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乱世の確率事象改変

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縋り付きし自由に

 凱旋というのは勝てば歓喜に溢れるモノであれど、敗者が行えば鬱屈とした空気に支配されるモノである。
 戦の情報が民の隅々まで行き渡っているなどあるはずも無いし、帰還した者達を見て勝利か敗北かを感じたり、城に残っていた者がなにかしら手を打って情報操作を行う。
 しかして今回、南皮の城では有り得ない行動が行われていた。
 麗しい金髪を棚引かせて、痛々しく見える両足の“包帯”を隠しもせずに、ゆっくり、ゆっくりと進む荷台車に立って大仰に手を振り、身振り手振りを加えて語る王……袁麗羽。

「お聞きくださいまし! 此度の戦、袁家は敗北致しましたわ! その責は全てこのわたくしにあります! わたくしが生きているのは和睦したからではなく、曹孟徳に服従したからに他なりません! あなた方は此れより覇王の庇護下に置かれ、これまで以上に平穏な暮らしを約束されることでしょう!」

 自らが声を大にして事実を述べて行く。そんな彼女の姿が目に入らないわけが無い。
 街中の人々が彼女の進む道に集まって耳を傾けて行く。

「そして陛下のお膝元を乱した罰として、このわたくしの真名をあなた方に捧げることと処罰が下されましたの! わたくしの名は、袁紹ではなく“袁麗羽”、もしくは“麗羽”と……あなた方の真名を預けることなくお呼びくださいまし!」

 瞬間、しん……と静まり返った。いきなりそのようなことを言われても信じられない。
 その間を砕くように、すぐさま斗詩が車を止めるように指示し、民の一人を指差し声を上げる。

「例えば……其処のあなた」
「え……お、俺?」

 差されたのは素っ頓狂な声を上げた男。何処にでもいる普通の民。

「麗羽様の真名を呼んでください」
「あ……え……? えぇ!? そ、そんなこたぁ出来やせん!」
「呼んでください」
「無理ですって!」
「大丈夫です。天罰も、私達があなたの頸を刎ねることもありませんから」
「そ、それでも出来やせんよ!」

 当然、真名の概念を穢すことの出来ない男には、麗羽と気軽に口にすることなど出来はしない。

「そうですか……本当に誰でも呼べるようになっているんですが……。
 袁家の軍、曹操軍に関わらず全ての兵は、もう麗羽様の真名を呼んでいるのですけど……ね、みなさん?」

 問いかけは突然に、彼女の後ろに向けて。
 凱旋の列に並んでいた兵士達は蒼い鎧と金色の鎧。混合の軍であるとは誰しもに分かる。

「“袁麗羽”は世の平穏の為に真名を捧げっ」
「“袁麗羽”は人々の為に全てを捧げっ」
「“袁麗羽”は誰からの怨嗟にも逃げることは無いっ」
「故に“袁麗羽”は黒麒麟と覇王の手足としてこの地を任されたっ」
「我ら袁家の兵士は“袁麗羽”の臣下にして臣下に非ず、共に平穏の為に命を賭す輩である!」
「我ら曹操軍は“袁麗羽”を輩と認め、蔑むことも隷属させることも許さず、その敵を覇王の敵として討伐せん!」

 大声で語られる言の葉の列に、民達は驚愕を隠せない。
 真名が大切だからこそ、この有り得ない事態に困惑と驚愕が綯い交ぜになって心をかき乱す。
 ざわめくその場は落ち着きが無く、ただ、それを鎮めようとは麗羽もしなかった。
 受け入れるには時間が掛かる。そんなことは分かり切っていたのだから……彼女には勇気ある者が出てくることを待つしかない。

 そんな中、ぐ……と拳を握った少女が一人。
 何処にでもいる町娘の童が、いつも高笑いを上げてこの街を回っていた麗羽の前に歩いて行った。
 次第に落ち着いて行く民の声。視線はその少女へと向けられていく。
 おそるおそる、といった様子で、その少女は麗羽を見上げた。

