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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第二話
  I




 とある日、うだるような暑さで店内の冷房も効きづらくなっていた。
「毎日こう暑いと・・・電気代が嵩むなぁ・・・。」
 釘宮はぼやいた。
 この暑さの中で客足も遠退き、ランチを過ぎれば開店休業なのだ。

― カラン・・・ ―

 釘宮が厨房で溜め息を洩らしていた時、不意に店の扉が開かれたため、彼は直ぐにカウンターへと出た。
「いらっしゃいませ。」
 来店したのは三十代前半の男性で、かなり疲れた表情をしていた。背は高く、スーツも一目で高価なもの分かるもので、どこかの大企業のお偉いさん・・・と言うには若い気もするが、まぁそんな感じだ。
 その男性は釘宮を素通りし、そのままある席へと座ったため、釘宮は些か顔を顰めてしまった。
 ある席とは、勿論あの窓側の席・・・鈴野夜が使う席だ。
「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりになりましたら、お声掛け下さい。」
 釘宮はいつも通りお冷やを持っていき、いつも通りに対応した。この席に座る客が、全て重い悩みを抱えている・・・とは限らない。釘宮はそう思うことにしたのだ。
 が・・・その男性の表情たるや、今にも自殺しそうな感じだった。
 釘宮は自分の無益な思考を押し退け、直ぐにカウンターへと戻った。鈴野夜とメフィストがいないことに安堵してはいたが・・・。
「すみません。」
 少しして声を掛けられ、釘宮はオーダーを取りにカウンターから出てた。
「お決まりでしょうか。」
 釘宮がそう言うと、男性はメニューを見ながら返した。
「ミルフィーユとアイスティを。」
「はい、畏まりました。ご注文は以上で宜しいでしょうか。」
「はい。」
「では、少々お待ち下さい。」
 釘宮はそう言ってカウンターへと戻るや、直ぐにオーダーを用意し始めた。
 ランチの後は釘宮一人だ。後一時間もすれば大崎がシフトに入るが、まぁ・・・これでは客もさして来ないだろう・・・。
「お待たせ致しました。季節のミルフィーユとアイスティになります。」
 釘宮がそう言って品をテーブルへと置くと、男性は些か目を丸くして口を開いた。
「へぇ・・・出来合いじゃないんだ。」
「はい。当店ではオーダーをお受けしてから生地を焼いております。ミルフィーユの醍醐味は、やはりこのパイにありますので。それでは、ごゆっくり。」
 そう言って釘宮はそのままカウンターへと戻った。ここであれこれ話していては、折角の折りパイ生地が湿気ってしまうからだ。クリームの湿気が移ってしまっては、たちまち食感も味も悪くなる。
 男性が食べ始めた時、微かに「旨ッ!」と言う一言が聞こえたため、釘宮はカウンターでこちらも微かに笑みを溢した。
 その時、裏口の開く音が聞こえ、直ぐにカウンターへ大崎が顔を出した。
「お早うございます。」
「お早う。あれ・・・少し早いんじゃないか?」
 釘宮は首を傾げてそう問うと、大崎は苦情しつつ返した。
「用があって早く出たら時間余ったんですよ。直ぐ着替えてきます。」
 そう言うが早いか、大崎は釘宮が何か言おうとしたにも関わらずドアを閉めて行ってしまったのだった。
「やれやれ・・・若いねぇ。」
 釘宮はそう言って厨房へ入り、ディナーの仕込みの用意をしてから洗い場へ入った。仕込みを大崎に任せようと思ったのだ。
 だが、洗い始めた途端にあの男性から再び呼ばれたため、釘宮は手を拭いてカウンターから出た。追加オーダーのようだ。
 男性は釘宮が来ると、直ぐに追加オーダーをした。再びミルフィーユだったが、ドリンクはアイスコーヒーだった。
 釘宮が厨房へ戻ると、大崎は既に仕込みを始めていた。伊達に長く働いている訳ではない。
「オーダーっすか?」
「ああ、君は仕込み続けて。大したことないから。」
 手伝おうとした大崎を制し、釘宮はオーダーを作り始めた。
