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とあるβテスター、奮闘する

作者:らん
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つぐない
  とある鍛冶師、盗み聞く

『ユノくんは、もう《投刃》なんかじゃないよ。人殺しなんかじゃ―――ないよ』

「……チッ」
部屋の中で行われている会話に静かに耳を傾けていたリリアは、パーティメンバーである少女の慈しむような声と、それを聞いた相手のすすり泣く気配を感じ、一人舌打ちした。
わざわざ二人の間に入って行く気にもなれず、扉に押し当てていた耳を離すと、そのまま脇へと移動し、壁を背にもたれかかった。

「あの馬鹿……、下らねぇこと気にしやがって」
煉瓦造りの壁に体重を預け、眉間に皺を寄せながら一人呟く。
“あの馬鹿”というのは他でもない、彼の所属するパーティのリーダーである小柄な投剣使いのことだった。


────────────


今朝方、彼はパーティメンバーの少女から、今日一日の攻略を中止するとの連絡を受けた。
知り合って以来、一日たりとも攻略を欠かすことのなかった彼女達が、こうして丸一日休むというのは初めてのことだった。

これが現実世界の話であったのなら、風邪でも引いたのかと納得していたことだろう。
しかし、彼らが身を置くのは現実世界ではなく、『ソードアート・オンライン』というゲームの世界だ。仮想体《アバター》である彼らの身体は、現実の身体のように病原菌に侵されるということはない。
ましてやこの世界では、その気になれば食事や睡眠すら取らなくても―――その分、強烈な空腹感・眠気に苛まれることにはなるが―――死ぬことはないのだ。

単に今日は気分が乗らないだけなのかとも考えたが、彼女達に限ってそれはないと思い直した。
彼女達―――周囲から《投刃》などと呼ばれている小柄な投剣使いと、一たび戦闘になると嬉々として両手斧を振り回す小学生(本人曰く高校生との事らしいが、非常に疑わしいところである)の少女、という奇妙な組み合わせの二人組は、このゲームからの脱出を目指すべく、最前線で戦う攻略組として、日々ダンジョンの探索に精を出していた。
例え他の攻略組プレイヤー達から忌避の目を向けられようと、一日も欠かすことなく―――だ。
そんな二人が急遽、珍しく攻略を中止した―――それもこうして土壇場になって取り止めたからには、そうせざるを得ないほどの、よほどのことがあったに違いない。
元来、心配性すぎるきらいのある彼は、一人で考えれば考えるほど、二人の身に何かあったのではないかという懸念が大きくなり、しまいには居ても立ってもいられなくなってしまったのだった。

矢も盾も堪らずに部屋を飛び出した彼は、二人が宿泊している最前線―――第30層主街区『エルニード』の宿屋へと足を運んだ。
常に移り動く最前線での戦いに身を置いている彼女らは、リリアのように決まった街で寝泊りしているわけではない。
攻略が進んで上の層へと前線が移動する毎に、その都度、最前線の主街区へと拠点を移しているのだ。

現在二人が宿泊している部屋は、二階の廊下を進んだ突き当りに位置する一室。つまり角部屋だ。
探索に行く際は転移門の前で待ち合わせるのが習慣となっているため、こうして彼女達の部屋を訪れる機会はあまりないのだが、パーティメンバーとして一応、部屋の場所は教えられていた。

―――別にアイツらを心配してるわけじゃねぇが、パーティメンバーとして様子見くらいはしておかねぇとな。……別にアイツらを心配してるわけじゃねぇが。

本当に心配していないのであれば、こうしてわざわざ足を運ぶ必要もないのだが、それを素直に認めてしまいたくなかった彼は、胸中で嘯きながら階段を登った。
そうして、二階に足を踏み入れた―――その瞬間。

『ああぁぁあぁああああっ!!』

聞き慣れた声による慟哭が、彼の耳を劈いた。
少年とも少女とも取れる中性的なその声は、今まさに彼が訪ねようとしていた二人組の片割れ―――ユノのものに間違いなかった。

『ああぁッ!ああああぁああぁぁぁッ!!』

廊下中に―――下手をすれば宿屋全体に響き渡るほどの、悲痛な叫び。
二人とパーティを組むようになってからそれなりに経つが、ユノのこんな声を聞くのは初めてのことだった。

「おいおい、マジかよ!」
その尋常ではない様子に、リリアの中の緊張感が一気に高まった。
咄嗟に走り出し、叫び声の発生源である角部屋へと急行する。
気が気でない状態のまま廊下を一気に駆け抜け、突き当りに位置する角部屋、木製の扉の前へと立った。
そのままノックもせずにドアノブを回―――そうとして、ふと思い留まる。

―――ここはそっとしておくべきか……?

