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羅生門の怪

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羅生門の怪

                 羅生門の怪
 もうその時代のことは誰も知らないような昔のことである。京都の入口に羅生門という大きな門であった。この門は京都への入口であった。この門は二階建てであり一応は都への守りの為にもうけられていた。だが実際には兵は配されてはおらずただ荒れるに任されていたのである。京都に出入りする者の他は誰もおらず京都のすぐ外はもう草原は生い茂っていた。上に登ろうにも梯子も壊れている。全くの廃墟であった。
 だが何時しかここに妖怪変化の類が出るという話が出て来た。そうなるとここに来る者はますますいなくなってしまった。こうしてこの門はさらに寂れていったのであった。
 しかしここでこの門の価値がなくなったかというとそうではない。かえって肝試しに使おうという物好きが現われはじめたのである。それは院を守る侍達であった。
「わし等程強い者達はおらぬ」
 彼等はそう自負していた。だから妖怪なぞ恐れることはなかったのである。少なくとも恐れてはならないとはされていた。
 その彼等が度胸試しにこの門を使わない筈はなかった。彼等はある日酒盛りをしながら話をしていた。夜に非番の者達だけが集まっていたのである。
「のう」
 彼等は主の邸宅に集っていた。そして広間を与えられそこで車座になって飲んでいた。火はほんの小さな紙を燃やしたものである。彼等はそれを二つ三つ周りに起き飲んでいたのである。見れば酒は濁酒であり肴は塩であった。ほんの些細な酒宴であった。その中の一人が杯を手に声をあげた。
「羅生門のことだがな」
「うむ」
 他の者が彼に応えた。
「あやかしが出るというのはまことか」
「それはよく聞くがのう」
 同僚の一人が塩を舐めながらそれに応えた。塩を舐めた後で酒を飲む。丁度よい甘さであった。濁りがそのまま甘さに繋がっているように感じられた。
「果たしてまことか」
「それは誰にもわからぬことじゃ」
「何を詰まらないことを言っておる」
 その中の一人がそれを聞いてかかと笑った。
「そんなことは簡単にわかることじゃ」
「それはどういうことじゃ?」
 皆その笑った者に顔を向けた。そこには髭だらけの顔に厳しい顔をした男がいた。名を若菜平太夫という。都にいる侍の中でもとりわけ豪の者として知られている。弓でも馬でも誰かに遅れをとることはない。また相撲も強く誰もが一目置く男であった。その彼が言ったのである。注目されない筈がなかった。
「誰かが言って確かめてくればよいのじゃ」
 彼は素っ気無くそう述べた。
「どうじゃ、簡単であろう」
「口ではそう言えるがのう」
 しかし皆それには腕を組んで苦い顔をさせた。
「若し何かがいたら」
「たまったものではないぞ」
「何じゃ、御主等それでも侍か」
 平太夫はそれを聞いておおいに憤慨した。
「若し何かがいれば成敗する。それでよいではないか」
「だがのう」
 それでも他の者達は渋っていた。
「鬼だったらどうするのじゃ」
「退治するまでじゃ。鬼を倒したとあれば誉れじゃ」
「幽霊だったらどうするのじゃ」
「退けるまで」
 平太夫はそれでも平気な顔をしていた。鬼も幽霊も恐れてはいないようであった。
「それが侍ではないか。何をチマチマと言っておるか」
「では御主は羅生門へ行く勇気があるのか?」
「無論」
 彼はそう言い切った。
「肝試しに丁度いいではないか。よし、いいことを思いついたぞ」
「何じゃ」
「どうせよからぬことであろう」
 皆杯を止めてそう彼に対して言った。
「一人ずつここから羅生門に行くのじゃ。一人でな」
「一人」
「おう、そうでなければ肝試しの意味がなかろう」
 平太夫はその大きな口を開けて笑いながらそう言った。本当に大きな口であった。拳がそのまま入るのではないかとさえ思える程であった。
「まさか断るわけではあるまい。侍たるものな」
「ああわかったわかった」
 同僚達はプライドも刺激され止むを得ないといった様子でそう答えた。
「ではやろう。それでいいのじゃな」
「うむ」
「どうせ断ってもやるだろうしな。では何時やるのじゃ?」
「今すぐというわけにはいくまい」
「それはな」