「……れ……れ、“麗羽さま”……あ、脚、だいじょーぶ?」

 おずおずとたどたどしい声で紡がれた言葉は……心配の念。
 傷つくはずのなかった彼女に、少女はそんな声を掛けた。

 カタリ……と麗羽は杖を取り、覚束ない足取りで車を降りて行く。簡易の歩行補助絡繰りを取りつけた脚と、動かない片足を引き摺って、ギシギシと、ゆっくりと歩いて行く。
 いつかこけてしまいそうなその姿は痛々しく、とても見れたモノではなかった。
 少女の前まで辿り着いた麗羽は……ふわり、と膝を付いた。

「心配なさってくれてありがとうございます。この通りわたくしはちゃんと歩けますわ。勇気あるお嬢さんに感謝を、そしてあなたが幸せに暮らす世に平穏のあらんことを」

 そっと腕を取って(かしず)く様は、主に忠を誓う臣下の如く。
 しかして麗しさは衰えず増すばかり。優雅さは失われず輝いていた。
 その優しい微笑みに、少女は心配そうな視線を向けて眉を寄せたが、直ぐにひまわりのような笑顔を見せた。

「また街に来ていっぱい笑ってね、麗羽さま」

 一寸、麗羽の思考が固まった。
 それはただの仮面を被った自分の行いだったはずで、ただの体面としての手段。
 それでも民達の中には、この少女のように……また、と願ってくれている者が居る。それだけでまた救われた気がした。
 袁紹の欠片が、袁麗羽に受け継がれる。昔の自分はこの街にも居るのだと、存在証明は確かにあった。
 潤みそうになる瞳を誤魔化すように、麗羽は少しだけ目を瞑り、すっくと立ち上がってから……優雅に手を片頬に添える。

「当然ですわよ、お嬢さん。わたくしはあなたの為の袁麗羽、民の為の袁麗羽。あなた方と共に笑う事が、わたくしの歓びなのですから」
「ふふっ、じゃあわたしも麗羽さまのマネしていーい?」
「ええ、ええ。なんならご一緒に回りますか?」
「……いいの?」
「今日はさすがにできませんが……約束いたしましょう」
「分かった! 絶対だよ? じゃあ麗羽さま、頑張ってね!」
「あ、少し待ってくださいまし」

 ひらひらと手を振る少女に対して、片手を差し出す。それは対等である証で、破ることの許されぬ契約。
 彼女は身分の隔てなく、誰もを救う為に尽力せねばならない。それがどんな小さな約束ごとでも、結ぶなら必ず履行される。

「此れからよろしくお願い致します」
「うん! よろしく!」

 ただ、彼女にとってこの手は前とは別の意味を持つ。鎖とは成り得ず、自分が自分の意思で望む約束事で、自分がしたいと思うこと。
 麗羽にとっては初めての民との絆。
 憧れて憧れて、願ってやまなかった白馬の王が結んできたモノに似た、大切な一つの宝物。

 壊れてしまいそうな程弱く小さな手と、たおやかな麗しい手が結ばれる。
 世界に存在を捧げることで手に入れた自由に、麗羽は心の底から笑顔を浮かべた。




 †




 南皮の城は静かだった。
 普段なら人が多忙を極めて動いているのが日常であるはずなのに、不気味な静寂に包み込まれている。
 人が払われたその城の中では、ニコニコ笑顔で帽子をクイと抑えている七乃が玉座の脇で慎ましやかに手を揃えて立つだけ。
 誰も居ない。玉座の間であるのに、彼女以外誰も其処には居なかった。

 幾分、扉が開く。
 ゆっくりと開いた其処から現れたのは……袁家当主にして世界に存在を捧げた女――――麗羽。
 杖で支える脚とは別に、ギシリ、ギシリと片方の脚から軋んだ音を鳴らして彼女はゆっくりと、されども優雅さを崩さずに歩く。
 歩みを簡易の絡繰で補助され、包帯が巻かれたどちらも痛々しい。
 そんな彼女の後ろに侍るのは、二人。
 切りそろえられた黒髪を揺らして、厳しい表情で七乃を見据える斗詩。そして、大鎌を肩に担いで、楽しげに笑みを浮かべながらひょこひょこと歩く明。
 一人足りない事に一寸驚いた七乃は……明の笑みを見て、思考を幾重にも巡らせていった。

