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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十五章 忘却の夢迷宮
  第二話 踊るもの、躍らせるもの

 ロマリア、ガリア両軍が膠着状態に陥ってから三日が過ぎた。その間、カルカソンヌの北方を流れるリネン川を挟み睨み合う両軍の間でまともな戦闘は一度も起きてはいなかった。ただ、時折両軍が砲火の代わりに飛び交わしている罵詈雑言で頭に血が上った貴族の幾人かが、両軍から丁度百メートル程先にあるリネン川の中腹に位置した中洲で決闘紛いの争いを起こすだけであった。
 実際の所、この決闘紛いはそれなりに重要なものであった。未だ本格的な戦闘が未だ起きていない現状で、唯一両軍の兵士がぶつかり合うこの決闘紛いに勝つことは互いの軍の士気に直結するものであるからだ。この決闘のルールはそう複雑なものではない。決闘に勝利すればその場に残り自軍の旗を立て、負ければそれぞれの陣営が用意した小舟に回収されるというものである。この決闘、どちらの陣営も自軍の旗を立たせんと負けるたびにどちらの陣営も直ぐに挑戦者を出すため、この三日の間でそれこそ三桁に届く程の戦闘が行われていた。
 そして今、中洲にはロマリア軍の軍旗が風にはためいている。
 その隣に立つのは、赤い外套を同じく風にたなびかせながら何処か憮然とした表情をして溜め息を吐く男。

「はぁ……何でさ」

 ―――衛宮士郎であった。
 
「……相棒」
「何だ?」

 腰に佩いたデルフリンガーが何処か怖々とした様子で話しかけるが、話しかけられた士郎は腕を組んだまま視線も向けず上の空の様子である。

「いや、何か随分疲れてるなと思ってな。結構な数を相手したが、相棒なら疲れるようなもんじゃないだろ?」
「確かに体力的には全く問題はない。疲れているように見えるのは、ただ、そう、何と言うか……」

 一体何度目かのため息か自分でも忘れた士郎は、自分の気分と反比例して上機嫌になっていく一団をジロリと一瞥した。

「―――うふふふふ……金貨が一枚~二枚~三枚~…………」
「姐さんっ! 見て下せぇこっちには結構な宝石がっ!」
「アハハハハハハははっ! 笑いが止まらないわねっ!!」
「これはもう余裕で城が建つじゃないか?」
「おっと、今度はどうやら伯爵が来るみたいだよ。う~ん、二千、いやもっといけるかな?」

 これまで士郎が打ち倒してきたガリア軍の貴族たちから得た、釈放のための身代金を数えて狂喜乱舞する水精霊騎士隊の隊員たちと、その中心となって士郎にこの決闘を強制した張本人たる凛が高笑いを上げていた。

「……自分の不甲斐なさと言うか」
「そうか、相棒も大変だな」

 デルフリンガーの同情を多分に含んだ言葉に、士郎は不覚にも涙が出そうになるのを堪えながら、ギムリから受け取った袋に入っていた宝石を検分している凛に顔を向けた。

「凛っ! 流石にもういいだろ! 十分稼いだ筈だぞ!!」
「馬鹿言いなさいっ!! 確実に稼げる時に稼ぐのが商売よっ!! 最後までキッチリやりなさいっ!!」
「……何時から商売になったんだ」

 宝石から顔を上げた凛が、指を突きつけながら厳しい口調で士郎に言い募る。
 凛から顔を背けぼそりと文句を言った士郎は、このままではいけないと頭を大きく振ると何とか現状を変えようと進言しようとするが。

「そうは言うが―――」
「それにあんたがここで止めたら、次は確実にセイバーが飛び込むけど、いいの?」
「あ~……それは、困るな」

 凛の指摘に、士郎の視線が川向こうにある小高い丘でルイズ達と共にこちらを見ているセイバーに向けられる。ルイズたちの横で護衛よろしく立っているセイバーの様子はなんら何時もと変わらないように見えるが、時折腰に差したデュランダル(絶世の名剣)に触れながら身体をそわつかせていた。明らかにこっち(決闘)に行きたそうだ。
 確かに凛の言う通り士郎がここから戻れば、確実にセイバーが次の決闘に名乗りを上げるだろう。
 それだけは阻止しなければならなかった。
 何故ならば、かなりの高確率で死亡者か重傷者が出るからだ。
 何せあのセイバー(騎士王)デュランダル(絶世の名剣)だ。鬼に金棒以上の危険な配置である。セイバーがデュランダルを手にしてから結構な時間が経つとは言え、いくらセイバーが天才であったとしても、元々に所有していた剣ではない。デュランダルの切れ味故に下手をすれば決闘の際、相手を真っ二つにする可能性は否定できないのだ。
 つまり、士郎は(ガリア)の身を守るためにこの決闘を続けていたとも言えるのである。