当然といえば当然ではあるが、このSAOにおいて、プレイヤーが寝泊りできる部屋は施錠可能となっている。
SAOの宿屋は基本的に、部屋の借主(複数人で使用する部屋の場合、カウンターで宿泊手続きを行ったプレイヤーがこれに当たる)が施錠設定を変更しない限り、他のプレイヤーは自由に出入りすることはできない。
したがって、他人の宿泊している部屋を訪れる際は、ノックをするなどして入室許可を貰わなければならないのだが、部屋を利用しているプレイヤーのパーティメンバーについてはその限りではない。
初期設定ではパーティメンバーは入室可能となっており、彼女達は特に設定を変更していないため、二人とパーティを組んでいるリリアは、このまま扉を開いて部屋に雪崩れ込むこともできるのだ。
できるのだが―――しかし。

―――俺が行っても……、なぁ?

自分で言うのもなんだが、彼は口が悪い。
他人に対して素直になれず、ついついキツい言い方をしてしまうという自身の悪癖には、一応の自覚があった。
口を開けば悪態をつくことしかできない自分が行ったところで、ユノの感情を余計に掻き乱すだけだろう。
現に、自分は忠告のつもりで言ったにも関わらず、言い方がキツかったせいでユノを泣かせてしまうという失敗を犯したこともある。
まして自分は、ユノがここまで取り乱している理由も知らないのだ。
慰めるつもりが逆効果になり、かえってユノを精神的に追い詰めてしまうようなことにでもなったら、今後の関係に支障をきたしかねないだろう。
うっかり背負うこととなってしまったこのアバター名のせいで、ゲーム開始からこのかた仲間に恵まれなかった彼としては、せっかく築き上げた関係を壊すような真似はしたくなかった。

―――まあ、あのガキに任せるか……。

事情も知らない自分が乱入し、下手に慰めようとするよりも、誰よりも付き合いが長く、誰よりも多くユノのことを知っている彼女―――シェイリに任せておいたほうが、お互いにとってもいいだろう。

幼い顔立ちにふにゃっとした笑顔が印象的な少女は、このゲームが始まった日―――あの“はじまりの日”にユノと出会って以来、ずっと行動を共にしてきたという。
出会ってまだ三ヶ月ほどしか経っていない自分よりも、よっぽどユノのことに詳しいはずだ。
こうしている間にも泣き喚き続けているユノを宥めるには、彼女以上の適任者はいないだろう。
……と、頭ではわかっていたのだが。

「………」
少しの間、扉の前で佇んでいたリリアだったが、やがて無言のまま扉へと一歩近付き、そっと耳を澄ました。
先の叫び声のような大音量を除き、原則的に室内の音が外へ漏れることはない。
したがって、中で行われている会話を外にいるプレイヤーが聞き取ることは不可能……なのだが、聞き耳《ストレイニング》スキルを鍛えている者に限り、例外的に室内の音声を拾うことが可能となる。
要するに、盗聴だ。

盗み聞き以外の用途では滅多に使われることがなく、習得しているプレイヤー自体が少ない《聞き耳》スキルではあるが、彼はこのスキルを重点的に鍛えている。
ゲーム開始から二人と出会うまでの期間をソロで過ごしてきた彼にとって、最前線のダンジョンでアクティブモンスターに囲まれてしまうということは、死ぬことと同義だった。
なので彼は、死角から迫りくるモンスターの足音や、得物が鳴らす金属音などから敵の存在を察知し、囲まれる危険を少しでも減らすといった立ち回りを心がけていた。
通常、敵の位置を把握するには《索敵》スキルだけで十分なのだが、僅かでも生存率を上げる可能性があるのなら、例え《聞き耳》だろうと鍛えておいて損はない―――と、本人は思っている。

