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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第一話
  Ⅳ



「鈴野夜…。」
「う…っ!」
 ここは喫茶バロック。そこで今、鈴野夜はオーナーである釘宮に鬼の様な形相で睨まれていた。
「あの…ですね…。これには深い訳が…。」
「ほほぅ?大切なオーブンを壊す程の訳とは何だ?」
 どうやらオーブンを壊したらしい。ま、鈴野夜だけでなく、あのメフィストも関わっているのは明らかだが、ここにメフィストの姿はなかった。逃げたらしい…。
 鈴野夜は額に汗を滲ませてひたすら目を游がせている所へ、何も知らずに小野田が入ってきた。
「お早うございます。あれ?どうしたんですか?」
 鬼の形相の釘宮と顔面蒼白な鈴野夜を見て、小野田は一体何事かと目を丸くした。
「小野田さん、お早う。気にしなくて良いよ。この世界一の愚か者が、うっかりオーブンを壊しちゃっただけだから。」
 その刺々しい言葉に、もう鈴野夜は号泣寸前だった。
「えぇ!?あれなくちゃ困るじゃないですか!」
「ま、そうだけどねぇ。」
 そう言いつつ、釘宮は再び鈴野夜へと視線を変えると、彼はもう少しで悲鳴を上げそうだった。小野田には笑顔だったのに、鈴野夜に向いた途端に般若になったのだから…仕方無い話だ。
「つ…罪を許せって言うだろう?な?」
「お前がそれを言うか。どの口が言うんだ?ん?」
「ヒィ…!!」
 更に恐ろしい形相となった釘宮に睨まれ、もはや鈴野夜には成す術がなかった。
 だがその時、ふと小野田が言った。
「仕方無いんで、実家に聞いてみますね。」
「…え?」
 その言葉の意味が分からず、釘宮と鈴野夜は小野田を見た。すると、彼女は携帯を取りだして何処かへ電話をかける所だった。恐らくは、さっき言っていた実家だろう。
「もしもし?あ、父さん?うん、元気元気。えっとそれでさ、今働いてる喫茶店のオーブンが壊れちゃって…ん、そう。え?中古だったら直ぐに持って来れるの?それちゃんと使えるのぅ?え?確認はしてあるんだ。それっていくら?…二十万?高いわよ!中古でしょ!?…ダメ、もっとよ!…っと、少し待って。オーナー。」
「…えっと…何?」
 あまりの展開についていけない釘宮は、小野田に向けて間の抜けた返答をした。さっぱり状況が掴めていない様だ。
「中古なんですけど、十二万でかなり性能の良いオーブンあるって言うんですけど、それで大丈夫ですか?」
「え?そんなに安くしてくれるの?」
「これでも高いわ!」
 小野田は納得してない様子だが、釘宮にとっては渡りに船だ。
「えっと…そうだね。お願いしようかな…。」
 釘宮が顔を引き攣らせながら答えると、小野田は未だ納得してない風だったがコクンと頷いて電話を再開した。
「父さん?うん、それ直ぐに持って来て。勿論、取り付けもお願いね。分かったわ。それじゃ、待ってるから。」
 小野田はそう言って電話を切るや、釘宮に視線を変えて言った。
「二十分程で来ますから、古いオーブン取り外しましょう!」
「そ…そうだね…。」
 張り切る小野田に、釘宮はそう返すしか出来なかった。その後ろで鈴野夜が、ホッとして胸を撫で下ろしてたことは言うまでもない。
 その後、三人で壊れた…いや、壊されたオーブンをやっとのことで取り外して裏口から出すと、そこに新たなオーブンが到着した。業者は手慣れた様にオーブンを運んで取り付けると、釘宮へ請求書を渡して風のように去って行ったのだった。無論、鈴野夜は仕事に励んでいるが。
「…小野田さん?」
「何ですか?」
「これ…中古でも、普通は三十万位はするやつだよ…?」
 取り付けられたオーブンの前に立ち、釘宮は如何ともし難い表情で小野田に言った。しかし、小野田はどうと言うことはないと言う風に返した。
「そうですか。でも、十二万で良いんです。他で儲けてるんですもの、たまにはこの位したってバチは当たりませんよ。」
 その言葉に、さすがの釘宮も唖然としてしまった。
「あのさ…君の実家って…。」
「あれ…言ってませんでしたか?私の実家、電気屋なんです。小野田電機って、聞いたことないですか?」
 釘宮は返答に窮した。
 小野田電機…大手メーカーとして知られている。他に小野田電工や小野田電子…と、電気系の会社を幾つも持っている。
 まさか…そんな実業家のお嬢様が、こんな小さな喫茶店で働いてるとは、一体誰が想像出来るだろうか…。
「君、何でこんなとこで働いてるんだい…?」
 不思議に思い、釘宮は小野田に問った。いや…問わずにはいられなかった。
「オーナー、私は私です。家が何であれ、私は私の生きたいように生きます!」
「それは立派だねぇ…。で、何でうち?」
「そりゃもう、鈴野夜さんが来てたからです!」
「…そっちはどうかなぁ…。」
 そこはかとなく呆れ顔で釘宮が小野田を見た時、どこへ行ってたのかメフィストが帰ってきた。
