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乱世の確率事象改変

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狂った宴の後に


 腹の補充は十分か……。
 絶望の道への覚悟は万全か……。
 安穏とした場所を頭から追い出せたか……。
 抗うに値する心力は足り得るか……。

 心の内で問いかけて、あたしの食べ物達をじっと見つめた。
 恐れ慄く視線は次に命じられる事が何か分からないから。きっとそう。
 自分達が何をさせられるのか、どんなえぐい殺され方をするのか、死とはどんなモノか、あらゆる感情が渦巻き生きようなどとはもう思えないに違いない。

 考えるだけが最低だとかバカみたい。それを迷うことなく出来るから、あたしも夕も袁家も外道で非道で悪辣なんだ。
 華琳様も秋兄もそうなれるし、綺麗事ばかりの優しいだけの人間たちとは全く違う。だからこそ“覇王”で、だからこそ“黒き大徳”。
 罪があろうとなかろうと自分の世界を作るために女子供であろうと生贄に捧げようなんて、そんなこと命じられるのはあの二人以外に居ない。
 あたしの心は、二人の理解者を得たことで悦んでいた。

 悲鳴が好き。
 断末魔が好き。
 脈打って消える命が好き。
 瞳から光が絶えていくのが好き。
 いつもはそう。ずっと前からそれでお腹を満たして来たのだ。
 他者が死の瞬間に上げる生への渇望が食べたくて食べたくて……自分に足りないモノを埋めたくて埋めたくて……そうして一時的な充足に浸って来た。
 でも――

――ああ、やっぱりダメだ。人間の絶望が好きで堪らないのに……

 お綺麗な言葉を並べて生かそうとする輩には反吐が出る。
 綺麗事で諭されて怨嗟を忘れる奴等にも虫唾が走る。
 其処にあった想いを無碍にするクソ共だけは許せない。
 それだけは越えてなかった。悪感情だって大切な想いに違いないのだから。

 人間の想念はあたしの餌。
 秋兄の言う想いの華ってのは言い得て妙だろう。紅揚羽なんて可愛らしい二つ名を付けてくれたのだから、大好物で生きる糧。

 憎しみなんて忘れちまえ……なんて秋兄は言わない。
 そんな事をして何の意味がある……なんて華琳様は言わない。

 真っ直ぐに受け止めてくれるから、あたしは二人の所で戦える。

 こいつらを見て見ればいい。人は醜いモノだ。例え綺麗な部分を持っていようと、人間は醜悪な姿をも宿している。
 人の本質は善悪の別なく曖昧で、強さも弱さもそれぞれで、傾くきっかけは何処にでも転がっている。

 綺麗な部分だけを優先すれば、いつしか耐えられないモノが出てくるだろう。罰があるから人は納得して前に進み、報いを受けさせないと澱みが溜まり続ける。
 優しくあれと願って生きれば、皆も変わらずついて来る……くだらない、下らない。それが出来ないから力を振るっているのだろうに。矛盾する発言をしていいのは、殺される覚悟を以って、人の醜さを理解しながら、己に殉じられるモノだけだ。綺麗な部分しか見れないような人間は、きっと脳髄が腐っているのだろう。

 希望の光は多くの為の道しるべ。
 絶望の光は……少数の為の指標になり得る。
 表裏一体。希望と絶望は己が生きる為に存在するとも言えるのだから。

 優越でも愉悦でも無く、絶望の中にも抗う力が生まれ、それこそ人間の持つ最も尊い原初の光。

 だからあの人は誰もに生きろと言う。だから華琳様は誇りあれと願う。
 ある者には希望を説いて、ある者には絶望を教える。慕われ憎まれ矛盾の中で、誰かに生きる力を与えて行く。

 それでいい。でも、秋兄と華琳様はやっぱり違う。
 彼は中途半端なままだから、どちらでもあってどちらでもない。
 隣に居るのが居心地よく思えるのはそのせいだ。答えは既に出てる。

