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至誠一貫

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第一部
第六章 ~交州牧篇~
  六十八 ~徐州へ~

 率いる兵、総勢五千。
 かなりの規模だが、これでも選抜しての結果だ。
「私としても、こうするのは忍びなかったのですが……」
「彩(張コウ)、お前のせいではない。全員を引き連れていくなど、最初から不可能だ」
「そうですね。糧秣だけでも大変な量が必要になってしまいますし……」
 朱里が溜息混じりに呟く。
 予てから用意させていたからこそ、当面の行軍に支障のない量は確保しているが、それでも交州まで無補給という訳にはいかぬ。
 如何に軍権を有する州牧とは申せ、その維持費までも朝廷から支給される訳ではないようだ。
「交州に着任するまでは、蓄えだけで凌ぐしかありませんね。幸い、袁紹さんが私財から出して下さったお金があるので、浪費しなければ何とかなりそうですが」
「仕方あるまい。私腹を肥やしては、郭図らを誅した我らの正当性まで疑われてしまう。それに、それは皆の本意ではあるまい?」
 皆が、頷く。
「魏郡の立て直しに、思いの外費用が嵩みましたからね……。いただいた褒賞とか、盗賊さんから取り戻した財貨も、殆ど注ぎ込んでしまいましたし」
「兵の皆さんに支払う給金もありましたし……。経営が軌道に乗っていたとは言っても、今回の費用捻出は大変でした」
「愛里(徐庶)と朱里が揃ってこれでは、先が思いやられるな。……殿?」
 訝しげに、彩は私を見る。
「金か。確かに頭の痛い事だが、存外心配は無用やも知れぬぞ?」
「真ですか? 一体、どのような妙案が?」
「はわわ、ご主人様。そ、それは?」
 二人は知らぬか……無理もなかろう。
 一方、愛里は……思い出したようだな。
「そうでしたね。確かに、心配要らないかも知れませんね」
「ええっ? 愛里ちゃん、どういう事?」
「そうだぞ。殿と愛里だけ存じているなど。愛里、教えろ」
「うふふ、まぁ、いいじゃないですか。秘密ですよ、秘密」
 悪戯っぽく笑う愛里。
 種明かしは容易いが、その時になってからで良かろう。
 壁に耳あり障子に目あり、と言う諺もある。


 此度は洛陽には立ち寄らず、最短の道程を選んで進む。
 糧秣の問題もあるが、とにかく一刻も早く交州に到着し、体制を整えねばなるまい。
「これで全員だな」
「はい。でも、また後日、長江を渡る事になりますが」
 五千の兵の渡河が、漸く完了。
 この時代、楼船と呼ばれる船が最も大型だが、それでも一度に載せられるのは、荷駄もある為せいぜいが五百名。
 戦時ではない為、用意出来たのも二隻のみ。
 乗り降りの時間も含め、往復させるとそれだけで一日を要した。
「長江か。睡蓮(孫堅)に、手配りを頼んでおいた方が良さそうだな。愛里」
「はい。孫堅さんと、それから稟さんにも書簡を送っておきますね」
「うむ。渡河にあまり手間取る訳にはいかぬからな」
 去って行く愛里と入れ替わりで、朱里がやって来た。
「ご主人様。兵士さんの分も含めて、今日の宿の手配、終わりました」
「ご苦労。これからも当面、長丁場だ、お前ももう下がって休め」
「わかりました。ご主人様も、早めにお休み下さい」
「うむ」
 さて、私も旅塵を払うとするか。
「彩。お前も休め」
「はい。あ、あの……」
 何やら、言い淀む彩。
「今宵は、お傍にいたいのですが……」
「……そうだな。良かろう」
「はい!」
 暫く、寂しい思いをさせてしまったやも知れぬな。
 今宵は、その穴埋めに費やすとするか。