「おかえりなさいませー、“麗羽お嬢様”♪」

 おどけた態度は完全にバカにしているモノにしか見えない……でありながら、皆に存在を捧げた麗羽を試す極上の手段。
 情報を事前に得ていることなど、七乃にとっては当たり前。久しぶりに本気を出して疲れていたが、大切なモノが常に窮地に立たされている彼女は眠りを忘れるほど働き続けている。

「ええ、ただいまですわ。張勲さん」

 七乃の試しの言葉に微笑みは欠片も揺らがず、優雅さも麗しさも翳らない。

――ホ、ホントに真名を捧げちゃったんですか、この人。狼狽しないなんて、有り得ないですよ……

 驚愕に内心震えながらも、七乃は敢えて笑みを深くした。麗羽の後ろで目を光らせている赤の少女だけには、気を抜いてはいけないのだ。
 疑いを持つ、というのが彼女の力。
 何故、どうしてと思考を積み、納得するまで調べ上げてきたから七乃は袁家の半分を操って来れた。飛び抜けているとは言い難い才だと把握しているが故に、本当に細かい部分でしのぎを削るしか無かったのだ。
 信じる人間は一人でいい。大切な美羽だけを信じていればいい。それ以外は心の底から信じることなど出来ない。
 特に夕を失った今、明が自分に対してどのような動きをするのかは疑っておいて損は無い。

 ただ、七乃にはお構いなしで、麗羽はゆったりと玉座に腰を落ち着けた。
 唇に指を一つ。妖艶なその仕草は、昔の彼女のモノでは無かった。艶やかさが際立ち、垢抜けた雰囲気に“磨きがかかり過ぎている”。

「……それで? わたくしの敵は何処にいますの?」

 つい、と送られた流し目に、七乃の背筋の奥にはぞくぞくと寒気が走る。

――この人ってこんなに“怖い人”でしたっけ……。

 知っている麗羽は臆病で虚飾の仮面を被った人形だったはず。分厚く重いバカの仮面を被れる時点で感嘆の念さえ感じていたが、さすがに今回の変化は許容できない。
 斗詩と猪々子が居て、バカを演じて、その姿は愚かしくあろうとも確かに歴史上に有り触れている王だった。
 決して考えたくは無かったが、“美羽の成長した姿を演じている”、とも言える程に。
 それがどうか……今の麗羽は薄ら寒い覇気すら宿して、七乃の脳髄に警鐘を鳴らさせる程に恐ろしく感じるのだ。
 僅かに乱れた思考の隙間に、麗羽は小さく、本当に小さく鼻を鳴らした。

「張コウさん」
「あいあいさー♪ ……っと」
「……っ!」

 一瞬だった。
 肉薄した明の大鎌は、既に七乃の首筋に当てられていた。
 息を呑む間も無く、仄暗い黄金の瞳が七乃を覗き込んでいた。

「ひひっ、袁麗羽の敵でぇ、あたしの食べ物はぁ……ドコカナー?」

 引き裂かれた口と赤い舌。発情したように息が荒い明の頬は熱が浮かび、もはや我慢の限界を思わせる。
 カタカタと刃が震えていた。今すぐにでも七乃の頸を刎ねてしまいそうで、それを抑えるのに必死なのだと長い付き合いであるから直ぐに分かった。

「舌まで出して……はしたないですわよ、張コウさん。犬ではあるまいし、品位というモノを持ちなさいな。あなたは蝶なのでしょう?」
「あっは♪ 我慢してたんだからこれくらいいーじゃん。秋兄も桂花も居ないし、もうそろそろ抑え効かないんだよ。とっておきの話があるし、ちょっとくらい七乃でつまみ食いしてもいいよねー?」

 ぎらりと光る瞳で麗羽を見やる明。不敵な微笑みで受け流す麗羽は、なんら気圧されることは無い。それが七乃には、恐れ慄きながらも不思議で仕方なかった。
 意識が麗羽と七乃に向いている。だから、明は彼女の片腕の動きに気付かない。

