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歌えなくなって

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第二章

「どうしても」
「何かね」
「勝手が違いますね」
「ええ、けれど歌ったら」
「はい、今は」
「後々にくるわね」
「歌えなくなるかも知れません」
 本気でその危険をだ、翠は喜久子に言った。
「ですから」
「どうしてもよね」
「今はご自重下さいね」
 翠は喜久子にこのことは強く言った。
「本当に」
「わかったわ、けれど歌わないと」
「歌を忘れてしまいますか」
「音楽をね」
 これが喜久子が恐ることだった。
「そうならないかしら」
「そこまではならないと思いますが」
「大丈夫かしら」
「幾ら何でも」
「だといいけれど」
「音楽は毎日聴かれますよね」
 翠は喜久子に休養中にそうするかどうかを尋ねた。
「そうされますよね」
「ええ、それはね」
「それならそれでいいと思います」
 翠は喜久子にあえて明るい笑顔で話した。
「音楽を聴かれるだけで」
「それでなのね」
「はい、あとどちらにしても歌劇の役の勉強はされますね」
「休養中でもね」
 それが仕事だ、だから喜久子はこのことは忘れるつもりはなかった。
「続けるわ」
「じゃあ充分ですよ」
「歌わなくても」
「はい、とにかく今は喉を使わない」
「それに専念することね」
「そうされて下さい」
 喉の為にとだ、翠は喜久子にこのことを念押ししてだった。
 そうして喜久子も暫くは歌わず休養に専念した、だが。
 その暫く、喜久子にとってはかなりの時間が経った時にだ。喜久子はどうしてもという顔で翠にこう言ったのだった。
「辛いわ」
「歌えないことが」
「もうそれだけでね」
「苦しくて仕方ないって感じですね」
「そうなの」 
 その気品のある顔に苦笑を含ませての言葉だった。
「今はね」
「そうですよね、喜久子さん本当に歌うことがお好きですから」
「ええ、だから歌えないと」
「本当に苦しくて」
「もう困るわ」
「ですが今は」
 翠もこう言うしかなかった、喜久子のマネージャーとして。
「どうしてもです」
「歌ってはね」
「ここでご自重されないと危ないです」
 今後の歌手生命がというのだ。
「ですから何とか」
「わかってるわ、けれど」
「苦しいのですね」
「どうしたものかしら」
「困りましたね、どうしましょう」
 翠は完全に喜久子の側に立って考えた、この時から。
 そしてだ、喜久子に沿って考えていってだ。
 そのうえでだ、こう喜久子に言った。
「歌えなくても他の音楽は出来ますよ」
「歌以外に」
「今喜久子さんが無理なのは歌うことだけです」
 本当にこのことだけなのだ。
「それ以外は大丈夫ですから」
「それでなのね」
「はい、ですから」 
 それで、というのだ。 
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