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処女神の恋

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7部分:第七章


第七章

「さてと」
 アルテミスは兄が消えた後も暫くは海辺にいた。オリオーンを探していたのだ。
「オリオーン、まだ海の中にいるの?」
 だが返事はない。
「困ったわ。何処かしら」
 探せども何処にもいない。それで少し苛立ちを覚えていた時だった。
「アルテミス様」 
 そこに従者達がやって来たのだ。
「何かしら」
「もう時間ですよ」
「時間って?」
「月を掲げる時間ですよ」
「あら」
 気付けばその通りであった。兄が牽く太陽はもうその光を弱め、西の海に沈もうとしていたのだ。
「もうそんな時間なのね」
「そうですよ、早く」
「もう月は待っていますわ」
「けれどオリオーンが」
 まだ見つからないオリオーンのことを心配していたのだ。その若々しい眉を顰めさせていた。彼女は気付いていなかったがその顔こそが兄が心配していた顔であった。恋人を想う顔であったのだ。
「何処に行ったのかしら」
「オリオーン殿のことですか?」
「ええ」
 従者にも答える。
「海に入ったきり戻らないのよ。何処にいるのかしら」
「オリオーン様なら大丈夫じゃないんですか?」
 従者は考えることなくそう述べた。
「あの人なら何処に行かれても大丈夫ですよ」
「そうかしら」
「そうですよ、だってあんなに強いんですから」
 彼女達は本当にそう思って安心していたのである。
「それに泳ぎも達者ですし」
「そうよねえ」
「そうそう、海の怪物にだって負けないわよね」
「それもそうね」
 アルテミスは彼女達の言葉に納得した。
「オリオーンが。そう簡単にね」
「そうですよ」
「絶対ありませんて」
「あの人に勝てるのなんてそれこそ神様だけですよ」
「ねえ」
 オリオーンも神の血を引いているのだから。だから彼女達も全く心配していなかったのである。それに彼女達はアルテミスと違いオリオーンを客観的に見られた。だが彼女達も見落としがあった。それには当の彼女達もアルテミスも気付いてはいなかったのだ。
「ですからここは安心して」
「アルテミス様は月へ」
「ええ、わかったわ」
 従者達の言葉に心配を取り除かれた。安心した顔で頷く。
「それじゃあ」
「後はお任せを」
「オリオーン様が見つかったら」
「私の宮殿に来るように言ってね」
「はい」
 そんな話をした後で月の馬車に向かう。だがそれから帰ってきてもオリオーンの姿は見えはしなかった。
「オリオーンは?」
 宮殿に帰って最初の言葉であった。
「オリオーンは何処なの?」
「それが」
 従者達は口篭もってしまっていた。
「何処にも」
「帰っていないの?」
「はい」
 申し訳なさそうに女神に答える。
「じゃあオリオーンの家は?」
「そこにも生きましたが」
「メロペーのところじゃ・・・・・・ないわよね」
 うっすらと嫉妬を感じたがそれには気付かない。
「そこでもないようです」
「じゃあ何処なのよ」
 アルテミスは困った顔でそれに尋ねた。
「オリオーンは何処なの?」
 夜が終わり朝になろうとしている。アルテミスはその中で問うた。
「何処にも見当たりません」
 それが返事であった。
「何処におられるのかさえ」
「そんな筈ないわ」
 女神はむくれた声で述べた。
「オリオーンが私の側を離れるなんて」
「それはそうですが」
「あっ」
 だが彼女はここでふと気付いた。
「まだ海辺にいるのかも」
「海辺ですか?」
「そうよ。だって彼海の中でも平気だから」
 そして言った。
「それでその中で寝ているのかも。そうよ、きっとそうよ」
 半ば自分に言い聞かせていた。
「まだあの海辺にいるのよ。きっとそうよ」
「ではそちらに?」
「ええ、行くわよ」
 従者達にそう声をかける。
「それでいいわね」
「はい」
「それでしたら」
「オリオーンもオリオーンよ」
 アルテミスは苦笑して呟いた。