もちろん、彼がこのスキルを鍛えている主な理由は、敵に囲まれる危険を回避するためであって、このような使い方をするのは初めてのことなのだが。

―――別にやましいことはしてねぇ、ちっとばかし様子を探るだけだ。アイツがこんだけ泣き喚いてるっつーことは、よっぽどの事があったに違いねぇ。ダチを心配するのは人として当たり前の事であって、俺は盗聴が趣味の変態野郎ってワケじゃねぇからな。

年頃の少女達が寝泊りする部屋を盗み聞きするという、現実世界で行えば近隣の住人から通報されること請け合いの行為だが、パーティメンバーの身を案じてのことなので、罪には問われないだろう。……と、自分に対して言い聞かせる。
もっとも、傍から見ればどう考えても不審人物そのものであり、更には《ユニオン》という自警団さながらの活動をするギルドも存在しているため、こうして部屋の扉に貼り付いている現場を他のプレイヤーに目撃され、《ユニオン》の団員に通報でもされようものなら、彼のSAO内での地位は地の底まで堕ちることとなるのだが。

―――べ、別に盗聴が趣味の変態野郎ってワケじゃねぇからな!

心の中でもう一度繰り返し、中にいる二人に気付かれないよう息を潜めつつ、そっと扉に耳を押し当てた。
他のプレイヤーが廊下を通り掛からないことを祈りながら、リリアは盗み聞きを敢行したのだった。


────────────


「………」
壁にもたれかかって腕を組んだまま、リリアは眉を顰めた。
視線を足元に落とし、たった今聞いたばかりの会話に思いを巡らせる。

───《投刃》、ねぇ……。

二人の会話の中に登場した、彼にとっても馴染み深い名称。
攻略組プレイヤー達の間で「人殺し」という意味で浸透しているそれを、最初に耳にしたのはいつだったか。
一ヶ月もの月日を費やし、ようやく第2層の主街区が開放された頃、一部の攻略組プレイヤー達が憎々しげに話していたのを聞いたことがあったと記憶している。
その穏やかではない呼び名が指している人物こそがユノであり、現在リリアが所属しているパーティのリーダーであり、彼にとってSAOでの初めての友達でもあるのだから、何とも不思議な巡り合わせだ。

───つっても、まぁ、今頃騒がれるこたぁねぇと思うが……。

ボス攻略戦に参加したプレイヤーの中に元オレンジが混ざっていて、攻略組全員に対して攻撃の意思を見せた───彼らが語った話の内容は、『はじまりの街』に籠っていた非戦闘系プレイヤー達の間にも瞬く間に広まり、当時はその話題で持ち切りだった。
もっとも、肝心の《投刃》本人が派手な行動───この場合は、やはりPKだろう───を起こしていないということもあって、噂は徐々に下火になり、最近ではすっかり風化気味になってきている。
当時の攻略戦に居合わせた面子や、最前線で戦っている攻略組ならまだしも、彼らより下の層を拠点としているプレイヤー達は、ユノの名前を出されてもピンとこないだろう。

それでいい、とリリアは思う。
そもそも、この件については前提からして間違っていたのだから。

───つーか、あの馬鹿にそこまでさせた攻略組の連中こそ、俺からすりゃクソッタレの馬鹿野郎どもなんだがな。

かつてのベータテスト時代において仲間を殺し、当時のボス攻略戦で得たラストアタックボーナスを持ち逃げした。
その後、方々のプレイヤーから追われる身となり、追撃してきたプレイヤーを投剣スキルによって殺害し続けた───というのが、ユノが《投刃》と呼ばれるようになった切っ掛けらしい。

街でユノのことを吹れ回っていたプレイヤー───確かリンドといったか。彼の話によれば、《投刃》はボス攻略戦後の隙を狙ってPKを行う為、わざわざ得物を偽ってまで攻略部隊に紛れ込んでいたのだという。
戦闘中においても、ボスの使用スキルがβ時代から変更されていることに気付いていながら、ディアベルにLAボーナスを奪われそうになった為、わざと見殺しにしようとしたのだ───とも。