「だから最後まであんたが責任もって戦い続けなさい」
「……理不尽だ」

 完全に目が宝石に変わっている凛に呆れた声を向ける士郎。元々士郎がこんな場所(中洲)で決闘をしているのかというと、一言で言えば遠坂凛のせいであった。この中洲での決闘で負けた相手を捕虜とし、釈放金を手に入れる事が出来ることを知った凛は、士郎に一つの紙を突きつけてきた。

『請求書~五千四百八十七万六千四百八十六円也』そう書かれた請求書を。

 恐る恐る士郎が凛にその請求書について尋ねてみたところ、

『こっちに来るために使った宝石の費用よ。あんたの為に使ったんだから、勿論払ってくれるのよね』

 と恐ろしいまでに素敵な笑顔でそう言ったのだ。
 そんな理不尽な要求を、士郎は勿論―――断れなかった。

「……しかし、随分とギーシュ達とは仲良くなったようだな。ギムリなんて姐さんとか言ってたぞ」
「まあ、男どもとはな。しかし肝心の娘っこどもとはまともに話している所は見たことねえぞおいら」
「確かに……」

 凛がこの世界に来てから既に数日が過ぎていた。
 士郎は最初、元の世界の魔術とこの世界の魔法との違いから、凛に混乱が生じるのではと思っていたのだが、蓋を開けると拍子抜けするほど何も起きなかった。確かに竜やグリフォン等の幻獣、この世界の魔術―――魔法に対して驚いた様子を見せてはいたが、士郎が想像していたように取り乱す事はなかった。どちらかというとセイバーとの再開の方が驚いていたように見えた程である。約十年越しの再開に、流石の凛も鬼の目に、とは言わないが……瞳を潤ませていた。寄せ場いいのに士郎がそれについて指摘したところ、照れ隠しにしては酷すぎる程の暴行を受けた。自業自得である。
 ルイズたちとは、士郎の知る限りまともに話している姿は見ていない。どちらかというと、ルイズたちの方が凛を避けているように見える。代わりにではないが、ギーシュたちは随分と積極的に凛に話しかけていた。それに対して凛は特に拒否することなく、随分と楽しそうな様子で色々と話しをしていたようだ。初対面の相手には対しては、基本的に凛は猫をかぶ―――丁寧な姿を見せるのだが、士郎への暴行と言うには憚られる拳の嵐を叩き込む姿を既に見せていたからか、最初から普段のざっくばらんな調子で相手をしていた。話す内容は、どうやら士郎の話が中心になることが多く、以前カルカソンヌで士郎が生死の境を彷徨う羽目になったのも、水精霊騎士隊の誰かが話の流れから漏らした情報のせいであったという。
 
「―――しかし、流石にもう止め時だと思うんだが」
「あちらさんも目星い貴族どもが全員やられたんで、随分と弱気になっているようだしねぇ。まあ、それも仕方のないことか。剣一本だけでメイジを百人抜きだ。……流石の貴族も腰が引けるってもんよ」
「だ、そうだぞ」

 デルフリンガーの言葉に乗っかる形で士郎が凛に進言する。

「ま、確かにそろそろ限界ね。分かったわ。なら、次の一戦で終了しましょう」
「オーケー、了解だ」

 やっとの許可に、知らず士郎の口元に笑みが浮かぶ。すると、丁度タイミング良くやっと次に誰が来るのか決まったのか、ガリア軍側から小舟が一艘近づいてきていた。船に乗っているのは、一人の黒い鉄の仮面を被った長身の男だ。粗末な革製の服を着込んでいるが、貴族の証明であるマントを羽織っている事からどうやら一応は貴族―――メイジのようである。
 しかしどう見ても貧窮してそうな男である。
 最後だから絞れるだけ絞ってやろうと気合に満ちていたギーシュたちの顔から一気にやる気がなくなる。
 