――否定と肯定を曖昧にぼかし尽くすあの人も黒麒麟も……自分の存在だけを認めない。それが他人には生温くて、線引きの内側にだけは厳しい。

 あたしの心はこいつらを殺しても痛まない。全く、これっぽっちも痛まない。それが普通で、それが正しい。
 でも……なんでかな。
 ダメなんだ。もう、ダメなんだ。
 あたしは前みたいにはキモチよくなれない。
 好きで堪らないんだけど、単純に血を浴びるだけでは少ししか満たされない。
 ずっと願ってた事なのに、昔であれば一時的であれ満腹になっていたはずなのに今は満たされず、もどかしい気持ちが湧いていた。
 こいつらは憎い。でも殺すだけでは満たされないんだ。

――きっと……精々秋兄と華琳様の描く世界の為に利用されて、死ねばいい……そういうこと。

 渇望の満たし方が変わった、とはっきり分かる。
 思えば郭図を自分の手で殺さないと選んだことこそ変化の兆しだったんだろう。
 個人の欲求として持っていた憎しみが、怨嗟の心が、他人を利用する事で晴れようとしている。まるで、愛しい彼女のように。

 やっぱり秋兄のせいだ。
 複雑怪奇なあの人が、夕の想いをはんぶんこにした。

 依存かな? 依存かもしれない。
 夕にしてたみたいに、あたしは秋兄に依存しちゃうのかもしれない。
 でも違う……と思いたい。
 あたしの幸せはあの人の幸せじゃないんだから。

 はんぶんこした夕の想いを、一緒に叶えたいだけってことにしておこう。
 今はそれでいい。あたしの目標は安穏と生きることじゃないんだ。
 あたしのしたいように、自由に過ごすことだ。その結果が死であろうとも構わない。

 あたしはどうしたいか……簡単だ。欲求を満たしつつ、秋兄と華琳様のとこで戦えたらいい。
 人間の想いが一番輝いてるのはあの二人の側で間違いないし、あたしが戦いたいと思えるのもあの二人の為だけ。

 夕が言ってたように……秋兄も華琳様も自分の為だけど自分の為じゃない。それが綺麗で、羨ましい。忠義とか思いやりとは全く違うただの傲慢な押し付けでありながら、自分勝手に他人を愛してやまない。
 世界を変えたいってのはバカらしいけど、あの二人は心の底から願ってる。手を繋ぐだけでは世界なんざ変わらない……そう知ってるから。

――輪を広げるってのはあるけども、それは綻びが出ないと思い込んでる甘い人間だけが妄信してればいい。曹操軍は華琳様が崩れれば二つに分かれるし、劉備軍は神輿が死ねば暴走するし、孫策軍は孫の血が途絶えれば消え失せる。壊せるモノを壊すのが乱世で、隙を突くのは当然のこと。ほら、他と手を繋いでなんかいられない。
 後継を作って血に頼るなら才あるを優先するに至らず、理想幻想の標を失えば人の欲は抑えられず、血が途絶えれば他の才に頼らざるを得ない。

 まだマシなのは今の曹操軍だけ。秋兄の身の振り方で安定させられて、壊れない可能性は十分にある。
 矛盾だらけの中に潜むあの人が、イカレたままで民の平穏を作り上げるだろう。あの人にはそれしかなくて、曹操軍に残される道もそれしかない。
 真っ直ぐ狂ってるから怖い。けど、華琳様と同じ先を見てるから皆は共に戦うのだ。春蘭達と秋兄の間にあるのは絆か信頼か……否、きっとそんなありきたりな言葉で表せるモノじゃなくて、なんか違う。あたしも同じように感じてるからさ。