その事を糾弾された際に本性を現し、最終的には殺意を仄めかして去って行ったのだとリンドは言うが、少し冷静になって考えてみれば、そうさせたのは自分達であるという事に気が付いたはずだ。
ただでさえ当時の攻略組は、元βテスターのことを有益な情報を独り占めにする人でなしと見る傾向があった。
そうした中で、ボスの使用スキルが変更されていることを指摘すれば、自分が元βテスターだということを自白するようなものだ。肩身の狭い思いをすることが分かっていて、自分から名乗りを上げる者はいない。

その事に気が付かずに勇み足を踏んだディアベルが窮地に陥ったのだとすれば、それは他の誰の所為でもなく、まさしく「自己責任」という言葉が当て嵌まるだろう。
そもそも、仕様変更に関しては開発者の領分であり、例えβテストの経験者といえど、一般のプレイヤーに過ぎない彼らがどうこうできる問題ではない。
敵の使用する武器が変わっていたとて、それで元βテスターを責めること自体、お門違いもいいところだ。
にも関わらずにβテスターを糾弾し、あまつさえユノが元オレンジだったという事実と強引に結び付け、人殺しの為に潜入していた殺人鬼として仕立て上げたのは、他でもない、当時の攻略組プレイヤー達なのであった。

「チッ……」
最前線の街を我が物顔で闊歩していた《ユニオン》の一団を思い出し、舌打ち一つ。
図らずしも日陰者として生きてきたリリアにとって、ああいった正義の味方然とした集団は、どうにも反骨精神を煽られる存在だった。

「あんなガキに全責任押し付けて、テメエらの手は何一つ汚れてませんってか。胸糞悪りィ」
手段としては決して褒められたものではないが、元βテスターへ向けられた矛先を逸らしたという点に限っては、リリアはユノの行いを評価している。
あの場でユノが《投刃》として名乗りを上げ、彼らの敵意を自分へと向けさせなければ、他の元βテスターに対して危害が加えられていた可能性すらあったのだから。

むしろ過去と現在のSAOを混同し、“ゲームとして”人を殺したことがあるというだけのユノを、“本物の殺人鬼”として見做した彼らにこそ非があるのではないか。
あの場には大人だっていただろうに、自分達よりも年下であるはずのユノに責任を押し付け、寄って集って人殺し呼ばわりをした彼らの行動こそ非難されるべきなのではないか───

ユノとフレンド登録を交わし、定期的にパーティを組むようになった今、あの投剣使いの人となりは多少なりとも理解しているつもりだ。
過去がどうであれ、今のユノは望んで人殺しをするような人間ではない。
むしろ、あの裏通りでユノと話した段階で、攻略組の語っていた話こそが眉唾なのだとさえ疑っていた。

でなければ、「ユノ」という名前を聞いた瞬間、脱兎の如く逃げ出していたことだろう。
人を殺せるようなタイプではないと判断したからこそ、素材集めに同行しろなどと言うことができたのだ。
「鴨が葱を背負ってくる」という諺があるが、自分から鴨になるつもりなど毛頭ない。わざわざ殺人鬼と分かっている者を伴って圏外に出る程、彼は無謀でも愚かでもなかった。

後にユノ本人から《投刃》であることを聞かされたが、ダンジョンに行く為にパーティを組んだ時点でとっくに名前は割れており、何を今更、というのが率直な感想だった。
《投刃》が噂通りの殺人鬼であったなら、彼を殺す機会はいくらでもあったはずだ。そうしなかったということは、要するに、そういうことだったのだろう。
その時点で、リリアはこの投剣使いが人殺しのPKなどではないことを確信していた。

ユノが一世一代の告白でもするかのような雰囲気でフレンド登録を申し出てきた時は、思わず噴き出しそうになってしまったほどだった。
名前と外見との不一致から人目を避け続けてきた自分と、自身の過去を引け目に感じ、人から避けられるのが当たり前だと思っていたユノ。
自分とこいつは似た者同士なのだと、親近感すら抱いていた。

だからこそ、何も気にせず堂々と振る舞っていればいい、とリリアは思う。
攻略組の連中から何を思われようと、少なくとも彼と、あの幼い少女だけは、そんな理由でユノを見限るなんてことはないのだから。
そう思う───のだが。

