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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第二話
  Ⅵ




 久保広樹…彼は海外組織の麻薬密売にも拘わっていると考えられ、警察も常にマークしているが、その素顔をなかなか見せない。彼も彼とて、尻尾を掴まれれば命さえ危ういことを承知し、決して自分の手を汚さない。
「チッ!あいつしくじりやがったな!」
 ここはとあるマンションの一室。そこで久保は苛立っていた。
「大崎のヤツか…。女殺しといて、よくおめおめと顔だせたもんだ。ここで殺っちまっといた方がいいか…。」
 そう呟くや、彼はケータイを取り出して手下の一人に連絡を入れた。
「俺だ。お前、大崎を黙らせてこい。手段は問わねぇよ。今日中にやれ。」
 そう言ってケータイを切ろうとした時、向こうが何やら騒がしくなったため、久保は切らずに耳を澄ませた。
 すると、突然向こうから聞き覚えのある声が彼に話し掛けてきた。
「やぁ、久しぶりだねぇ。」
「…ッ!?」
 それは鈴野夜の声だった。
いつも大崎と共にいた友人だと言うことは知っている。しかし、なぜ電話の向こう側に居るのか理解出来ない。
「あれ?驚いてるのかい?そんな訳無いよね。今からそっちに行くから。」
 そう聞こえたかと思うと通話が切れた。
「…な…何なんだ…?」
 久保は唖然としてそう呟くやいて、ふと窓から外の景色を見た。さして代わり映えのしない風景が広がるだけで、これと言って何があるわけでない。
「クソッ!」
 久保はそう吐き捨てると、少ない荷物を纏め始めた。このマンションも知られたと考えて逃げ出そうとしているのだ。
 だが、彼が恐れてるのは警察だ。決して鈴野夜ではない。鈴野夜が警察を連れて乗り込んでくる…久保はそう考えたのだ。
 しかしその途中、突然照明が消え、室内は夕と夜の境にある鈍い薄明かりだけになった。
「な…!?」
 急いで外を見てみれば、外灯や家屋の明かりは点いている。どうやらここだけのようだ。
「こんな時に…!」
 不安と苛立ちの中、久保は手当たり次第にバッグに詰め込むと、それを担ぎ上げた。
「おや、どこへ行くのかな?」
 その声は唐突に響いた。
 久保はその声に驚き、あまりの事に腰を抜かしてへたり込んでしまった。
「誰だ!」
 何とか虚勢を張ってそう怒鳴るが、この薄明かりの中で彼は怯えていた。
「誰?知ってるだろう?私だよ…。」
 知っている…確かに知ってはいるが、この狭い部屋に何者かが潜んでる気配すらない中、その声に記憶の中の“彼"を重ねることなど出来ようもなかった。
「おやおや…随分と情けないねぇ。この程度で海外組織と組んでるなんて。」
 そう聞こえたかと思うや、突然周囲に蒼白い焔が舞った。
「ヒィ…!」
 久保は声にならない悲鳴を上げた。
 これは人外の力…自分の知る「力」ではない。そう彼は理解し、何とか外へ出ようと這ってまで扉の前まで来たは良いが、その扉を開くことは出来なかった。

