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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十五章 忘却の夢迷宮
  第一話 定まらぬ未来

 “カルカソンヌ”という人口二千人程度の都市がある。
 ガリア南西部に位置するその“カルカソンヌ”は、王都リュティスから西へ四百キロ程度離れた中規模の城塞都市であり、規模だけで言うならば何処にでもあるような城塞都市であるが、他の都市にはない特異な形から、“セルパンルージュ(赤蛇)”の異名を持っていた。長細い蛇のような幅五十メートル、長さ二キロにも及ぶ細長い崖の上に造られたこの街は、上空から見れば街に立ち並ぶ赤レンガの屋根が蛇の鱗となり、その異名の通り確かに巨大な赤い蛇のようにも見える。そしてこの赤い蛇は、都市が造られてから今までの間、幾度となく行われてきた亜人達の侵攻を防いできた歴戦の都市でもあった。
 その亜人の侵攻を幾度も防いできた歴史あるこの都市に、

 ―――ッ、ドドンッ!!!
 ――ッドドドドドンッ!!!
 ―ドガガガガッ!!!

 ……ある意味では相応しい音が響いていた。

 ドッゴォォオオオオンッ!!!

「ぎゃあああああああああああああああああああ」

 そう、悲鳴と爆音である。
 爆音が響く度に砕け散った敷石が混じる土煙を纏いながら、長細い街の真ん中にある目貫通りを一心不乱に駆け抜ける男がいた。

「待て待て待て待て―――ッちょっと待てぇええええええッ!!!!??」

 男が走る速度は尋常ではない。
 『駆ける』、と言うよりも『翔ける』という言葉の方が合う程である。そう、その速度は最早人に成し得るものではない。力強くありながら柔らかさを感じさせるその姿はまるで四足獣―――しかし何故か思い浮かぶのは肉食ではなく草食のそれを想像してしまう。
 それは何故か?
 答えは簡単である。
 男が逃げているからだ。
 怯え、悲鳴を上げ、逃げるために走っている。
 だから例え男が百戦錬磨の戦士であろうと、思い浮かぶのは獲物を追いかける肉食獣ではなく、その逆、追いかけられ追い詰められている草食獣の姿。
 では、草食獣である男を追いかける肉食獣は何か?
 それは肉食獣よりももっと恐ろしいものであった。
 異世界には“あおい”のもいるそうであるが、今男を追い掛け回しているのはもう一つの方であった。
 それは―――

「これは流石にヤバイだろッ!!!」

 男が一際強く足を踏み込む。
 石畳が砕け男の駆ける速度が一気に上がる。
 一瞬まで男がいた場所に、

 ―――ドンッ!!

 黒い何かが高速で突き刺さり爆発が起きた。
 衝撃が背中を打つのを感じながら、男は遥か後方にいるであろう相手に向かって大声で抗議の声を上げる。

「こんな街中でガンドを連発するなぁあああああッ!!!」
「あんたが大人しく死ねば何も問題はないのよッ!!」
「死ぬッ?! そんなものを街中で撃つなよッ!?」
「うっさいこの馬鹿ッ!! いい加減当たりなさいッ!!」

 無数の黒い塊が、空気を抉る寒気のする音を響かせながら街中を飛び交う。通りを歩く街の者たちは、この追跡劇を見ると悲鳴を上げながら逃げ惑い、何処ぞの店の中に飛び込んだり通路の端に身体を縮み込ませ頭を抱えて震えていた。
 そんな風に街を現在進行形で恐怖のどん底に突き落としている者の名は、衛宮士郎(草食獣)遠坂凛(あかいあくま)と言った。










「……隊長の事なんだけどさ」
「……ああ」
「あんな凄い美人の彼女がいると知ってからずっと爆発すればいいのにとか思ってたんだけど、さ……」
「……ああ」
「流石にあれは同情するね」
「そうだな」
「そうだね」
「…………」