「……それで自分が追い詰められてりゃ世話ねぇんだよ、アホが」
少女に頭を撫でられながら嗚咽を漏らしていたユノの姿を思い出し、吐き捨てるように呟く。

あの第1層の事件は徐々に風化し、人々から《投刃》の記憶は薄れてきている。
今のSAOで実際にPKを行ったならともかく、人を殺す“かもしれない”というだけでは、自分が被害にでも遭わない限り、他人事のように思ってしまうのが人の常だ。
あれから半年もの月日が流れた今となっては、直接顔を合わせる機会が多い攻略組プレイヤーの中にすら、ユノが人殺しだということに疑問を抱いている者がいそうなものだった。

だというのに。
他でもないユノ自身が、未だに周囲に引け目を感じている。

自ら悪役《ヒール》を演じたつもりでいて、その実、自分で自分を縛り付けているのだということに気が付いていないのだろう。
ベータテスト当時、ユノが幾人ものプレイヤーを殺害したのは事実だが、リリアに言わせれば、そんなものは「所詮はゲームだ」の一言で片付けられる問題に過ぎない。
そのことを引っ張り出して騒ぎ立てた周りも周りだが、かといって、何でもかんでも背負い込もうとするユノに対しても、彼の苛立ちは募る一方だった。

よく言えば繊細、悪く言えば自意識過剰───といったところか。
自分が悪いのだと一度でも思い込むと、周りの意見に聞く耳を持たないという頑固な所がある。
そのくせ、自分は悪人だと開き直れるほどの図太い神経は持ち合わせていないのだから、傍から見ているこちらとしては、延々と続く自虐行為を見せつけられているようなものだ。

最近では多少マシになってきたとはいえ、一時は街を歩くにもフードで顔を隠し、時には《隠蔽》スキルを発動させてまで人目を避けるという徹底ぶりを見せていた。
いくら《ユニオン》の連中に目を付けられているとはいえ、そこまでする必要があるのかと、疑問に思わないことはなかったほどだ。
自分は日陰者であるとの自覚を持っているリリアですら、そんなユノの振る舞いには、共感を通り越して呆れが湧いてくるというものだった。

「っとに、めんどくせぇヤツ……」
共に時を重ねれば重ねるほど、呆れは苛立ちへと変わり、リリアを歯噛みさせた。
別に不快というわけではない。不快というわけではないのだが───

「……つーか、実はマゾなんじゃねぇのか、アイツ」
もちろんそんなことはないのだろうが、こうも自罰的になってばかりなユノを見ると、ついついそう思いたくなってしまう。
何でもかんでも自分が悪いと思い込み、勝手に一人で追い詰められていく。
見ているこっちの身にもなってみろ、というのが彼の本音だった。

───つっても、今回ばかりは事情が違うみてぇだが……。

盗み聞いた会話の内容から、いつもの悪癖が出たらしいということはわかったのだが、それにしても、あの取り乱しようは只事ではないだろう。
先のユノの様子といい、会話の端々に出てきた“復讐”“人殺し”という言葉といい、どうにも穏やかではない。

「………」
二人が攻略を中止せざるを得ない程の“何か”。
尋常ではないユノの様子。
《投刃》に、人殺し。そして───復讐。
それらの言葉から連想される答えは、即ち───

「……まさか、誰か殺られたってのか?」
自分で口にしておきながら、その意味するところが信じられずに、リリアは驚愕の思いで部屋を振り返った。
閉じた扉の向こうからは、相変わらず、ユノの押し殺したような嗚咽が聞こえてくる。

ベータテストの頃ならいざ知らず、今のSAOでは殺人は御法度だ。
ただでさえ《ユニオン》が睨みを利かせている中で、自ら殺人に手を染めるプレイヤーがいるとは考え難い。
だが───

───だが、そう考えると辻褄が合う。もし本当にPKだったとして、殺られたのが身内だったりしようもんなら、あの馬鹿は真っ先に復讐しようとするに違いねぇ。

第1層での件を考えれば明白なのだが、ユノは過剰なまでに他者を優先する傾向がある。
流石に当時ほどではないのだろうが、今でも自分を軽んじる癖は抜けておらず、その度に相方の少女から諌められているほどだ。