 翌日。
 行軍を再開した矢先。
「申し上げます!」
 息を切らせて、斥候が飛び込んできた。
「何事か?」
「はっ! 徐州にて黄巾党の残党が蜂起したとの知らせが入りました」
「徐州ですか……」
 朱里の顔が曇る。
「如何致した?」
「あ、済みません。……徐州には、私の姉がいるんです」
「姉か。……諸葛瑾か?」
「はわわ、ど、どうしてご存じなんですか?」
「申したであろう。私は、正史と呼ばれる、別の世界の歴史を多少は知っているとな」
「そ、そうでしたね。それで、刺史の陶謙さんは動いたのですか?」
 朱里の問いに、斥候の兵は頭を振った。
「いえ。陶謙様はどうやら病を得ておられるご様子で、起き上がる事もままならないとか。今のところ、徐州の兵は守勢一方のようです」
 厄介な事と相成った。
 我らは兵こそ引き連れているが、ほぼ自衛の為の戦力しか持たぬ身。
 更に、反乱が起きているのは縁もゆかりもない他の州、迂闊に干渉も出来ぬ。
「それで、賊軍の数は?」
「はっ。未だ定かではありませんが、周辺から続々と残党が合流しているらしく……規模は膨れ上がる一方とか」
「とにかく、実態を正確に把握する事だ。数と正確な場所、出来れば首魁の名も調べよ」
「はっ!」
 再び飛び出していく斥候。
「殿。よもや、賊軍に向かうおつもりではないでしょうな?」
「無論だ。我らにはそのような余力も権限もない」
「……はい。無念ですが、やむを得ませぬ」
 彩ならずとも、無法を働く者共を、みすみす見逃す事は本意ではない。
 だが、今は関わり合いになって良い場面ではない。
「愛里。我らはともかくとして、この反乱、早急に討伐の為の軍が派遣されるとは思うが、どう見るか?」
「そうですね。隣接する、青州と豫州、揚州から兵を出す事になるのでしょうが……」
 愛里は、言葉を濁す。
「どうかしたか?」
「……豫州は、孔チュウさんが刺史として赴任したばかりなんですが、黄巾党が大規模に活動した地でもあって、今はその建て直しに追われているみたいでして」
「ふむ。そもそも、刺史ではまともな兵力も期待出来ぬ、という事か。青州はどうなのだ?」
「はい。孔融さんが変わらず刺史としておられるのですが、此方もやはり……」
「そうか。豫州と状況は大差がない、という事か」
「それだけではありませんぞ、殿。……飛燕(太史慈)が、孔融殿の元を去ったとか」
 飛燕……太史慈か。
「彩。太史慈は孔融殿の麾下ではなかったのか?」
「いいえ。嘗て、孔融殿に大変世話になった事があったようで、その礼にと、黄巾党征伐の間に青州に身を置いていただけのようです」
「では、青州には名のある武官がおらぬ、という事か」
「はい。孔融殿は軍を率いて戦う事は得手としておりませぬ。此度の事に対応するのは困難かと」
 また、無為に庶人が犠牲になるしかないのであろうか。
 ……いや、看過すれば、後々まで後悔する事となるな。
「朱里」
「は、はい!」
「諸葛瑾は、徐州の何処にいる?」
「え?……あ、ええと、陽都県です」
「どのあたりだ?」
 慌てて、朱里は地図を広げた。
 彩と愛里も、共にそれを覗き込む。
「此所です」
 朱里が指さした場所には『琅邪郡』と記されていた。
「近いな……」
「殿!」
「わかっている。……だが、彩。見過ごす事が本当に正しい選択なのか?」
「それは……しかし」
 奥歯を噛み鳴らす彩。
「ご主人様、お気持ちは本当に有り難いです。……でも、私情を挟まないで欲しいんです」
「朱里。確かに、諸葛瑾の事もある。だが、お前も申したであろう? 庶人が幸せに暮らせる国を作る事が目標だと」
「…………」
「ならば、理不尽な賊に苦しむ者は、手を差し伸べるべきではないか。例えそれが、我らに縁のない者達であろうとも」
 我ながら、筋を通し過ぎとは思う。
 だが、言わずにはいられぬのだ。
「ですが、歳三さん。ご存じの通り、私達の兵は僅かに五千。それも、輜重隊を含んでいますから、戦闘には無理があります」
「わかっている。全軍、一度陳留に向かう」
「陳留?……では、曹操さんに?」
「そうだ。華琳はエン州牧、黄巾党相手に軍を動かす権限を持っている。その依頼で加勢するのならば、どうだ?」
「……なるほど。輜重隊は、そのまま陳留に待機させるのですね?」
 得心がいったのであろう、愛里が頷く。
「どうだ、彩。華琳の軍と共にならば、無茶ではあるまい?」
「……は。殿は、そこまでお考えだったのですね。浅慮に過ぎました」
「いや、地図を見てそこに考えが至ったまで。すぐに、華琳に使者を出せ」
「はっ!」
 華琳の事だ、既に察知しているやも知れぬが。
「ありがとうございます、ご主人様」
「気にするな。そうと決まれば、お前の知恵も必要となる。頼んだぞ、朱里」
「はいっ!」
 うむ、どうにか翳りが消えたようだな。