 先ずは生地を出してオーブンに入れ、それから珈琲豆を挽いた。すると、厨房内に薫りが広がり、何とも言えない幸福感に満たされた。
「オーナー。やっぱりこの薫り良いっすね・・・。」
「だろ?焙煎も友人のとこでやってもらってるが、今まで外れたことがないからな。」
 そう言うと、釘宮は挽き終えた豆を珈琲メーカーにセットした。
「てか・・・この豆をそれで落とすのも何ですよね・・・。」
「まぁな。だが、アイスコーヒーはこれじゃないとな。油分が出過ぎると不味い。」
 釘宮はそう言いながらパイ生地の焼き加減を見に行き、頃合いと判断してオーブンから取り出した。新しくなったオーブンは、どうやら使いやすい様だ。
「そう言えば、雄ちゃん達って買い物でしたっけ?」
「そうだ。ヴァイオリンの弦が欲しいって言ってたが・・・正直、ここで弾かないでほしい・・・。」
「そうすっね・・・近所迷惑になるし・・・。」、
 そんな話をしながらも、二人の手は的確に動いていた。
 さて、釘宮はオーダーを作り終えてトレーに乗せた時、不意に事務所の電話が鳴ったため、釘宮は大崎にオーダーを持って行くように言って事務所へと入った。まぁ、客は一人しか居ないため間違うことはないが。
 大崎は直ぐにそれを男性へと運んだが、その席まで来て危うくトレーを落としそうになった。
「真一・・・さん?」
「やぁ、杉人君・・・。」
 どうやら顔見知りのようだ。
 だが、大崎の表情からは、単なる知人・・・ではないと言うことが窺えた。
「本当、久しぶりだね。直美の葬儀以来・・・かな。」
 男性・・・真一は少し悲しげな笑みを見せて言った。大崎は些か戸惑いつつも、オーダーをテーブルに置いてから返した。
「そう・・・ですね。もしかして、俺に何か用があって来たんですか?」
 大崎がそう問うと、彼は難しい表情を見せた。
 少なくとも、ここへ彼が偶然入ったとは考えられない。彼は本来なら、こんな所へ来ている筈はないのだ。いや、日本に居ない筈の彼がいる・・・と言った方が適切かも知れない。
 この男性は瀬田真一。彼は一流企業で働き、今はアメリカ支社で勤務している筈なのだ。
「何でも言って下さい。俺なんかで役に立つんだったら。」
 言いづらそうにしている瀬田に、大崎はそう声を掛けた。すると、真一は少し笑みを見せて口を開いた。
「ありがとう。えっと・・・先程の方は店長さんかい?」
「オーナーです。」
「そうか・・・。それじゃ済まなが、彼を呼んできてくれないか?」
「・・・?」
 不思議に思いながらも、大崎は言われたるままに釘宮を呼ぶと、瀬田は自己紹介から入り、そうしてから釘宮にとあることを頼んだ。
「大変不躾極まりないのだが、少し彼と話がしたい。構わないだろうか?」
 そう問う瀬田に、釘宮は直ぐに返した。
「どうぞ。見ての通り、今の時間帯は暇ですし、良ければ事務所の方が話しやすいと思いますが。」
「いや、そこまでご迷惑をお掛けする訳には・・・。」
「ですが、いつお客様がいらっしゃるか分からない店内では、話しづらいのでは?」
 釘宮がそう返すと、瀬田は少し考えてから返答した。
「では、お言葉に甘えさせて頂こうかな。」
 それを聞くや、釘宮は直ぐに大崎を呼んで案内させた。
 大崎は最初は何事かとギョッとしていたが、釘宮から説明を受けて納得し、瀬田を事務所へと案内した。無論、テーブルのものは大崎が共に持っていったが。
 大崎は事務所に入ると、手にしたものを机に置き、その場所を仕切りで区切った。一応、誰か入って来ても見えないように・・・と言っても、入って来て困るのは鈴野夜とメフィストなのだが。
 さて、大崎と瀬田は向かい合って座ると、暫くは何から話して良いか分からずに黙していた。二人とも約十年のブランクがあるのだから仕方ない。
 そこで大崎は沈黙を破って、自分から聞くことにした。
「真一さん。もしかして・・・両親に何か?」
「いや、父と母は健在だよ。実は・・・話しと言うのはうちのことじゃないんだ。」
「それじゃ・・・?」
 大崎は首を傾げた。何せ十年も顔を合わせてなかったのだから、彼に検討がつくはずもないのだ。
