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メフィストの杖~願叶師・鈴野夜雄弥

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第一話
  II



「しっかし…似合わねぇよな。」
 夜も明けて、この日から新たに二人が店に加わった。言わずと知れた鈴野夜とメフィストだ。
 二人が釘宮に渡された制服を着用した姿は、そこはかとなく滑稽に見えた。二人は長身で、メフィストに至っては赤毛なのだから仕方無いとは思う。
「大崎、煩い!仕様が無いだろ?まぁ君をあんなに怒らせたんだから…。な、メフィスト?」
「な…じゃない!どうして僕までこんな格好を…。」
 メフィストは些か涙目だ。相当恥ずかしいのだろう。
「あれ?お前ら名札は?」
 大崎が問うと、鈴野夜は苦笑しつつ返した。
「今、まぁ君が作ってるよ。」
「ってか、鈴野夜は良いとしても、メフィストは…さすがにそのまんまじゃ困るんじゃねぇか?」
 メフィストに向かって大崎がそう言った時、更衣室の扉が開いて釘宮が顔を出した。
「おい、早く出ろ!」
 昨日の事と寝不足が相俟って、釘宮はかなり機嫌が悪い様子だ。
「はい…。」
 三人は釘宮の機嫌を損ねないよう、直ぐに更衣室から出た。
 そうして事務所へ入ると、釘宮は鈴野夜とメフィストに名札を渡した。
「ほら、これ着けとけよ。」
 渡された名札をメフィストが見るなり、彼は眉をピクッとさせて釘宮に言った。
「風冽…って?」
「お前"メフィスト・フェレス"だろ?」
「だから…"ふれつ"?」
 メフィストは尚も何か言いたげな顔をしたが、釘宮の目がギラリと光ったため、彼は悲しげな表情をしただけで何も返せなかった。本当は「メフィストフェレス」…全部が一つの名前なのだが…。「メフィスト」とは、単に略したニックネームの様なものなのだ。まさかフェレスが姓だと思われてたとは、やはり悲しくなるのも頷ける。
 だが、釘宮のその目は他二人も硬直させていた。
「文句は仕事してから言え!」
「はいっ!」
 三人の返事が見事に重なった。余程怖かったのだろう…。
 この店は朝七時に開店し、簡単ながらモーニングも出している。その為、朝は五時前から釘宮は起きて仕込みを始めており、他は五時半に入る。
 普段、仕込みはほぼ釘宮一人でやっているが、今日は大崎が通しで入っていたため、この暗雲垂れ籠めた状況に出くわしてしまったのだった。
「大崎、そっちはどうだ?」
「クロワッサンは上がりました。ホテルブレッドはもう少し掛かります。」
 さすがに大崎は長いため、釘宮の言わんとしていることは直ぐに分かる。が…。
「まぁ君、この野菜は?」
「レタスは一口サイズにちぎれと言っただろうが!胡瓜は乱切りでトマトはヘタの部分を切り取って輪切りだ!」
「なぁ、珈琲豆は?」
「メフィスト!お前、仮にも最年長者なんだから、それくらい分かれよ!」
 何だか慌ただしい。それと言うのも、入った二人がてんで使い物にならないのだ。その指示だけで釘宮がグッタリしてしまう有り様で、大崎がその穴埋めをしている奇っ怪な状態なのだ。
「…つ…疲れる…。」
「オーナー。そろっと一段落出来るんで、少し休んで下さい。こいつらの面倒は見とくんで。」
 堪り兼ねた大崎は、釘宮へとそう言った。大崎もこの状態には苦痛以外の何も感じなかったのだ。
「悪いな…じゃ、少し休んでくるよ…。」
 そう言って釘宮は裏口から外へ出て、そこにあった段ボールの上に腰をおろして煙草に火を点けた。
「…ふぅ…。ったく、何でこうも使えんのか…。」
「何が?」
「うわっ!」
 一人でぼやいていた時、直ぐ横から声を掛けられて釘宮は飛び上がった。横を見ると、そこには不思議そうに釘宮を見る女性が立っていた。
「楓さん!何でこんな時刻にこんなとこ居るんですか!?」
