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乱世の確率事象改変

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否定に傾く二人の

 キコキコと椅子で船を漕ぐ。
 袁家征伐に出立する前、官途の一室で、明は暇を持て余している子供のように桂花の隣で揺れていた。

「袁家が憎い?」

 ぽつりと尋ねた明の表情は普段と変わらぬモノ。瞳に輝く黄金のそこには昏い暗い憎しみの炎が燃えている。隣で目を細めた桂花は舌打ちを一つ付いて鼻を鳴らした。

「否定はしないわよ。本当は袁しょ……袁麗羽だって詰ってやりたい」
「……そっか」

 別段深い意味はない問いかけである。人それぞれ憎しみの度合いも深さも、向け方も違う。戦っていた環境が違うのだから、桂花と明の憎悪が向く先に相違点があるのも当然であろう。
 不機嫌を前面に押し出している桂花を見つめて、明は小さな笑みを零す。

「ふふっ……うれしっ♪」
「なんでよ?」
「簡単に許すような人間じゃなくて」
「……何よそれ」

 腕を頭の後ろに、明はにやける笑みで赤い舌をぺろりと突き出した。

「あたしは憎しみって感情をすっごく沢山見てきたし受けてきたんだけどね……大切なモノの大きさに比例してその感情って燃え上がるんだよ。今回の白馬義従とかその最たるモノで、きっとそれが人として正しい。割り切れる人間なんてそうそういないし♪」

 例外は目指すモノが遥か高みにある月や華琳、そして真っ直ぐに狂っている彼。通常ならば大小の違いはあれど憎しみを持つのは人として当然。

「そうね……口ではなんとでも言えるのよ。華琳様がそれでも抑えろっておっしゃってくれるから私は線引きを超えないだけ」
「うん。だからさ、桂花が夕を想ってくれてたんだなーって感じてすっごく嬉しくなっちゃった♪」

 ぐ……と言葉に詰まった桂花はみるみる内に顔を赤く染め上げていく。
 ふいと目を逸らし、憎らしげに眉を顰めた。

「いい? 今日のことは絶対に内緒よ?」

 恥ずかしくて目を合わせることは出来なかったが、一人で生き残ってしまった友達に、せめて自分の本心くらい話しておきたくて言葉を紡ぐ。

「……どこぞの馬鹿の話。いっつも突撃だーって突っ込んでばっかりのくせに、他人の為に怒ったり変なところで一本気な奴がいる。今の私は……きっとその馬鹿と同じなんだわ。人の為に怒れるって……きっとこういう感じだと思うもの」

 キョトンと目を丸めた明は、意地悪な笑みを浮かべて桂花の頭を撫でやった。

「ふーん……認めてないと喧嘩出来ないっていうけど、桂花はその馬鹿のこと認めてるんだー」
「あんな単純馬鹿のこと認めてなんかないっ! 将の代表の立場のクセに兵法も諳んじられないし、策を無視して本能だけで突っ走るし、予定をぶち壊すし――――」
「へー、素直じゃないねー?」
「……っ……ぐぬぬ……あんたってホント嫌なやつだわっ」
「それ、あたしにはほめ言葉だよ、桂花っ♪」

 やりにくい……心底そう感じる桂花ではあったが、撫でられるに任せている辺りこれ以上の抵抗はしないらしい。
 じと目で見た。口を尖らせて見上げると、先ほどまでの暗い光の無い黄金の相貌が迎えてくる。

「あんた、もう泣かないの?」
「桂花はもういいの?」
「……私はいい。もう、十分泣いた」
「そりゃあんだけ泣けば……ねぇ?」
「なんか文句ある!? バカ明!」
「なーんにもっ♪」

 声を一段跳ねあげて、明は桂花に抱きついた。

「ちょっ、す、すぐに抱きつくクセ直しなさいよ!」
「い、や!」

 抱きしめながら思い出すのは、合流してからの夜に散々明の前で泣いていた桂花の姿。

 救いたくても救えなかった。
 自分の力が足りなかった。

『あんたのせいなんてもう言わない……私があの時に少しでも気付けたら良かったっ』

 “もしやり直せるのならあの時に戻りたい”

 そうやって後悔の気持ちを涙と共に吐き出して吐き出して……桂花は明け方になるまで泣き続けていた。

 それでも、今はもう割り切った。
 今は乱世。友を失うことも、戦友を失うこともままある。
 通常であれば、幾日、幾か月、幾年と沈むこともあろう、塞ぎこんでしまうこともあろう。