 一際巨大な黒い塊を後頭部に受けた士郎が、石畳の上を顔面で華麗に滑っていく姿を街道に張り出した酒場のテラスから眺めていた水精霊騎士隊(オンディーヌ)の面々。最初はニヤニヤと意地の悪い笑みを口元に浮かべながら、これ以上の酒のツマミはないとばかりに上機嫌にワインの入った杯を傾けていたギーシュたちであったが、ガンドを喰らいダウンした士郎を宙に蹴り上げ、頂肘、川掌、冲捶、鉄槌、鉄山靠、閻王三点手、暗勁、寸勁、止めに猛虎硬爬山と流れるような連撃を食らい吹き飛ぶ士郎の姿を見るに連れ、口元に浮かんでいた笑みは苦笑いから引きつった同情の笑みと変わり、最終的には恐怖の表情へと変わっていくことになった。

「あれ、いくら隊長でも死んだんじゃないかな?」
「そうだな。“トオサカリン”だったか、凄まじい“コンフー”だ。流石の隊長でもアレを喰らっては無事では済まないだろう」

 レイナールが震える指先で傾いた眼鏡を直す横で、鍛え上げられた肉体を恐怖に細く震えさせながら、先程から感じる異様な喉の渇きを癒すため既に空になった杯をあおるギムリ。

「いや、昨日地面に倒れた所を顔面に“シンキャク”喰らっているところ見たけど生きてたから大丈夫だとは思うけど……そこのところ君はどう思う?」

 恐怖を紛らわすかのように空になった杯を何度もあおるギムリに新しいワインを注ぎながら、ギーシュが先程から黙ったまま料理をパクついているマリコルヌをチラリと見る。
 マリコルヌは自他共に認めるМであり、被虐について語らせれば学院でも随一であった。
 専門家の意見はどうなのかと、ギーシュたちの視線が一気に集まる。

「はっ……だからお前たちは未熟なんだよ」
「どういうことだ?」

 ガブリッ、とフォークに突き刺したソーセージを噛みちぎったマリコルヌが、半分になったソーセージが突き刺さったままのフォークの先を、石畳の上に俯せに倒れた士郎の後頭部に足を乗せてぐりぐりと踏みしめている凛に突きつけた。

「ありゃ相当馴れてるぜ」
「そうだな」
「まさに流れるような手際だった」
「あの隊長が手も足も出なかった」
「ちげ~よ。ぼくが言いたいのは隊長の事だよ」
「「「は?」」」

 フォークの先に残ったソーセージを口の中に入れたマリコルヌが、ポカンと口を開けたギーシュたちをソーセージを咀嚼しながら鼻で笑った。

「ふんっ。ぼくだから分かる。隊長―――奴はあの攻撃を全て微妙に外して受けている」
「「「な―――なんだってぇ~~~ッ!!?」」」

 驚愕の声を上げるギーシュたちを無視し、ギラリっ、と目を光らせたマリコルヌは、じーと士郎の後頭部を踏みつけながら説教を続ける凛を見つめる。

「そしてあの彼女もその事に気付いている。つまり、あれは茶番だよ。互いが納得づくにやっている以上どうあれ本気の喧嘩じゃない。ただ戯れあってるだけだよ」
「い、いやただ戯れあってるって言われても……流石にあれはないでしょ」

 士郎から八極拳を指導されている身だからこそ分かる遠坂凛の実力。
 遠坂凛が、自分たちなど文字通り足元にも及ばない実力を持つ女拳士であることを、ギーシュたちは既に悟っていた。そしてどう見ても手加減している様子は見られない。士郎が凛の攻撃を受け吹き飛ぶ姿などマリコルヌから言われても演技には見えない。

「あれが茶番とはどうしても思えないんだけど」

 レイナールは先程からピクリとも動かない士郎を冷や汗を流しながら見つめている。

「へ、お子ちゃまだな君は。いいか、あれはな、どちらも互いの癖やら何やら知り尽くしているからこそ出来る芸当なんだよ。多分どっちも意識はしてないだろうな。それだけ長い付き合いで信頼し合ってるんだろうよ」

 ケっ、と羨ましげに吐き捨てるマリコルヌを、ギーシュたちは引きつった笑みで見つめていた。

「は、はは……。しかし例えそうだったとしても、流石にあれは同情してしまうよ。そういえばルイズたちはどうしたんだろうね。彼女たちなら直ぐに飛び出してくるかと思っていたんだが……」

 未だに折檻が続いている士郎たちから視線を外し、周囲を見渡したギーシュが不思議そうに声を上げる。

「それはあれじゃない? また副隊長に止められてるんじゃないかな?」
「そうだな。昨日も副隊長に止められてたしな」
「『いつもの事ですので心配せずとも大丈夫です』か……あれ(・・)が何時も通りねぇ……」
「マリコルヌ大先生の言葉が正しければ、な」
「―――あ、何か話してるぞ」
 