「主人にモーニング持ってこいって言われたのよ。もうそろそろ出来るでしょ?」
「洋のやつ、また楓さんに…。分かった、今用意するよ。ここじゃなんだし、中に入って待ってて。」
 そう言って女性…楓を事務所へと入れ、釘宮はモーニングを用意し始めた。
 彼女の名は楠木楓で、職業はオルガニストだ。その夫、楠木洋と釘宮は中学からの腐れ縁で、そのため楓も釘宮の店には良く来ている。
 楠木洋だが、彼は西洋文学と神学の学者で、家では資料と論文の山に埋もれた生活を送っている。何とも不摂生な生活だ…。
「モーニングを取りに来たってことは、今日は二人とも出るんだね?」
 いつの間にか事務所の椅子を持って厨房の前に来ていた楓に、釘宮はもう慣れたと言った風に問い掛けた。
 大崎は苦笑いしているが、その他二名は不思議そうな顔をしている。
「そうよ。私はこれからフランス。主人は京都の学会に出るんですって。」
「そんなとこだと思ったよ。あれ…確か藤崎氏も今、フランスなんじゃ…。」
「そうなのよ!今回、藤崎さんのオケでヘンデルのオルガン協奏曲をやるのよ!ま、私の後に藤崎さんがクープランとバッハのリサイタルを開くんだけど、私そのチケットとをやっと手に入れたの!」
 あまりにも摩訶不思議なことを宣う楓に、釘宮は些か顔を引き攣らせて問った。
「え…?藤崎氏だったら…言えばくれたんじゃ…。」
「とんでもないわ!わざわざチケットを買って聴きに行く…それが良いんじゃないの!」
 いよいよ釘宮の眉はピクつき始めた。全く理解不能なのだ。
 確かに、釘宮も音楽は好きだ。店に"喫茶バロック"なんて付けるのだから、嫌いでは付けられない。店にはいつも音楽が流れてはいるが…やはり楓には同調しかねると言った感じだ。
 この楠木楓と言う人物は、藤崎京之介という音楽家を敬愛して止まない。彼は鍵盤楽器奏者であり指揮者でもあるが、リュートの専門家としても有名だ。時折、ヴァイオリンやヴィオラ・ダ・ガンバなどの弦楽器も演奏する、所謂「天才」なのだ。学生時代には既にデビューしていて、五十歳近い現在も精力的に世界を飛び回っている。
 楓は十年ほど前に藤崎と共演したことがあり、ことあるごとにその話をしたがる。正直、釘宮はうんざりしているのだ。まぁ、藤崎の演奏は嫌いじゃないが、毎回同じ話をされるのは嫌なのは誰しも同じだろう…。
「さ、出来たから早く持ってって…。」
「あ、もう出来たの?まだ話の途中なのに…」
「いいから、早く持ってってやれ!」
「もう…分かったわよ。」
 そう仕方無さ気に言うと、楓は大きなカゴに入れられたそれを受け取った。
「この水筒…珈琲ね。」
「ああ、奴はいつもこれだからな。ま、たまには顔出せって言っといて。」
「分かったわ。さ、早く帰って朝食にしなくちゃ!」
 そう言うや、楓は風の如くいなくなったのだった。
 釘宮は楓の出ていった方を見て、脱力して溜め息を吐く他なかった。
「何だかなぁ…。」
「まぁ君、あの人のこと…」
「そういうんじゃねぇよ!」
「え…もしかして旦那さんの方!?」
「んな訳ねぇだろうが!鈴野夜、そんな無駄口叩いてないで仕事しろ!」
 溜め息を吐く釘宮に鈴野夜がちょっかいをかけたため、些か回復していた釘宮の機嫌が再び底を打ったのだった…。そのため、メフィストと大崎は黒いオーラを出して冷たい目で鈴野夜を見たのだった。 暫く仕事をするうちに、新人二人は何とか様にはなってきた。開店して半日もすると、大方の仕事は出来るようにはなっていた。
「なんだ、やれば出来るじゃないか…。」
 カウンター内でカップを棚へしまいながらそう呟いた時、後ろから大崎が声を掛けてきた。
「オーナー。そう言えば、昨日の彼女…どうなったんですか?」
「そんなのヤツに聞け!」
 機嫌良さげにしていたので聞いたのだが、これで振り出し。しかし、その一言で大崎は分かったように「やっぱり…。」と言ったのだった。大崎は鈴野夜が何者か知っているのだ。