 考えつつ、苦笑が漏れ出た。

――別に、あの子達とのくだらない時間も悪くないんだけどね……。

 バカな春蘭と姉バカな秋蘭はなんだかんだで優くてお互いに別種の気遣い上手で。
 テキトーな霞姐は戦狂いだけど悪戯好きで、憎しみの大切さを知ってるいい人だし。
 真面目な“なぎなぎ”ときゃぴきゃぴしてる“さわわ”と絡繰り変人な“まおまお”はそれぞれが弄り甲斐があって面白い。
 季衣っちと流琉たんはちっちゃい春蘭と秋蘭みたいで抱きしめたくなるけど、子供だからか純粋過ぎてちょっと眩しい。
 “ふーりん”は夕みたいに鋭いのに緩くて、抱き締めさせてくれるからそのうち抱き枕にしよう。
 “りんたん”は桂花とは違った味のあるツンケンさで愛らしい。可愛く呼んだらツンとしつつ照れて、ちょっと誘うだけで鼻血出るけど。
 朔にゃんも抱き枕にしよう。なんだかんだであたしと同じあの子は寂しがりだから。
 えーりんも桂花に似てるけど、口から毒をあまり吐かないからちょっと物足りない。弄り甲斐はあるけども。
 ひなりんは……ちょっとずるいや。あの人の一番近くって場所がどれだけ幸せかを、本当の意味で分かって無い。

――んで秋兄はー……あ、ダメだ……秋兄の緩いの移ったかも。

 変なところに向かい始めた思考を切って捨てて、頭をふるふると振るった。
 無駄。本当に無駄な思考だ。こんなに居心地よく感じてしまうあたしなんて……あたしらしくないじゃん。
 今は目の前のことを優先しないとね。

 見れば、丁度最後の肉片を男が食べきったところだった。

――うん、これで準備は完了。いいねー、もっとタノシイコトはじめよう♪ 此処が戦場じゃないなんて、誰が決めたのさ♪

 気分がいい。
 秋兄の教えてくれた『ふぁらりすの雄牛』は楽しかったし面白かった。満腹にはならないが、どうしようもないあたしの性はある程度満たされた。

 それじゃあ……最後に大事なバカ共を増やそうか。
 戦場を住処にするロクデナシを。
 徐晃隊と相似な、恐怖で縛られた狂信者達を。


 でも、やっぱり楽しいはずなのに、胸に穴が開いていた。
 この気持ちはなんだっけか……ああ、あたしがまだあたしだった時みたいだ。
 この感情は確か……


 空しいっていうんだっけ。




 †




 ひらり……と紅揚羽が宙に飛び跳ねた。
 大きな鎌を手に、彼女の行く先には張コウ隊の男達。
 にやりといつも通りに笑いを漏らせば、彼らは緊張から身体を少し強張らせる。
 十分に見回した後にくるりと反転、見つめるのは新兵達。鎌で指し示すは……贄となった人間たちであった。

「じゃあ始めよう♪
 新しく張コウ隊に入る予定のバカ共に告げる! 此れよりお前達には“戦をして貰おうか!”」

 唐突な発言は麗羽と斗詩以外誰も予想しえないモノで、呆気に取られる。
 張コウ隊でさえ、赤の少女の背を不思議そうに見つめていた。

「其処に転がっている紅揚羽の生贄達の縄を此れから解き、女であろうと老人であろうと武器を与える! そいつらは袁麗羽の敵にして……あたしの敵だ!
 喰らわずに残した数は二百! お前らの数は千! 五倍の兵力差を以っての制圧戦となる! 来る前に番号を言いつけ、同じ一桁ないし二桁番号のモノで小隊を組ませているはず! 五人で一人に当たり、皆殺しにせよ!」

 な……と吃驚の声を上げたモノは多く、新兵達は怯えから腰を引いた。ただ張コウ隊の第一だけは、明の下した命令の為に準備に動いた。
 弱いもの達を殺せと、彼女は言っているのだ。剣を持ったことのない相手であれど理不尽を行え、と。
 新兵達はまだ人を殺したことは無い。だから彼女は……否、秋斗は此処でヒトゴロシを経験させて、最初の叩き上げを行うつもりだった。 
 声も出せない彼らを見て、明は呆れたようにため息を一つ。