 陳留郡に差し掛かったあたりで、斥候から知らせが入った。。
「土方様、見えました!」
 彼方で、砂塵が上がっている。
「旗印は見えるか?」
「……『曹』の字。間違いありません、曹操軍です!」
「よし。此方も旗を掲げよ」
「はっ!」
 よもや、牙門旗を此所で掲げる事になろうとはな。
「流石に早いですね」
「常に備えを怠らぬ、という事であろう。彩、我らの準備も良いな?」
「はい。いつでも出立出来ます」
 と、数騎が此方に向かってくるのが見えた。
 あれは……夏侯淵か。
「土方殿!」
 下馬しようとするのを、私は手で制する。
「火急の時、馬上のままで良い」
「はっ! 華琳様も間もなくおいでになります!」
「……華琳が? 自ら率いてきたと申すか?」
「ええ。隣州の救援なのだから州牧自ら赴くべき、そう仰せでした」
「そうか」
 程なく、言葉通りに華琳が姿を見せた。
 引き連れているのは、荀攸に流琉か。
「こんなに早く再会する事になるとわね。やっぱり、歳三とは何かと縁があると思うのだけれど?」
「かも知れぬな」
「で、見慣れない顔触れね。良ければ、紹介して貰えないかしら?」
 そう言いながら、華琳は愛里と朱里に眼を遣る。
「はい。私は徐庶、字を元直と申します。文官として、歳三さんにお仕えしています」
「は、初めまして。私は諸葛亮、字を孔明と申しましゅ!……あう、また噛んじゃった」
 ……朱里、何故慌てる必要があるのだ。
「貴女が徐庶ね? 歳三のところに、有能な文官がいるって聞いているわ。諸葛亮も、なかなか優れているらしいわね?」
「ほう。随分、我が陣営に通じているようだな?」
「当然でしょう? そうでなくても歳三のところには優秀な人材が集まっているもの。関心を持って当然よ」
 相変わらず、人材と聞くと黙ってはおれぬ性のようだな。
「私は曹操、字は孟徳よ。よろしくね、徐庶、諸葛亮」
「あ、はい。こちらこそ」
「は、はい!」
「さて。輜重隊は確かに、陳留で預かるわ。流琉、警護は任せたわよ?」
「わかりました、華琳さま」
 そう言えば、姿が見えぬ者が二人いるな。
「華琳。夏侯惇と荀彧は如何した?」
「ああ。春蘭は留守を任せたわ、盗賊の残党相手に武官を出払わせる訳にもいかないもの。あと、桂花は……」
 はあ、と華琳は溜息をつく。
「……貴方を見ると、無闇に敵愾心を燃やすでしょう? 優秀な子なんだけど、流石に置いてきたわ」
「それで、代わりに荀攸、という訳か」
「ええ。伯母さんが一緒だと、その都度お仕置きしなきゃいけなくなっちゃいますからね。私はそれでもいいんですけど」
 ……荀攸、眼が笑っておらぬぞ。
「さ、行きましょう。貴方も、あまり時を費やしたくないでしょう?」
「うむ。ではこれより、エン州牧曹操殿に、我ら加勢致す」
「ありがとう」
 形式的な事だが、これで大義名分が立つ。
「彩、愛里、朱里。……行くぞ」
「はっ!」
「はい!」
「は、はいっ!」