そんなユノが、PKによって、誰か親しい者を殺されたのだとしたら。
周りから何と思われようと───例え自分がオレンジに逆戻りすることになるのだとしても、相手への報復を選ぶだろう。
何かと自己犠牲に走りがちなあの投剣使いには、そうさせてしまいかねない危うさがあった。

であれば、とリリアは思い、右手の指を振ってメニューウインドウを開いた。
フレンドリストの項目を選択し、そこに登録されている、数少ないプレイヤー達の位置情報へと目を走らせる。

裏通りに身を潜めていた自分と同じく、最近まで人目を避け続けてきたユノも、他のプレイヤーとの交流はお世辞にも多いとはいえないはずだ。
であれば、その数少ない友人の中の誰かが被害に遭ったと考えるのが順当だろう。
フレンドリストを開いたのは、彼も知る共通の友人───クラインやエギルに被害が及んだのかと考えたためだった。

「………」
だが───違う。
部屋にいるシェイリは当然ながら除くとして、クライン、エギル、アルゴ(彼女とは犬猿の仲だが、不本意ながら情報屋として頼ることも少なくない)、リーランドなど、攻略でよく顔を合わせるプレイヤーの位置情報を一通り調べてみたものの、誰一人としてログアウト状態になってる者はいなかった。

共通の友人ではないとするなら、被害を受けたのは自分も知らないユノの友人か、あるいは狩場で遭遇しただけの赤の他人か。
しかしながら、昨日は既に迷宮区の探索を終えており、あれから二人だけで再び狩りに向かったとは考えにくい。
仮にPK現場に居合わせてしまったのだとしても、たまたま狩場で出会っただけの相手にここまで心を乱されるとは思えない。
相手を救えなかったと落ち込むことはあるかもしれないが、あれほど慟哭するまでには至らないだろう。
そう思えてしまうほどに、彼を含めた攻略組の“死”への感覚は、ゆっくりと……しかし確実に麻痺しつつあった。

となると、ユノの友人で自分の知らない人物───あの裏通りで出会うより以前からの友人か、もしくは最近親しくなった者ということになるのだが、先の通り、ユノの交友関係はさして広くはない。
その少ない友人についても、ほとんどがリリアのフレンドリストにも登録済みであり、今や共通の友人となっている。それ以外の者がいるといえば、あの黒ずくめの少年と、第1層のボス攻略戦で臨時パーティを組んだという少女くらいのものだろう。
しかし、前者は依然として行方が知れず、後者は最近結成された精鋭ギルドの副団長だ。
少年はともかく、攻略組に所属するギルドの副団長がPKされたとなれば、もっと騒がれていてもおかしくはない。
このことから考えて、以前からの友人という線は薄いとみていいだろう。

つまり被害に遭ったと思われるのは、ユノとそれなりに親しく、かつ、リリアよりも後に知り合った人物。
心当たりがあるとすれば───

───さっき、サチとか言ってたな。やっぱ、あのお茶会とやらか……?

まだ知り合って間もない頃、ユノはチャクラムを扱うのに必須となる《体術》スキルを習得する為、シェイリともども第2層の修行クエストを受けに行っていたことがあった。
その帰り際、アクティブモンスターに襲われていた少女を助けたのだが、その少女に妙に懐かれてしまい、それからは週に一度、お茶会と称して『はじまりの街』で会うことが恒例となっていた。
最近では少女の友人も加わり、一時間という短い時間ながらも、日々攻略に追われる生活を送っていたユノにとって、攻略組と無縁な彼女達との交流は、一服の清涼剤のような役割を果たしているようだった。
近頃のユノが人付き合いに対していくらか前向きになったように感じるのも、自分やシェイリ以外に、他愛のない話のできる友人が増えたお陰なのだろうと思っていたのだが───

「……オイオイ、まさか本当にPKされたってのか? 冗談じゃねぇぞ……」
自分の予想が外れていて欲しいという思いとは裏腹に、きっとそうに違いないという、確信めいたものが浮かんでくるのを感じた。