 後頭部を踏みにじられていた士郎が這って逃げ出し、追撃しようと迫る凛を何やら説得をし始めた様子を見て、ギーシュたちの視線が一際強くなる。

「そういえば今回(・・)の原因は結局何だっけ?」
「確かミス・トオサカにシエスタたちの事がバレたらしいよ」
「あ~……そりゃね。一人二人なら男の甲斐性でどうにか出来るだろうけど、流石にあの数はねぇ……」

 ギーシュ達が知るだけでも、士郎と特別仲のいいご婦人たちは片手で余っていた。
 最近学院に赴任してきた人気No.一の女教師の事を思い浮かべた面々は、チラリと視線を交わし合うと力強く頷いた。

「「「「―――死んでよしっ」」」」

 次の瞬間、士郎の頭が弾け飛んだ。

「「「……は」」」

 勢いの乗った凛のサッカーボールキックを顔面に受ける士郎。ギーシュ達の目には士郎の頭が一瞬消し飛んだように見えた。
 ポカンと開いた口から飲みかけのワインが溢れ、ギーシュたちの胸元を赤く染め上げた。

「ど、どうしたんだいきなり」
「一体何が彼女をあそこまで怒らせたんだ」
「隊長は一体彼女に何を言ったんだ?」

 サッカーボールキックで再度宙に蹴り上げられた士郎が、今度は凛の手からガトリングのように飛び出るガンドを何十発と喰らい倒れようにも倒れられず壊れたロボットのような動きを見せている。
 まさに死のダンスを今まさに踊り続ける士郎を戦々恐々と見つめるギーシュたちの横で、ワインをぐるぐると(くゆ)らせていたマリコルヌが野太い笑みを口元に浮かべた。

「ふっ、隊長が“漢”を魅せただけだよ」
「「「は?」」」

 マリコルヌは小さく頭を振ると、血の如き紅いワインが注がれた杯を掲げた。

「隊長―――あんたやっぱり“漢”だよ」

  








 だらだらと滝のように汗を流しながら、背筋を駆け上る恐怖を誤魔化すように赤い髪を弄っていたキュルケが、今も続く虐殺から隣に目を逸らす。

「ねえ。あれって本当に大丈夫なの?」
「…………」
「ちょっと、黙らないでくれる。本気で心配になるんだけど」
「―――ぇ? ええっ! だ、大丈夫です」

 その言葉とは裏腹に、セイバーらしからぬ焦った様子を見たキュルケが浮かべていた苦笑いは引きつり、もはや笑みと呼べるものでなくなってしまう。
 キュルケの顔が急速に歪んでいく様に、セイバーは猛烈に頭を抱えたい衝動に襲われる。
 最初は懐かしそうに微笑みながらガンドを連射しながら士郎を追いかける凛を見ていたセイバーだったが、凛が士郎に八極拳を叩き込み始めた頃からその微笑みに罅が入り。ガンドによる死のダンスを士郎が踊らされる頃になると、白い肌から血の気が引きすっかり青ざめていた。
 
 ―――シロウ。今のは内容は兎も角潔いとは思いましたが……もう少し言い方というものがあるかと……。

 士郎が死のダンスを踊る切っ掛けとなった言葉を思い出し、セイバーは漏れる溜め息を耐え切れず漏らしてしまう。
 学院に他に女がいると凛に知られた事から始まった今回の一件。凛に捕まり文字通り踏みにじられていた士郎が、凛からの『あんたどういうつもり?』という問いに対し口にした言葉が寄りにもよって―――。

「それはまあ、『遊びじゃない、本気だっ!』って言ってくれたのは正直嬉しいだけど……空気というか自分の置かれた状況を冷静に考えて欲しかったわ」
「同感です。いくら追い詰められたからといってアレは自殺行為にほかなりません」

 ようやくガンドによる死のダンスから解放された士郎がゆっくりと崩れ落ちていく姿を見てセイバーは頭を左右に振った。

「で、あれ本当に無事なのよね?」
「死んではいないと思いますが……」
死んではいない(・・・・・・・)、かぁ……無事とは言わないのね」

 セイバーの微妙な言い回しにキュルケが本格的に救出について考えていると、ふと今の自分達が置かれた現況を顧みて小さく口元を綻ばせた。キュルケの微笑みに気付いたセイバーが、訝しげに眉根を寄せる。