「ちょこちゃん……めっ」

 コツン、と斗詩の拳骨が明の頭に当たる。
 それほど強くないが、彼女の意識を持って行くには十分であった。

「……なにさ?」
「好き放題はダメって言われてるでしょ? 麗羽様の言うこと聞かなきゃ、秋さんと華琳様に怒られちゃうよ」
「……」
「それに……且授様の事もあるんだから」

 そう言われて漸く光が僅かに戻った瞳で、唇を尖らせた明は鎌をまた担ぎなおした。

「ちぇっ……つまんないのー」

 どっと汗が噴き出た七乃は、目を一つ瞑って大きく息を吐きだし、呼吸を落ち着けて行く。
 よろしい、と麗羽は微笑みに暖かさを込めて二人を見やり、斗詩はほっと小さく安堵を零して麗羽にお辞儀を一つ。

「真名を捧げた身ゆえ、命令は致しません。お教え下さいますね張勲さん? わたくしの敵は……何処に?」

 とてもモノを頼むとは言えない物言いであったが、それが自然と思えた。
 あくまで求めているのは敵。其処まで考えて七乃は気付く。

――私も敵に入るか否か……聞いてるわけですか。

 頭が悪いわけでは無く、常に成績も一番で、外交という戦場を見つめてきた麗羽は駆け引きのイロハなど当然出来る。
 もう後ろ盾の無い彼女は世界に存在を捧げる事で、真名の通りに麗しく飛び立ったのだ。
 もう少し早ければと七乃は思う……が、無駄な思考だとすぐさま切り捨ててニコニコ笑顔を取り戻す。

「そんなの決まってるじゃないですかぁ♪ みぃんな一つ所に纏めて縛ってありますよぉ? 袁家の地下牢は無駄に広いですからねぇ」
「一部屋に何人?」
「五人ですね。壁に張り付けてあるので共謀して逃げることは出来ません。蓄えていた財蓄も没収してあるので、監視については其処から必要経費として払いましたぁ」

 すらすらと述べる七乃の口はまだ止まらない。

「他にも必要経費としていろいろしてますよー? 
 周辺豪族の買収と恫喝、烏巣の後継への手打ち金、上層部の裏の情報と袁家当主の存命を開示、領地が荒らされることが無いという民への情報操作、他勢力への細作も滞りなく、次の戦の為にお塩の占有政策と徐州の利潤上昇を狙って商人たちにも話を付けましてー……あと、幽州全ての旧文官の再登用も済ませてあります。あ、南皮の内政については上層部の権限を預かっている私が掌握済みです。名門と言っても夕ちゃんや郭図さんに比べたら可愛いモノですね。細かい報告は書簡に纏めさせてあるので目を通してください」

 久しぶりに忙しかったですよーっと楽しげに言い放つ七乃。ニコニコ笑顔が、化け物のソレにしか見えない。
 こんな短期間に手広くやり過ぎだ……そんな感想を思い浮かべる麗羽の表情が一寸だけ引き攣った。
 彼女の内心を見抜いてか、七乃はぺろりと舌を出しておどけた。

「ふふ、人は使うモノです。自分の力が足りないなら他を使えばいいだけなんですよ。存外、劉備さんの掲げるモノも的を得ているかもしれませんね。まあ私の場合、袁家の嫌がることをしたくてたまらなかったから下準備してきてたわけですけど」

 一つ二つと指を折って、どうやってこの家を潰そうかと考えていた年数を表す。
 片手を握った所でやめた。数えるのすらバカらしい、と。
 知っているのは明。夕と共に計画してきた算段を此処で使ったというだけで、七乃の優秀さも知っているから、彼女は驚かない。

「さて……明ちゃん? どうします? いえ、どうやって殺しますぅ?」

 麗羽への簡易報告も終わったのだから、今度は七乃が尋ねる番。
 彼女としても興味はあった。たった一つの大切を失った同類が……何を選ぶのか。
 涼しい顔をしていた明は、宙に視線を浮かべて思考に潜る……ことなく、にやりと笑った。