直接面識があるわけではないが、ユノとの会話で何度か名前が挙がったこともあり、サチという名には聞き覚えがあった。
二人いるうちのどちらかまではわからないが、ユノを慕っていた少女のどちらかが襲われたのだとすれば、いくら人の死を見慣れているユノといえど───否、むしろユノの性格だからこそ、ここまで思い詰めても不思議ではない。

少女の所属するパーティに生き残りがいたのか、あるいは《生命の碑》に刻まれた死因が不自然なものだったのか。
どちらにせよ、ただモンスターにやられてしまっただけというわけではあるまい。
今更《投刃》などという言葉が出てきた時点で、ユノは少女の死因がPKによるものだという確信を持っていた。持ってしまっていた。

であれば、平静でいられないのも至極当然だろう。
ただでさえPKに関してのあれこれは、ユノにとって大変デリケートな問題となっているのだ。
フラッシュバックというには少し大袈裟だが、おおかた、少女を襲った連中と過去の自分を重ね合わせていたのだろう。
親しい人物を失った悲しみに、自分も同類なのかもしれないという自己嫌悪、更には復讐心といった様々な感情に苛まれ、感情が決壊してしまった───そう考えれば、かつてないどに錯乱したユノの様子や、先のシェイリの言葉にも納得がいく。
納得が、いってしまう。

「………。なんだってんだよ、畜生が……!」
自分の中に浮かんだ最悪のイメージを振り払うように、壁に拳を叩き付けた。

もし、全てが自分の想像通りなのだとしたら。
プレイヤー同士の争いを阻止するために自らPKの汚名を被ったユノが、間接的にとはいえPKによる被害を受けたということになる。
周囲から人殺しとして扱われてきたユノにとって、これ以上の皮肉はないだろう。
被害者と面識のないリリアですら、そんなことをするプレイヤーが実在したのだということを考えただけで、嫌悪感で気分がささくれ立ってしまうほどだ。
ましてや当事者ともなれば、その胸中は察するに余りある。
ユノが復讐を望んでしまうのを、誰に止めることができようか───

───まあ……あのガキのお陰で踏み止まってはいるみてぇだが、一人だったらどうなってたかわかったもんじゃねぇな……。

シェイリのフォローのお陰で、ユノが何もかもを捨てて報復に走るといった心配はないだろう。
復讐心と自己嫌悪の間で揺れ動いていたのは事実のようだが、そんなユノの相方である少女は不思議と、そういった相手の感情を宥める術を知っているように思えた。
予想外の事態に陥ると感情を制御できなくなるユノのパートナーとしては、これ以上の相手はいないのではないだろうか。

「……オマエも運がよかったっつーか、いい巡り合わせに恵まれたっつーか。まあ……よかったな」
室内のユノに言うともなしに呟いて、一人思う。
いい巡り合わせ───なのだろう、きっと。

もしも今のユノに、こうして感情を吐き出させてくれる相手がいなかったら。
自分の大切な者を傷付けられたユノは、間違いなく暴走していただろう。
絶望に身を落とし、憎しみでその身を焦がし───例えそれが《投刃》に立ち戻ることなのだとしても、何の躊躇いもなく相手を殺していたことだろう。

そんな風になってしまわなかったのは、やはりあの少女の存在があったからだろう、と彼は考えている。
ユノは少女を守ろうと気張っているようだが、こうして精神的に追い詰められている時のユノをいつも助けてきたのは、あの小さな少女に他ならない。傍から見ればお互い様だった。
余人の立ち入る隙などないと言え切れるまでの、互いが互いを守り、守られる関係。
あの“はじまりの日”にユノが出会ったのがこの少女でよかったと、リリアは心から思った。



心から思った彼は、しかし知らない。

ユノと似通った性質を持ちながらも、自ら一人でいる事を選んだ少年がいたのだということを。
その少年が今まさに、彼が懸念していた通りに───感情の捌け口もないまま、やりようのない憎しみに心を蝕まれ続けているのだということを。

深い悲しみは絶望となり、絶望は憎しみへと姿を変える。
憎悪の炎は少年の身を、心を焦がし、彼を駆り立てた。

《月夜の黒猫団》を襲った、赤髪の槍使い率いる犯罪者プレイヤーの一団。

少年の全てを奪った者達への───復讐へと。 
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