「キュルケ?」
「ん? ちょっと、ね。今の状況を改めて思い直していたのよ」
「そうですね。あれからまだ二週間程しか経っていませんが、随分遠くまできたものです」

 空を仰いだセイバーが感慨深げに言葉を漏らすのを横目に見るキュルケの目が呆れたようにジト目となる。

「……その最大の功労者が何を言ってるのよ」

 アクイレイアで教皇が“聖戦”を発動してから二週間程で、ロマリア軍がガリア王国の首都に近いこのカルカソンヌまで侵攻出来た最大の理由は、この戦争の引き金となった両用艦隊であった。
 ロマリアに攻め込んだ両用艦隊を率いるクラヴィル卿は、“聖戦”の発動と艦隊の予想外の損害、更には実質的な指導者であったミョズニトニルンの敗北を受け、完膚なきまで戦意を失うことになった。一つでも十分過ぎるショックを連続で三つも受けたクラヴィル卿の行動は、まさに疾風怒濤の勢いであった。生き残った艦隊を率いて直ぐさまサン・マロンへと取って返したクラヴィル卿は、艦隊の全将兵に対しジョゼフの陰謀を打ち明けると共に、ロマリアへ恭順する旨の意志を伝えた。
 この提案をした際、実の所クラヴィル卿は半分が賛成すれば良い方だと考えていた。
 クラヴィル卿は自分が才も実力もある方だと思ってはいない。精々誇れるのは経験だけぐらいと分かっていた。そんなカリスマも何もない凡庸な自分がいくら王からの命令とはいえ信じるべき信仰(ブリミル)の中心地へと攻め込み。旗色が悪くなったから寝返ると言っているのだ。自分に賛成を示す者が半分もいないだろうと内心で考えていたのだが。
 結果としてクラヴィル卿の提案に艦隊の乗組員たちから反対の声は一切上がる事はなかった。
 その理由は何げにクラヴィル卿の指示が篤かった事や、元々この作戦に対し思うところがあった将兵が多かった事も挙げられるが。その最大の理由は、百を超える両用艦隊の二割近くを落とした白銀の竜の存在であった。
 目にも止まらない速度で空を翔け。
 一条の光となって巨大な艦隊を貫き破壊する竜。
 両用艦隊の者たちが“聖竜”と呼び恐る存在であった。
 ロマリア(ブリミル教の中心)へと攻め込む自分たちの前に現れた白銀に輝く竜を、彼らは神罰を下す“聖竜”であると恐れたのだ。
 予想に反して全乗組員の賛成を受けたクラヴィル卿は、改めて本物の“反乱艦隊”となり。両用艦隊の決起の情報は、直ぐさまガリア王国全土に広がった。この情報に大きく反応したのは王都から遠く離れた諸侯郡であった。
 ジョゼフが王となってからこれまでの間に、領地の没収や多額の罰金等に対する不満や不信がここで一気に爆発した。教皇が発した“聖戦”の宣言とガリアの最大戦力の一つである両用艦隊の反乱は、彼らの背中を押すのに余りある理由であった。
 また、サン・マロンで起きた反乱に一番最初に応じた領主であるフォンサルダーニャ侯爵の存在も一役かっていた。
 フォンサルダーニャ侯爵は、前年に領地の一部を王政府に没収されたことを恨んでいたため、サン・マロンで起きた反乱にこれ幸いと一番最初に決起すると、直ぐさまロマリアへと協力する旨の伝令を飛ばしたのである。長年ロマリアとの国境を守ってきた名門フォンサルダーニャ侯爵家の反乱の参加は、それまで様子見をしていた他の諸侯の多くを味方とする切っ掛けとなった。
 結果、ガリア南西部の諸侯たちを次々に味方に引き入れながらロマリア軍は、ほぼ無血でカルカソンヌまで進軍する事に成功した。
 しかし、順調な進軍もカルカソンヌまでであった。
 カルカソンヌの北方に流れるリネン川を挟んだ向かいに、“聖戦”が発動されても王政府に味方するガリア王軍が立ち塞がったからである。その数およそ九万。対するロマリア軍は味方となったガリアの諸侯の軍も入れても六万しかいなかった。“聖戦”が発動されたことや反乱が起きたこと等から、士気の面で言えばロマリア軍に軍配は上がるが、三万という数は士気の差で埋められるような数ではなく。また、ロマリア軍の味方とはいえ反乱軍がそう簡単に同国民と戦える訳もなかった。しかし、敵であるガリア王国も同じく数で勝るとは言え対するのは聖戦を発動した相手である。聖戦を発動した相手がどれだけ厄介な存在なのかは嫌になるほど知っており、戦意は底辺にまで落ちていた。
 どちらも戦端を開く切っ掛けを持っておらず、ロマリア軍がカルカソンヌにたどり着いてから今まで、戦闘らしい戦闘が起きることなくリネン川を挟み未だに睨み合いが続いていた。