 それは流石に無理であった。彼等は酒が入っているし準備もある。今すぐにしようとは平太夫も言いはしなかった。
「明日でどうじゃ」
「明日か」
「これならいいじゃろう。どうじゃ」
「そうじゃのう」
 同僚達はそれぞれ考え込んだ。めいめい顎に手を当てたり腕を組んだりして考えに入った。そしてそれぞれ述べた。
「まあよかろう」
「明日じゃな。馬を使って行くのじゃな」
「そうだのう」
 馬という言葉を聞いてあらためて考える。彼等が今いる屋敷から羅生門まではわりかし距離があった。朱雀大路に入れば一直線であるがそれでもかなりの距離があった。
「馬はよかろう。その方が早いしな」
「よし」
「では明日。拒むでないぞ」
「わかっておるわ」
「御主一人でもやるというに決まっておるからな。こうなったら乗りかかった舟じゃ」
「目印に朝のうちに門のとことに短冊をかけておこう。それを持って帰れれば合格じゃ。よいな」
「うむ」
 こうして侍達は肝試しに真夜中の羅生門に行くことになった。だが楽しみにしているのは平太夫だけで他の者は憮然としていた。皆乗り気ではなかったのである。
 だが時間は止まることがない。すぐに次の日のその夜になった。屋敷に平太夫と同僚達が再び集まった。庭に篝火を置きそこに集まっていた。
 篝火の周りには虫達も集まっていた。そしてぶんぶんと飛び回っている。時々平太夫達の周りに来ると手で追い払う。いい加減鬱陶しくなってきたところで平太夫が声をかけてきた。
「皆おるな」
「うむ」
 同僚達は憮然として答えた。
「ならばよい。ではまずはくじを引くか」
「それで行く順番を決めるのだな」
「そうじゃ。さあ皆の衆それぞれ引いてくれ」
「わかった」
 平太夫の周りに集まると皆彼が差し出したくじをそれぞれ引いた。そしてそれで順番を決めた。平太夫は最後となってしまった。
「何じゃ、わしが最後か」
「それでも別に構わぬだろう?」
「まあのう。では早速はじめるか」
「うむ」
「では行って来るわ」
 まずは最初の一人がそう言って馬に乗って出発する。だがすぐに帰って来た。
「どうしたのじゃ?」
「うむ、ちょっとな」
 青い顔をして答える。だがそれ以上は言わない。おおよそのことは見当がついているが皆それを聞こうとはしなかった。これは思いやりからであった。それに自分もそうするかもしれないと思ったからである。
 それは当たった。二人目も三人目も引き返した。四人目も五人目も。皆すぐに引き返してくる。こうして程無く平太夫の番となったのであった。
「もうわしの番か」
「行くのか?」
「当然じゃ。行かぬわけにもいくまい」
 彼はニヤリと笑ってそう述べた。
「ではな」
「おう、行って来い」
 同僚達に見送られ馬に乗って屋敷を出る。そしてそのまま道に出た。
「ふうむ」
 夜の都は暗闇に覆われていた。うっすらと家々が見える他は何も見えない。だがその中で牛車がたまに見えたりする。どうやら貴族が逢引に行っているらしい。
「夜といえばそれもまた楽しみだのう」
 平太夫はそれを見てにんまりと笑った。彼も女色は嫌いではない。むしろかなり好きな方だ。それを嗜むのもまた豪傑の条件であると考えていた。
 妻もいれば子供もいる。だが妻は一人であった。もっと欲しいとは思っていても財産がなかった。だから仕方なく橋の下に行くこともあった。そこで思う存分豪を見せ付けるのである。それが彼のやり方であった。
 その牛車も一台か二台程である。殆どない。平太夫と馬はその何もない夜道を進んでいった。そしてやがて朱雀大路に出た。
 左右に家々が並ぶ他は何もない。犬や猫が時折見える位である。しかしその犬や猫達も彼を見るとすぐに姿を消す。そして暗闇の中に虫が飛ぶ音がするだけであった。
「本当に何もないのう」
 彼はその夜道を見てそう呟いた。
「怖くとも何ともないわ」
 彼にとっては夜道なぞ何でもなかった。別段気にするわけでもなく先を進む。そして遂に羅生門に着いた。門は開けられたままであり人の気配一つなかった。暗闇の中に巨大な楼門がそびえ立っているだけであった。
「肝試しにも何にもならんかったのう」
 平太夫は馬から降りて楼門を見上げてそう言った。結局何もなかったことに拍子抜けさえしていた。そして短冊に近付いていった。
 短冊を手に取った。これで終わりだと思った。だがそうはいかなかった。
「さて行くか」
「待て」
 行こうとしたところで彼を呼び止める声がした。
「誰じゃ?」
「化け物じゃ」
 声はそう語った。