「うっわ~。姐さん最悪ですぜ。よりにもよって最後の相手はどうやら貧乏人ですよ。あれじゃいくらも身代金なんて出やしねぇ」
「よしなさい。でもまあ、確かに期待外れね。ちょっと百人抜きした程度で腰が引けたってことでしょ」

 妙に三下臭を漂わせながらギーシュが媚びた笑みを向けると、鼻を鳴らしながら肩に掛かった髪を払い凛は肩を竦ませた。
 朝方から始まったこの士郎の決闘も、例のごとく賭けが行われていたが、それを仕切っていたのはギーシュたち水精霊騎士隊の面々であり、何故かその中心となっていたのは騎士隊の一員でもない人物である凛であった。凛はギーシュたち騎士隊の面々を手足のように操り、ガリア、ロマリアと両軍から掛金を募って賭け行っていた。何時しかどこぞの裏稼業の方ですか? と言いたくなるような雰囲気を凛たちは纏い始めている。
 士郎は凛に隊長の座を奪われただけでなく、騎士隊はマフィアに変えられてしまっていた。

 一体お前たちは何処へ向かっているんだ……。

 喉まで文句がせり上がってきたが、士郎は勿論言葉には出さない。
 無理矢理飲み込む。
 何故なら口にすれば確実に殴られるからだ。
 頭が痛くなる現実から逃げようと凛たちに背を向け、さっさとこの下らない決闘騒ぎを終わらせようと、最後の挑戦者である男が船から上がってくるのを待つ。暫くすると、船から降りた男が十メートル程の距離を取って士郎の前に立った。

「衛宮士郎だ」
「……すまないが、()は、名乗る名がなくてね」

 頭を下げてきた男に対し士郎が名乗りを上げるも、男は小さく頭を振るだけで名乗りを上げることはなかった。そして男は無言で杖を士郎に向ける。男は顔を鉄の仮面で覆われており、どんな顔をしているのかも分からない。声や服から覗く手足の肌の様子から、そう年かさの者ではないだろう。

「―――」
「―――へぇ」

 男の構えを、纏う雰囲気を見た士郎の身体に緊張が走り、身代金(強奪品)の宝石を品定めしていた凛の目が細められる。
 
 強い。
 
 士郎は確信する。ガリアのメイジは朝から百人ばかり相手にしてきたが、その中で確実に一番強い。
 デルフリンガーを握る手に力を込め、男の全身を見る。

 若い……だが、落ち着いている。

 男が被った鉄仮面の向こうを見抜くような士郎の強い視線。それに押されるように、男が士郎に向かって走り出した。仮面を被っているため表情どころか呪文を唱えているかすら分からない。士郎に向かって駆け出した男が、地面を蹴り飛びかかる。レイピアのように鋭く硬い軍杖が青白く輝き士郎に迫る。“ブレイド()”の魔法により無類の剣と化す軍杖。メイジが近接戦を行う際に使用する魔法―――“ブレイド()”。

 疾い―――だが、

「っな?!」

 ―――まだ足りん。

 衛宮士郎を相手にするには何もかも足りなかった。
 士郎の眼前数センチを青白い光が通り過ぎていく。バックステップで下がるのではなく、剣で受けるでもなく、最小限の体捌きで男の攻撃を躱した士郎は、攻撃が避けられ僅かに体勢が崩れた男の隙を逃す事なく一撃を繰り出す。メイジとは思えない熟練の剣士の動きに無言で賞賛を送りながら、士郎は男の意志を断つためデルフリンガーの柄の先を水下へと叩き込―――

「っおお唖々ッ!!」

 むことは出来なかった。 
 水下に剣の柄が突き刺さる直前、男が無理矢理身体を回したのだ。体勢やら重心やら何も考えない無理矢理な回避運動は、男の身体を確実に壊した。身体の中からぶちりと同時に何十も何かが千切れる音が響き、鈍く鋭い痛みが走る。激痛に顔を顰めながらも、男は士郎の一撃を辛うじて避ける事に成功する。

