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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第一話
  Ⅲ



 ここは吉崎財閥社長、吉崎荘一郎の館。時刻は真夜中二時を回り、仕事を終えた荘一郎は床につこうとしていた。
「全く…この私に時間を割かせるとは、忌々しい娘だ。」
 その日を振り返り、荘一郎は顔を顰めながら呟いた。
「あなた…あの子だってもう大人なんだし、好きにさせてあげましょうよ。」
 荘一郎にそう言ったのは、彼の妻である由有子だ。
「お前がそう甘やかすから付け上がったのだ!SPと寝る様な女はただの娼婦だ!腹の子は堕ろさせる。いいか、これに関してお前は口出しするな!」
「あなた…。」
 荘一郎は苦虫を噛み潰した様な顔をして布団に入った。そんな夫を悲し気に見ていた由有子も、少し遅れて布団に入ったのだった。
 暫くして二人が眠りに入る頃、どこからともなく微かな音がし、荘一郎はそれに気付いて目を開いた。
「……?」
 不審に思い、彼は起き上がって周囲を見回したが何もない。それでも気になり、布団から出て部屋の扉を開いて廊下を確認した。
 そこは非常灯の明かりだけがぼんやりと灯っているだけで、これといって人影もなかった。
 荘一郎は気のせいだと扉を閉めて振り返った瞬間、久しく感じなかった感情を抱いたのだった。
 振り返った視線の先、薄明かりの中に人影があったのだ。そのシルエットから、荘一郎はそれが男だと確信した。
 だが…何一つ気配がない…。故に、荘一郎は驚愕と恐怖とに見舞われ、体が硬直して動くことが出来なかった。
「な…何者だ…。」
 大企業の社長で、時には手荒なことも厭わなかった彼が出来たことは、そんな一言を絞り出すことだけ。他には何も出来ず、ただその人影を見続けるだけだった。
「何者…か。それを聞いてどうする?」
 人影は荘一郎に問い返した。その抑揚の無い声に、荘一郎はゾッとして言葉に詰まった。
 確かにそこに存在する。そう理解は出来ても、心のどこかでは…目の前のこれは幻ではないか?はたまた人智を超えた何かなのではないか?…そう考えてしまうのだ。
 ただ一つはっきりしていることは、目の前のこれは自分にとって「悪いもの」だと言うことだ。
「何も言い返さないのか?ならば、こちらが問おう。」
 そう言うなり、人影は荘一郎へと近付いた。…いや、瞬時に彼の前に立っていた。音も立てず、ましてや気配さえ全く感じさせないそれに、荘一郎は気が狂いそうになっていた。
「お前は…何なのだ?」
 荘一郎の耳元で小さく、それでいてはっきりとそれは言った。
 彼は恐怖の中で気が付いた。その問いは表面的なものではなく、本質的なことなのだと…。
 その刹那、荘一郎はそれから飛び退き、叫び声を上げて部屋から飛び出していた。
 彼は走った。誰でも良い、人さえいれば…。そう思って走れども、その暗がりの中には誰一人見付からない。大声を上げて走り回っているにも関わらず、それに気が付いてやって来る者は一人もいなかった。
 いつもであれば、この館には多くの使用人がいる。二人の息子さえいると言うのに、誰も気付かない。
「ま…まさか…。」
 荘一郎は走るのをやめ、乱れた息を整えながら考えた。
 そう…、部屋であれと話した時、妻の由有子は何も気付かず眠っていた。
「な…なん…何なんだ!」
 荘一郎は叫ぶ。だが、それは虚しく空に四散して何の意味も為さない。
 彼はこれが夢なのか現実なのかさえ分からなくなっていった。
「なぜ私がこんな目に!」
 そして次に怒りが込み上げてきた。その怒りは徐々に増長して行き、彼は走ってきた方…すなわち、あれへと怒鳴った。
「私がなぜこんな目に遇わねばならんのだ!私は祖父の会社を大きくし、社員共が飢えぬ様に努めてきたのだ!家族にも何不自由なく生活させてやっていると言うに!」
「それがどうした。」
 不意に耳元で声がした。あれの…あの男の声が…。
 それを聞いた瞬間、怒りで熱くなっていた荘一郎の頭は急激に冷め、それを覆うかの様に恐怖が体と精神を支配した。
 男の声は確かにした…。しかし、気配は全く無い。先程と同様、声だけがはっきりとしているのだ…。
「お…お前……人間じゃ…ないな…。」
 荘一郎は振り返ることも儘ならず、ただそう口にした。
 元来、彼はオカルトなど信じてはいない。いや、それこそ馬鹿にしていたのだ。負け犬の戯言だと。
 だが、ここにきて彼は…それを改める他なかった。現に、こうして説明不可能なことが目の前で起こっているのだから…。
 しかし、彼の頭の片隅では、これは誰かが仕組んだ悪戯だと…そう考えていた。自分を気に入らない誰かが罠を仕掛け、どこかで見て笑っているのだと…。
 そんな考えを見透かしてか、男は笑みを含んだ声で荘一郎へと言った。
「お前はそんなこと信じてはいまい?お前が信じているのは財と権力だけだからな。」
「違う!私は…」
 荘一郎が何か言いかけた時、不意に左肩に重みを感じた。まるで…誰かが肩に手を置いたかの様に。
「ヒィッ……!」
 あまりの恐怖に、荘一郎はその場へとへたりこんだ。そして、彼はそれを確かめるべく恐怖を押して振り返った時、彼の周囲を蒼白い焔が取り囲んだ。
「…ッ!?」
 そして見た…その焔の中に金髪の青年が立っているのを…。
 その青年は古めかしい外套を羽織っており、頭にはシルクハットを被っていた。まるで何百年も前のイギリス紳士を彷彿とさせる姿だった。
「お前は私が誰か…そう問ったな?」
「…ッ!?」
 荘一郎はもう何も聞きたくなかった。彼は目の前の青年を、一目でとてつもな怪物だと直感したのだ。それは生死を司る程のものであり…彼は自身の置かれた立場をやっと理解した。
 荘一郎は逃げ出さなくてはならないと思いはしたが、彼の体は恐怖で強張って動こうとはしてくれない。
 そんな荘一郎に、青年は軽く笑みを見せて少しずつ近付いてきた。