 斥候を放ちつつ、徐州へと進む。
 州境には本来、警備の兵がいる筈なのだが。
「……いないわね」
「そのようだな」
 放棄された、小規模な砦があるばかりで、人影は皆無であった。
 如何に軍権のない刺史とは申せ、これ程までに統制がないとは。
「仕方ないわね。最寄りの村を探しましょう」
 あくまでも、我らは加勢。
 主導権は華琳にあり、それに従うまでだ。
 尤も、そう容易くは判断を誤るとも思えぬがな。
「曹操様! 賊軍の一部と見られる集団を発見しました!」
 そこに、華琳が放った斥候が報告に現れた。
「そう。数は?」
「はっ、凡そ三千と見ました!」
「本隊ではなさそうね。銀花(荀攸)、どう見る?」
「そうですね。徐州の兵が攻め寄せてこないのをいい事に、村を荒らしに出てきた……そんなところかと」
「あり得るわね。……他に、周囲に賊らしき集団は見当たらないか?」
「はい。念には念を入れ、伏兵の可能性も調べましたが」
「わかったわ。引き続き、敵情の把握に努めて。異変があれば直ちに知らせよ」
「ははっ!」
 直立不動になった兵は、そのまま飛び出して行った。
「看過するには数が多いし、それに村を襲っているのも気に入らないわね。歳三、どうする?」
「私も、見過ごす手はない、と考えるが」
「なら、一気に殲滅させましょう。相手は何の主義もない、ただの獣。手加減は要らないわね」
 黄巾党に属していても、その全員が救い難き存在ではなかろう。
 現に、つい先日まで私に付き従ってくれていた者も大勢いたのだ。
 ……だが、首領である張角は既に亡い……事になっている。
 にも関わらず、未だに黄巾党を称し、無辜の民を襲うとは言語道断。
 華琳の言葉通り、獣と見なして討伐するしかあるまい。
「秋蘭。貴女の隊で、包囲して矢の雨を降らせてあげなさい。獣相手とは言え、精兵を無駄に失いたくないわ」
「はっ、お任せを!」
「弓兵の守りは私と銀花が引き受けるわ。歳三、貴方には賊共が混乱したら一気に突入して欲しいのだけれど」
「うむ。では彩、指揮を頼む。私は後詰めに廻る」
「承知!」
「朱里、彩の補佐を任せる。愛里は私の傍でよいな?」
 二人は、しっかりと頷いた。
「はは、華琳様にかかっちゃ、私も出番なしですね」
「あら、銀花。私はそうは思わないわよ? ただ、この程度の相手に、貴女の智謀は勿体ない、それだけの事よ」
 作戦としてはかなり大まかだが、罠の可能性が考えられぬ以上、特に問題はあるまい。
「では張コウ殿。旗を合図に突入を。宜しいか?」
「承った、夏侯淵殿」
 ふっ、妙なものだな。
 本来は味方となる筈の二人が、異なる陣営で協力し合う姿を見る事になるとはな。
「あら? 歳三、何かおかしいかしら?」
「……いや。然したる事ではない」
「そう。まぁ、いいわ」
 さて、図らずも一働きする事となった。
 やるからには、全力で行かせて貰うぞ。


 勝負は、あっけない程簡単についた。
 村を襲い、戦利品の事しか頭になかった賊に、精鋭揃いの我らに抗しようもない……それだけの事だ。
 首魁以下、半数以上が討たれ、残りは武器を捨てて投降しようとした。
「華琳様、如何なさいますか?」
 夏侯淵が訊ねるが、華琳は表情を変える事なく、
「秋蘭。言った筈よ、容赦は要らないと。全員討ちなさい」
「……御意」
「ただし、数人は生かしておきなさい。いろいろと聞きたい事もあるし」
 その様に、朱里が顔を強張らせる。
 恐らく、投降した者までも討つ必要はない、そう言いたいのであろう。
 だが、今の朱里に発言権はなく、またそれは口にすべきではない。
 それを察した愛里が、朱里の肩に手を置き、黙って頭を振った。
「殿。我らも……宜しいですな?」
 私は、黙って頷く。

 こうして、賊を討ち果たした我らは、徐州城に向けて進軍を再開した。
 果たして、諸葛瑾は無事であろうか。
 ……朱里の為にも、そうあって欲しいものだが。 
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