 しかし桂花は間違えない。
 どれだけ大切であろうとも、塞ぎこんで“大切な主の脚をひっぱる”わけにはいかないのだから。
 優しくて厳しい覇王が望んでいるのは、絶望悲哀に暮れようと、大切を失った世界で最大限の幸せを掴み取ることなのだから。
 それに、夕を自らの手で殺しても想いを繋ぐと誓っていた明を前にして、負けん気の強い彼女が立ち直れないはずなどないから。

「……夕の代わりになんかならないわよ?」
「……分かってるって。あたしがこうしたいだけー」
「ならいいけど」

 人形のようだった明が、自分を代替として置いているのではないかと訝しんでいる……わけではない。
 ただ、泣いていない彼女の心を思いやって言ってみたかっただけであった。

「ねぇ、桂花」
「何よ?」
「あたしはやっぱり……“もしも”なんて、やだよ」
「……例え夕を助けられるとしても?」
「うん、それを考えることは別にいいかもしれないけど……願いとしては持てないや」

 思い出の中で一度だけ聞き、今回も絶望に耐えられなくて零した弱さ。
 それに対して紡がれるのは否定の言葉。桂花の後悔の向け方を、明は否定する。

「あたしに生きてって願った夕は此処にいる。そのおかげであたしは今を生きてる。それにみーんな今を生きてるじゃん? 後悔で救えても、想いで救って貰ったあたしは此処まで生かしてくれた人の心を嘘にしちゃう。あたしは夕の心も、あたしと夕の為に怒ってくれたバカ共の心も嘘にしたくないんだぁ」

 耳に入れて、特殊な考え方だなと桂花は思う。
 理解は出来た。納得も出来た。
 明の見え方は違うのだ。
 そういった後悔を持つ事は他人を幸せにしたいのではなくて、自分が幸せになりたいだけの薄汚い欲望に思えるのだろう、と。

「あたしは欲張りだけど、欲深い人間にはなりたくない。それにさ、華琳様はこの気持ちを肯定してくれたんだよね……だから従うし、華琳様の作る世界の為に戦うし、絶対に裏切らない」
「華琳様が?」

 一寸驚く。そんなことを華琳と話しているとは思わなくて。

「そだよ。ふふっ、あんな小っちゃいのにびっくりするくらい大きく見えちゃった」

 その時の華琳を思い出し、明は苦笑を一つ。

「人の生死に興味無い。生きたいって願う人の苦しみと渇望を喰らって愉悦を得ていた紅揚羽はそのまんまなんだけど、あたしのことある意味で華琳様自身と似てるとか言ってたっけ」
「……はぁ? あんたと華琳様が同じなわけないじゃない」

 聞いて思わず口を尖らせた。華琳がらみとなるとやぼったい感情が湧くのも桂花にとっては詮無きかな。

「もう! 拗ねないの! ちょっとだけだってば! 足掻いてる人間が放つ光は何よりの生の証明だし、其処に感動を覚えるか愉悦を刻むかの違いだけってこと。
 なんだっけな……『そういった後悔で人を救えるのなら、平等に全ての人間に機会が与えられるべき。理不尽を強いて民を扇動している者がその口で後悔を願うのなら、強欲と傲慢の極みでしかない。乱世である限り全てを救うことなど出来はしない。私達が作る世界は先にしかないのだから、後ろを向き続ける時点で救えなかった命と預けてくれた想い全てを侮辱することになる。故に、あなたが誰かの心を嘘にしたくないと望むのなら私の将でいい』……なんて」

 ああ、と桂花は嘆息を零す。
 やはり仕える主は華琳しか居ない、と。

「それでも大切だからこそもしもを考えちゃうのは仕方ないことだけどねー。あ、桂花は割り切って前を見て引き摺らないみたいだから問題にゃーい♪ 嬉しいよ、あたしは♪」

 にししと笑う明は、再びぎゅうと抱きしめる。その綺麗な笑顔に、桂花は少しだけ頬を綻ばせた。

「あんたがそうやって笑えるなら、少しでも夕に救いがあったのかもしれないわね」
「そりゃあ! ひひっ、愛だよ、愛! あたしのこと想ってくれる夕の愛に嫉妬した?」
「あんたが言うと安っぽいんだけど」
「うわ、ひっどーい! あたしは桂花のことだって愛してるのにぃ!」
「……っ……気持ち悪いからやめなさい」
「愛い奴じゃ愛い奴じゃ」
「や、め、ろ! バカ明!」

 ぐいぐいと押しやって、彼女達二人は新しい関係を築いていく。
 くだらないやり取りを繰り返しながら、内心で桂花は思う。

――そうよ。失わせたからこそ、その分幸せにならないと夕の想いは救われない。代わりになるつもりはないけど、私がバカ明のこと……これからもっと幸せにしてあげるわよ。勿論、夕を越える軍師としてね。