「そんじゃ俺、これから休憩入るんで。」
「ああ、鍵忘れんなよ。」
「分かってますって。」

 大崎はそう返して顔を引っ込めた。
 時刻は夕方四時。傾きかけた日射しの中、店内の客も疎らになる時間帯だ。釘宮が店内を見ると、一人の客もいない。片付けをしている店員が二人、せっせと仕事をしているだけだったため、釘宮は鈴野夜とメフィストを休憩させて一人で店に残った。
「さて、洗い場に入るかな。」
 閑散とした店内に、赤くなりかけた日が差す。店内には釘宮が収集したCDがかかり、それはそれで一種独特の趣ある空間だった。
 だがそこに、数人の男達が入って来たため、釘宮は洗い場に入らずにカウンターから出た。
「いらっしゃいませ。」
 釘宮は笑顔で対応しはしたが…その風体から客とは到底思えなかった。
 彼らは皆、黒いスーツに黒い帽子、そして黒いサングラスに靴…怪しさ大爆発だったのだ。
「私達は客ではない。少し尋ねたいことがあって来た。」
 手前の男はそう言うや、釘宮に一枚の写真を見せた。そこには昨日店に来ていた女性が写っていたのだった。
「この人…昨日いらしてましたよ?閉店間際までおられましたが、その後どこへ行かれたかまでは分かりませんが…。」
「そうか…。」
 男はそう一言呟くと、他の連中を引き連れてさっさと出ていった。
 釘宮は眉を潜め、男達が出ていった扉を見詰めた。何か…嫌な予感がしたのだ。
「何もなきゃいいが…。」
 そう呟き、釘宮は厨房へと入ったのだった。
 同じ頃、大崎と鈴野夜、そしてメフィストの三人はとあるファミレスにいた。
「あの店、何で休憩室が無いんだ?」
 メフィストが珈琲を啜りながら大崎にぼやいた。それに対し、大崎は頬杖をついてやる気なさげに返した。
「ま、昔はオーナー一人でやってた店だし、わざわざスペース作る必要感じなかったんじゃね?」
「しかしだな、喫茶店で働いていて休憩するのにファミレスじゃ…些か不便ではないか?」
「もう慣れた。」
 大崎は、もうどうでも良いと言った感じでコーラを飲んだ。
 一蹴されたメフィストは、何だか悲しげな表情で鈴野夜に視線を向けると、鈴野夜は何か別のものを見ていたため、メフィストもそちらに視線を変えた。
 見ると、そこにはファミレスには不釣り合いな格好の奇妙な男達がいた。
「メフィスト、今夜だ。」
「そうみたいだな。」
 それを見た二人はそう呟き、大崎は軽く溜め息を洩らしたのだった。
 三人が見ていた男達は、黒いスーツに黒い帽子、そして黒いサングラスまでしている。釘宮の店に来た連中とは違っているようだが、やはり昨日の女性を探しているようだ。
 三人は男達が出るのを見計らって清算を済ませて店を出ると、男達の後をメフィストが追い始めた。
「あいつ…大丈夫なんか?」
「ま、年の功だ。どうにかなるだろ。」
 そう言い、大崎と鈴野夜は二人だけで店へと戻った。すると、店は思った以上に混雑していて、二人は直ぐ様仕事に掛かった。
「おい、メフィストはどこいった?」
「あ…なんか私用で…。」
 目をギラギラさせている釘宮に鈴野夜は冷や汗を流しながら返すと、釘宮はニッコリと笑みを浮かべて言った。
「そんじゃ、お前が二人分働け。」
 事も無げにそう言われた鈴野夜は、何とも情けない顔をして大崎を見た。が…大崎は我関せずと外方を向いて先に厨房へと入ったのだった。
 鈴野夜も急いでホールに出ると、店内にある二十席全てが埋まっている状態だった。
「なんだ…これ…。」
 ちょっと有り得ない光景だった。それを見るや、鈴野夜は「よしっ!」と自分を奮起し、その中へと飛び込んだのだった。
 現時刻は夕方五時三十分。この込みようは異常と言えた。普段なら四、五席埋まっている位なのだが、どうやら何かの集まりのようだ。