「……反発する民の鎮圧とか、戦場で投降したか分からない敵や賊の制圧となんら変わらないんだけど……あんたらそんな覚悟も無いまま兵士になったの?」

 義勇軍など普通の民が戦っているに過ぎないのだ。
 幽州の大地は民でさえ抗った。次にそんな大地が出ない保障など何処にもない。
 万が一の事態で皆殺し命令が出た場合、それを為すのに躊躇ってはならない……それも理由の一つ。
 そして何より、黄巾の乱は民の反乱。力無き民を傷つけるその行いで、この乱世は始まった。あの戦を経験しているモノからすれば、兵士と戦うだけでは得られない感覚があると言えた。

「いい? あんたらは張コウ隊。汚い仕事だろうと、敵が家族だろうと友だろうと、どれだけ理不尽な命令であろうと、全てに従って貰う。それが出来ないなら死ね。抗っていいのは味方の刃で死ぬ覚悟のある奴だけ。ねぇ、愛しのバカ共?」

 首を傾けつつ、にへら、と緩い笑みを後ろに向ける。
 ハッとした彼らは、力強く頷いた。長い長い時間を紅揚羽と共に過ごし、自分達はヒトゴロシのロクデナシを仕事として、命を投げ捨てるのもソレの内だと染み込ませてきた為に。

「紅揚羽の元で戦う我らに退路は無し」
「己自身で選んだ選択肢から逃げるは兵士に非ず」

 二人が声を上げた。夕を守れなかった一人と、明の為に戦った一人。どちらも絶対遵守の命令に異を挟まない。

「そゆこと♪ お前らはヒトゴロシのロクデナシになるって決めたんでしょ? なら、此処でその線引きを越えちゃいな。戦って殺して死ぬのだけが戦じゃないんだよ。戦争に綺麗さを求めるな。生易しい論理だけで戦うな。命令を守れないならただの敵でしかない。
 良かったね♪ 此処が本物の戦場で敵が精兵だったらお前ら皆死んでるよ?」

 怯えるだけの新兵には分かり得ない感覚。
 戦場は安穏と暮らしているだけでは理解に至らぬモノ。どれだけの人が生きたいと望み、どれだけの人が野心を以っているのか。
 たかだか一兵卒であろうとも、戦功を上げれば金が上がる。生き残れば階級が上がり、百人長にでもなれば大きく違う。
 欲求は人間の持つ業であり、力でもある。誰だって死にたくないし、良い暮らしがしたいのだから。

 張コウ隊は現実的な思考に特化した部隊だ。
 綺麗事や感情論は練兵の邪魔になる。金の為に戦え、自分がしたい事の為に戦え……それが指標で、戦い方。
 それでいて効率を重視し、兵達が自分の好きなようにしている事が紅揚羽の為になるのだから纏まりは問題なく。

 彼の黒麒麟の身体とは逆接的でありながら相似な、まるで裏と表のような部隊であった。

「別にいんだよ? そうなりたくないってんならさ。綺麗に戦いたいって欲望も大事だかんね。でもあたしの隊には必要ないからぁ……そうだね、あたしと第一の三十を相手にして、全員殺せたら咎めとか無いし、褒賞としてたっくさんのお金も用意して貰えるよ。そのくらいで死ぬならあたしは覇王の認める五人には相応しくないし、試すには丁度いい」

 提案された事柄は異常過ぎた。
 新兵千人を、三十と一で相手にするというのだ。彼らも男だ、あまりにバカにした発言には苛立ちも湧く。それがどれだけ愚かしいことか分からずに。

「無抵抗な人間を殺すのはいやだー、弱い人間に情けを掛けないのはいやだー、戦うならちゃんとした理由を以って戦いたいー……そんなこと言っちゃうんだから、この地獄を作ってるあたしは敵なんでしょ? 怯えてるだけってバカみたい。いやだいやだで通る甘さは戦では通用しない。それより……自分の意地一つ通せないなんて……ひひっ、無様♪」