 大切な想い出は宝物。心の引き出しにしまって、自分をカタチ作る力となり、確かにあった事実として心に生き続ける。

 悪戯を仕掛けつつ、いつも通りに挑発を繰り返しながら、内心で明は思う。

――この一度きりの人生で精一杯幸せにならないと……ね。何処かで死ぬとしても、秋兄とか華琳様の作る世界の為に死ねるのなら悪くない。あたしは……幸せだ。でも欲張りだからもっと幸せ探してもいいよね。勿論、心の中のあなたと一緒に。

 失った少女を想いつつ、後悔は其処には無かった。
 彼女の望んだ世界に生きることが今の全て。
 明日を見て、明後日を見て、未来を見て生きていく。大切な誰かの笑顔をその胸に抱いて。



 †



 闇の中、蝋燭の光だけがぼやけて映る地下牢。見張りの兵士によって厳重に管理された檻が一つ。
 許可なく誰も近づけるなと言われている其処には、一人の男が閉じ込められていた。
 明と夕を殺そうとした袁家の重鎮――――郭図。
 ふと、郭図は近づいてくる気配に気づく。この時機で来るなら紅揚羽か曹操か……いや、きっともう一人いると思い至って馬鹿にするように鼻を鳴らす。
 視界に入った人物に、やっぱりなとつぶやいて興味なさげに視線を送り続けた。

「……お前が郭図か」

 さして興味を持っていないような……でありながら、相手を推しはかるような声音。郭図としては、戦場で張り上げていた声を聞いていたことと、手に入れていた情報から疑問を浮かべることなく。

「クカカッ……大陸の英雄であらせられる黒麒麟様がわざわざ俺様なんぞに何の用だぁ、おい?」

 嘲りは侮蔑から。同じ男としても、その在り方にしても、郭図はその男の事を見下していた。

「別に大した用はねぇよ。少し話でもしようと思っただけだ」

 言いながら、秋斗は檻の前にどっかと腰を下ろした。
 黒の瞳は真っ直ぐに郭図のことを射抜く。ある程度人間を見てきた郭図であれど、それだけでは彼の思考を読み取ることは出来ない。

「おいおい、勘弁してくれよ。俺は化け物と話す言葉は持ち合わせちゃいねぇんだ。それに俺が辿った乱世の余韻も、てめぇが居たら茶番の後のクソったれな不快感にしかならねぇ……失せろ」

 さらに言えば、徐州の戦から人外と認識を置いた秋斗と話をするつもりは無い。
 完全なる拒絶。
 人間でないモノに対する恐怖もあるが……一番は、人間を逸脱したモノが人の社会に関わった事への蔑み。
 郭図は確信している。
 徐公明という存在はこの世界では有り得ない存在である、と。
 飛将軍はまだいい。積み上げられた歴史上に、そういった飛び抜けた武を持つ存在はまま居たのだ。悉くが女であるのが郭図の苛立ちの原因であるが。
 曹孟徳も分かる。時代を飛び越えたような思考能力を持つ天才児は、世界をいつも変えてきたのだから。

 だが、徐公明だけは余りに異端過ぎた。
 武力も、知識も……袁家ですら生い立ちを確認出来ず、忽然と表舞台に出てきた事実も。

「まあそう言うな。俺はお前のいう通り化け物だが……袁家のもう一人の天才策略家と話くらいしたいのさ」
「へぇ……呆気なく認めるんだな」
「どっちを?」
「おべっかって分かってんだよバァカ。てめぇの存在の方に決まってんだろうが」

 これだから頭の悪い奴は……と吐き捨てる。
 このやり取りだけで、秋斗の頭の回転が夕や自分に及ばない事は見て取れたのだ。

「“普通の化け物”はなぁ……呂布みたいに人間になりたがるんだよ。自覚しながら距離を置いてるてめぇは成長過程で自分の異常さに気付いたんじゃなくて、初めから知ってやがったから言い伝えや迷信の……いや……信じてなかったが……マジもんかよ」