「四分の一はあたしが食べる。権力の強い奴から順番でいいよ♪ 七乃が殺したいゴミとか使いたい子とか居たら好きに持って行ったらいい。ああでも、袁の王を生んだ両親は袁麗羽に殺させないとダメなんだけどー……それ以外については秋兄から楽しそうな事聞いてるんだー♪ だから全部で三分の二くらいはあたしに頂戴ねー」
「……っ、黒麒麟……徐晃さんから、ですか?」

 七乃の肩が跳ね、息が詰まった。彼女の天敵に等しい彼の名が、今度はどんなことをするのかと強制的に恐怖を植え込む。

「そそ、あたしの為のバカ共がたくさん減っちゃったかんね、増やして来いだってさー。ひひ、あの人ってほんっと頭イカレてる……其処がイイんだけど♪」

 訳が分からない。
 そう言いたげな視線を明以外の三人が向けた。にやにやと笑う明は教える気がないようで、くるりと反転、謁見の間の出口へと歩んで行った。

「牢屋にはまだ行かないから準備しといてね、斗詩ぃ。楽しい時間は二、三日後だしぃ……あたしは鍛冶屋に頼んだ牛さんの様子見てくるよー」

 ひょこひょこと歩いて行く彼女の背は目に見えるくらい楽しげだった。
 部屋から一人抜けて、七乃にとって居辛い静寂が場を包む。
 誰も話す事が無いかに思われた。麗羽は玉座の上で少しだけ眉を寄せて悩み、斗詩は腰に下げた竹簡のメモをカラカラと開いて確認し始める。
 もう首を刎ねられることは無さそうだと、何処か思い切った結論に落ち着いた七乃が口を開く。

「麗羽お嬢様には民衆に対して公然と真名開示をして貰う必要がありますよ」
「あ、それはもうやって来ました」
「へ?」

 間の抜けた声。斗詩の返答に七乃はあんぐりと口を開け放つ。

「このわたくし、袁麗羽を此れからよろしくお願いしますとこの街中に宣伝して回ったのですわ」
「ど、どうやって……?」

 こんなに早く。ある程度準備する間もなくそんなことは出来ないはずだと七乃は思う。
 彼の異端知識は七乃が重要と置いている細かい事にこそ役に立つとは知らない為に詮無きかな。

「幸いなことに、以前からこの街で神輿に乗って回ってましたの。民の皆さま方にすんなりと受け入れて頂けたのはそのことからでしょう……ねぇ、斗詩さん?」
「ふふっ、そうですね。
 どうやって、といいますと七乃さんは“選挙かー”ってご存知ですか?」
「……? いえ、初耳です」

 彼女達にとっては聞きなれない言葉。そして秋斗にとっては為政者の存在を民に知らしめる為に使う当然の手段。

「秋さん――徐晃さんが教えてくれたんですけど、大陸外の何処かの国では為政者が荷車のようなモノに乗って自分の紹介を行うらしいんです。支持を得る為に、自分が何をするかの公約などを話しながら。
 街頭演説も並行して行えばより効果があるとも言ってましたが今回は一か所だけにしておきました」
「た、民の目線とか……気にならないんですか?」
「わたくしは正しく真名を捧げた身。何を恥じる必要がありましょう。敗北により向けられる憎しみの視線も、白馬義従や幽州に比べればまだマシです。
 それにあなたもご存じでしょう? あの狂気に堕ちた大地以外、大半の民は“自分の明日が平穏であればそれでいい”、と。その為に尽力するわたくしは、土の味を噛みしめることも誰かの靴を舐めることも喜んで致しますとも」

 説明を聞けば、あんぐりと開いた口が塞がらない。
 単純すぎる一手であるのに、誰も思いつかなかった政治手段。自分で考え付いたのではなく既にしている国があるという情報にも恐ろしさすら感じる。
 秋斗の異端知識は血筋や身分という考えが根付いているこの時代には受け入れ難い。しかしそれを為してこそ、彼の望む世界が手に入るのだが。

