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ラミア

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3部分:第三章


第三章

「よくぞ。今まで耐えて下さいました。これで」
「貴女は救われるのですね」
「そうです。やっとです」
 見れば泣いていた。熱い涙をその頬に流している。喜びの涙であることがわかる。
「私は。解放されることができるのです」
「魔物としての貴女から」
「若し」
 そうしてその喜びの中で語るのだった。
「貴方が振り向かれていたらその時は」
「どうなっていたと」
「私は。貴方を殺し」
 ラミアとしてである。あの殺意と敵意がまさにそれであったのを心の中で思うホメロスであった。
「そして魔物であり続けたでしょう」
「そうだったのですか」
「ですが。それはなりませんでした」
 喜びと共の言葉であった。これもまた。
「だからこそ貴方に深く感謝しております」
「それは」
「貴方があってこそ。ですから」
 ここでラミアの言葉の調子が変わった。
「宜しければですが」
「ええ」
 そしてホメロスもそれに応える。
「貴方の。御名前を教えて下さい」
「私の名をですか」
「そうです。貴方の御名前を」
 また頼んできた。せがむような、それでいて焦ってはいない。そうした言葉で。
「御願いできますか」
「名前を」
 名前には独自の力がある、かつては広く信じられていた。ホメロスもまたそれを信じる傾向がある。若し名前を伝えれば彼女に邪悪なものが残っていればどうなるか。それを考えると躊躇するものがあった。しかしここは。彼は彼女を、ラミアを信じることにしたのだった。人としての彼女を。
「わかりました」
 その申し出を受けることにした。
「宜しいのですね」
「はい。それでは申し上げます」
 毅然として顔をあげて。それを伝えるのであった。
「私の名前。それは」
「それは」
「ホメロスと申します」
 率直に、包み隠さず己の名を告げた。
「これが私の名前です」
「そうですか。ホメロスと仰るのですか」
「そうです」
 答えてまた頷いてみせた。これもまた率直に。
「ホメロス。それが私の名前なのです」
「わかりました。それではホメロス」
 彼の名を呼んできた。穏やかで優しい声で。
「有り難うございます。これで私は」
「貴女は」
「救われました」
 静かに微笑んでの言葉であった。そこには邪悪なものはなかった。一つとして。
「魔物でなくなり。人として」
「人として」
「消えることができます」
 消えること、それを心から喜んでいる言葉であった。まるで今までのことを苦しみと感じそれから解放されたことをだ。魔物としての自分自身をだ。
「ホメロス。貴方は」
「私は」
「私のことを覚えておいて下さい。それだけでいいのです」
「それだけでですか」
「そう、それだけで」
 これこそがラミアの願いであった。それだけが。
「私は救われます。呪われた魔物としての私が消え去り」
「そして」
「人として。去ることができるのですから」
「そうなのですか」
「はい。それでは」
 また話した。その言葉を出し終えるとその身体が次第に薄くなりだしていた。まるで蜃気楼の様に。少しずつ消えようとしていた。
 消えながらも彼に対して話すのだった。そのことを心から喜んでいる顔で。
「さようなら。永遠に」
「ええ、これで」
「人として。消えます」
 こう告げて姿を消してしまった。後に残ったのは泉と木々、夜の世界と黄金色の優しい光を放つ月。それと彼女が残した最後の香りだけであった。
 ホメロスはラミアのことを終生に渡って歌い続けた。これによりラミアの悲しい呪いとその救いのことが知られることになった。このホメロスがあの伝説の詩人であったかどうかはわからない。しかし彼がラミアのことを歌ったのは事実である。彼女が救われたことを広く世に知らせ歌として残したことは。紛れもない事実である。


ラミア   完


                  2008・3・2
 
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