 脅威だと感じていたからこそ調べ上げた。
 最大限の警戒をしていたからこそ読み解き続けた。
 だから郭図は……彼の存在そのモノに辿り着いた。

 ああ、そういうことか……と自分の失態に気付いた秋斗は呆れのため息を一つ。

「頭いいな、お前は」
「そういうてめぇは頭悪いな。死ね」
「生憎まだ死ぬ気は無いんでね。目的が達成されない限り死ねないなぁ」
「クソが……」

 誰に構うことなく、郭図は唾を吐き捨てる。

「で? 男ながら世界に選ばれた事でも自慢しに来たのかよ……“天の御使い”」

 ただの予想。しかしながら火の無い所に噂は立たない。故に郭図は、大陸で唯一の、自分に劣る普通の男でありながら異端の存在な彼をそう評した。

――そうじゃなきゃてめぇなんぞは上に上がれないはずだ、徐公明。

 教主が啓示を得るというのはイロイロな宗教で囁かれる噂話。それと似たように、秋斗は天からなんらかの啓示を得て異端知識を入手し、異常な武力を持てたのだろうと郭図は思う。
 その上、武力を抜いたとして、能力的には郭図は自分が上だと分かっている。完全な未来予測が出来るのなら、徐州で追い詰められはしないし、この戦で夕を救えぬはずも無い。

 自分が武力を天から授かったなら、きっとそう呼ばれていたはずだとも思うのだ。
 郭図なら、人身御供のようなその呼び名で呼ばれることなど絶対に選ばない。誰かの為に戦うなど吐き気がする程嫌で、自分の為にしかその力は使わない。

――俺なら……もっとうまくこの乱世を掻き乱せたのによ。

 根底にあるのはそんな想い。羨ましいと思うことは無いが、自分の身を武将から守れる力があれば戦略の幅はぐんと広がる。
 何処までいっても郭図は軍師思考しか持てないし、持ちたくなかった。

 呼ばれた名に目を見開き、彼は心底吐き気がするといった様子に表情を歪めた。

「御使い、ね。天の操り人形如きがソレを自慢してどうするよ」
「おお? 自分の存在が下らねぇって自覚もあんのか。クカカッ! 笑えてくらぁ! 自覚あるクセに従ってやがるなんて……カカッ、道化だなてめぇは!」

 人を逆なでする事が得意な郭図は、彼の突かれたくない所を真っ直ぐに突く。

 しかし秋斗は別に怒りも浮かばない。むしろ嬉しくすら思っていた。はっきりきっぱりとそれを口にする郭図のおかげで、彼は自分がどう思われるかを認識出来るのだから。
 愉悦の極みにある瞳で、郭図は秋斗を見下して嗤う。

「ははっ! ほんっとクソだな! 口で綺麗事のたまって、自覚してる癖に乱世を回す偽善者で嘘つきな道化……くはっ、袁家のじじい共にも劣るクソ野郎だぜぇ……?
 クカカ、実力主義の社会を作りてぇんだろぉ? たった一人、天の加護を受けてる奴が良く言うぜぇ……てめぇ自身が家柄で上に立ってる奴等となぁんにも変わらねぇじゃねぇかバァカ!」

 腹を抱えて、目に涙すら浮かべながら嗤っていた。これほど楽しい事は無い、と。
 対して、彼は笑みすら浮かべていた。そんな秋斗に気付いて、郭図の心が幾分冷えて行った。

「あー……なんだぁ、てめぇ? 何が可笑しい」
「いや……」

――存外、正しかったなぁと思ってな

 口に出すことはしない。
 誰かしら、郭図のように彼を見下すモノが居るなら黒麒麟と自分が嘘をつく価値はあった。
 才あるを用いる実力社会を目指している秋斗にとって、自分が異端であることは矛盾。己が寄って立つ誇りなど其処には無く、誰も同じモノを手に入れられない為に諦観からは抗えない。
 矛盾した論理は元から破綻している。本来なら華琳の元にだけは、彼は居てはならない。

「お前は聞いてた通りの人間だなって思ってさ」

 本筋の思考とは別の事を話す彼はいつも通り。
 郭図はその気味悪さに檻の中で一歩引いた。手足を縛る鎖がじゃらりと音を立てた。
 まさか自分の事を狙っているのかと、おかしな方向に勘違いをしていた。

「……女だらけでも動じず娼館にも行かねぇのはそういう事かよ。幼女趣味は擬態か……マジきめぇ」

 ドン引き、と言った目を向けられて思わず秋斗は頭に手を当てる。

――女に手を出さないってだけでそう取られるなんて……かったりぃなぁ、この時代。

 確かに今の自分は傍目から居たらそういう輩にしか見えないと気付いて。

「そういう趣味はねぇよ」
「は……どうだか」

 うんざりだ、というように肩を竦めた秋斗をまた嘲る郭図。
 居辛い沈黙が場を支配し、大きなため息を吐いてから秋斗が口を開いた。

「俺はお前の才能を高くかってるんだが……死んで貰うしかねぇのが残念でならん」
「……ああ、張コウか。そりゃどう足掻いてもあいつは俺を殺すだろうよ」

 一寸だけ驚いた。自分が追い詰めた男が憎しみを欠片も抱いていないのだ。
 記憶喪失の事を知らない郭図は騙される。
 触れてやるのも下らない。負けた気になるから、明の事を話に出した。