「おい、このオーダー早くやってくれ!」
「分かってます!」
 この人数相手に、三人でどうにかしようなど無茶なのだ。だからと言って来店拒否するわけにも行かない。まぁ、メフィスト一人が加わったとこであまり変わりはしないだろうが…。
「すいません!」
 客の一人が呼ぶと、そこへ直ぐさま鈴野夜が駆け付ける。もう大分仕事に慣れた様で、次から次へとオーダーが入る。だが、それじゃ厨房が間に合わないのだ。
「仕方無い…。」
 釘宮はそう言って厨房の電話を手にとった。小野田に連絡するのだ。
 小野田とは直ぐに連絡が取れ、十分もせずして彼女は仕事に入った。丁度近くに来ていたらしい。
 彼女は仕事に入って早々、忙しい大崎を捕まえて聞いた。
「ねぇ…何で鈴野夜さんが?」
「あぁ…暇なんじゃね?」
「……。」
 小野田はその答えに些かの殺意を覚えたが、店の混みように対処することが優先され、彼女は鈴野夜と交代でホールへと出た。無論、鈴野夜は厨房の手伝いだ。
 そう時も経たないうちにメフィストも帰って来たため、彼はホールに投げられた。
 小野田はメフィストを見るなり、一体何事かと訳が分からなくなった。だが、そんな思いもこの混雑に掻き消された。その後も客が入って来ており、何故か待ちまで出来ていたからだ。
「今日、一体何があったの?」
「いんや、これと言って何もねぇと思うぞ。」
「でも…これって変じゃない?」
「変っちゃ変だが、遣るしかねぇだろ?」
 小野田と大崎はそう言って溜め息を吐き、小野田は出来上がったオーダーを再び客席へと運んだのだった。
 その間にも、鈴野夜とメフィストは表情一つ崩さず、黙々と仕事をこなしていた。
 そんな怒濤の時間はラストオーダーまで続いていたが、それも終わってやっと最後の客が帰ると、皆一様に疲れ果てて座り込んだ。
「やっと…終わった…。」
 さすがの鈴野夜も、その表情から生気が抜けていた。メフィストはもっと酷くなっていた。
 途中参戦の小野田は兎も角、大崎は朝の仕込みから入ってたと言うのに意外と平気そうな様子だが…。
「皆、今日は良く頑張ってくれた。今日の売上は過去最高だ。」
「オーナー、どんだけいったんすか?」
「五十万超えだ!」
「嘘っ!?」
 皆一斉に目を丸くした。
 高々二十席の店だ。まぁ、一席三、四人は座れるが、値段はそう高くはない。
 だが…これは事実なのだ。
「と、言うことで…今日は…。」
 釘宮はそう言って封筒を掲げると、皆の視線はそれに釘付けになった。
「特別賞与!」
 これを聞き、皆は立ち上がって叫んだ。さっきまで生きた屍よろしく、動くのさえ億劫だった筈なのだが。これこそ現金と言うものだ。
 最初に大崎と小野田に手渡され、次に鈴野夜とメフィストにも手渡された。
 鈴野夜とメフィストは、他二人よりも嬉しそうにしている。その様子を小野田が首を傾げて見ていた。
「小野田、どうしたんだよ。」
「えっと…鈴野夜さん、もしかして貧乏なのかしら?」
「……。」
 大崎は答えに窮した。まさか鈴野夜が釘宮のところに間借りしてるほど貧乏…とはさすがに言えない。
「えっと…こういうのが珍しいだけじゃね?」
「そっか!働く必要なんてないのに、こうして社会勉強してるのね!」
 何だかどうでもいい大崎だったが、ふと封筒の中を見て驚いた。万札が二枚入っていたからだ。
「オーナー!これ、多くないっすか!?」
 慌てて釘宮に言うと、釘宮は苦笑して返した。
「いや、それで良いんだ。明日どうなるかなんて分からないしねぇ。渡せる時に渡しときたいんだよ。」
 そのやり取りを見て皆が封筒を開くと、皆一様に二枚入っていた。そのため、皆一斉に釘宮を拝むかの様な目をしたため、彼は「その目、やめれ。」と、やや眉をピクつかせて言ったのだった。



 
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