 挑発は彼女の十八番。
 出来る限り人の感情を逆なでするように言葉を選んでいくだけ。
 目を細めて明は新兵達を嘲笑った。自分達はお前の行いを許せないとでも言えれば彼らは徐晃隊くらいのバカになり得る……が、それは到底無理な話。新兵達には憧憬を向けるべき指標も無く、バカ共の頂点も居ないのだ。

「殺すのが嫌になったら掛かって来いよクズ共。あたしと第一は飢えてるかんね。逃げ場がない現実ってもんを教えてあげる。ほら、準備出来たみたいだよ? 初戦場に行って来い」

 此処が本物の戦場なら、此処で新兵の一人でも鎌で叩き斬って恐怖を助長するところだが、明はしない。
 逃げ道を残してやったのは、自分で選ばせる為。選択する力は意思を以って、自分から動かないと強さは手に入らない。
 弱者は要らない。人形もいらない。張コウ隊を作るには、効率を求めて自分で考える烏合の衆で、命令には絶対に従う者でなければならないのだ。

 生贄達は、漸く解放された自由にも歓喜を浮かべず、只々臆病に兵士達を見ていた。
 直ぐに逃げようとしたモノは殺された。訓練を積んだ兵士に勝てるわけがない。張コウ隊の第一が、逃がすわけも無い。
 武器が置いてある場所は少し遠かった。取りにいくのは戦うということ。でも、せめて少しでも生きたいから、生贄達はぞろぞろと武器に向かっていく。

「あ、言い忘れてたけど五人で一人に当たるんだから勝てるのは当たり前だよね? それなら……一人ずつ今から言う部分だけを狙うことー。一桁が一と六は頭と胸、二と七は左上半身、三と八は右上半身、四と九は左下半身、五とゼロは右下半身ねー。殺したら切り取ってあたしの前に持ってこい」
「そ、そんなこと――」
「だからぁ、嫌とか無理とか言うなら掛かって来いってば。あんた達は味方で殺し合いたいクチなの? それとも千を二つに分けて殺し合う? 張コウ隊と戦いたい?」

 ぐるりと見回されて、赤い血で染まった彼女の笑みを見て、彼らはもう従うしかないのだと理解を深めていく。
 抗いたいと思いながらも従ってしまう群集心理。強者に抗える人間はそんなに多くは無いのだ。
 うんうんと頷いて、明はぺろりと舌を出した。

「あたしの専属精兵は五千でいい。あんたらは選び、その中に選ばれた。胸を張れとは言わないけどそれは普通出来るもんじゃない、だからちょっとだけ誇っていい。これが初戦場だ、気合いれな。んで線引きを越えろ、人から堕ちろ、“お前らは賊徒となんら変わらない”」

 口上とは違うただの事実を最後に付け足していく。それだけが、彼女の部隊である為の第一歩。
 引き裂かれた口は三日月のカタチ。昏い光を灯した黄金の瞳に、兵士達は呑み込まれた。

「己が欲を満たす為に、お前らは此処からケモノに堕ちる。ナニカが欲しいのなら、ナニカを守りたいのなら、ナニカを世に示したいのなら、憎しみ恨み大いに結構、侮蔑と優越を吐き捨てろ。最低、最悪、ひゃっはーだよっ。命の輝きを喰らって強くなれっ」

 ひらり、とまた明が舞った。
 大きな鎌を片手で振って、一番前を駆けてくる一人の生贄を真っ二つに叩き斬った。

「あなた達の為に、あたしの為に……紅い羽根を広げよう♪」

 広げた両手、肩越しに見える赤い血が蝶の羽根のように広がった。それが合図だった。
 新兵達は恐怖と言い得ぬ感情の鎖で縛られ、自分の望まない戦場に駆けさせられる。
 これが自分の選んだ仕事。こと此処に於いては逃げることは許されない。命を喰らわなければ、生きられない。
 戦争はいつだって残酷だ。しかし一番残酷なこの部隊に所属出来るのなら……此処以下は有り得ないということ。敵の悪辣も残虐性も、紅揚羽には届き得ない。自分の将より怖いモノなど何も無い。