「なんだ……もっと無様に縋り付くかと思ったけど……」

 今度は秋斗が驚く番であった。明の情報では保身が全てのような男だと聞いていたのだから当然。
 軽く話す郭図に驚愕を隠せない。
 そんな彼を、鼻で笑う。

「はん……なんで張コウやお前らの思い通りになんなきゃならねぇんだよ。それに……無様に絶望に落ちた張コウの泣き顔を思い浮かべるだけで腹が捩れるくれぇ面白れぇ」

 悪辣な笑みだった。
 憎しみを内包し、愉悦と侮辱が同居したその表情は狡猾な蛇のよう。

「クカカッ、ざまぁみろ。田豊もお前も張コウも……俺の策には勝てなかったんだぜぇ? 俺も勝ててねぇし死ぬが、お前らに負けなかっただけで上出来だ」

 この男は誰からの信も受けず、誰にも信を向けず、たった一人で戦った男。
 彼の言葉は真実だった。
 戦は勝ったが、夕を救えなかった時点で秋斗の負けに等しい。
 悔しさは無い。明のような憎しみも無い。浮かぶ感嘆の念は……悪辣や外道と言われていようと、この男がまさしく本物だと感じたから。

「……一応聞くけど、従うつもりは?」
「ねぇよ。甘ったれのクソアマ共の下で働くなんざごめんだね。俺を従えたきゃあ張コウと曹操の頸を持ってこい。そうすりゃ“俺様がお前を上手く使ってやる”」

 傲慢な光は嘲笑と共に。

「黒麒麟よぉ? てめぇは女に従うのを認めてやがるが、俺は認められねぇ。この世界はイカレてやがる。俺は一番楽で、効率的な策を出せるぞ。誇りなんざいらねぇ。欲しいのは結果だ結果。頭は悪いが異端者のお前なら……分かってんだろ? 分かってるクセに縛られやがって、情けねぇ」

 郭図は秋斗の存在が許せない。自尊心の塊のような彼は、ナニカに従い続ける彼を許せない。
 理解している上で、悪辣も効率も判断できるのに使わない彼の事には、侮蔑しか浮かばない。
 ただ、そんな侮辱は彼を怒りに染めず、別の思考に向けさせる切片と為した。

――ああ、そうだよ。お前は正しい。この世界はイカレてる。もっと長く、もっと悪辣な策だらけで、人生全てを賭けても足りないような大乱世があるはずなんだから。

 知っていた。分かっていた。こんなに上手く行くはずなど無いのだと。
 足りなさすぎる英雄達。短期決戦で決着をつける戦が遣り易く。豊富な糧食支援と有り得ない食糧の貯蔵量。地方都市の豪族でさえ、英雄たちを裏切ることが少ない。
 確かに華琳や智者、名のある英雄達の能力は飛び抜けて高く、内政にしても軍事にしても、彼女達の努力の賜物であるのは間違いない……が、それでも五年十年と掛からず此処まで来れた事は異質に過ぎる。

――きっとお前と……あと劉表くらいか。張勲は少し毛色が違うだけだが、ドロドロの乱世を作れるような英雄はそれだけ。後はお前の言うように……優しくて甘い人ばかりだ。

 自分にとっては好都合で、民にとっても乱世の収束が速い事ほど嬉しいことは無い。
 彼の上に立つ彼女達にとっても……。

――ああ、そうか。そういうことか。

 そこまで考えて、脳髄に稲妻が走った。

――この世界の主役は……あいつらなんだ。

 彼はこの世界の人間では無いから、一歩引いた視点で物事をいつも見てきたから思い至る。
 性別が逆転した英雄たちの世界。彼女達が望む優しい世界であって、郭図が望み、秋斗が恐れる現実的な世界では無い。全てが歪に捻じ曲げられている。
 傍観者の見方をする彼は、自分を舞台で踊る道化師としつつ、この世界を物語のように見ていた。

――世代交代する間も無く収束させられる早回しの乱世……此れの何処が三国志とちょっと違うだよ、腹黒め。ぶっ壊れてるにも程がある。

 内政に通常は幾年掛かる。軍事にも通常は幾年掛かる。一つの戦でさえ年単位で時間が掛かる事が多い。たかだか数年で黄巾から官渡まで終わるはずがない。
 この世界は名のある者達にとって、余りにも都合が良すぎた。