「それは違いますキュルケ。確かに私の行動が幾ばくかの影響は与えたのは事実だと思いますが、私一人の戦果で彼らが反乱を決めた訳はありえません。国を裏切る行為と言うのは、そう簡単なものではないのですから……」
「そうかしら?」

 キュルケの言葉を否定するように左右に頭を振るセイバーを、キュルケは余り信じていない半眼でじっと見つめていたが、ふと視線を外して先程から黙ったままの友人たちに声を掛けた。

「で、ところであなた達は何してるのよ? そんな所でじっとして。さっきからシロウ大分大変……酷い事になってるみたいだけど。助けに行かなくていいの?」

 キュルケは後ろで膝を抱え顔を俯かせたルイズと同じような格好で本を読んでいるタバサに顔を向けた。
 抱えた膝と胸で挟み込むように伏せていた顔を気だるげに起こしたルイズは、見下ろしてくるキュルケを力のない目で見上げ。その隣に位置するタバサは顔を動かすことなくチラリと視線だけをキュルケに向けた。

「そういうあなたはどうなのよ。助けにいかないの?」
「ん~そうしたいのもやまやまなんだけど、ね」

 顎に細い指先を当て「ん~」と間延びした声を上げながら遠くで士郎を折檻する凛と自分を見上げてくるルイズを見比べる。キュルケの視線が迷うように士郎とルイズの間で揺れていると、本を胸元に抱き寄せたタバサが立ち上がった。

「助けに行くの?」
「…………」

 キュルケの問いに応えることなく、タバサは自分に視線を向けるセイバーたちから逃げるように歩き出した。宿舎へと向かって歩いていくタバサの背中を、離れた位置で控えていたロマリア軍の兵士が追いかけていく。その姿にセイバーの目がスッと警戒するように細まった。
 アクイレイアからここまで、水精霊騎士隊を中心としたトリステインの者達の周囲には常にロマリア軍の兵士が傍に控えていた。護衛の名目で傍にいる彼らは別段何かしてくる訳ではなく、ただ今タバサについていったように、常に誰か一人は傍にいるのである。キュルケやギーシュたちはそこまでではないが、士郎、ルイズ、タバサ、そしてセイバーに対しては、特に厳重に“護衛”が行なわれていた。
 
「まるで捕虜になった気分ね」
「確かに―――とうてい良い気分にはなれません」

 セイバーが鋭い目つきで残ったロマリア軍の兵士に視線を向ける。斬りつけるような鋭く強い死線に、見張るかのように周囲に立っていた“護衛”のロマリア軍の兵士たちが怯えるように後ずさった。

「あの人たちも仕事なんだからそう威嚇しなくてもいいじゃない」
「別に威嚇などしてはいません」

 キュルケに向かって若干むくれた顔をしたセイバーは、直ぐに我に返って恥ずかしげに頬を染めるとキュルケたちに背中を向けた。

「アルト?」
「少し、タバサと話しをしてきます」
「……お願いするわ」

 キュルケに背中を向けたまま頷くセイバー。小さく了解の意を示したセイバーに口元に微かに笑みを浮かばせたキュルケは、タバサと同じようにロマリア軍の兵士を後ろに貼り付けて歩いて行くセイバーの背中に礼を言った。
 セイバーの姿が視界から消えると、視線を外へ。外へと向けた視界に映ったのは、足を掴まれ何処かへ引きずられていく士郎と引きずっていく凛の姿。背中を冷たい冷や汗が流れるのを感じながら、逃げるように視線を外から外すと、先程から動いていないルイズへと視線を向けた。

