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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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三十八 開幕

重厚な門が厳かに口を開く。

万物の始まりと終わりを示す『あ』と『ん』の狭間から、わらわらと溢れ出す人々。
深い峡谷の如き門を抜け、木ノ葉の里へ足を運び入れた彼らの目当ては、皆同じものであった。

―――木ノ葉隠れ中忍選抜試験『本選』。

逸早く試験に赴いた彼は、本日の舞台となる会場を見渡した。
笠を目深に被り直す。一陣の風が何かの予兆のように、三代目火影の羽織をはためかせた。
「いよいよじゃな…」





観光客でごった返す路地を波風ナルは歩いていた。
視線を落とし、陰鬱な表情でとぼとぼと歩く。その様からは、とても今から試験に挑む者の姿だとは思えない。
(いよいよ本選か…。緊張してあんまり寝れなかったってばよ…)

空を仰ぐ。建物に囲まれ、細い亀裂のような青い線が彼女の瞳に映り込んだ。
いつもなら広く果てしない青空がやけに頼りなく見えて、心が益々沈んでゆく。物憂げな嘆息を零し、それから勢いよくナルは顔を上げた。
「…あ、あんだけ修行したんだし、大丈夫だってばよ…っ!」

引き攣った笑顔。気を取り直し、ナルは鞄を抱え直した。
だがその足は試験会場には向いていなかった。






アカデミーを卒業し、下忍となった演習場。思い出深い場所に足を踏み入れたナルは、三本の丸太がある地点へと歩み寄った。
はたと足を止め、見知った背中に目を瞬かせる。
「ヒナタ…?」
突然声を掛けられた彼女がぴゃっと飛び上がった。思わず傍らの丸太後ろに回り込む。
「ナ、ナルちゃん…!」
丸太に隠れながらおずおずと顔を覗かせるヒナタ。驚愕の表情を浮かべるヒナタを不思議に思いつつ、「大丈夫なのか?」とナルは彼女を気遣った。

「全然会えなかったから心配したってばよ。身体、もう平気なんだってば?」
「う、うん…治してもらったから…」
治ったではなく治してもらったと曖昧な表現を用いる。歯切れの悪い口調でヒナタはおずおずと訊ねた。
「ナ、ナルちゃんは、ど、どうしてココに…?今日は本選じゃ…」
ヒナタの問いに、ナルは感慨を込めた瞳で丸太を見つめた。
「ちっとな…この演習場を見に来たんだ…」

担当上忍たるカカシから鈴を奪い取るサバイバル演習。己の未熟さが身に沁みたと同時に仲間の大切さを学んだ場所。あの時の鈴の音が彼女の耳朶に今でもまだ残っている。

「―――ココはオレが下忍になった場所だからな…!」

にかっと笑顔で答える。力強いその返事に、ヒナタは一瞬息を呑んだ。はっと我に返ると取り繕うように「へ、へえ~…。ど、どうして…?」と更に問い掛ける。
「べつに理由はないけど…。そういうヒナタはなんでココにいるんだってばよ?」
「わ、私は……」
ナルの尤もな意見にヒナタは即答出来なかった。彼女は、あの時ナルトが去り際に残した言葉がずっと気にかかっていた。


「本選当日、大切な友達が本選前に演習場を立ち寄る」

不確かな未来を予期するような物言いに当惑したものの、出来ることならナルを応援したいといった想いが彼女をこの場へ導かせた。故に、観戦しようと同班の犬塚キバに誘われた際、彼との待ち合わせにこの場所を指定したのである。
正直なところ、半信半疑でヒナタはこの演習場へ赴いた。
手持無沙汰に、ナルトが背にしていた丸太の木目を眺める。その途端、いきなり背後から声をかけられ、ヒナタは本気で驚いた。
予言通りに演習場へナルがやって来た。その事実が彼女の心をかき乱す。


「あのさあのさ!訊いてもいいってば?」
「え!…う、うん…。なに…?」
おもむろに声を掛けられ、狼狽しながらもヒナタは頷いた。
話し掛けた本人であるはずなのに躊躇う素振りを見せるナル。暫し視線を泳がした彼女は、やがてガバリと顔を上げた。
「――――――の印の結び方を教えてほしいんだってばよ!」
術の名を挙げられ、ヒナタは目を丸くした。誰かに頼るといった行為など一度たりとも無かったナルが、自分を頼っている。
何も言えずにいるヒナタをナルはおそるおそる見つめた。秘密を打ち明けるかのような口振りで話し続ける。
「その、オレってばさ…。今まで頼ることは甘えだって考えてたんだってば。ずっと悪いことなんだって思い込んでた…」
「そ、そんなことないよ!」
ナルの言葉を遮るように、ヒナタは声を上げた。熱意を込めた声音で一生懸命言い募る。