「意地悪なんかして。悪い人」
 その言葉は完全に恋する女のものであった。
「意地悪の仕返しは怖いわよ」
 彼女もやり返すつもりであった。
「そう簡単には許してあげないから。見てらっしゃい」
「それではアルテミス様」
「ええ」
 既に弓矢を受けていつもの狩の格好になっている。凛とした美貌が銀により際立っていた。
「行くわよ、いいわね」
「はい」
 女神は従者達と共に昨日の海辺に向かった。だがそこに彼はいなかった。
 いや、いた。だが声はなかった。彼は一言も語ることなく海辺に横たわっていたのであった。
「オリオーン!」
 アルテミスの呼び掛けは悲鳴であった。
「オリオーン!」
 また彼の名を呼ぶ。だが返事はない。
「まさか、まさか・・・・・・」
 認めたくはなかった。だが認めるしかなかった。
「オリオーン、どうして」
 彼は一言も語らず横たわっている。目を閉じ、まるで眠っているような顔である。
 その胸に矢が刺さっていた。銀の矢である。それの持ち主は一人しかいない。
「まさか、あの時の輝きは」
 アルテミスはそれを見て悟った。アポロンはわかっていて彼女に弓を撃たせたのだ。そしてオリオーンを殺させた。今全てがわかったのであった。
「アルテミス様」
 従者達が暗い顔で彼女に声をかける。
「オリオーン様はもう」
「わかっているわ」
 自分の矢を受けて助かる者なぞいない。狩猟の女神の矢は絶対なのだ。それはその女神である彼女自身が一番わかっていることであった。
「けど、どうして」
 アルテミスは俯いて目を閉じた。そしてその目から銀の涙を流す。
「どうして、どうして私が」
 泣き続けたまま言う。
「オリオーンを、どうしてオリオーンを」
 従者達はそれに何も言えない。アルテミスは顔を上げオリオーンをもう一度見た。本当に眠っているようであった。
「オリオーン、今まで一緒にいてくれて有り難う」
 泣いたままであった。その目でオリオーンを見ていた。
「貴方のことは。忘れないわ」
 そしてその右手を掲げる。するとそこに淡く白い光が宿った。月の光であった。
「永遠に。これからもずっと」
 白い光はゆっくりと女神の手から離れた。緩やかにオリオーンの方へ向かっていく。
「私は貴方を忘れない。これから何があっても」
 光はオリオーンを包んだ。そして上へとあげていく。
「アルテミス様、一体何を」
「オリオーンは何時までも私と一緒にいるわ」
 彼女は天へと昇っていくオリオーンを見上げながら言った。
「これからもずっと」
「ですがアルテミス様は」
「ええ、わかってるわ」
 従者達が何を言いたいのかを。彼女は処女神なのだ。男と一緒にいることは許されていないのだ。そうした意味でアポロンの策略は言い訳ができるのだ。処女神である妹を守った、だがそれでもアルテミスはオリオーンを忘れたくはなかったのだ。
「それでも。心は一緒であっていいわよね」
「心は」
「そうよ、だからオリオーンは空にあがるの」
 オリオーンの身体は天空にあった。そしてそこで星になっていた。
「ああ・・・・・・」
「これで私はずっとあの人と一緒なのよ」
「オリオーン様が星に」
「何て雄々しい御姿」
 オリオーンは星達に姿を変えていた。そこでその勇敢な姿を、生きている時と同じ姿を誇示していた。
「私が夜月の馬車に乗る度にあの人に出会えるわ」
 アルテミスはまた呟く。
「何時までも、何時までも」
「永遠に」
「そう、心はいつも一緒なのよ。だからオリオーン」
 天空にいるオリオーンに語り掛ける。
「私の罪を許して。そして何時までも二人で」
 女神の目から銀の涙が止まることはなかった。彼女は泣き続けていた。だがオリオーンと一緒になった。女神は月の馬車を駆る度にオリオーンと会うのであった。いつも彼のことを想うのであった。


処女神の恋   完

                           
                  2006・6・22

 
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