 瀬田は、そんな大崎に問い掛けた。
「なぁ・・・孝叔父のこと憶えてるか?」
「え?あぁ・・・。まさか・・・」
「まぁ・・・そうなんだ。叔父さん、君のこと気に入ってたからね。たまに電話すると君の話しばかりしてね。それで、ちょっと叔父さんを元気付けてほしいと思って。」
 大崎は表情を歪めて瀬田へと問った。
「病気なんですか?」
「いや、まぁ・・・強ち間違いではないが・・・。」
 歯切れの悪い瀬田に、大崎は一瞬違和感を覚えた。いや、始めから違和感はあったが、それが何かが解らないのだ。
 だが、大崎はそれを長く会わなかったからだと理解して話を聞いた。
 瀬田孝には息子と娘がいる。娘は気の良い優しい女性に育ったが、息子はひねくれた性格に育ってしまい、悪友とつるんでは警察の厄介になる始末だった。
 孝自信は自分自身で築いた小さな工場を経営していたが、息子の噂が広まるにつれて仕事も減少し、今は些か鬱状態が続いていると言う。
 それに追い打ちをかけるように妻は娘を連れて実家に帰り、息子は家に寄り付かずにいると言うのだ。
 それを聞いた瀬田は叔父を心配して急遽帰国し、直ぐに叔父の様子を見に行った。
 しかし、その有り様は酷いもので、瀬田にすらどうして良いものか分からなかった。
 そのため、瀬田は直ぐに大崎を探して訪ねたのだ。
「そんな・・・。」
 話を聞いた大崎は茫然とした。
 大崎は孝の息子も娘もよく知っている。その息子が、よもやそんな人間になっているとは夢にも思わなかった。
 孝の息子の瀬田司は、大崎の記憶の中では未だ子供のままだ。真面目で明るく、妹の面倒を良く見る家族思いの優しい子供だった。
 それがどうしてこんなことになったのか・・・。
「分かりました。俺で良ければ、明後日の休みにでも顔を出してみます。」
 大崎がそう返答すると、瀬田は胸を撫で下ろしたと言った表情を見せて言った。
「他人の君にこんなことを頼むのは・・・本当はあってはならないんだが・・・。お願いするよ。」
「何言ってるんですか。正直、俺・・・あいつのこと、今も想ってるんですよ。こんな状態をあいつが知ったら・・・きっと助けたいと言った筈です。だから、気にしないで下さい。」
 そう言った大崎に、瀬田は軽く笑みを浮かべた。
 それはホッとした・・・と言うよりも、何処と無く寂しげな笑みだったが、大崎はそれに気付くことはなかった。
 そうして大崎と瀬田は一頻り話を済ますと、静かに事務所を出たのだった。
 だが、そんな二人の会話をひっそりと聞いていた者がいた。事務所の窓の外、その生け垣に紛れて話に耳を澄ましていたのだ。そして二人が話終えるや、スッとその姿は何処かへと消え、後には何も残されていなかった。
 さて、大崎は先に瀬田を裏口から帰らせ、自身は釘宮の所へと向かった。客が何人か居たため、瀬田をそのまま店から帰らせる訳にはいかなかったのだ。
「終わったかい?」
「はい。」
 そう言ってふとホールを見ると、そこには既に小野田の姿があった。いつの間に来たのやら大崎にはさっぱり気付かなかったが、まぁいいと思って釘宮へと再び振り返った。
「あの・・・彼のオーダー分、俺の給料から引いて下さい。」
 大崎は申し訳ないと言った風に釘宮に言った。報告もせずに勝手に裏口から帰らせたのだから、給料天引きに説教は当たり前だ。
 しかし、そんな大崎に釘宮は微笑んで返した。
「気にすんな。事務所貸すって言った時、もう金取る気なんか無かったんだよ。お前の知り合いで、悩みがあって訪ねて来たんだろ?」
「そりゃ・・・そうなんですけど・・・。」
「そんな小さいこと気にしてないで、さっさと仕事しろよ。」
 そう言われた大崎は、釘宮に「はい。」と言って仕事に戻ったのだった。
 仕事に戻った大崎を見つつ、やはり釘宮は気になっていた。
 あの席に座ったのは・・・本当に偶然だったのか?いや・・・男一人がふらっと入って来て座るような席じゃない。
「何もなければ良いんだが・・・。」
 そう一人呟くと、釘宮は不安を掻き消す様に仕事へと集中したのだった。