「何、化け物」
 平太夫はそれを聞いて喜びの声をあげた。
「それはまことか」
「如何にも」
 声は胸を張ってそう答えた。声で、であるが。
「わしはこの羅生門をねぐらとする化け物じゃ」
「ふむ」
「わかったらさっさと立ち去るがいい」
「面白いことを言う」
「何?」
 平太夫はその化け物の声を聞いてその大きな口を開けて笑った。
「どうやら化け物というものは洒落がわかるらしい」
「何をふざけておる」
「ふざける?わしは本気じゃぞ」
 彼は不敵に笑ってそう答えた。
「嘘はつかぬ。決してな」
「ではここで何をするつもりじゃ」
「知れたこと。この短冊を持って行かせてもらう」
 彼は臆することなくそう答えた。
「元々その為にここに貼っておいたのじゃからな」
「戯れ言を」
「じゃからわしは戯れ言なぞ言わぬ」
「では短冊を持って行くのだな」
「それが決まりだからな。許されよ」
「許さぬと言ったら?」
「その時は仕方が無い」
 平太夫はどっしりとした声でそう述べた。
「相手をしてもらおうか。生憎これを持って帰らなければならないのでな」
「わかった」
 すると藪の方から何かがぬっと姿を現わしてきた。
「むっ」
 見れば雲をつくような大男であった。鎧に身を包んだ巨大な侍であった。
「相手をしてやる。かかって来い」
「望むところ」
「何と」
 にやりと笑って前に出て来た平太夫を見て大男はかえって面食らってしまったようであった。顔はよくは見えないがその声は驚いたものであった。
「お主、正気か」
「正気でなければ何なのだ」
 平太夫は不敵に笑い、上を見上げたままそう答えた。やはりその顔は暗がりの為見えはしない。
「答えてもらおうか」
「ううむ」
 どうもかえって困っているようであった。巨人は弱った声を漏らした。
「お主の勇気はよくわかった」
「何と」
「その勇気に免じてこの場は許してやろう」
「馬鹿なことを申すな」
 だが平太夫はその言葉も笑い飛ばしてしまった。
「そちらから言ってきたことであろう。今更何を言うか」
「しかしだな」
「しかしもこうしたもないわ。さっさとかかって来ぬか」
「だからわかったと申しておろう」
「そんなでかい図体をして何を言うか。さあ来い」
「うぬぬ」
「来ぬのならこちらから行くぞ」
 そう言って巨人の片脚を身体全体で掴んだ。
「むんっ」
 身体に力を入れる。そしてそのまま持ち上げた。
「うわっ」
 巨人は思ったより軽かった。易々と持ち上がる。平太夫はそれを頭の上にまで持ち上げるとそのまま前へ思い切り放り投げてしまった。
「えいやっ」
「うわっ」
 それで終わりであった。巨人は地面に思い切り投げ飛ばされてしまった。
「何じゃ、思ったより軟弱だろう」
 平太夫は投げ飛ばされてしまった巨人を見て大声で笑い飛ばした。
「その程度か?おまけに軽いし」
「痛たたたたたたたた・・・・・・」
「さあ来い。化け物退治は侍の務めじゃ。容赦はせぬぞ」
「あ、あの・・・・・・」
 平太夫がまた一歩前に出ると大男は顔を上げて弱々しい声を出してきた。
「むっ、何じゃ」
「御勘弁を」
「何、勘弁とな」
「御許し下さい。悪気はなかったのです」
「悪気はなかったとな」
「はい。私はそもそも大男でもないですし」
 そう言うと大男の姿がすうっと消えた。そしてそこから一匹の狐が姿を現わした。
「狐じゃったのか」
「はい」
 狐は弱々しい声で応えながらぺこりと頭を下げた。
「からかっただけなんです」
「つまりほんの悪戯であったというわけじゃな」
「はい」
 狐はそれを認めた。
「では近頃のここでの化け物というのはお主の仕業だったのだな」
「その通りです」
 そしてそれも認めた。
「全て私がやりました。人が驚くのが楽しくて」
「狐らしいといえばらしいがのう。じゃが人に迷惑をかけるのはどうなのじゃ」
「申し訳ありません」
 狐は恐縮しっぱなしであった。
「人を驚かせるのを楽しむのが私共の楽しみですから」
「それもどうかと思うがのう」
 平太夫は何か説教臭くなっているのを感じていた。だがそれでも言わずにはいられなかった。何処か子供を叱る時のような感じになっているのがわかった。
「確かにお主達や狸といった連中は悪戯をよくする」
「はい」
「だがそれでは何時までも進歩がないのではないか」
「といいますと」
「御稲荷様は知っておるな」
「それはまあ」
 狐の神である。正一位という高い位まで持っている。言わずと知れた有名な神様である。
