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小僧の豆腐

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1部分:第一章


第一章

                      小僧の豆腐 
 大阪で一つ噂になっていることがあった。
 それが何かというとだ。豆腐であった。 
 雨の日に街を歩いているとだ。そこに小僧が出て来るのだ。そしてその手に持っている豆腐を差し出すというのだ。皿の上に乗ったその豆腐をである。
 そうした噂が広まっていた。思えば変わった噂であった。
「豆腐かいな」
「そや、豆腐や」
 難波の食堂であれこれと話していた。サラリーマンの二人が洋食を食べながら話をしている。丁度梅雨時でじめじめした雰囲気の中で話をしている。
 そのうちの眼鏡の男がだ。エビフライ定食を食べながら言うのである。
「豆腐を差し出してくるらしいわ」
「豆腐をねえ」
 オールバックの男はそれを聞いていぶかしむ顔になった。その顔でカレーを食べている。見ればそのカレーは御飯の中にまぶしてある。
「何で豆腐やねん」
「それは僕も知らんわ」
 眼鏡の男は首を横に振って答えた。
「何でかはな」
「豆腐屋の宣伝とかか?」
「それやったらもっと他にやり方あるやろ」
 眼鏡の男はこうオールバックの男に返した。
「佐川君、君やったらどうする?」
「どうするってか」
「そや。君やったらこの場合どうする?」
 オールバックの男の名前を出しての問いであった。
「この場合は」
「そやな。自分の店の前で食うてもらうな」
 佐川はカレーを食べる手を少し止めてこう答えた。カレーには卵が入っていてソースも混ぜているのか少し黒い。それをかき混ぜて食べているのだ。店の中は木の壁で結構狭い。しかしその狭い中に客が結構入っている。そうした場所である。
「それが一番やろ、安倍川君」
「そやろ、僕かてそうするわ」
 佐川も安倍川というその眼鏡の彼の言葉に頷いた。
「やっぱりな」
「おかしな奴やな、その小僧は」
「ああ。問題はその小僧が何者かっちゅうことや」
 佐川は首を傾げさせながらそのことを問うた。
「それやな、肝心なのは」
「悪ガキやろか」
「まあ豆腐に毒とかは入ってへんやろ」
 佐川はそれはないと見ていた。
「流石にな」
「そやな。それは流石にないやろ」
 安倍川も佐川の今の言葉には頷いた。
「そこまで悪質やとは思えへんわ」
「そやな、ほなちょっとその豆腐食べてみるか」
「食べるんかいな」
「おもろないか?それって」 
 笑いながらの言葉だった。
「それもな。おもろいやろ」
「まあそやな。実際に何で豆腐持って街におるかわからんしな」
「会ったら食べてみるわ。絶対にな」
 こんな話をしていた。そのうえで雨の大阪の中にいた。そして佐川はその雨の仲のある日にだ。仕事帰りの難波で一杯引っかけていた。
 夜の雨の難波も風情がある。法善寺横丁では石の道も塗れて端から入るネオンの光がその道の水溜りに映されている。そして道行く人々も傘をさして行き交っている。彼はその中で馴染みの店に行こうと思ったのである。
 安いが美味い店だ。しかし場所が今一つで人気のあまりない横丁を抜けなければならない。穴場だがそこそこ人気もある店だ。
 そこに行くことにした。そうしての人気のない横丁を進むとだった。店の建物の裏手のところを通っていたがそこで声をかけられたのである。
「なあおっちゃん」
「んっ?」
 小僧の声だった。それに反応する。
 声がした方を見るとそこに小柄な小僧がいた。頭は丸坊主で紺に白い小さな模様のある着物を着ている。足は下駄でやけに人なつっこい顔をしている。その小僧が声をかけてきたのだ。
 そしてその手にあるのは。白い豆腐であった。それを差し出しながら彼に言ってきたのである。
「これ食べへん?」
「豆腐?」
「うん、豆腐や」
 その人なつっこい顔での言葉だった。
「それやで」
「何でそんな豆腐を持ってるんや?」
 噂には聞いていた。その豆腐を勧めてくる小僧はだ。安倍川との話も思い出していた。しかしこうして実際に会ってみると余計にわからなかった。
 
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