「無理はするな」

 男が受けているだろう尋常でない痛みを予想し、士郎が慈悲の気持ちで体勢が崩れ死に体の男の意識を奪うために拳を握る。

「―――っ、待って、くれ」

 しかし、それが振るわれる事はなかった。
 縋り付くように士郎にしがみついた男が、痛みにえずきながらも絞り出した声で士郎に訴えてきたからだ。

「あ、あなたはトリステイン人だ、と聞いた」
「……だとしたら、何だ?」

 男は震える手で持ち上げた杖をデルフリンガーに押し付け、周りから鍔迫り合いをしているかのに見えるようする。

「な、ならばシャル、ロット―――い、いや、タバサさまを、知って―――」
「……タバサがどうした?」

 士郎の攻撃を完全に躱す事は出来なかったのだろう、男は身体をふらつかせ、顔を痛みに歪ませている。士郎は話を聞く前に倒れないよう男の体を周囲から分からないように支える。

「頼みが、身代金の、袋、中、手紙が、それを―――」
「分かった。渡そう」

 士郎が頷くのを見た男は、仮面で隠されても分かる程ほっとした雰囲気を出すと、士郎に寄りかかるようにして倒れた。倒れてきた男を抱きとめた士郎は、そっと地面に男を下ろすと、小舟に待機していた従者が走り寄ってきた。従者は士郎の足元に袋を置くと、士郎に何も言うことなく慌てた様子で男を抱えると船に向かって走り出した。ギーシュたちが身代金をまだ確かめてないと従者を止めようとするが、走り出そうとしたギーシュたちを凛が足を引っ掛けて転ばせた。ゴロゴロと地面の上を転がっていくギーシュたちに苦笑いを浮かべながら、士郎はじと目でこちらを睨みつけてくる凛と目配わせをすると肩を竦めてみせた。

「はぁ、どうやらまた厄介事が来たようだ」

 








「や~と、終わったようね」

 カルカソンヌの真下にある小高い丘の上。そこに陣取ったルイズたちの姿があった。遠眼鏡で士郎の戦いぶりを眺めていたキュルケは、士郎の勝利を確認するとぐるりと周囲を見渡した。周りにはルイズやタバサ、ティファニアにセイバーの姿がある。

「で、あれって結局どれだけ稼いだのかしら?」
「百人でしょ。一人千エキューと考えても十万……城が建つわね。でも、結局全部あの女に持っていかれる事になるんでしょうけど」

 地面の上に引いた敷物に体操座りで座っていたルイズが、不機嫌を露わに遠くに見える凛を睨み付ける。

「あら? 大分お冠のようね」
「……わたしにあんな事言った癖に、あなたどうも思わないの? 大体何よあの女。シロウをあんなに振り回して一体何様のつもり」
「それをあんたが言うか……」

 ぶつぶつと文句を口にするルイズの隣で、キュルケは顔を手で覆いながら空を見上げた。

「そんなに文句があるなら直接言ったらいいじゃない。な~にぐずぐずしてんのよ」
「それは、だって、ほら、言ったじゃない」
「不安ねぇ……だからって何時までも後手に回ってたら何も変わらないわよ。そう言えばテファとかミス・トオサカと話とかした?」

 首を傾けそわそわと落ち着きのない様子を見せるティファニアにキュルケは顔を向けた。

「えっ?! あ、その、す、少しだけ……え、えと、アルトと一緒にいたとき、ちょっとだけですけど」
「そう、ま、あたしも同じようなものなんだけどね。で、アルトに聞きたいんだけど」
「何でしょうか?」

 コツコツと剣の柄を指先で叩きながら中洲の決闘場から顔を離したセイバーが、キュルケに視線を向ける。

「アルトから見たミス・トオサカってどんな人?」 
「リンがどのような人物か、ですか? そう、ですね」

 剣から手を離したセイバーが、顎に手を当て暫らく考え込む様子を見せた後、一つコクり頷くとキュルケに小さく笑いかけた。

「リンはとても強く、そして可愛らしい人です」
「強くて可愛いねぇ……何それ、最強じゃない? 何か弱点とかないの?」
「弱点、ですか?」

 何時の間にかキュルケだけじゃなくルイズやティファニアの強い視線を向けられている事に気付き、困ったような笑みを浮かべていたセイバーだったが、何かを思い出したかのように不意に口元を小さく歪ませた。

「なになに? 何か思い当たる節でもあるの?」
「私が最後にあってから随分経っているようですので、今もそうか分かりませんが、昔は色々と最後で失敗していました」
「失敗? なに? それってどう言うこと?」