「御稲荷様が人をからかうか?」
「滅相もない」
 狐は首を慌てて横に振ってそれを否定した。あまりもの速さに顔が幾つにも見えた。
「御稲荷様に限ってそんなことはありません」
「そうであろう。ではわしの言いたいことはわかるな」
「はい」
 狐は項垂れるようにして頷いた。
「これに懲りたならばもう二度と人を化かしてはならんぞ。よいな」
「わかりました」
「わかればよい。では」
 平太夫は狐に背を向けた。
「それではな。わしはこれで帰る。以後こうしたことのなきよう」
 そして馬に乗り羅生門を後にした。その背中はすぐに闇の中へと消えていってしまった。
「ふう、まさかなあ」
 狐は平太夫の姿が消えたのを見てようやく胸を撫で下ろした。
「あんなに手強いとは思わなかったよ」
「おう、大分絞られたみたいだな」
 ここで藪の中からまた声がした。
「ああ、あんたか」
「だから言っただろう?あの人は止めておけって」
 その藪の中からにょっきりと顔が出て来た。それは狸のものであった。
「如何にもって感じの怖そうなお侍だったじゃないか」
「外見だけだと思ったんだよ」
 狐はふてくされながらそう答えた。
「だってまさかと思うだろ」
「まあそれはな」
「大男になっても怖気づかないなんて。まさかと思うじゃないか」
「あれはわしも驚いたがな」
「普通はあそこで逃げ出すものだけれど。いやあ、あのお侍は違った」
「並の人ではないな」
「ああ。こりゃこれからここでは悪さはできんぞ」
「何じゃ、まだ懲りてはおらんのか」
「といってもこれがわし等の仕事じゃからな」
 狐は悪びれずにそう言ってのけた。狐や狸にとっては人間を化かしてそれを見て楽しむのが仕事である。特に子供を驚かせて甘いものをくすねたりするのが好きだ。狐も狸も甘いものは大好きなのである。
「止めろと言われてはいそうですかというわけにもいくまい」
「いい心掛けじゃ」
 狸はそれを聞いて前足を組んで頷いた。目を閉じ如何にもわかったという感じであった。
「どうやらお主も成長したのう」
「褒めたって何も出ないぜ」
「いや、そうではない。素直に感心しておるのだ。あの赤子がここまで立派になったのかと」
「まあ旦那程歳はくっちゃいないがな。おっかさんにここに連れられた時はわしもまだ若かった」
「御母堂はお元気か」
「ああ。比叡山で今でも元気にやってるよ」
「御父上やご兄弟は」
「親父様はおっかさんと一緒さ。兄弟は兄弟で奈良とか須磨に言ってるさ。元気なものだ」
「それは何より。しかし須磨とは」
「どうしたんだい?」
「また辺鄙な場所に行っておるな」
「それは人間の基準じゃろ」
 狐はそう反論した。
「わし等にとっちゃ辺鄙でも何でもないぞ」
「ははは、そう言われればそうだったな」
「しかし困ったことになったな」
「うむ」
 狸も狐に倣うように頷いた。
「これから京都では遊ぶことはできんな」
「どうするのじゃ?」
「摂津にでも行くか。それか河内か和泉にでも」
「あちらに下るのか」
「あそこならまだ人も都程多くはないじゃろうからな。あんなおっかない侍もいないだろう」
「そこで人を化かすつもりか」
「うむ。人に懲らしめられただけで退いたとあっては狐の名が廃る」
 そう言って啖呵を切った。
「狐は人を化かしてナンボだからな」
「それはわし等も同じじゃぞ」
「まあそうじゃが」
 今一つ締まりがない狐であった。だがそれでも言う。
「それにあそこで近々とてつもない御仁が出て来るそうじゃ」
「摂津でか」
「それも安部野にな。どんな者なのか見てみたくなったわ」
「そうか。では行くがいい」
「お主はどうするのじゃ?」
「そうじゃのう」
 今度は狸が考え込んだ。
「ここにも正直飽きてきたところだしのう」
「ふむ」
「お主と共に行くか」
「では思い立ったが吉日じゃ。行くか」
「よし」
 二人は早速足を摂津の方に向けた。そしてそちらに歩いていくのであった。
 源平太夫の名は都に知られることとなった。その勇比類なし、と。彼はそれを大層自慢にしていたがそれでも常々こう言っていた。
「化け物に負けたとあっては侍の名折れ」
「あやかしに背を向けることはしない」
 と。そうした意味で彼は真の武士であった。


羅生門の怪   完


            2005・9・9 
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