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真・恋姫†無双~現代若人の歩み、佇み~

作者:Duegion
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第一章:大地を見渡すこと その壱

 空はいっぺんの曇りなく青色に澄み渡っている。そしてこの日差しの下で寝転がるには丁度よいほどの気温が、大地全体を包んでいた。痩せた大地を広く見渡せる小高い丘の上には一本の樹木がまるで敬礼をするかのように、見事にその巨体をみせている。時折吹かれる順風は樹木の枝を揺らし、ザァザァと木を煽っている。頭をうんうんと唸らせる者がこの風景を一度見たら、その唸りを即座にやめて、西周時代の詩経の『風』を編んでいった、一流の詩人になれるかのような気持ちをさせるだろう。
 その優雅で雄大な風景には似合わぬ、風がシュッと切られる剣呑な音が、一定の間隔をおいて続けられている。それを生むのは一振りの刀だ。片刃で歪曲したつくりをしており、刃の所々には血痕が染付いた痕だろうか拭いようのない穢れが見えている。刃の先端、刀尖|《とうせん》は僅かばかりに欠けており次に人を殺すときには難儀をしそうである。刀の柄、刀柄|《とうへい》を強く握って一心不乱に素振りをする者の額には汗が光り、時々毀|《こぼ》れる鋭い呼吸は、この者の十全足るやる気と、刀を振り続ける事に対する少しばかりの疲労を如実に物語っている。

「……ッ………………ゥッ…………」

 刀柄を握る者の服装は、見るからに古びれた一般的な貧民の服装といえた。上着は数箇所のほつれが乱暴に直され、大地の煙を吸い込んで茶色が全体を薄く彩っており、それでもなお元々の色である青色を残している。脚絆は男の細くがっしりとした体に似合うような黒を基調としたものであり、こちらも数箇所のほつれが直されており、男の生活に対する生真面目さが現れている。腰には紐帯が巻かれ、結ばれたところより広がる二本の紐と紐帯に括り付けられた小さな袋が、男のしっかしとした刃を振る動きにあわせて、ひらりひらりと踊り、足を踏みしめ前へ後ろへ体を動かすと共に踏み直される大地からは土煙が僅かばかりに男の足をなでる。

「ッ………………フゥ……………ああぁ、疲れたぁ。」

 その勇ましい動態からは微塵も似合わない、面倒極まる、精根尽き果てたといわんばかりのやる気のない溜息が男の口から毀|(こぼ)れ出た。先ほどの動きでもう疲れ果てたというが如く、どさっと地に尻を降ろして樹木の方へ背を預けていく。手にもった刃は手が届くところに突き立てられて、地に刺さったときに割れた土からは煙が風下へ消えていった。地の近くに置かれた手荷物|《中には二・三日分の非常食、水筒、衣料を破いてできた包帯の代わり、金銭、何品かの小物の武器があるが、その出番はまだないようだ。》が、大地を這う風を物ともせずに地に横たわっている。その荷物はしっかりと口を結ばれており、簡単に素性を吐くことはなさそうだ。面倒臭そうな表情をして、青空に顔を向けた男。だがその表情とは裏腹に、意思の強さが見て取れる力強い目が天の先を見つめている。短く切り揃えられた短髪が風に煽られるたびに、男の表情は和やかなものとなっているが、瞳が揺らぐことはまったくない。

 人と比べれば十人中六人は男の容姿をみて快男と評し、後の四人のうち三人は唯のヘタレと評し、残りの一人は冷淡と評する。相容れぬ評価ではあるが、その何れもが男が内に抱いた心の造りを端的に表しているとよいだろう。面倒くさそうな演技を貼り付けて背を木に預け、見つめる先に何を捉えているのか誰にも知れない、そんな表情をする男が辰野仁ノ助である。この大陸ではこの名前とは別の名が、一部の民草の間で知れ渡っている。すなわち、『遊びの仁』。例え周囲を腕っ節で名を言わせた盗賊に包囲されていても、例え無銭飲食で捕まって店の主人に殺意のこもった目で睨まれようとも、妙に自信有り気な態度とそれをしっかりと支える武技と小細工で、行く先々で問題を解決する。その遊び染みた対応が人々の呆れと感嘆を生じさせる事からつけられた渾名だ。「阿呆と罵られようが、そんな罵倒は最初からなかったかのように次の瞬間には口笛を吹いている」とも言われた事もあったが、男の気丈さと生真面目さ、人の期待に応える誠実さと、何よりも武技や道具を選ばぬ武人としての強さがこの名をただの遊び人で留まらせていない。いざとなれば手段を問わず目的達成のために穢れ役を進んで受け入れていく、現実に対する冷ややかで強かな行動が男の生を永らえさせているというのもまた事実なのだ。