「本格的にやばいわね……で、結局あなたがそんな風にいじけてる原因はやっぱりあの人のことでしょ?」
「……そっちはどうなのよ。気にしていない風にしてるけど、本当は大分余裕がないでしょ」

 キュルケは先程までタバサが座っていた場所まで歩いていくと、膝を抱えて座っているルイズを見下ろした。

「あら、良く分かってるじゃない」
「分からない筈ないじゃない」

 意外そうに目を丸くしたキュルケに向けていた噛み付くような視線が弱々しくなる。

「―――わたしだって同じなんだから」
「……そっか」

 キュルケはゆっくりと床に腰を下ろし膝を抱えると、ルイズの背中にそっと寄りかかった。

「ルイズ、あなたミス・トオサカのこと知ってた?」
「……少しだけ」
「同じね。実はあたしも少しだけ知ってるのよ」
「そう、なの?」
「ええ。まあ、知ってるとは言っても精々あの人が、シロウの大切な人だってことぐらいよ」

 顔を合わせない背中越しの会話が一瞬だけ止まる。

「……わたしの知ってる事もあなたと変わらないわ」
「怖い?」

 背中に震えを感じる。
 キュルケはそれが自分のモノなのか、それともルイズのモノなのか分からないまま問い掛ける。 

「あなたはどうなのよ?」
「怖いわよ。当たり前でしょ」

 不安を紛らわせるように無意識に胸を抱えた両手が、妙に冷たく感じキュルケは僅かに苦笑いを浮かべた。自嘲気味の笑みを浮かべるキュルケの背中で、ルイズは力なく頭を垂れる。

「そっか、当たり前、なんだ……」
「そうよ。当たり前のことなのよ」

 セイバーが現れた時にも感じた不安。
 しかし、今感じているものはあの時とは違い強い焦燥感をもたらしていた。
 それは何故か。
 そんな事は、分かりきっている。

 ―――明らかにあの人(遠坂凛)はわたしたちの誰よりも士郎に近いと、そう感じてしまうから……。









 ―――痛い。
 
 ――痛い。

 ―痛い。

 痛い―――ッ。

 キュルケたちの前から逃げるように外へ出たタバサは、“護衛”の兵士を振り切るかのように駆け出し用意された宿舎の一室の中に飛び込んだ。後ろ手に荒々しくドアを閉め、勢いをそのままにベッドの上に飛び込む。ギシリと大きく軋みを上げたベッドが床の上を滑って壁にぶつかる。ベッドが壁に当たった衝撃で、ベッドの上に俯せになっていたタバサの身体がゴロリと一回転し、仰向けになったタバサの視界に木目調の天井が映った。

 ―――苦しい。

 全力疾走した直後のように荒い息を吐きながら、タバサは刃物でも突き立てられたかのような痛みを感じる胸を両手で強く押さえ込む。

 ―――何で、こんなに、胸が……苦しい……。 

 魔法による痛みは知っている。
 刃物による痛みも知っている。
 悪意の言葉による痛みも知っている。
 孤独の苦しみも知っている。
 わたしは様々な痛みを―――苦しみを知っている。
 そして、わたしはそれに慣れている。
 慣れて、耐える事が出来る。

 その筈、だった―――でも。

 この痛みは―――苦しみは、知らない―――だから、耐えられない。

 鼻の奥にツンっとした痛みが走り、目の奥が熱く潤む。
 それが何なのか分かった時には、既にそれは溢れていた。
 熱い、熱い水が、瞳から溢れ出し零れ落ちる。
 動悸と連動して強くなる胸の痛みを感じながら、胸を抑えていた両手をそっと離す。
 両手で頬を包み込むと、冷え切った指先が熱い何かで濡れた。