 掃き溜めのようなこの場所で、新兵達は狂気に沈んで行った。
 奪われるのを待つだけの弱い命を一人ひとりが喰らい尽くして、将たる紅揚羽を掲げるに相応しい兵士へと生まれ変わって行く。






 †





 血だらけの練兵場にはもはや肉片一つ落ちていない。
 彼女の食時の後片付けは既に終わり、あとは雨が大地を洗い流してくれるのを待つのみ。
 一人ぽつんと、明は夕暮れの空を眺めていた。
 橙色の夕日は美しく、心の奥底まで寂寥の想いを染み渡らせるような……そんな光を放っていた。

「あー……終わったぁ……」

 未だ血に塗れている彼女は、汚れるのも構わずに大地に身体を倒した。
 大の字で寝ころべば空が良く見える。切り取られた空に手を伸ばしても届くことは無い。

「……ひひ」

 笑ってみた。意図しての笑いはいつでも浮かべるモノ。
 心の底から笑えるわけが無かった。

「終わったよ……夕」

 復讐はこれで終わり。
 大嫌いな男も、憎んでいた上層部も、全てが死んだ。彼女の生きてきた中では長くて昏い時間を抗ってきた敵を殺し切った。

 両親に殺されかけ、この手を同じ血で汚したその時から、彼女の歯車は狂ってしまった。
 壊れる前からずっと、人間の欲は醜かった。
 自分が動けば誰かが死ぬ。それでも選んだことだからとずっと続けていた。
 止めることは出来たかもしれない。途中で止まれたかもしれない。それでも彼女には思いつかなかった。
 この乱世で活躍している有名な武将全ての中では平均程度でも、袁家にとっては脅威。人には異端を恐れ拒絶し、排斥しようとする輩もいるのだ。
 彼女の場合、その初めの人間が両親であった、ただそれだけ。奴隷のような身分の者達にはありふれている出来事で、他の兵や将よりも飛び抜けた力がなければ普遍的な存在にすぎない。

「なんでだろね……あの時はあんなに泣いたのに、あの後はあんなに苦しんだのに、あれより前はあんなに幸せだったのに……それでも戻りたいなんて思えないんだ」

 ふと考える。
 今の自分ならもっとうまく生きる事が出来ただろう。今の自分なら彼女を救い出す事も出来るだろう。親と幸せに暮らして、普遍的な武将としてゆるりと過ごせただろう。
 例えば趙雲のように、例えば夏侯淵のように、間を取り持つ役目を申し出て、自分達の掲げる主君の為だと胸を張って言えたかもしれない。きっと綺麗で、明自身が羨ましくて仕方ない者達のように輝けるのではなかろうか。

 それでも明は、戻りたいとは一寸も思えなかった。

 心が冷え込んで冷え込んで、やっと出会えたのがあの少女だった。
 大好きなあの少女との時間は宝物で、胸の中で暖かい大切な記憶。
 そして自分を重ね続けて生きてきた。救われたらきっと自分も救われる、そんな気がしたから。
 彼女の温もりは、たった二人で生きてもいいとさえ思える程に透き通っていた。

「……ねぇ、夕。秋兄があたし達と初めに出会ってたら、もうちょっとはマシになったかな?」

 後悔とは違うもしものカタチ。誰かに聞いてみたい程度のお遊びの思考。
 きっとそれは楽しいことだろう、と明は思う。

 ナニカに抗い続ける彼ならば、自分達を救おうとしてくれるのは間違いなくて、それでいて否定することなく傍にいてくれる。
 夕と同じで、明と同じで、しかして誰とも違う変な男。初めからイカレている価値観と概念を以って、自己犠牲の果てに誰かを救う為にしか動けない。