「全然、悪いことじゃないよ!わ、私…ナルちゃんの力になれたらいいなって、いつも思ってた。だ、だから私を頼ってくれて、とてもうれしい…」
「うれしいんだよ」と今一度訴えて、大声を出したことを恥じるようにヒナタは丸太に身を寄せる。熱弁していた彼女の変わり様にナルは目をパチパチ瞬かせた。照れ臭そうに頭を掻く。
「ナルトって奴のおかげなんだってばよ」
不意に聞き知った名前を告げられ、ヒナタは目を見開いた。動揺する彼女に気づかず、ナルは言葉を続ける。
「頼るってことが悪いことじゃないって、そう思えるようになったのは…」


いつから独り暮らしだったのか。それすらも忘れてしまった。ただいまと言っても返ってこない返事。何時まで経っても感じないぬくもり。
季節は巡っても、ナルの心は冬だった。殺風景な部屋で独り、いつも膝を抱えていた。
まるで自分独りだけが世界から取り残されてしまったような。しんしんと雪が降り積もる、寂然とした空間。
色のないモノクロの世界。周囲が色鮮やかな日々を送る中、彼女独り白黒の空間から脱け出せない。

誰も教えてくれない。導いてくれない。助けてくれない。救ってくれない。手を差し伸べてくれない。
だから自分のことは自分でするしかなかった。

指摘してくれる人などいないからやること為す事失敗し、何度も間違えた。そのたびに「そんなことも知らないのか」と幾度も馬鹿にされた。
それ故、訊くことが怖かった。頼るという行為自体が悪いことだと考えるようになった。

しかしながら、うずまきナルトは親切に教えてくれた。馬鹿にしたり、「そんなことも知らないのか」と嘲笑ったりしなかった。
そうしてようやく気づく。自分に勇気が無かっただけなんだと。己自身が白黒の空間に閉じこもり、とっくに訪れていた春も迎えようとしなかった。自分から訊こうとしなかっただけなのだと彼女は今になって知った。

頼る行為は甘えであり、悪いことだという思い込みを、ナルトが塗り潰してくれたのである。自身と似ているようで違う、あの春の日差しの如き笑顔で以って。



「あとさ、見舞いに来てくれたらしくって花貰ったんだってばよ。オレってば寝てて気づかなかったんだけど…」

修行に明け暮れる日々を送っていたナルの許に、シカマルが小難しい顔でやって来たのだ。いきなり花束を渡され、何事かと思ったのだが「うずまきナルトからお前に、見舞いの花」と簡潔に言い渡され、納得する。元々植物が好きだったためナルは喜び勇んでその花を受け取った。その時のシカマルの機嫌がなぜか非常に悪かったのだが、どうしたのだろうか。

花束それぞれの花を挿し木にする。運のいいことにほとんどの花が根付いたので、殺風景だった彼女の部屋は今やとても華やかだ。それこそ春が来たように。


「すっげーいい奴なんだってばよ。で、さ。ラーメン一緒に食べに行く約束したんだってば!」
そう言ってはにかむ。ナルの笑顔を目の当たりにしてヒナタはどこか不思議な心地がした。
ナルが嬉しいと自分も嬉しい。何時もならそう感じるはずなのに、今回はどこか違った。心の片隅で湧き上がったモヤモヤとした想いが引っ掛かる。
「……?」
だがそのモヤモヤを振り払い、ナルに訊ねられた術について教える。幸いなことにそれは下忍レベルのものだったので、座学で優秀だったヒナタは親身になってその術を解説した。
ヒナタの丁寧な説明のおかげである程度理解出来たナルが、バッと拳を高く上げる。

「サンキューな!ヒナタが友達で本当に助かったってばよ!!」

憧れの人の口から友達と言われ、ヒナタの顔が赤く染まる。口をぱくぱくと開閉する彼女に、ナルは背を向けた。
「じゃ、オレってば試験行ってくる!オレがネジぶっ飛ばすの、お前もぜってー見に来いよ!!」
振り向き様に元気よくそう告げると、ナルは意気揚々と試験会場へ向かった。
その足は演習場に来た時とは違って軽やかなものだった。







「サスケはまだ見付からんのか?」
会場を一望出来る観戦席にて、三代目火影は思案顔で対戦場を見下ろした。

そこに立ち並ぶ少年少女は油女シノ・奈良シカマル・波風ナル・日向ネジ――木ノ葉四名と、我愛羅・カンクロウ・テマリ――砂三名。音の多由也と、そして今回最も注目されている人物―うちはサスケの姿は何処にも見当たらない。

傍で待機していた並足ライドウが腰を屈め、三代目にそっと耳打ちした。
「暗部数名のチームで依然捜し回っていますが、まったく……」
より一層声を落とす。三代目にしか届かぬ小声で、彼は自身の懸念を打ち明けた。
「…もしかすると既に大蛇丸の手に…。そうなっていてはもう見つける事は……」
ライドウの言葉に三代目は静かに双眸を閉じる。ややあって、こちらへ近寄る気配を感じ、彼は目線を上げた。
「おお…これはこれは、」
二人の側近を引き連れたその者へ外交辞令を告げる。