「―――なみ、だ?」

 触れて、始めて自分が泣いているのだと気付く。
 ベッドから起き上がったタバサは、眼鏡を外すと袖口で目元を拭う。

「っ、何で……」

 ―――理由は、何となく分かっている。
 不安、なのだろう。
 (衛宮士郎)が、何処かへ行ってしまうかもしれないと感じて……。

 彼女―――遠坂凛を……タバサは知っている。
 時折見る夢。
 彼がわたしを愛してくれた夜に見る……泡沫の夢。

 ここではない世界。
 月が一つだけのあの世界で、わたしは見た。
 彼の過去を。
 彼が背負った罪を。
 彼の嘆きを。
 その中で、わたしは見た。
 彼が、彼女に笑いかける姿を。
 彼が、彼女をどれだけ大切にしているかを。
 断片的な光景でも分かる、その気持ちを。
 わたしだけじゃない、キュルケも、ルイズとも比べられないほどの時間を、彼女は彼と過ごしてきた。
 だからこそ、怖い。
 彼が、彼女と共に何処かへいなくなってしまう気がして。
 手の届かない。
 二度と会えない場所へ連れて行かれそうで。
 彼がルイズと一緒にいる姿を見たときに感じる苦しみを、何十倍にもした痛みが胸を襲う。
 それでも、普段なら、耐えられただろう。
 何時もなら、抑える事ができた筈だった。 
 
 しかし、今は、駄目だ。
 駄目なのだ。
 タイミングが悪すぎた。 
 状況が最悪だった。
 
 ここは学院ではなくて、父の仇と目と鼻の先にいて。
 わたしは、何も出来なかった幼い頃の自分ではなく、強力な魔法使いとなっており、傍には味方の軍がいる。
 あれだけ憎かった父の仇が取れるかもしれないのだ。
 それが、怖い。
 怖かった―――恐ろしかった。
 自分が自分ではなくなるかのような。
 感情が、わたしを侵していく。
 憎しみが、怒りが、悲しみが、恐怖が―――わたしを染め上げる。

 だから、駄目なのだ。
 何時も以上に、彼を欲している。
 心が、身体が、彼を求めている。

 ナノニ、カレノソバニハ、カノジョガイテ……。

 彼に、傍に居て欲しい。
 抱きしめて欲しい。
 守って欲しい。
 なのに、彼の隣には彼女が―――遠坂凛がいる。
 もしかしたら、わたしはまた、一人になるかもしれない。
 彼がいなくなれば……わたしはどうなるのだろう……。 

 ―――ああ、もう、何もカンガエラレナイ―――カンガエタクナイ―――。

 コノママナニモカンジズ、カンガエズ―――タダ、フクシュウ二―――

 静かに、深く落ちていく意識の中、タバサの耳に扉を叩く音と―――

「―――タバサ」

 ―――声が届く。

「……」

 深く、暗い―――意識の底へと落ちようとしたタバサの意識を拾い上げたのは、セイバーの声であった。

「……なに」

 ベッドから起き上がることもなく、木目の天井を焦点の定まらない瞳で見上げながら、タバサは扉の向こうに立っているだろうセイバーに返事をする。

「……少し、あなたに話があります」
「そう」

 感情を感じられない淡々とした口調。
 何時も通りの用に聞こえるが、普段のソレとは何かが決定的に欠けている声にセイバーは気付いた。

「“護衛”は?」
「少し眠ってもらっています」
「……そう」

 微動だにせず天井を見上げていたタバサの眉がピクリと動く。
 この時に始めて、タバサは部屋の近くにあった兵士の気配が感じられない事に気付いた。
 何時もならば、こういう時は自分の未熟さや迂闊さを反省するのだが、今は何故かそんな気にはならず―――それがとても不快だった。

「時間は取らせません」

 これといって受ける理由もなく、断る理由もない。
 
「……好きにすればいい」

 許可を出したのは、ただ、断る方が面倒だと判断したからだった。











 部屋にセイバーが入ってきても、タバサはベッドの上から動くことはなかった。部屋に入ってきたセイバーは、ベッドの上に転がるタバサを見て一瞬顔をピクリと動かしたが何も言わず、無言のまま部屋の扉の前で腕を組んで立った。
 暫らくの間、二人は無言であり、部屋の中に沈黙だけが満ちる。
 先に沈黙を破ったのは、セイバーであった。