「はは……イカレてるな、確かに」

 互いに考えている事は別であったが、その言葉を受けて同意ととった郭図の笑みが深くなった。

「クカカ、だから言ってやる。狂ってるのはこの世界だよ。てめぇの効率思考だけは俺も評価出来そうだ、偽善者で大嘘つきのクソ野郎じゃなけりゃあな」

 ペロリと唇を一舐め。最後に面白いモノを見つけた、と。

「“天の御使い”。てめぇは何の為に生まれてきやがった? それでいいのかよ? クソアマ共に支配されたままで……なぁ?」

 郭図の胸には、不思議と心躍るような感覚があった。
 従う事は吐き気がするくらい嫌。
 しかしながら自分よりも頭は悪くとも、自分が蔑む輩が上に立つよりもマシだと思った。

「お前が大陸を支配すりゃいいじゃねぇか。めんどくせぇ事してんじゃねぇよ。てめぇは俺と同じで耐えてへりくだるのなんざ屁とも思ってねぇんだろ? 化け物だろうと、せめて男ならぁ――――」

 郭図は夢を見た。
 見下される屈辱の果てに、自分が好きなように彼女達を操る夢を。
 その愉悦だけが、彼の生き甲斐。
 目の前の男が我欲を持って、この世界をかき乱せれば少しは愉悦を感じられる。

「――――夢はでっかく持てばいい。俺はてっぺんに立ちたいなんて思わねぇが、全てを裏で操るのが夢だった。
 てめぇが天の御使いってんなら、天を塗り替えるってんなら……せめて人間の一番上に立ってみやがれ。異物が作る世界でも……クソアマが支配する世界よりは俺にとっちゃ一寸マシだ。
 逆にだ……クカッ、この大陸に脈々と受け継がれてきた漢の血に、本物の異物が混じって乗っ取られるなんざ……堪らねぇなぁおいぃ」

 ドクン……と秋斗の心臓が跳ねた。
 力が抜ける。自分がズレるような感覚が襲い、頭に白が広がって行った。

――……あぁ?

 景色が見えた。

 幸せそうに笑う民や臣下達。

 幸せそうに微笑む女達。

 “自分”は玉座の上。

 三人の王が笑っていた。

 褐色の肌に蒼瞳の戦乙女。
 ふにゃりと笑う桃髪の仁徳の君。
 そして……二重螺旋を楽しげに揺らす覇王。

 英雄の名を持つ少女達は、きっと“自分”に恋をしている。
 見つめる視線は愛おしさを込めて、少ない時間であろうとも会える喜びを噛みしめていた。

 三人の王が誘うように手を伸ばした。
 そして“自分”が腕を伸ばす。
 “白く輝く衣服を着た”その手は……傷一つ無く……

――なんだ、これ?

 自己乖離に慣れている彼は、その光景すら客観的に見やっていた。

 暖かい視線は嬉しいモノのはずなのに……彼にはマガイモノにしか感じない。
 置かれる立場は男であれば羨むはずなのに……下らないと思ってしまう。

 其処は暖かかった。誰の涙も無い笑顔溢れる世界。

 故に、自分の住む世界では無い。

――俺が演じるモノは黒麒麟で……皆に好かれる“天の御使い”なんかじゃあ……ねぇよ。

 この景色が分からずとも、この結末で世界を変えられるとは思えなかった。
 彼女達を救えても、ナニカが救われない……と。自分は幸せでも、ナニカが幸せではない……と。

 彼は、頭の中の光景を拒絶する。首を振らず、瞬きを二度。
 目の前には悪辣な男が一人。白昼夢に捉われていた時間は一瞬だったらしい。

「は……そんな願いを持つのは男らしくていいかもしれないが、野心も欲も俺にはねぇのさ」

 嘲りを返された郭図の笑みが苛立ちに変わる。

「自由に動き回れないのなんざ御免だし、俺が見たいのは覇王の作る世界なんでね」

 彼だけに見えた景色は、今が幸せなマガイモノ。

――悪を駆逐するだけで辿り着いた最効率で、覇王が諦観に塗れた異端世界。それだけは、あの子の為にも、殺した奴等の為にも、繋ぐ想いの為にも……絶対に認められない。

 世界はそうして繰り返す。この甘い世界であれど、現実世界を知っている彼だけは、大陸を支配できる一人の王を求め続けていた。

「……つまらねぇ奴だな、お前」

 興味を失った郭図は呆れと侮蔑を吐息に含んだ。

「ああ、俺はつまんねぇ奴だ。
 だが、分不相応な願いはもう持ってる。天の操り人形なんざじゃなくて、俺は俺の意思で世界を変えるんだよ」

 懐に手を突っ込んで、彼は短剣を取り出した。
 目を細めた郭図はその凶器をじっと見やる。

「明から伝言だ。『お前みたいなクズは直接食べるに値しない。豚みたいな泣き声を出しながら全く関係ない徐公明に殺されな。嘲りも侮辱も愉悦も……憎しみすら持たない化け物に淡々と殺されたらいい』だとよ。はっ……酷い言いぐさだよな?
 あのバカは俺がお前を殺す事を望んでるらしい。最後にバラバラになったお前の死体を確認出来たら十分なんだと」