 もっと詳しく教えなさいと言わんばかりにキュルケたちの身体が前のめりになる。あまりの食いつき良さに、セイバーの顔に思わず勝手に苦笑いが浮かぶ。凛の個人情報というかプライバシーというかそういったものを口にするのは憚れるが、これを切っ掛けに仲良くなれればと考えながら遠坂家に伝わる“うっかり”の呪いについて説明しようとした。
 だが、
 
「あれ? タバサ何処いくのよ?」
「…………」
「何よ、あなた聞いていかないの?」

 セイバーの話を聞かんとするルイズたちに背を向けて歩いていくタバサ。ルイズたちの言葉に返事をすることなく、タバサは歩いて何処かへと去っていく。ルイズたちの視線がタバサの背へと向けられ、次にキュルケへと向けられる。キュルケは追いかけようかと迷うが、溜め息と共に顔を小さく横に振る。

「あの子なら大丈夫でしょ」
「……だと、いいんだけどね。最近何か様子が変だからちょっと心配してるのよ」

 ルイズが心配気にタバサの歩いて行った先に視線を向けていると、横からキュルケの感心した声が上がった。

「へぇ~」
「何よ」

 何処か恥ずかしげにキュルケに顔を向けたルイズが、頬を膨らませて睨み付ける。するとキュルケはニヤニヤとした笑みを浮かべてルイズの頭をぐりぐりと強くなで始めた。

「わっ!? な、何すんのよっ!?」
「別に、ただ感心しただけよ」

 振り払われた手でもう一度ルイズの頭を今度は優しく撫でると、振り払われる前に手を離してタバサの歩いて行った先へと視線を向けた。

「……全く、もう少し器用に生きられないのかしら、この子も、あの子も……」










 長い階段をタバサは登っていた。
 百メートル以上はある切り立った崖に造られたジグザグな階段をゆっくりと登っている。白い石灰岩質の階段を上がっていると、空からシルフィードがタバサの頭上へと下りてきた。ばさばさと翼をはためかせながら周囲を見渡したシルフィードは、タバサに顔を寄せると小声で囁きかけた。

「きゅいきゅい。何で背中に乗らないのね? シルフィに乗ったら直ぐにつくのにね? ねぇどうしてなのね? ねぇねぇなのね?」

 翼を動かしタバサの頭上に位置を保ちながら、シルフィードが話しかけ続けるが、タバサは顔も向けずただ黙々と階段を登っている。
 何の返事も返さないタバサにシルフィードが更に何かを言い募ろうとした時、階段の中腹に立つ人影に気付いた。シルフィードは慌てて空高く舞い上がる。一気に高度を取ったシルフィードは、眼下を見下ろし階段の中腹に立っていた人影に目を凝らす。

「やあ、タバサ」

 タバサを待ち受けていたのは、ロマリアの神官であり、虚無の使い手である教皇ヴィットーリオの使い魔ヴィンダールヴでもあるジュリオだった。片手を上げ階段を登ってくるタバサにジュリオが笑いかける。人間離れしている美貌に輝かんばかりの笑顔。大抵の女性ならば容易く陥落するだろう。そしてタバサはその大抵の女性には含まれてはいなかった。
 チラリとも視線を向ける事なくタバサはジュリオの横を通り過ぎていく。
 
「ああ、すみません。どうやら呼び方を間違えてしまったようですね。シャルロット姫殿下」
「―――何時から気付いていたの」

 ジュリオの横を通り過ぎ、数段上がった位置で立ち止まったタバサが、淡々とした冷めた声音で振り返ることなくジュリオに話しかける。

「最初からですよ。このハルケギニアにおいて、我々ロマリアが知らぬ事などありません。そう、何一つね」
「……ここまで、全てあなた達の計画の通りと言うわけ」
「それは考えすぎでは?」
「南部諸侯の寝返りは、事前にあなた達が手を回した。そうでなければ、こうまで早い侵攻が出来る筈がない」
「素晴らしい。全てお見通しというわけですか。なら、次に私たちがあなたにお願いする内容も分かっているのでは?」

 タバサは顔だけ振り返りチラリとジュリオを見る。

「思い上がらない方がいい。全てがあなたたちの思い通りになるわけではない」
「ははっ、しかし今のこの現状も全て私たちの予想の範囲なんですよ。ここ(カルカソンヌ)で足止めを食らう事も、その足止めをどうやって突破し、リュティスへと至るかも、何もかも全てです……」
「……そのために、わたしにあなた達の人形になれと?」
「そんな人聞きの悪い。ただ私たちは、この国を本来の持ち主にお返しするための一手になればとの親切で」
「余計なお世話」