 一方その頃。
「雄君・・・あの声・・・。」
「あぁ・・・直ちゃんの兄さんだ・・・。」
 ここは店の裏。そこに今、鈴野夜とメフィストの姿があった。
 今日は早く仕事が終わり、二人は出掛けていた。が、部屋へ戻ろうと帰って来た時、事務所の少し開けられた窓から声が聞こえた。
 そこから聞こえてきた声は大崎と・・・昔聞いたことのある懐かしい声・・・。
 二人は悪いと思いつつも気になり、生け垣に隠れてそれを聞いていた。
 だが、二人は話を聞いているうち、ふと思った。

―何故・・・ここに大崎がいることを知っている?―

 大崎は天涯孤独だ。彼には家族も親戚もいない。
 この<喫茶バロック>で働き始めた時、彼は友人すらいなかった。以前働いていた町も県を幾つかまたいでいるため、尚更行方など掴めようもない。
 いや・・・彼は誰にも行方を知られまいと各地を転々としていたのだから、探偵ですらお手上げの筈なのだ。
 大崎は懐かしさが先にたって不思議に思わなかったようだが、鈴野夜らはそれが引っ掛かってならなかった。
 鈴野夜は暫く考えた後、決めたとばかりにメフィストへと言った。
「大崎と一緒に行くことにするよ。」
「はぁ!?雄君、まさか盗み聞きしたのバラしちゃうの?」
「違うよ。大崎の向かう場所は私達にも分かるじゃないか。こっちから先に誘うんだよ。あそこは海辺の町だし、久しぶりに行きたくなったと言えば偶然と思うだろ?」
 そう言った鈴野夜に、メフィストはあからさまにバカにするような顔をして返した。
「そんなの直ぐバレるって。」
「バレたらその時はその時だ。お前だって心配なんだろ?」
「・・・そりゃまぁ・・・。」
 メフィストは後ろ頭を掻きながら呟く。
 だが、鈴野夜の次の言葉で目を丸くすることになった。
「それじゃ、留守番頼んだよ。」
「・・・はい?」
 メフィストはキョトンと鈴野夜を見た。そんなメフィストに、鈴野夜は説明した。
「だから、大崎が休んだ上に君と私が一緒に休んだら困るだろ?最近はお客も増えてるからね。そもそも、まぁ君が一緒に休みくれると思うかい?」
「・・・。」
 今日は早番で二人共入っていたが、それは大崎と小野田が遅番シフトだったからたまたま半日上がりだったまでの話。少なくとも三日休みが欲しいとなれば、有無を言わさず片方が残らなくてはならないのは明白だ。
「分かったよ!もう・・・何かあったら直ぐ連絡すること!」
「メフィスト・・・お父さんじゃないんだから・・・。」
 これでは、まるで娘が泊まりに行くのを嫌々許す親父だ。
 鈴野夜は呆れ顔でメフィストを見たのだった。



 
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