 冷たい声と瞳は、感情を一切孕んで居なかった。
 郭図の頬に、たらり、と汗が一つ流れる。

「……んだとぉ?」
「もう従えとは言わんよ。ホントは、お前のような奴は社会の成長の為に必須なんだが……生かしておくとこの乱世では邪魔だからな。他と繋がられても面倒だ」

――人となりはよく分かった。史実の裏切り者達と同じく、こいつは才能があっても殺すべきだ。

 内部の裏切りでどれだけの英雄が機を失ってきたか彼は知っている。そして郭図の在り方は、彼の目的に合致しない。
 この乱世を早く終わらせるつもりなら、不穏分子は黒麒麟以外に必要なかった。

「それに、俺も聞きたい事があるんで……丁度いい」

 短剣を投げられ、郭図の頬に一筋の切り傷が走る。ぴりぴりとした痛みの後、ぐらり……と世界が歪んで行く。
 昏く、暗く秋斗は口を引き裂いた。

「直ぐに話すなら楽に殺してやる。拷問の準備するから今は寝とけ。まあ、明に教えたファラリスの雄牛で殺されるよりはマシだから安心しろ……つっても、俺以外分かんないか。
 とりあえず起きたら……“神医の居場所”を吐いて貰おうか」

 既にヒトゴロシになった彼は、自分が求める情報を得る為に躊躇いは無く……綺麗なままで居られるはずも、誰かに任せることも嫌で……自分の為の仕事は己が手で遣り切らないと気が済まない。
 華琳や月とは違い、汚れ仕事を知っておかなければならないのも一つであった。

 次に郭図が聞いたのは同情の声。

「お前の想いは繋いでやれないけど、お前みたいな奴がちゃんと実力で伸し上がれる世界にするよ……人が死に過ぎる戦はこの大陸から奪わせて貰うが」

 見下しとは違うその声に、

「……ほんと、てめぇ……死ねよ、道化」

 憎しみがあらんばかり宿る視線を向け、

「……っ」

 ガツン……と郭図は思いっ切り地面に頭を打ちつけた。
 痛みで無理やり眠気を覚まし、額から零れる血を気にせずに顔だけを上げ、彼の黒瞳を下から睨みつけ……口を引き裂く。

「……クカカッ、いいかよく聴け黒麒麟! 戦はなくならねぇ!
 どれだけ金を積んでも!
 どれだけ理を布いても!
 どれだけ信を結んでも!
 どれだけ律を張っても!
 どれだけ法で縛っても!
 どれだけ徳で鎮めても!
 人が人である限り、戦はこの世から消えやしねぇんだ! 全てに間違いは無く、肯定し否定し続けるだけで……てめぇが抱く夢は幻想でしかねぇ! 矛盾してるてめぇには語る権利すらないがなぁ!」

 たらりと零れる血を舐めとった。

「嘘、嘘、嘘、嘘、嘘だらけだ! てめぇの作る世界も、てめぇの存在も、全てが嘘……クカッ、クカカカカ……」

 ぼやける視界で、郭図はゆっくりと瞼を降ろして行く。

「……現実に、打ちひしがれろ……天下泰平は、泡沫の夢……人の性は、欲しいモノの為に、争いを避けられない。幻想を夢に見て、今を楽しめねぇお前は……やっぱ、道化だ。嗤えるぜ」

 喉を一つ鳴らしてから、意識を闇の中に落として行った。
 もうぴくりとも動かない郭図の前で、彼はゆるりと立ち上がる。

「……んなこたぁ分かってる。ただ……出来ないからやらないってのは間違いだ。俺はな、時計の針を進めるだけ進め、これから先にこの大陸の中で起きる戦だけを消したいんだ。それを後続に託すのも人の仕事だろうよ……俺がこんな事を誰かと語り合うなんて一生無いが……」