 妄想してみた。
 助けに来た、とか。
 守ってやる、とか。
 任せておけ、とか。
 頼れよバカ、とか。

 そんなことを言うくせに自分だけ傷だらけになって、それでも気にせずにからからと笑い、飄々としながら自分勝手に救いに来るに違いない。
 弱った時はなんでもないことのように子ども扱いしてきて、丁度いい距離感のまま温もりをくれる。

「……そんなのあたし……溺れちゃうじゃん」

 甘い甘いその毒は、心に浸透して変化を齎す。
 誰だって自分を助けてくれる人間には心が動く。それが欲からでなく本心からであれば余計に。
 欲というモノは自分の為。初めから自分の命を計算に入れない彼は明にとって無欲に思えた。
 結局のところ、自分は彼とは違う人種なのだと理解する。どちらもイカレているが、秋斗の方が人を外れていると。

「あったかかったもんねー……あん時」

 大切な少女がこの世界から居なくなって、その後に起こった出来事。
 彼女の命を喰らって自分を手に入れた明は、子供のように泣き叫んだ。
 側に居てくれたのは彼で、他の者ならきっと壊れていた……そう思う。

 何も言わずに抱きしめるだけで、彼は何も言わない。
 慰めの言葉も、同情の言葉も、励ましの言葉も、何もかも必要なかった。
 温もりが欲しかった。彼女が与えてくれたはずの温もりが。寂しくて辛かったから、誰かの暖かさに縋りたかった。
 自分が殺した父が昔してくれたように包み込んで、忘れていた昔の自分をより一層思い出させてくれた。

 泣き止んでから、袁家に復讐すると言った時も諭したりせず、真っ直ぐに黒瞳の視線を送って頷き、こんな言葉を明に送った。

『復讐は蜜より甘い。やったらやり返されるのは俺もお前さんも同じだが……その時が来るまで、死ぬまで生きろ。俺は世界を変えるまで殺されてやらんがな』

 報いを受けるか否かは状況次第。願う人と抗う人が居れば、明も秋斗も誰かに殺される。
 全ての人々に慕われる存在など居ない。人に理不尽を敷くとはそういう事で、そうではない甘い世界なら、明も夕も、誰しも等しく救われているはずなのだから。

 にへら、と明は笑みを浮かべた。
 自分勝手な押し付けでしか、やはり世界は変えられないのだと思えたから。それなら共に変えてやろう。精一杯生き抜いて抗って、殺される時はその時だ。
 この世界に明にとっての本当の救いは無いが、それでも変わらず回っていく。せめて叶える想いの為に、彼女は彼と共に戦い生きる事を選んだ。

 一陣の風が吹き抜けた。
 寒かったが、彼女は微動だにしなかった。
 ただ心の中に、また寂寥の風が吹き込んだ。

「夕……あたしさ……」

 随分と疲れていた。このまま眠ってもいいかな、と思いながら声を出す。

「寂しいよ、やっぱり」

 瞼を降ろせば、はらりと涙が一筋つたった。

「空しい、よ……あなたが居ないと」

 復讐はもういない大切な少女の為に、ではない。自分の為で、それでいて彼女が望んだ世界の為ではあっても、彼女の為では無い。

「……っ」

 与えてくれる温もりが欲しかった。
 血だまりの中で声を震わせた。
 殺した者達に強いてきた理不尽を、彼女は真っ直ぐに受け止める。

 残ったのは空しさと寂寥。
 彼女は此処にはいない。新しい温もりはあっても、求めた温もりはない。
 復讐は甘い味がしていても、終わった後には何も咲かせなかった。
 失ったあの時は彼が居た。だからまだ泣き止めた。

 一人で心に空いた穴を覗き込んだ彼女の泣き声は、長い長い時間止むことは無かった。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。
遅れて申し訳ありません。

これで旧袁家とのお話は完全に終わりとします。
明の変化を読み取って頂けたら幸いです。

ではまた 
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