 肩を竦めて顔を横に振るジュリオを、タバサは一言で切り伏せる。

「やれやれ、どうしても我々に復讐のお手伝いをさせてくれないと? たった一人であなたに何が出来ると言うのですか?」

 片手で顔を覆い、大げさな仕草で頭を振るジュリオを無視し、タバサは無言で前に向き直る。そのまま階段を上り始めたタバサだったが、不意に立ち止まると背後で肩を竦めるジュリオに向き直る事なく話しかけた。

「嘘つきを信用しろと?」
「嘘、つき?」

 僅かに低くなるジュリオの声。
 立ち止まったタバサの背を見つめるジュリオの顔には笑顔が浮かんでいるが、何処か強ばっているようにも見えた。

「ロマリアに知らない事はないとあなたは言った。でも、あなたたちは彼の事を知らない」
「……それは」

 言い淀むジュリオを置いて、タバサは歩き出す。
 動くことなく階段の上に立ち尽くすジュリオを置いて階段を上るタバサは、誰に言うでもなく口の中で呟く。

「……何より、わたしは一人じゃない」





  




 苦虫を噛み潰したかのように顔を顰めたジュリオが、去っていくタバサの小さな背中を見つめていた。身体は小刻みに揺れており、足はコツコツと落ち着き無く石階段を叩いている。タバサの背が見えなくなると、視線を下へ、決闘を終え自陣へと戻っていく士郎たちへと向けた。
 
「……彼の事を知らない、か」

 タバサが口にした言葉を口の中で反復する。
 ジュリオはそれを否定する事は出来なかった。
 だが、それは決して事実を突かれた事が理由ではなかった。
 それどころか、ジュリオこそ口にしそうであった―――『君こそ、彼の事を本当に知っているのかい?』と。
 そう、ジュリオは、いや、ロマリアは知っている。
 彼ら(・・)の存在を。
 最初は気付かなかった。 
 しかし、様々な情報や資料から検証した結果、衛宮士郎が何者かが分かってきたのである。
 それを、ジュリオは口外する事は禁じられている。いや、例え禁じられていなくとも、口にする事は憚れた。何せ、その内容が内容だ。口にすれば笑われるのはまだ良い方である、下手すれば狂人だと思われてしまう。
 ジュリオは崖の岩場に背中を預けると、空を見上げた。まだ高い位置にある太陽の光が目を刺す。逃げるように掲げた手の隙間から漏れた光に目を細める。
 聖戦の完遂のためには、ガリアの王にして虚無の使い手の一人であるジョゼフを倒さなければならない。何故ならば、あの男が自分たちの味方となる事は有り得ないからだ。虚無の力は強大であるが、使い手は限られている。それはつまり、一人でも欠ければ単純に計算しても四分の一の戦力が無くなるという事だ。
 では、どうすればいいのか?
 その手段をロマリアは知っている。
 だからこそ、この機会を逃すわけにはいかなかった。
 失敗は許されず、確実に成功する必要がある。そのために、必要なのだ。
 “神輿”が。
 未だガリア侵攻におけるロマリア軍の正当性は低い。正当性が低ければ、味方の士気は上がらず、味方になるガリアの諸侯は減る。だからこそ“神輿”が必要なのだ。
 それにタバサが―――オルレアン公の遺児であるシャルロット以上の“神輿”は存在しない。
 もしタバサが正当な王権を主張し、ロマリア軍の先頭に立って戦えば、ロマリア軍の正当性は揺るぎなくなり、味方の士気はうなぎ上り、敵部隊の裏切りも期待できる。良い事尽くめだ。
 そして、このカルカソンヌでの膠着状態は、“神輿”を担ぎ上げるのにこれ以上の舞台はない。
 しかし、その肝心の“神輿(タバサ)”は乗るつもりはないという言う。
 それを素直に受け取れる程―――ジュリオに、ロマリアに―――否、世界に余裕はない。
 だから、どのような手を使ってでも“神輿”となってもらう。

「―――残念ながらこちらにも余裕はなくてね。どうしても踊りたくないと言われても、はいそうですかとは言えないよ。だから、無理にでも踊っていただきますよ。我らの賛美歌に合わせ、最後まで……ねぇ、シャルロット姫殿下」
 
 そう、それがどんな手段であったとしても……。 




 
 

 
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