「―――タバサ。あなたは、これからどうするつもりなのですか」
「あなたには関係ない」

 直ぐにタバサからの返事があるとは思っていなかったのか、セイバーはベッド上に未だ仰向けに転がるタバサを見つめ直す。

「……本当に、そう思っているのですか」
「それ、は……」

 天井を見つめるタバサの瞳が大きく歪み、揺れる。
 それを見て、セイバーは再度尋ねる。

「あなたは、どうするのですか」

 どうするのだと。
 どうする?
 そんな事は……。

「……そんな事は……決まってる」

 セイバーから逃げるように、壁へと顔を向けるタバサ。
 セイバーは、タバサの事情について知っていた。この都市―――カルカソンヌに着く前に、キュルケから一応の事情を聞いていたのだ。そのため、先のタバサの言葉だけで、続きは容易に想像出来た。
 父を殺され、母を狂わされ、自身の人生を壊した男をどうするかなど決まっている。
 だからこそ、言わなければならない。
 彼女に、伝えなければならない。

「……タバサ、一つだけあなたに言いたい事があります」
「…………」

 拒否するように背中を向けるタバサに向かって、セイバーは口を開く。

「過去は変えられません。ですが、未来は変える事は可能です」
「ッ―――そんな事は」

 分かったような事を口にするセイバーに思わず振り返ったタバサは、静かに自分を見つめるセイバーと視線が合うと勢いを無くしそのまま黙り込んでしまう。

「―――分かっている。ですか?」

 何時もの冷淡ともいえるタバサの様子からは考えられない苛立った声。“雪風”の名を感じさせない熱と感情の篭ったそれを、セイバーの小さな、しかし鋭い声が切り裂く。

「……」

 波立つ感情のまま荒々しく振り返ったタバサは、先程から高まり続ける動悸を抑え込むように胸を握りしめながら、自分を見下ろすセイバーを睨み付ける。

「……からかってる?」

 セイバーの身体を冷気が包み込む。
 タバサの閾値を超えた感情が自身の魔力と連動し、無意識に周囲の温度を下げたのだ。
 床や壁に霜が降り。切りつけるような冷気が身体を刻む中、眉ひとつ動かすことなくセイバーは微動だにしない。
 
「からかってなどいません」
「なら、何故そんなふざけた質問を」
「ふざけてもいません」
「何を……」

 何を言っている、どういうつもりだと、タバサは言いたかった。
 過去は変えらない―――そんな事は、当たり前だ。
 死んでしまった父を救うことは不可能で、家族三人での優しく穏やかな日々は永遠に戻ってこない。
 何も知らなかった無邪気な自分に、もう|なる〈戻る〉ことは出来ない。
 だからこそ、自分は仇を―――父を、|自分〈シャルロット〉を殺し、母を狂わせた男に―――。

「復讐だけが、あなたの未来ではありません」
「―――ぁ」

 セイバーへ向ける筈だった言葉が、力なく零れ落ちた。
 穏やか、とも呼べる優しげな目をしたセイバーが、一歩、タバサに歩み寄る。

 言葉に含まれていたのが批難なら、無視できた。

 ―――怒りなら、反発することができた。

 ―――悲しみなら、耐える事ができた。

 ……でも、優しさは、どうすればいいか、分からない。

「っ」

 逃げるように、タバサはセイバーから離れるように身体をずらす。
 
「タバサ。もう一度言います。過去は変えられません。しかし、未来は変えることが出来ます」
「……」

 反発の声は、上がらなかった。
 ただ、揺れる瞳で、セイバーを見上げるだけ。
 暫く、二人の間に沈黙が満ちた。
 そして、 

「復讐は止めろ、と……そういうこと?」

 最初に沈黙を破ったのは、タバサであった。
 その声には、不満や苛立ち、怒り等が多分に含まれていた。
 仮に、タバサの言葉にセイバーが頷けば、二人の間に決定的な溝が生まれていただろう。
 しかし―――

「違います」
「―――ぇ?」

 そうはならなかった。
 気の抜けた、幼いともいえる呆けた声をタバサが上げると、セイバーは小さく口元に笑みの形を取り顔を俯かせた。
 その時セイバーが浮かべた笑みは、タバサの漏らした呆けた笑みに向けた微笑ましいものではなく。決して忘れることのできない自分の|過去〈罪〉を思い出したことからの自嘲の笑みであった。

「私にそれを言う資格はありません。ただ、私があなたに伝えたかったのは―――」
「……ぁ」

 伸ばされる手。
 優しげな笑みと暖かな眼差し。
 頬に触れた指先は、赤子を撫でるように柔らかく。
 囁かれた言葉は、

「あなたは、一人ではありません」

 とても、強かった。 












 
 

 
後書き
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