 そんな噂も印象も今この男が出している間抜けな表情と比べれば、本当にこの男があの『遊びの仁』かと疑いたくなってしまう。先ほどまで天の先を見つめていた瞳は既に安定せず、頭はこっくりこっくりと垂れ始めている。ようは眠いのである。遂には頭が完全に垂れて、煽られる風が気持ちよいといわんばかりに健やかな寝息を立て始めた。体が木から離れて横倒しとなったその時、紐帯に括り付けられた小袋が解けられて、地に転がって中から小さく畳まれた紙が出てきた。樹木を震わす強い風が吹いた瞬間、小さな紙が大地を離れて宙へ舞い、男の寝息も枝木のささやきも届かぬ場所へと飛んでいく。

 紙がひらりひらりと舞っていき、畳まれた紙が風に舞うたびに広がっていく。やがて完全に一枚の紙となり、記された文面が見えるまでになった。其の文面は短きものだが、此の時代、此の時勢のどの英傑であっても、知り得る事の適わぬ文面であった。


『蒼天已死黄天當立歳在甲子天下大吉』

「蒼天すでに死す、黄天當に立つべし、歳は甲子にあって、天下は大吉なり」


 張角に煽られて飢えた貧民がついには野党となって漢王朝を激震せしめ、後の群雄割拠の時代の到来に大きく貢献した、いわゆる黄布の乱がもうまもなく始まるその頃、寝息を立てるこの男はそんなことなど関係ないとただ惰眠を貪っている。






第一章:大地を見渡すこと その壱







「寝すぎた…………の、かな」

 当たり前である。
 既に三刻|(約6時間)も過ぎて、天の赤い光が西に傾き始め大地を斜めに輪切りにしている。空に移る青は未だ残っているが、それでも色が変わり始めている。そんな時間まで馬鹿眠りをしていた男は、割かし焦って近くの町へと足を早めて向かわせていた。寝る前まで使っていたぼろぼろの刀は鞘に収められて紐帯に収められており、男の素性を確りと物語る手荷物は男の俊足の邪魔をしないように力強く背負われている。走るリズムは変わらずに、朧|(おぼろ)に地の先に見え始めた町を見定めると、心に静かに安心を湛えた。


 時は後漢王朝の末期の時代。外威と宦官による横領から始まる政治腐敗は、大陸の中心である洛陽に留まらず、全土へとまるで火事のように広がっていった。僅か12の齢で帝となった霊帝を支えんがために、皇帝の母やそれに近しい者が皇帝の代わりに政治を司った。しかし彼女らははっきりいってこれは不得手としており、さらには朝廷の金蔵は前の皇帝らによる浪費によって金欠が生じる有様。そこで彼女らは自らの信頼を預けるにたる人物、すなわち家族や親族に助けを求めた。彼らは『外威』となって政治を行おうとした。しかし彼らも職業柄から政治が不得手であり、彼らも同時に助けを求めることとなる。そして外威は、宮中に入るために男の象徴を切断した野心家達、すなわち『宦官』に救いの手を求めた。これこそが致命的な誤りであったとは彼らは思うまい。

 そもそも宦官は後宮の世話をすることが仕事であるために、終身雇用を許された身であり、年とともに発言力が増して周囲に頼られていくが同時に野心と権力欲と尊大な自尊心を培ってきた。そんな折に外威から救いの手を伸べられた彼らにとっては、「これぞ天恵!」とも思ったであろう。実質的には外威を上回る権力を持つ彼らは、自らの獣欲と自尊心を満たすために|(または金欠政治を是正するために)贈賄政治を始めた。贈らぬものは投獄・左遷の身となり、贈ったものもまた次の贈り物を用意するうちに宦官の欲に飲まれていき、最後には宦官と瓜二つの性格を持つ悪人が蔓延|(はびこ)っていく。中にはこれを批判する勇気ある者たちがおり宦官抹殺計画を密かに練っていたのだが、これの露呈によって全員処刑の身となった。

 これを見た地方の政治家も、税金として民衆から金銭やそれに値するものを奪うような政治を始めていく。中には宦官に贈り物を捧げ、出世を取り付けるものさえいた。民衆は日々困窮する生活に対し強い悲哀を覚えたであろう。だがそんなの関係ねぇともいうかのように、洛陽では宦官を中心に贅沢三昧を楽しんでいた。困窮に耐えかねた民衆の中から、生きるために野党となって、血をすすり肉を満たす者も当然の如く生まれる。そして野党の襲撃によって死する者も悲しむものも当然生まれる。
 