- 来るな! -

 荘一郎はもう声を出すことも儘ならず、胸中で叫ぶ。そして考える。なぜ自分がこんな得体の知れない怪物に目を付けられたのかを…。
「お前、娘がいるな?」
 青年は荘一郎の考えを読んでか、いきなり話を始めた。
「お前、その娘を真に大切だと思っているのか?」
「当たり前だ!」
 荘一郎はなけなしの勇気を振り絞って返したが、その返答に青年の笑みがフッと消えた。
「平然と嘘を吐く輩…お前は娘を道具にしようと企んでいたではないか。娘を権力ある政治家の息子へと嫁がせる…それがお前の目的だったのだろ?」
「一体…何を…」
「全て知っているぞ。だから腹の子を堕ろさせ、何もなかったかの様に振る舞わせたかったのだろ?腹の子とその父を殺せば…めでたしめでたし…か?」
 その声は、まるで鋭い刃物で切りつけるようだった。
 荘一郎は、もう何も言えない。目の前にいるこの青年は…本当に全てを、自分の心の中でさえ知っているのだ。
 彼はその恐ろしさに身動き一つ取れず、それどころか気絶することさえ出来ずにいた。
 そんな荘一郎に、青年は再び口を開いた。
「お前は私に問ったな?私が誰か…と。私の名はミヒャエル・クリストフ・ロレ。お前達は私をこう呼ぶのだろ?"メフィストの杖"…とな。」
 それを聞くや、荘一郎の目は今まで以上に見開かれた。彼は震えによって歯も噛み合わずにいたが、やっとのことでそれを口にした。
「そんな…あれは…ただの都市伝説のはず…。」
「陳腐だな。お前の様な者が上に立っていようとは…。」
 そして青年…ロレは荘一郎を見下すようにして立つや、彼に向かって言った。
「お前の娘と谷山は私が貰って行く。もし、今後この二人に手を出す様なら…お前は違えることなく地獄へと堕ちる。」
 そう言われた荘一郎が首を縦に振って了承の意志を示すと、ロレは笑みを見せて言った。
「これは契約だ。」
 ロレがそう言ったかと思うと、荘一郎の意識は闇の中へと落ちていったのだった。

