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世界蛇

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1部分:第一章


第一章

                    世界蛇
 生まれた時からだった。彼は孤独であった。
「生まれたのだな」
「ああ」
 生まれてすぐに声が聞こえてきた。それは実に忌々しげな口調であった。彼が最初に感じた感情は悪意、いや己への嫌悪感と恐怖であった。
「遂にな。あの言葉通りだ」
「まさか本当に生まれ出て来るとは」
「あいつも馬鹿なことをする」
 次に聞いたのは罵倒だった。
「何故だ。しかし心臓を食べたからといって子供ができるのか?」
「それは私にはわからない。しかしこいつは出て来た」
「それは確かか」
「あの狼と半分死んだ女もな」
 何か聞いたこともない存在の話も出ていた。
「出て来たのは事実だ。それはな」
「そうだな。それは事実だ」
「それでどうする?」
 相談が為されているのが聞こえた。
「この連中は。どうするのだ」
「女はあの世へ追放だ」
 まずは女について語られた。
「末っ子はな。それだ」
「では一番上の狼はどうする?」
「あいつが一番危険だぞ」
「追放するか?下手をすれば」
「わし等の所に置いておこう」
 狼にはこう処断されることになった。
「手元にな。そうすれば下手をさせることはない」
「それもそうだな」
「では狼は置いておくな」
「うむ、そうしよう。鎖にでも何にでもつないでおいてな」
「それではだ」
 最後に視線が自分に集まるのを感じた。生まれたばかりでまだ目は見えはしない。しかし感じることはできた。自分に対する嫌悪と恐怖を。好意は何処にもなかった。
「こいつはどうする?」
「手元に置いておくか」
「いや、狼と蛇を両方置いておくことは我等でも無理だ」
 誰かが言った。
「それはな。手に負えない」
「そうか。ではどうする?」
「こいつも追放か」
「海に投げ入れよう」
 また誰かがここで言った。
「海の中にな。そうすれば何時か死ぬだろう」
「海にか」
「そう、あの冷たく暗い海の底にな」
 この言葉にははっきりと悪意を感じた。自分を死ねばいいとはっきり言っているのがわかった。言葉にもじかに出ていたがそれもまた悪意に満ちたものであった。
「投げ込む。後は知らん」
「そうか。それではだ」
「こいつは死ぬに任せるか」
「海で生きていける訳がない」
 彼等はこう考えていた。
「何時か死ぬ。それで終わりだ」
「それではだ。投げ込むか」
「うむ、早速な」
 身体が持ち上げられるのがわかった。そのまま投げられ何かに叩き付けられた。そうして後は冷たい中に沈んでいくだけだった。彼が生まれた時に感じたのは悪意と恐怖、敵意、そして冷たさなのだった。
 それから暫く彼は冷たさの中に身を置いたままだった。目が見えるようになったが見えるのは水と岩、そして海草だけだった。上を見上げると遥か彼方がきらきらしているのが見える。動けど動けど見えるのはそうしたものと海にいる様々な生き物。広いが見えるのはそうしたものだけだった。
「ここは何処なんだろう」
 彼はいつも思うのだった。
「そうして僕は何なんだろう」
 こうも考える。だが幾ら考えても答えは出ることはない。周りにいるのは魚や海豹や鯨、そういったものばかりで腹が空いたら彼等を口の中に入れる。これは自然と身体が動いてそうさせた。だが誰も語らず音は聞こえるが声を聞いたことはない。ただそこにいるだけだった。
 長い長い年月が経った。彼の身体は途方もなく大きくなり海を一周し尻尾が自分の頭のすぐ側に見えるようになった。それで普段はその尻尾の先を咥えて過ごすようになった。それからも長い時間が経ち彼はただそこにいた。しかしそんなある日のことであった。
「ヨルムンガルドよ」
 いつもとは違う音が聞こえてきた。
「ヨルムンガルドよ」
「音?」
「聞こえますか」
 また音が聞こえてきた。
「私の声が」
「いつもとは違う音だ」
 もう声というものがどんなものかも忘れてしまっていた。最初に感じたあの悪意や恐怖のことは覚えていても。もう完全に忘れてしまっていたのだ。
「何だろう、これは」
「貴方に言っているのですよ」
「貴方っていうと」
「そう、貴方です」
 ここで光が彼の目の前に出て来た。白く八方に広がる優しい光が。
「貴方にです。ヨルムンガルドよ」
「ヨルムンガルドって?」
「貴方の名前です」
 こう彼に答えた。その光は。
「貴方の名前です。世界蛇よ」
「蛇・・・・・・僕は蛇だったんだ」
「はい」
 また彼に教えてきた。
「そうです。貴方は世界を取り囲む蛇」
「僕は蛇」
「そして」
「そして?」
「この世界の終末に世に現われる存在なのです」
「世界が終わるの?」
 彼、ヨルムンガルドには信じられない話だった。少なくとも彼にとって世界はあまりに長い時間を持っている。今までずっとこの海の底にいたからそれはわかるのだった。
 
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