- この向こうに…何かがいる…。 -

 その“何か"は強烈にその身を誇示していて、直ぐにその存在に気が付いた。
 声は確かに部屋の中から聞こえた。しかし、気配は扉の向こう側…。
「何だ!何なんだよ!」
 久保は扉から退いて叫んだ。すると…再び声が響いた。
「何だ…だと?」
 そう聞こえるや、その扉が静かに開いた。
「…ッ!?」
 完全に扉が開くと、そこには古き英国紳士を彷彿とさせる男が立っていた。
「やぁ、久しぶりだね。」
「お前…誰だ!誰なんだよ!」
「私のことを忘れたのかい?」
 そう言って紳士がシルクハットを取って顔を見せると、久保は目を見開いた。
「まさか…!」
 その顔に久保は見覚えがあった。しかし、髪や目、肌の色が違ったため直ぐには分からなかったのだ。
「一体…お前、何者なんだ…。」
「何者…か。君にとっては死神かもね。」
 そう微笑を浮かべながら言うと、鈴野夜…いや、ロレは彼の前へ行くべく部屋の中へと足を進めた。
「来るな!」
 久保は冷や汗を流しながら後退するが、少し下がったところで不意に何かにぶつかって進めなくなった。そのため振り返ってみるや、そこにも何者かが立ちはだかっていた。
「…!」
 彼は蒼白い焔の中、もう声も出せずに口をパクパクとしている。
「俺のことも憶えてるかな?」
 そこにいたのはメフィストだった。無論、久保はメフィストにも見覚えがあるが、何故ここに居るのか理解出来ずにいた。
「さて…話してもらわないと。君、司をどうしたんだい?」
「…ッ!」
 彼の顔は恐怖に強張り、そして司と最期に会った時を思い出していた。
 久保は司に麻薬の売人をさせていた。最初、司はそれを拒んだが、拒めば妹がどうなるか…そう言って脅して遣らせていたのだ。
 なぜ司だったのか?理由は簡単…その容姿と頭脳だった。
 司の容姿は中庸で、パッとしない。悪くはないのだが、一目で記憶されるほど際立ってはいないのだ。そして頭脳は…某有名大学へ進学出来るほどで、久保はそこに目を付けたのだ。それ故、久保は今まで捕まらずにやってこれた。
 ところが、そんな司が警察にたれ込みに行く素振りを見せたため、久保は自ら彼の胸にナイフを突き立てた。手下達にもそれを見せ、裏切りの代償はこうなると笑ったのだ。
 司は…見せしめに殺されたのだ。
 彼の遺体は人里離れた山中に棄てられた。勿論、人に見付からぬよう谷底へと投げ落としたのだ。
「あ…あいつが…あいつが悪いんだ!」
 久保は急に声を荒げて叫んだ。そこには“あいつ"を責める言葉ばかりが連なり、自分を擁護するに終始していた。
 だが、久保はそこで全て喋っていることに気付いてなかった。この自分よがりな言葉が、結局彼の「この世界」での最期の言葉となった。
「よく分かった。」
 そうロレは囁く様に言うと、両手を広げて蒼白い焔を一際強くした。
 すると、その中に何かの影が見えた…。
「我を呼ぶは…お前か?」
 その影はロレに問う。ロレは直ぐ様その影へと「そうだ。」と返すや、次いでこう言った。
「汝、この穢れし魂をこの世界より持ち去れ。」
「承知した。」
 影は直ぐに了承するや、空間に裂け目を開けて久保にその手を伸ばした。
「…!!」
 久保は最早声を出すことも動くことも儘ならない。あまりの恐怖に体が硬化してしまったのだ。
 有り得ない…だが、それは現実として眼前に広がる。
 夢…違う。これは夢でも幻でもないのだ。夢であれば、もう疾うに覚めている筈なのだから…。
 久保の目には、それが司の姿として見えていた。死して腐り堕ちる彼の姿は、久保には地獄の亡者に見えていたのかも知れない。
 彼はその間に気絶も出来ず、その目から涙が止めどなく溢れ、失禁さえしていた。
 久保は発狂しそうだった。己の犯した罪の重さなぞ彼には感じる術もなかったが、その恐怖は少なくとも、久保を苦しめるには充分な効果があった。
 恐怖で動かぬ久保に、影の手が触れようとした時、影は一気に膨らんで久保を鷲掴みにするや…そのまま久保ごと消え去ったのだった…。
「文字通り…地獄だよ。楽しみたまえ…久保。」
 そう言うロレの笑みは、正に悪魔そのものだった。
「気は済んだか?」
 メフィストは全てが終わった真っ暗な部屋の中、鈴野夜に問い掛けた。それに対し、鈴野夜は涙を零しながら言った。
「気なんて…済む訳がない…。司は…もう帰ってこないんだから…。」
 そう言う鈴野夜を、メフィストは優しく抱いて言った。
「司は…こんなに思われて幸せじゃないか。きっと、天にあるあの御方も分かって下さる。」
「そうかな…。あいつは悪魔と契約していた。だったら…」
「いいや、それでも…それでも、俺達は願うことを諦めちゃならないだろ?」
 メフィストはそう言って腕に力を込めた。少しでも鈴野夜の…ロレの悲しみが癒えるよう…そう願いつつ…。



 
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