 その頃、とある吉崎の会社の一角にメフィストが姿を見せていた。
「そこの兄ちゃん、そこ退いて。」
「お前…一体どこから侵入した!」
「どっからだって良いだろ?」
 メフィストはそう面倒くさそうに言うや、男を瞬時に昏倒させた。すると、その音を聞き付けて人が集まり、あっと言う間にメフィストは男達に囲まれてしまった。
「やれやれ…人間ってやつは愚かだねぇ。」
「はぁ?お前、何寝惚けたこと…」
 メフィストの目の前に立っていた男は、その言葉を最後まで言い終わらないうちに倒れた。
 周囲には、男が一人で勝手に倒れた風にしか見えなかった。メフィストが何かをして倒れ…とは誰一人感じていないのだ。
「てめぇ…一体何しやがった…。」
 だが、男達は目の前の赤毛の男が何かしたに違いない…そう感じていた。そうでなくば、大の男が白眼を剥いて倒れる訳がない…と。
 男達の殺気を感じ、メフィストは何とはないと言った顔付きで言った。
「ただ気絶させただけだ。それとも…死にたいのかい?」
 メフィストの表情が変化した。そして、彼から殺気どころではない、もっと強い何かが感じられ、男達はその得体の知れない何かにたじろいだ。
 目の前に立つ赤毛の男は…自分等の手に負えない…そう直感していた。
 しかし…男達はここを引くわけには行かなかった。
「どうする?やるのやらないの?まぁ、遊んであげても良いんだけど。」
 そう言ったメフィストの表情は、いつの間にか狂喜に満ちた笑みへと変わっていた。
 それを見た男達は、いよいよ自分等の置かれた状況を呪い始めた。
 この赤毛の男と戦っても、ここを逃げ出して雇い主に見つかっても…どのみち殺されるんじゃないかと…。
 だが、彼らに考える余裕など無かった。
「それじゃ…行くよ?」
 その一言でメフィストは動いた。彼の前には罪深き穢れた人間しかいない。故に、彼は男達に容赦する気は更々無かった。
「グフッ…!」
 男達は何が起きたかさえ分からず、次々と床に倒れて行く。ある者は腕を有り得ない方向へ曲げられ、ある者は肋を折られ、またある者は足を砕かれた。
 しかし、メフィストにとってこんなことは大したことではなかった。故に、然して時間も掛からずに、男達は全員床に転がることになったのだ。
「さて、仕上げの時間だな。」
 さも嬉しそうに言うメフィストに、男達は自らの最期を悟った。激痛にもがき、それによって叫ぶことさえ儘ならない男達は、早く楽にしてほしいとさえ思った。
 だが、そこにもう一人の男が現れ、この状況を変えた。
「メフィスト、もう終わったよ。契約により、彼はもう解放された。」
「もう終わったのかよ…。」
「残念そうだな。」
 彼はそう言うや、倒れて呻く男の一人に顔を近付けて問った。
「お前達…助かりたいか?」
 その言葉に、男は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げて必死で首を縦に振ったため、彼は徐に立ち上がって言った。
「それでは…眠れ。お前達は今のことを忘れ、目覚めし時には在るべき場所に在るだろう。」
 彼がそう言い切ると、男達は一人、また一人と安らかな眠りへと落ちていった。
 それを見たメフィストは、小さな溜め息を洩らして男へと言った。
「ロレ、これで良かったのか?」
「良いんだ。どうせ皆いつかは死ぬ。たとえ滅びに至るとしても、短い命だとしても…。」
 男…ロレはそう囁く様にメフィストへ言った。そうして二人は男達を後に、その奥にある部屋へと入った。
 そこは光すら入らない小部屋だった。闇と血の臭いが支配していた中でも、そこに誰かがいる気配はする。
「谷山だな?」
「だ…だれ…だ…?」
 返ってきた声は弱々しく、その声はまるで死に逝く者のそれだった。彼の息はもう長くない…二人には直ぐに分かっていたことであった。
「さて…お前は吉崎由利香を愛しているか?」
「あたり…まえ…だ…。」
「彼女のためだったら…死ねるか?」
「もち…ろ…んだ…。」
「では最後に問おう。ここで生き延びたなら、彼女を一生涯守り抜ける自信はあるかい?」
「神に…ちかっ…て…。」
「そうか。では、私は君を助けよう。」
 ロレはそう言うや、彼に歩み寄ってその身に触れた。すると、彼の傷は瞬く間に塞がってゆき、折れていた骨さえ修復された。
 まるで奇跡だが、これはメフィストの…悪魔の力を借りたものだ。
「私は…。」
 今まで痛みのために朦朧としていた頭が、痛みが消えたためにはっきりしてきた。そして暗闇の中でも体を起こすと、前に居るであろう誰かへと話し掛けた。
「なぜ…助けたんです?」
「君に罪が無かったからだ。まぁ、婚姻を結ばずして性交するのは姦淫の罪にあたるが、そこは大目に見るとしよう。」
「貴方は…天使ですか?」
 谷山のその問い掛けに、二人はフッと笑った。
「いや、真逆だ。」
「…では、悪魔?」
「まぁ、そうだな。」
「では、私は地獄へ?」
 谷山の声に不安が混じる。まさか悪魔に助けられたとは思いもよらなかったからだ。
 しかし、ロレはそんな谷山に優しく語りかけた。
「いや、今後の生き方でそうはならない。今までの人生にもさしたる罪はない。この程度なら、きっと天の王も許すだろうさ。」
「では…貴方は…」
 谷山がそう口にした刹那、辺りに蒼白い焔が揺らめいた。
「私はロレ。そしてこっちがメフィストだよ。」
「メフィストって…あの在りし日へ還ることを願う者…。」
 谷山は赤毛の男をまじまじと見た。彼の知る伝承では、常に老人の姿で登場していたが、目の前にいるメフィストは…二十代後半だったからだ。
「良く知っていたね。でも、ここであったことは忘れてもらう。君が次に目覚めた時、真に愛する者と共にある。さぁ、眠れ…。」
 ロレがそう言うや谷山は何か言おうとしたが、それを口にする前に床に倒れ、そしてそのまま深い眠りへと誘われのだった。

「契約だ。彼女を…愛する者を大切にしろよ…。」




 
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