話は別である。
 だから、フロルは言葉を操った。
「時間的余裕がありません。現在、司令室にいる幕僚でとりあえずの指示を出しますがよろしいですね!?」
 司令室にいる幕僚、つまりフロルだけである。
『わ、わかった。至急対処せよ!』
「了解!」
 フロルは半ば叩きつけるように受話器を置いた。もしかしたら電話の先でパストーレが気分を害しているかも知れないが、知ったことでは無かった。気分どころか、自分たちを害する敵が目の前にまで迫っているのだ。言質はとった。あとはどうするべきか。

 フロルは次の通信を繋げるまでの一瞬で、多くを考えた。
 敵の速度、敵の進行方向、現宙域の地理的位置関係、敵の陣形……。
 こういう時に、彼の指針となるのはヤン・ウェンリーであった。彼であれば、いったいどう考えるか。そして将来の彼がいったい何を成したか。
 それがフロルという軍人を形作っていたのだーーヤンの知らないところで。
「機動部隊長のフィッシャー中佐に繋げてくれ!」
 そしてフロルは知っていた。原作で生きた航路図と呼ばれた、艦隊運動の達人がこの分艦隊にいることを。


 ***


『フィッシャー中佐であります。司令部からとのことでしたが』
 フィッシャーは通信で現れた、明らかに自分よりも若い中尉を見て眉を顰めた。

「リシャール中尉であります。パストーレ准将からの指令をお伝えします」
 その言葉にフィッシャーは軽く目を見開いた。迅速な対応にもしかしたら驚いたのかもしれない。

「我が艦隊を2つに分けます。敵が来襲する右側艦隊は小回りの効く艦を右に90度回頭させ、装甲の厚い艦を盾にその間から攻撃を加えて下さい。敵の直撃をまず緩和し、次いでわざと敵艦隊に我が艦隊の中央を突破させていただきたい。その間に左側艦隊を左に90度回頭させ、我が艦隊中央を突破した敵艦隊の後背を突きます」

 ヤンのとったアスターテ会戦の小規模再生産といったところであった。もっとも、この時にはまだ発生していないが。

『敵艦隊が我が艦隊を突破後、後方展開した場合はどうしますか?』
「敵艦隊の目的は我が艦隊の中央を突破し、イゼルローン要塞への帰還だと推測されます。敵は紡錘陣形をとり、高速でイゼルローン回廊方面に進行しています。そもそも帝国艦隊が3000隻程度で、同盟軍の支配宙域で艦隊戦をする意味はありません。ここまで入り込んでは補給線もまともに維持できないはずだからです。であるならば、敵艦隊の目的は現宙域の支配でも、我が艦隊の撃破でもないと考えるのが妥当です。この戦いは敵にとっても意図しないものだったのでしょう」

 フロルは一息で説明をしたが、それによってフィッシャーは目の前の若者がこの作戦を立案したことを暗に理解した。だがフロルがパストーレの名を出した以上、そのことを指摘する必要はないのである。
 怠惰な司令部が指揮するこの艦隊で、このような遭遇戦に巻き込まれた不幸を呪っていたのはフィッシャーだけではなかったが、まともな指令が下されるのは大歓迎であった。

「万一、敵が突破後、展開を図るのであれば、左側艦隊でそれに対処しつつ、全艦隊撤退します。互いの位置が変われば、イゼルローン回廊に逃げ込めるわけですから、撤退する我が艦隊を追うことはないでしょう。フィッシャー中佐には右側艦隊の指揮をお願いします。左側は旗艦でとります」
『これは賭けですな。あと15分足らずでそこまで持って行けるか』

 フロルはそこで憎たらしいまでの笑みを浮かべた。
「フィッシャー中佐ならば可能でしょう。もしもこの戦いが無事に終わった暁には、艦隊運動のイロハを本官にご教示願いたいですね」
『そのためにはまず目の前の敵をどうにかせねばなりますまい』
 フィッシャーは苦笑いをしたが、その一方でこの若者に感嘆の眼差しを送った。
「今は時間が宝石よりも貴重です。急ぎ、よろしくお願いします」
『了解した』
 リシャールは敬礼をし、フィッシャーもそれに応えた。

 作戦はこちらの思惑、相手の思惑、そして運によって推移する。
 今回に限って言えば、フロルはその思惑を読違えなかったし、運もまた彼に味方したようであった。

 慌てて集まった幕僚団が司令部に到着する頃には、既に戦端は開かれていた。作戦はフロルの立案のまま進行し、そして終了したのである。遅れてきた幕僚が口を出そうにも、左側艦隊の指揮を任されたフィッシャー中佐には戦闘状態のため連絡が付かず、さらにフロルの案を上回る代替案が見つからなかったからである。

 同日8時2分、敵艦隊は同盟艦隊の中央を突破。そのままイゼルローン回廊へ直進するかに見られた。9時5分、それを見越した旗艦レオニダス率いる1500隻の艦隊が後背を追撃。追撃は5時間にわたって行われ、擬態された中央突破よりも、遥かに多い被害を同盟軍は帝国軍に与えることに成功したのである。

 第4艦隊本隊が援護に来た時には、500隻まで撃ち減らされた敵艦隊はイゼルローン回廊に逃げ込んでいた。艦隊数こそ小規模であったが、同盟軍にとって久方ぶりの完勝となったのである。

 パストーレ准将はこの《イゼルローン回廊外遭遇戦》において、旗艦レオニダスで卓越した指揮を執ったとして少将に昇進、一躍、時の人となった。その影に隠れ遅れるように、パストーレ少将の推薦でフロル・リシャールが大尉になったのは半年後のことである。
 パストーレのフロルに対する信頼は、この一戦を持って確固たるものになったのである。





















 
 

 
後書き
んーと、なんだか凄い久しぶりですね……。
さぁて、頑張っていきたいところですが……。
待って下さっていた方はホントにお待たせして申し訳ございません。
ではまた近いうちに……。 
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