 一瞥して、ふるふると首を振った。

「ただなぁ、郭図……“もし俺が”……現代の記憶も無い、ただ華琳に仕えるだけの一人の将や兵だったとして……」

 紡ぐ言葉の途中で、さっきまでズレていた感覚が元に戻り始め、

「……この世界に今の俺みたいな、天の御使いってのが別に居たなら……きっとそいつを許せない」

 自分とは正反対の腕を思い出して、

「……例え全てを敵に回しても、お前と同じで最後まで憎んで蔑むと思う。この世界は、この世界で必死に生きて戦ってる奴等の為にあるべきだろうから」

 あの時に見えた、白きモノが作る暖かい世界を……否定した。

「俺と違って……一回キリの人生で、みぃんな幸せを掴もうと足掻いてんだから」

 牢屋を後にする彼の足取りに違和感は無い。
 彼の気付かぬ所で、黒の外套の端が一瞬だけ世界に溶けて、また戻った。

「矛盾の果てに生き残る人達全ての為に、平穏な世界を作れるなら、俺だけ嘘を付き続けるさ」






















 モニターの前で拳を握る少女が一人。口には笑みを、瞳には歓喜を宿して。
 彼の選択の一つで、その少女が手に持つデジタル数字盤の列が一桁まで消え失せた。残す所はあと……。

 パチン……と指を鳴らす。
 現れた筋骨隆々の変態は、驚愕に目を見開いて蒼褪めていた。

「……なんてことを……」

 にやける少女はカタカタとキーを叩き、その変態が“嘗て存在した”突端の世界をモニターに映しだす。

「……無限に開かれた外史に於いて忘れられた存在が二つ。裏に引っ込んだ少女達と違い、こいつらだけは完全に消えてます。肯定された恋姫外史には……否定の剪定者は必要ありませんもんね、貂蝉」

 其処には二人の道士服を着た男が映し出されていた。
 繰り返される運命に否定を願った二人。終端の果てに望みが叶わず、もはや存在さえ世界に認められていない。

「徐公明は一つの可能性。“天の御使いが居なければ”……恋姫外史の突端への否定想念で生まれたこの虚数外史で、存在定着率の揺らいだあの男は存在自体が歪んで行きます。このままじゃアレと似たようになっていくでしょうねぇ?」

 にやりと笑う。
 貂蝉は目を伏して憂いを浮かべ、胸筋を膨らませた。

「……哀しい外史を作るつもりなのねん……喜備様」
「この外史が壊れてしまえば、ですけど。あと敬語は止めてください。所詮は外史群体レベルでの上下関係に過ぎませんから……って言っても、無駄ですか」

 呆れのため息を一つ。カタリ……と鳴らしたキーの音だけがやけに響いた。

「それにしても、ジョカシステムがまさか復元力(カウンター)を使って直接介入してくるとは思いませんでしたよ」
「……実数外史の中でもさらに異端外史の記憶を投影。虚数外史への直接介入が為せたって事は……虚実の確率歪曲が始まった。ご主人様の存在自体を否定するあの人が御使いとして観測された利で介入出来るならもう……別のゼロ外史が生まれる兆候かそれとも……」

 悩ましげに眉を寄せる貂蝉。
 見られたモノでは無いが、喜備と呼ばれた少女は気にしない。

「それだけ世界側も焦ってるってことですね。御使いの否定は多くの恋姫外史の否定とほぼ同義です。壊れるのは当然、壊されるのも当然……しかし異端であれ存在する限り、此処にあるモノが全て、否定も肯定も自由の矛盾ロジックでありながら、終端は決められている……ですよね、旧管理者?」

 確信を持って言う喜備とは違い、貂蝉は何も答えない。悲哀に暮れる眼差しで、黒の男を見ていた。

「ただしそれも……確率収束点を越えられなければの話。あの男が為るモノは変わりませんが、事象改変は成るでしょう」

 キィ、と椅子を傾けた。

「安心していいですよ。この事象さえ上手く行けばあなたの大切なご主人様とこの男が戦う未来はありません。私もそんな茶番外史を観測するのは嫌ですからね」

 指を高く鳴らした。そうするだけで、また貂蝉は煙のように消え去った。
 少女はカタカタとキーを叩き、モニターを移し替える。

「左慈と于吉の成り替わりになり得るなんて……本当にイレギュラーですね、あなたは」

 救えないのがもどかしい、というようにモニターに手を這わせる少女は、小さく吐息を零した。

「救われない存在に救いを……彼女達の為の御使いは北郷でいいんです。でも虚数外史の御使いは……」

 続きが聴こえた者は誰も居ない。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。


彼の行く末に一つの可能性が明らかになりました。

ちなみに、無印で北郷くんが願った『この世界はこの世界に生きている人のモノだ』というのがこの虚数外史でも色濃く反映されています。
その矛盾を突き詰めると秋斗くんのような思考も持ってしまうということで。

世界が見せた景色は皇帝になった北郷くんですね。

郭図くんの出番は此処で終了。最後まで彼は彼らしく。
主人公の一番の敵でありながらある意味で理解者だったのかもしれません。


ではまた 
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