 それが漢王朝の末期。『遊びの仁』こと、辰野仁ノ助が今生きている世界である。


(日暮れまで時間はあるが、宿をとらないと野宿となる。ぶっちゃけ無理)

 最近の噂を聞くに、宿に泊まる程懐が重い者の方が寧ろ少ないようだ。明日の食事も、果ては今日の食事もありつけぬ者も出始めている。飢えて死する事ほど、惨めで理不尽なことはない。彼はその点、磨き上げた武技と妙技で金を稼げるという、傭兵まがいのこと続けて生き続けた。賊のようにならないよう、自分の心を堕落させないように、常に自分に言い聞かせそれを実践する。『遊びの仁』の心は、大陸の民衆と同じように逼迫した方向に傾き始めていた。
 徐々に近づき始める町を見て、胸の中の安心感がさらに広がる。町に着いたら、手荷物の中にある金銭をはたいて食事を買い、今日も生きてこられたことに対する感謝を胸に食事と酒にありつこう。

ーーーーーー舌に転がる肉からはしっかりと染み込んだ出汁がきいており、食事に飽きをもたらさない。喉に渇きを覚えたら、酒を呷|(あお)り口の中に残る脂身と共に嚥下|《えんげ》する。そしてまた、食されることを望んでいるかのように自らをアピールする色とりどりの食菜をみて、満たしかけた空腹感をもう一度取り戻す。握った箸が僅かに振るえ、皿に残る肉へとまた伸びていく。嗚呼、これぞまさに桃源郷なり。さらば空腹、ようこそ満腹ーーーーーー。

「……………ゥヘヘヘ……………………ヘヘッ………………………………ハッ!?」

 トリップしかけた頭を振るい、口からこぼれている涎|《よだれ》を拭う。宦官どもには味わえぬ満足感を期待するうちに、口がにやついてしまった。されど致し方なし。日々生きることに全力を注ぐ者にとって、食事と酒ほど気が緩み、この世の天国を体現するものが他にはない。食事の前の空腹は満たされぬうちが幸福であることを、彼は酒と共に知ったのである。
 にやつく口をそのままにウヘヘと馬鹿さを毀れだし、まだ見ぬ町へ足を早めた彼を責める者は誰一人としていない。だがにやつきながら、しかも走る馬にも追いつきそうな速さで大地を駆ける彼を見たら、きっとそれはよからぬことを企む変態にしか見えないであろう。

 その時、彼の後方から焦っているかのように鞭を打たれる馬の嘶|(いなな)きが聞こえた。商人であろうか?否、それならもっと日が高いうちに町に入るだろう。口が緩みっぱなしのまま仁ノ助は足を遅くし、後方を見遣る。馬の声がするほうに小さく見える一つの影が現れていた。完全に足を止めた彼は目を細めてその先を見定める。馬に鞭を打っているのは、なにか煌|(きら)びやかな服を着た人だ。鞭を打つペースは通常のそれよりも速く、その者自身の疲れが出ているのであろうか、時折ペースが乱れているのが分かってきた。

(……いやな予感がする。ああいう場合は得てしてその後ろを尾けられているんだが。)

 口の緩みはとうに消え去った。足を完全に止めて、眼光は鋭く光って馬の方向をみつめている。眉間のしわが寄せられて、彼の周りの空気が徐々に重たいものと成っている。体の向きが町から馬へと変わり、紐帯にさした刀がジャキンと鳴る。やがて馬に乗った者の姿形がはっきりとする前に、馬の後方から一頭のものだけとは思えない土煙が沸いて出た。土煙の中にちらと反射したものは紛れもない、鈍き光、血の啜りを求める、一振りの剣であった。

(賊か!)

 そう思うや手荷物を地に捨てて馬の方へ走っていく。歯は舌をかまないように噛み締められており、短髪は体が風を切る音と共に揺らめいている。刀の鍔に指をかけて走るさまは板についたもの。鞘の先に足をぶつけることなく、先ほど以上の速さで駆ける彼の姿は先ほどの間抜けさを地の果てへ放り投げだしているかのようである。


 
 辰野仁ノ助は、この出来事を以って、戦乱の波へ飛び込んでいくことになるとは、彼自身は露とも思ってはいなかった。

 
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