「張勲さんに私達の情報が入らなかったのはちょこちゃんが先に城に来てたからです。あなたなら暴動の可能性も考えて兵士を動かしたりするから、と雛里ちゃんが言ってましたし」
「でもまあ……小さな協力者が居てくれなければ此処まで上手くはいきませんでしたわねぇ」

 ふふっと小さく笑った麗羽の表情は穏やかだった。
 斗詩もふにゃりと顔を緩める。
 疑問に思った七乃が首を傾げると……彼女達が年齢を重ねるに連れて忘れたモノを思い出して嬉しそうに話しだす。

「子供は純粋とはよく言ったモノですわ。こんなわたくしの脚を心配して、頑張ってなんて言ってくれるのですから」

 穏やかな王に成長し始めた麗羽の片鱗はまだ弱いが、確実に伸びて行くだろう。
 七乃はクイと帽子を整えて、またいつもの笑顔を浮かべた。

「他の指示がありましたら教えてください。徐晃さんのしそうな事で張コウ隊関連と言えば大体わかりますけど」
「分かるんですの?」
「ええ。私も警戒してましたからねぇ……それに夕ちゃんでも迷わずこうするかなと。
 “子供以外の袁家上層部血筋の人間”で、明ちゃんが食べなさそうな人だけ分けておきますよ」

 ゴクリ、と生唾を呑み込む音が一つ。

「善良であっても袁の名なら殺すんですよね? 此れから麗羽お嬢様の評判が良くなりそうなので、子供の虐殺は私に任せてください。南皮での虐殺は見えるカタチで、醜い者だけ百人程度の死体を積み上げれば民には死んだ人数なんて分かりません。
 子供については南皮の街以外でやらないと乱世での効率が悪いですから……どうせなら私が攫って隠したとでもしておいちゃいましょう♪ 本当の意味で影を担うことになると思いますので、此れから私の名は表に出ませんし……あ、官位とかはもう興味ないのでいいですよー。美羽様の無事に帰順すればそれでいいです」

 悪辣であれど効率を取る七乃が読み取る無駄は、非常にシビアな計算の元で弾きだされていく。
 揚州を回していた女に、麗羽と斗詩は少し震えた。
 さて……と息を付いて彼女も部屋の出口へと歩いて行く。

「……美羽様が無事である限り私はあなた達の味方です。毒を喰らわば皿まで……くらいの気持ちを持って貰わないと」

 本来なら、彼女は反抗の手段を残しておく。口から嘘を吐きながらでも、美羽がわがままに暮らせる為のイトを張り巡らせる。

――普通なら子供達を隠して育てつつ、袁家領の情報操作にも気付かれないような小さなモノを積み重ねて曹操さんへの毒を作り始めるんですけど……明ちゃんと黒麒麟、そして鳳統ちゃんを裏切るのは出来ません。そんなことしたら美羽様が異端者達に食べられちゃいます。

 だが、今回ばかりはそれをしない。してはならないと分かっていた。

「心配しないでくださいね。移動させる子供は全て殺します。純粋だからこそ恐ろしいんですよ、子供っていうモノは……ね。
 熟成された怨嗟の蜜は蜂蜜よりも甘い。夕ちゃんや明ちゃんみたいな人間を育てるつもりはありませんよ。私の手におえないですし」

 それだけ言い残して、彼女は扉を抜けて行く。
 残された麗羽と斗詩は、自分達がまだ甘かったと実感させられた。

「……そうですわね。わたくし達は……夕さんや張コウさんのような人を……」
「それでも……麗羽様は手を繋がないとダメですよ。血に塗れた手でも、素知らぬ顔で嘘を吐いてでも、縋り付いて民の手を取らなければダメなんです」
「御心配には及びませんわ。わたくしはもう……決めておりますゆえ」

 少しだけ、麗羽の手が震えていた。
 そっと優しく、斗詩が手を重ねる。
 隣で支えてくれる者の温もりが、共に罪を背負うモノの存在が、二人の心を壊すことはなかった。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

今回はなんだかんだで民から好かれていた麗羽さんの話
七乃さんは完全な裏方に回るつもりのようです。

次は本城での一幕。袁家の処段はその次くらいかと。

ではまた 
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