「風影殿!遠路遥々、よくぞお越し下さった…っ」
風影と呼ばれた男は三代目の顔を見て、どこか懐かしむように瞳を細めた。





晴れ舞台となる会場で、彼らは佇んでいた。溢れんばかりの観客達に嘲笑を投げ掛ける。
何れ戦場となる地で、何を浮かれているのか。
視界を覆うお面の奥で目を細める。そうして観戦者達が身を乗り出しているのを尻目に、手ぐすね引いて彼らは待ち望んだ。
来たる鬨の声を。






三代目火影が本選開始の挨拶を終える頃、少年は腕をぶらんと垂らした。彼の眼前には修行の成果とも言える瓦礫が山を成している。
不意に少年を見守っていた青年が顔を上げた。傍の柱石へ視線を転ずる。抉れた岩々が立ち並ぶ荒野で、カカシは鋭く呼び掛けた。
「……誰だ?」
呼び掛けに応じて、岩陰から彼は姿を現した。カカシの声で顔を上げたサスケが瞳を瞬かせる。

突然来訪したその人物は、この場にはいないはずの者だった。

「一か月振り、ですね…」







「これより予選を通過した九名の『本選』試合を始めたいと思います!どうぞ最後までご覧ください!!」
中忍選抜試験開始の合図を告げる。諸国の大名や忍び頭を含めた観光客に見守られる中で、三代目火影は高らかに開会の挨拶を述べた。
式辞を終え、ふうっと席に腰を下ろした火影に、風影が水を差す。

「…九名なら…二人、足りないようですが?」
「………」

風影の問いに火影は何も答えなかった。風影も返答は期待していなかった。
その理由がなぜか、己が一番知っていたから。



「いいか、てめーら。これが最後の試験だ」
審判を務める不知火ゲンマが柄の悪い口調で話し始めた。目前の子ども達の顔触れを確認し、それから淡々と注意事項を語る。口に咥えた千本がやる気なさげにゆらゆら揺れた。

「地形は違うが、ルールは『予選』と同じで一切容赦無し。クナイや煙玉といった忍具、飛び道具に口寄せ動物、なんでもありだ。どちらか一方が死ぬか、負けを認めるまで…。ただし勝負が着いたと俺が判断したら、そこで試合終了。分かったな?」
そこまで話してから、今思い出したかのようにつけ加える。
「あー…ちなみに自分の試合までに到着しない場合、そいつは不戦敗とする―――じゃあ一回戦」
飄々とした態度の審判に反し、少年少女達は皆ゴクリと生唾を呑んだ。各々の双眸が緊張の色に満たされる。

「波風ナル。日向ネジ。その二人だけを残して、他は会場外の控室まで下がれ」


名を呼ばれたそれぞれが表情を引き締めた。特に唇をぐっと一文字に結んでいるナルをシカマルは気遣わしげに見つめる。
憂色を漂わせる同期二人の視線に気づいて、ナルはにっと笑みを形作った。わざと威勢良く振舞う彼女の肩を、シカマルとシノが励ますように軽く叩く。

後ろ髪を引かれながらカンクロウ・テマリに続いて控室へ向かう。なぜか一番最後まで残っていた我愛羅が底の知れぬ瞳でナルを見ていた。無言で一瞥を投げ、やがて踵を返す。



これから始まる試合に湧く観客達。選手を賭けの対象にしている無粋な連中が、自身の不利となる受験者へ野次を飛ばし始めた。その野次の大半はナル一人に向けられている。

大声での非難や揶揄を一身に浴びながら、ナルは対戦相手の顔を睨み据えた。彼女の強い眼力に、ネジが挑発的な冷笑を漏らす。
「…なにか言いたそうだな?」

彼の挑発に乗らず、ナルは拳を前に突き出した。予選でヒナタを死ぬ一歩手前まで追い込んだネジを、静かな、だが鋭い双眸で見据える。

「ぜって――勝つ!!」


その宣言に、ピキキ…と白眼を細めるネジ。ナルの全身からは男にも劣らぬ闘気が溢れ出していた。
特に爛々と力強い輝きを放つ彼女の瞳は見事なまでに澄んでいる。運命に縛られている自分と違い、まるで自由な空の如きその青が、ネジには癪だった。

「その威勢がいつまで続くか…。本当の現実を知った、その時の落胆の目が楽しみだ…」
皮肉たっぷりの言葉を発す。青く澄んだその空を一刻も早く曇らせてやろうとネジは嘲笑した。


双方の意気込みを感じ取ったゲンマがついと片眉を上げる。さぁてどうなることか、と抜からぬ顔で、彼は口を開いた。


「では第一回戦――――始め!!」
 
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