「風冽さん。」
「ッ!?」
 コッソリ入ってきて釘宮の様子を窺おうとしていたメフィストは、直ぐに見付かってしまった自分を呪った。
「こ…これは釘宮様…。」
「風冽さん…今までどこをほっつき歩いてたのかな?」
 ニッコリと微笑む釘宮に、メフィストはこれまでに無い程の恐怖を感じて後退った。今、ここで逃げ出さなくては…きっと悪いことが起こる。そう悟ってメフィストはクルリと身を翻したが、その刹那…釘宮にガッシリと肩を掴まれ、メフィストは危うく叫ぶところだった。
「あれ?どこへ行くの?ホールはこっちだよ?」
「あ…ははは…あの…急用を思いだしまして…。」
 このやり取りを目の当たりにした小野田は、メフィストには悪いと思いつつホールへと逃げ出し…いや、仕事をしに向かった。
 そんな小野田を悲しげな目で見たが、釘宮にそんなことどうでも良く、黒いオーラを振り撒きながらメフィストへと言った。
「へぇ…オーブンを壊した以上の急用って…何?」
 メフィストは後ろを振り返ることが出来なかった。ここで振り返れば、きっと数日は悪夢にうなされるだろうからだ…。
「えっと…その件は…」
「その件…は?」
 肩を掴む手に力が入る。それと同時に、メフィストの恐怖も倍増した。が、そんな二人の前に大崎がやって来て言った。
「何やってんすか!早く仕事入って下さいよ!結構客入って、俺らだけじゃ手が足んないんすから!」
 メフィストはその声に、天の恵みを感じた。
 本来なら天を仰いで感謝するなど有り得ない彼が、この時ばかりは心の底からその恵みに感謝したのだった。
「仕方無い…。風冽さん、直ぐにホールへ出て下さい。この件は店が終わってからと言うことで。」
 そう言って、釘宮はニッコリと微笑んで厨房へと向かったのだった。
「悪夢は…終わらないのか…。」
 メフィストは涙目でそう呟くと、一人トボトボとホールへと歩き出したのだった。
 その夜、鈴野夜とメフィストは三時間近くも釘宮に説教され、二人とも真っ青になって震えていたことは…言うまでもない。
 さて、三人が就寝出来たのは、明け方少し前だった。鈴野夜もグッタリして布団に潜り込んでウトウトし始めた頃、彼の耳に囁く者がいた。
「ロレ…ロレ、起きろ。」
「ん…?誰だ…?」
「ロレ…私だ。」
 嫌々ながらも鈴野夜は目を開けて起き上がると、そこには白い衣を纏った者が立っていた。
 男とも女ともつかない中性的な顔立ちで、その身から淡い光を放っていた。
「…ラジエル…。何で貴方がここにいる?」
 鈴野夜の前に姿を現したのは、大天使ラジエルだった。
 ラジエルは神の天幕に入ることを許された数少ない御使いだ。ラジエルは神が語る世の全て…過去から未来を書物に書き留め、膨大な知識を有していると言われている。
 だが、その様な大天使が鈴野夜…ロレの所へ、一体何の用で訪れたと言うのか…。
「ロレ…いつまでそうしているのだい?」
「以前にも話した筈だ。私は…あいつと共に滅びに至るまでこうしている。」
 その答えに、ラジエルはその表情を悲しみで歪めた。
「君は信心深かった。あの時でさえ、君は神を穢すまいと自らを汚した。それに因って神の恵みから遠く離れようとも、君は…」
「もう言うな!遠く過ぎ去ったことを話して何になる!」
 鈴野夜はラジエルをきつく睨んだ。触れられたくない…そう語る目だ。
 そんな彼に、ラジエルは優しく語りかけた。
「ロレ…神は君を愛しておられる。もう充分ではないか?」
 そう言った時、不意に部屋の扉が開かれ、そこからメフィストが入ってきた。
「ラジエル、それは僕と契約しているのだよ。いかな君でも、それを容易く破棄出来ない。」
「メフィスト…フェレス…。」
 ラジエルはあからさまに嫌な顔をしたが、メフィストはどうでもいいと言った風に鈴野夜の元へ歩み寄って言った。
「ロレ、お前はどうしたい?返答しだいでは、古の契約を破棄してやろう。」
「私の意思は変わらないよ。」
 即答した鈴野夜に、メフィストの表情は歪んだ。そこには喜びと…そして悲しみとが混在していた。
「メフィスト、なぜそんな顔をするんだ?私は何処にも行かない。君と最期の時まで共にある。」
「それで…本当に良いのか?」
「ああ。」
 その会話を聞いたラジエルは、仕方無さそうに二人へと言った。
「ならば、そうするが良い。しかし、私は再び来る。世の終焉まで、何度でも…。」
 そう言い終えるや、ラジエルはそっとその姿を夜の闇へと消し去ったのだった。
「ロレ…本当に良かったのか…?」
 ラジエルの消えた虚空を見、メフィストは囁く様に鈴野夜へと問い掛けた。鈴野夜はそれに答えることなく、ただ、メフィストの体を子供の様に抱いた。
 鈴野夜の温もりはメフィストの瞳から涙を溢れさせ、メフィストもまた、鈴野夜を強く抱き返したのだった…。



 
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